高齢者によく見られる症状に頻尿があります。東洋医学の目で見た時、それは生命力そのものの弱りを意味します。
また、認知症患者に見られる怒りっぽさ、また高齢者に多い脳梗塞など、その生命力の弱りと根っこでつながっています。
どのように考えるのか、展開していきます。
▶高齢者頻尿と気…小便清長と小便短赤
老化による頻尿は、腎気の不足です。腎気は下から、ナベを火にかけて温めるように、人体を温めます。そうするとナベの中身はだんだん少なくなり、煮詰められますね。この煮詰められた水が尿であると考えて下さい。だからおしっこは少し黄色いのですね。黄色は暖色で、熱をしめします。少し熱がある、つまり温かい状態である指標が、おしっこの「少し黄色い」状態で、これが健康です。お風呂で言えば、程よい湯加減ですね。
この火のことを “命門” といいます。命門とは腎陽のことです。命門の火が衰えると、おしっこは透明で色がつかず、何度もトイレに行きたくさん出ます。これを中医学では “小便清長” と言います。下の火が足りないので、足が冷えやすいのが特徴です。これはぬるいお風呂ですね。高齢者の頻尿はこのパターンが多く見られます。
逆におしっこが黄色すぎるのは、熱で煮詰めすぎだからです。中医学では “小便短赤” と言います。邪熱があるからで、身熱などの熱証が出やすくなります。これはあつすぎるお風呂ですね。
腎は先天の元気とも言われます。先天の気とは、父母から受け継ぎ、受精卵のときから繋いできた命のことです。体を温める大本です。生命の特徴は温かさです。それがだんだん失われることで起こってきます。
これは小児の夜尿症でもよく似たことが言えます。腎が弱ってきたのではなく、まだ未熟なためです。
- 東洋医学の「腎臓」って何だろう をご参考に。
腎は求心力でもあります。地球で言えば核、すなわちコアですね。コアが求心力 (引力) の中心となって、地球は形を維持し、ぼくたち人間も宇宙に放り出されずに済んでいます。もしこの求心力 (腎) が無ければ、地球 (人体生命) はバラバラに崩壊してしまうでしょう。また、求心性に凝縮されたコアは、マグマのように高熱で、命門に相当します。地球の温かさはコアの熱によるものと、太陽の光によるものと、両方からのものです。太陽の光とは「こころ」すなわち心神のことです。
- 東洋医学の「心臓」って何だろう をご参考に。
▶怒りと気
昔はお年寄りといえば、人が練れて、温厚で優しいというイメージでしたが、この頃の高齢者は気が短くてすぐに怒る人がおられますね。
怒気は気の過亢進です。多くは上で過密状態 (邪気) となり、下では不足状態 (正気の虚・腎気の不足) になっています。
腎気が不足すると肝気も不足するのが順です。つまり、気が不足すると怒る元気も無くなる…というのが順当で、だからこそ気を浪費せず守ることができるのです。怒りは気を浪費します。
しかし、腎気 (コアの求心力) が弱れば弱るほど、肝気が好き放題に暴走 (誤った方向に疏泄) する場合もあります。そういう側面では、気が不足すると怒りやすくなる、ということができます。怒れば怒るほど上が過密となり、下が不足していきます。これは順当とは言えず危険です。こんな状態が長く続くとどうなるか…ですね。
- 東洋医学の「肝臓」って何だろう をご参考に。
求心力の弱りは、バラバラに崩壊することを意味します。これが暴走 、スピードオーバーです。
興奮状態の中で、知らぬ間に気が消耗してゆく。あとで詳しく説明します。
肝気の暴走は、心神すなわち「こころ」にも左右されます。肝魂 (無意識・感情) の上に立つ心神 (自意識・理性) が誤っている場合に起こる。つまり、 “怒ることは間違っていない” と考える “誤った心神” であれば、肝気の暴走という “誤った現象” が起こりやすくなります。
感情は抑え込まずに素直に出したほうが良い、と考える人もいます。しかし、みんなが好きなことを言って好きなことをやっていると、世の中は大混乱になってしまいます。世の中という組織が混乱することは、細胞からなる人体という組織が混乱するということです。
自由と束縛は陰陽で、自由だけを重視するやり方は片手落ちです。障子も敷居と鴨居に挟まれて束縛され、しかも少しのスキマ (自由) があるからこそ、開け閉めという仕事ができるのです。束縛しすぎると障子は固くて動かず、自由すぎると外れてしまいます。
やっていいことと悪いことがあるように、思っていいことと悪いことがあります。誰でも腹が立つことはありますが、できるだけ善意に解釈して、上手に “いなす” ことが正しい道です。全体が仲良くすることが第一義です。自分さえ良ければいいという考え方は病気のもとになります。
