ご質問をいただきました。肘の外側の痛み (上腕骨外側上顆炎・テニス肘) の治療の方法についてです。
おはようございます。
質問です✨
外側上顆炎だと思われる方がいるのですが
特に
肘の外旋、伸展が
辛いそうです…
打鍼で
伸筋群や肘周りを
コンコンとした所
痛みも半分以上無くなりましたが
次の日には
痛みがまた出てきていたそうです。
首肩こり、背中のハリも
目立つので
そこもアプローチかな?
とも考えております😃
阿是穴を狙うのか
曲池や尺沢、合谷なのか…🤔
よろしくお願いします💦✨
原因が大事
治療に「これ」という決まったやり方はないと考えていいかと思います。
そもそも中国伝統医学は、鍼灸と湯液 (漢方薬) という複数の方法を持っていますが、病因病理を共有します。鍼灸を使うか湯液を使うかは、それぞれの施術家の得意とする方法でいいのです。鍼灸科内においても、中医学のもとに病因病理を共有しつつ、どのツボを使うか、鍼にするのか灸にするのか等は、各施術家の個性があってしかるべきであろうと思います。
つまり大切なのは、なぜこういう病気になったのかという「病因病理」です。原因を考え、それを改善することだけを考える。そこさえ見失わなければ、治療方法は勝手に身についていきます。方法を考えるのではなく、まず原因を考えるのですね。
原因に向き合う。患者さんに向き合う。
誠実さが大事
その時に何がもっとも大切か。知識よりも技術よりも大切なものがあります。それは「誠実さ」です。これさえあれば、知識も技術必ず「正しい方向」に進みます。結果として驚くような治療効果をあげることができます。
正しい方向? 間違った方向なんてあるんでしょうか?
ぼくは初診の患者さんを診る時、3時間かけて診察します。へたをすると5時間を超えるときがあります。そんな長時間やられたら患者さんもたまったものではないですね笑。ところが患者さんには あっという間らしく、「え ! ? もうこんな時間ですか! こんな長い時間ていねいに診ていただいてありがとうございました…」とおっしゃる方も少なくありません。
初診の治療は8000円で、つまりお金のことなど考えていないということです。ただただ良くなってほしい。それだけになっています。
初診では、病状とその原因を、例えを交えて詳しく説明します。その中から患者さん自身が「自分の何が悪かったのか」ということを深く見つめ、そして何かに気づきを得て行かれます。ああなるほど、ここが原因で、これが自分の悪い癖で、それをこれから少しずつ改善していく必要があるのだな…と。「ああなるほど」だけで、その場で症状が改善することもあります。
患者さんが深く理解され、さらに、僕の「誠実さ」に対して「誠実さ」でもって答えてくる。つまり患者さん自身が、できるだけの努力 (日々の養生・生活習慣の改善) をしてみよう! と決心されるのです。完璧でなくていい。1mm、1cmでもいいから、先生の気持ちに答えたい! と。
僕も含めて、世の中に完璧な誠実さなどありません。だだし人間と生まれてくるほどのものであるからには、みなそれぞれに誠実さを隠し持っています。そういう人々の集まりのなかで、僕自身が誠実さを輝かさなければ、患者さんの誠実さを引き出すことなどできない。それが引き出せなければ治療は効きません。肝硬変で死にたくない、でも酒は死んでもやめたくない、そういう「わがまま」では、いい所に行き着きません。患者さんと僕との間で、誠実さのキャッチボールがありさえすれば、余命一年と言われたアルコール性肝硬変といえども、助かると思うのです。
なぜ痛む?
誠意に根ざした治療をしていると、見えてくるものがあります。
そもそも痛みって何のためにあるのか?
たとえば頭痛の患者さんが来た。原因を聞いてみると、徹夜麻雀が大好きでそれを3日続けてやったという。頭が痛くて麻雀ができないからなんとかしてくれ、という。鍼を刺して痛みを止めた。すると患者さんは喜んで今夜も麻雀をした。患者さんが望むんだから、痛みさえとれればいいじゃん。徹夜麻雀? それが体に悪いっていう証拠でもあるの?
…子供が欲しがるからと言って、ご飯ではなく、大好きなケーキばかり食べさせる。糖質さえとれればいいじゃん。
痛みさえとれたらいい。糖質さえとれたらいい。本当にいいことなのか、考えれば分かりますね。
痛みはブレーキなのです。今夜の徹夜麻雀に、頭痛がブレーキとして働くのです。車を走らせるうえで、ブレーキほど大切なものはないことは周知のことでしょう。
さらに。
たとえば頭痛の原因が脳腫瘍だと分かれば
「痛みが出てよかったね。原因の脳腫瘍が分かったのだから。さあ、脳腫瘍を治していこう!」
となるしょう。しかし頭痛の原因が徹夜麻雀なら、
「痛みが出てよかったね。原因の徹夜麻雀が分かったのだから。さあ、徹夜麻雀を治していこう!」
とはならない。
「レントゲン」にうつる原因は治そうとするが、「レントゲン」にうつらない原因には見向きもしない。だから、「痛みさえなくなればそれでいい」。
痛みさえなくなればそれでいい。これは、徹夜麻雀がしたいという「欲」に目がくらむからです。欲に目がくらむと「痛みを止めて何が悪い !?」という考え方になります。
これは、治療される側であろうが治療する側であろうが言えることです。
早く治せば名誉が得られ、患者さんの希望に沿えば金銭が得られる。真の原因 (中医学的な病因) は、くらんだ目には見えてきません。
上腕骨外側上顆炎 (テニス肘) の病因病理
前置きが非常に長くなりました。
さて。
中医内科学では、整形外科的な痛みに関しては、腰痛や痺証などがまとめられているのみで、外側上顆炎に関しては記載がありません。よって中医基礎理論・中医診断学・中医内科学・中医証候鑑別診断学などを一通り理解した上で、各自に応用していくことになります。
痺証としての外側上顆炎であるならば、痺証の病因病理にしたがって、たとえば表証を取っていくなどの治療を行います。
部位的に外側上顆は、手陽明大腸経と手少陽三焦経が関わる場所です。外側上顆炎に好発する圧痛部位に経穴がないのは、膝の鵞足炎なども共通します。古人がここに経穴を置かなかったのは深い意味があってのことかもしれません。
陽明大腸経は肺気と関わり、気滞や気逆と関わります。
少陽三焦経は少陽胆経と関わり、左右のアンバランスや疏泄に関わります。外側上顆は人体の外側 (左右) に位置しますね。空間論的に、少陽胆経の支配を受けていると考えるのです。
気滞から気逆をおこし、上に気が上る。すると頭でっかちの建物のように、左右に不安定になります。この構図 (気逆→陰虚陽亢) でもっとも重篤な病気は脳梗塞です。上に気が上って左右の問題 (半身不随) がでますね。外側上顆炎も、ほとんどが左右どちらかに出ますね。
外側上顆炎は、そうならないようにセーフティブロックのように食い止める働きをすることがあります。たとえば理美容師がハサミを使いすぎて外側上顆炎を起こした。理美容師 (調査対象は男性のみ) は脳卒中になる確率が通常の数倍以上とされます。だとすると、肘が痛くてハサミが握れず、仕方なく仕事を休んだり体を休めたりすることが、脳卒中のリスクを下げるという可能性につながることが分かりますね。
この外側上顆炎を、気逆による左右のアンバランスと弁証したとします。ではこの気逆を取るためには、どうしたら良いのか。肝経の百会を使ったり行間を使ったりしてみる。すると、効くときもあるが効かないときもある。では効くときとはどんなときか。効かないときはどんなときか。それをこれから何年も何十年もかけて見つけていくのです。百会や行間は参考であり取っ掛かりです。
また、鍼をするだけでなく、生活習慣が同時に改善されていくかを注意深く観察します。仕事ばかりにならないで空いた時間で体を動かすこと、体を軽くするために腹八分目にすること、早く就寝することなど、人それぞれの養生指導があります。これらを無理なく行えるようにすることで気滞や気逆や左右の問題が消え、肘が痛まなくなってゆく。
無理なく行えるようになってゆくのも、鍼で気を下げるからできるようになる。鍼の効果はむしろそこに求めるべきです。ああ、最近なんか徹夜麻雀したいとあまり思わなくなった…とか。少しの余力を残して仕事を楽しめるようになった…とか。