こういう教育がなされなくなったので、最近の高齢者くらいから、こういうことを否定する世代に入ってきたとも考えられます。老いも若きも “現代っ子” なのです。そもそもの心神の誤りが、誤った肝魂 (肝気上逆) を生む側面があります。
▶怒りは疏泄太過
怒りは興奮で、興奮している時は体の異変に気づきにくくなります。こういう人は、一見 元気そうで勢いがあるかに見えますが、内実は体をかなり弱らせていて気づいていない…ということが起こります。
ぼくはこれを “疏泄太過” という概念の一部として考えています。疏泄太過とは簡単に言うと、変な形で疏泄 (流れ) がスムーズである…ということです。たとえば月経過多や早漏・夢精などを説明するときによく使われる言葉です。易怒 (怒りやすい) も疏泄太過であるとされます。
- 疏泄太過って何だろう をご参考に。
すぐに怒ってわめき散らす人、歯にきぬを着せず言いたい放題をやる人は、感情から言葉へとつながる流れが “変に” スムーズなのです。しかも現代は、こういう人をおだて煽るような風潮がありますが、これも変なスムーズさがあるからです。これでは健康にはなれません。
さっきの、おしっこがいくらでも出るというのも、変な形で流れがスムーズすぎるんですね。
疏泄太過は、求心力 (腎) の弱りが関係します。求心力が弱く、虚しくデタラメに発散してしまう。疏泄太過は、同時に心神も関係します。正しい理性は求心力の大きな補いになります。心と腎。どちらも少陰ですね。心 (太陽) と腎 (コア) は、強調して心身 (地球の生命) の根幹を形成します。
▶重いものと気
たとえば妊婦さんは “重いものを持つな” といいますね。これは胎児がいる下焦を傷 (やぶ) るから、つまり腎を傷るからだと思います。腎気は妊娠出産に直接関わります。妊娠するのも、流産しないのも、逆子にならないのも、出産するのも、生理がくるのも、すべて腎気が関わります。
素問・難経ともに “強力” という言葉が出てきますが、いずれも “腎を傷る” とあります。
因而強力.腎氣乃傷.<素問・生氣通天論 03>
強力入水.則傷腎.<難経・四十九難>
“強力” とは「強 (し) いて力 (りき) む」つまり、強いて重いものを持ったり、強いて仕事をしたり、強いて運動したり、みな “強力” に相当すると考えます。過度のセックスは腎を傷ると言われますが、これも強いてやるとそうなることになります。「よいしょ」ってやる、限界を超えてやるとそうなる。
臨床的には、 “強力” はその場で症状が出ずに、ちょっと時間をおいて出ることが少なくありません。たとえば重い植木鉢を移動させると、その時はどうもなかったが翌日腰が痛くなった…とか。
そもそも “強いてやる” ということは興奮状態があることを示します。 “火事場の馬鹿力” ですね。興奮していると症状がすぐには出ません。これも疏泄太過です。腰が痛くなるほどの重いものなら、本当なら持てないはずなのに持ててしまう。これは「持ちたい ! 」という感情から「持つ」という動作までが、変にスムーズなのです。持てない、と感じるほうが正しい。
翌日に痛みが出るくらいならまだいい方です。何日も、何年も、何ともないことがある。そういう積み重ねが「火薬」として静かに蓄積され、ある日たまたまの「引き金」によって脳梗塞を起こす。そう考えられます。脳梗塞だけではありません。治らないとされる病はすべて、長い期間をかけた火薬の蓄積があったのです。
重いものをもって脳梗塞を起こすことがあるのは、「火薬」の蓄積があるという状況下で、その「引き金」が引かれたということですね。重いものを持ったからと言って、誰もが脳梗塞を起こすわけではありません。
脳梗塞は “気陰両虚” といわれます。気の固摂 (求心力) が失われ、陰の封蔵 (求心力) が失われ、ただ陽だけは虚していない。中身が抜けて、表面だけは元気に見える。燃え尽きる寸前のロウソクが、一瞬勢いよく燃える…まるでそんなふうです。瞬時に重いものを持ち上げる元気がありながら、次の瞬間には倒れて気を失ってしまう。
- 脳梗塞…東洋医学から見た原因と予防法・治療法 をご参考に。
▶まとめ
疏泄太過。正しい制御ができず、変にスムーズに、間違った方向に行ってしまう。
尿の制御ができない、怒りの制御ができない、力の制御ができない。
今回は、地球の求心力と遠心力、そして太陽との関連で、大きく例えました。求心力が足りない。あるいは光が正しく射し込まない。どちらも存続はできない。
遠心力に見合った求心力で制御ができる。正しい光が射し込む。「智」という字は「知」+「日」ですね。知性とは外から射し込むもの、誰かから正しく教わるものです。正しい勉強が大切です。
求心力の制御が正しく働き、明るく輝く知性・理性があれば、命は穏やかに存続するでしょう。