弁証が大事
しかし、こういう世界はくらんだ目には見えてきません。ゆくゆく患者さんの脳梗塞のリスクを高めるかどうかなどどうでもよい。いま、患者さんを喜ばせることができさえすれば、名医の称号も得られ、金も儲かる。
だから、ひたすら痛み「だけ」を取ろうとする治療から進展がなくなるのです。その背後にある原因 (生活習慣や考え方の悪いクセ) を考えようとしない。
結果として脳卒中を起こそうが、気にも留 (と) めない。
だから、中医学など使えない… となる。
鍼には気の推動作用を助ける働きがあり、とりあえず鍼をすればその部分の痛みが取れるという効果が得られます。痛みを痛いところで取るクセがつくと、痛み以外の病気に手が出なくなっていきます。
過去・現在・未来をつつみこむ中医学
難しく考えなくても、初心の内は痛みを取ろうと考えればいいのです。大切な取っ掛かりです。ぼくもかつては痛む箇所に鍼をして、痛みを取る治療に専念しました。
しかし、治ってこない。その時は痛みが取れたとしても、時間が立つとまた痛みがぶり返したり、別のところが痛くなったりする。
または、別の病気になったりする。これは偶然なのか必然なのか。肘やその周辺に鍼をして痛みが止まったとしても、それが良いことなのかをよく考えることは、誠実ささえあるならば、自然のなりゆきとして起こることです。背後にある原因が消えなければ、姿を変えてつきまとい続ける様相がおのずと見えてくる。これが中医学の「証」の世界です。証は流動的に変遷してやまないものです。
人間としての人体 (生命) を治したいなら、一箇所を治しても代わりに他所が悪くなるとすれば、意味のないことです。こういう世界は、全科を1人で診る「中医的な志」がなければ見えてこないでしょう。肘の痛みが取れて、だから休むことなく働いた。その結果として気逆の上に気陰損傷をもきたし、そして未来に脳梗塞を起こすならば、これは元も子もない事態です。
まだ見ぬ未来にまで、患者さんのことを思いつづける。今さえ良かったらいいのではない。中医学の考え方は、現在だけでなく、過去も未来も包み込むものです。
そして、その起点となるものが何かわかるでしょうか。
本当に医が「仁術」であるならば、子供の「いま」よりもむしろ、その子の「これから」を案じる。それが愛ある「親」としての務めではないでしょうか。
まとめ
誠実さ。
そのもっとも基本は、他人から何かを与えてもらったら、どうにかしてそれを返そうという気持ちです。「ありがとうごさいました」は最低限、与えられたものを返す気すらないならば、人に何かを与えることなど及びもつかない事です。ましてそれが「健康」や「幸せ」を与える職掌であるなら、なおさらのことです。
一般の方でもできる礼儀作法すらできない医療者、とくにそういう鍼灸師が多いなんてことはあってはならないことです。我々は、一般の方に「幸せ」「喜び」を運ぶ役目だからです。
フェイスブックをやっていて、一般人におとる誠実さでしかないそれらをたくさん見てきました。まずここを何とかしないと、鍼灸師の社会的ステータス (信頼) など上がるはずがありません。一般の方々は、学業や医術の優秀さだけで医療者を判断しているのでは決してありません。
〇〇さんは、もちろん学生さんでまだこれからの方です。ですから「こういう話があるんだな」と頭の片隅に置いておくだけでいい。これからいろんな経験をしていかなければなりません。失敗もあります。
そして頭の隅っこにあったこの知識が「羅針盤」となり、数々の失敗を全て成功に変えて行かれることを願ってやみません。
たとえば僕の娘が陸上の競技中に、全身の筋肉がグニャグニャに麻痺してしまって、指先を震わせることすらできなくなったことがありましたが、そういう初めて見る病気でも落ち着いて鍼で治療し、その場で寝返りを打たせ、完治させたことがあります。
これは、僕に言わせれば、その場で「肘の痛みをとる」ことと何も変わらない。痛みに対しても中医学的な治療を徹底してトレーニングを積んでいると、こういう思いもかけない重病にも、同じように対応することができるのです。