肉離れと皮膚乾燥…エコーに映じた “瘀血” という原因 

16歳。男性。スポーツ強豪校バレー部所属。

初診は2024年8月。たまに来院する。あんまり治療にまじめに通ってくれない。
しかし、だからこそ得られた貴重な症例である。治らないから得られた経験である。
2024年12月30日からの記録である。

12月30日

1週間前の練習試合で左腹直筋に違和感。
2日前の練習試合でジャンプした時、左腹直筋に卒然と痛みが出る。肉離れである。
このような外傷があるとき (ぎっくり腰・打撲など) に反応する穴処がある。竅陰である。

竅陰と同時に、次髎 (多くは左) にも実の反応が出ていることに最近気づいた。竅陰は胆経だが、次髎も胆経が流注している。よく仙腸関節あたりを動かして治そうとする治療家がいるが、こういう反応を取っている側面があるのだろう。ぼくは竅陰を使って仙腸関節を動かしているのである。

もともとアトピーがあり、邪熱が盛んである。

まず、百会で正気を補う。同時に邪熱を瀉す。
すると、右竅陰が生きた反応で浮いてくる。
同時に三陰交に実の反応が出る。百会に鍼をする前は出ていなかったものである。

もともと邪熱が中心の病態 (熱証) であったものが、百会に鍼をすることによって邪熱が取れ、瘀血が中心の病態 (血瘀証) に変化したのである。

つまり、竅陰が反応しているということは、瘀血が潜んでいる状態を意味する。

ちなみに、瘀血と血瘀の違いを知らない専門家? がいる。ひどいのになると瘀血と血瘀は字の順番が違うだけで意味は同じだと公言してしまう。それは間違いだ。瘀血とは病因である。血瘀とは病態である。インフルエンザウイルス (病因) とインフルエンザ (病態) が同じだと言うのと同じである。「あなたはインフルエンザですよ」と医者は言うことはできるが、「あなたはインフルエンザウイルスですよ」とは言えない。そんなこと言ったら下手すると名誉毀損で訴えられる。瘀血と血瘀の違いを知らないのは、それくらい初歩的な知識不足である。

こうなってから、初めて竅陰に瀉法を行う。それによって三陰交の反応が消え去れば、瘀血除去 (駆瘀血) が成功である。

肉離れに一本鍼は非常に有効である。
>> https://sinsindoo.com/archives/sudden-pain.html#痛み

ただし、通院を継続していて整っている人しか見たことがないので、あしからず。

ただし、この一回の治療で完治するとは思えない。バレー練習を強行すれば、ふさぎかけた傷口を広げる可能性があり、するとまた竅陰に反応が復活する。

いちおう、出来るだけ詰めて治療に来るよう指導したが、今までの経過から、来ないであろうことは想定せざるを得ない。

1月23日

先立つこと3日ほど前、顧問の先生が治療に来られた。
「〇〇くん、治療に来てますか?」
「いえ、来てないですね。」
「そうですか〜、続けろって言ってるのにな〜。」
「お腹の肉離れがありましたね。どんな感じです?」
「いや〜本調子じゃないんですわ〜。また来るように言っときます。よろしくお願いします。」

まもなく電話があり、来院。

左腹直筋、ジャンプするとまだ少し痛い。じっとしていたら痛みはない。
竅陰に実の反応がでている。この1ヶ月弱で、何度も肉離れの傷口が開いたな。
痛いので、練習は控えているという。

「今一番気になるのは、その痛みやな?」
「いや、皮膚のカサカサのほうがつらくて、今日はそれで来たんです。」

なに? そっちのほうがつらい?
目の周りがカサカサし、首、肘がかゆいとのことである。

舌を診ると、いつもよりも紅舌がきつい。練習ができないストレスもあるだろうが、主因は…。

瘀血である。竅陰の反応がそれを雄弁に物語っている。

「うーーん、この皮膚のカサカサは瘀血やな。肉離れってね、筋肉が断裂してるんで、出血があるんですね。その血って血管の外に出ちゃってるから、役に立たない血なんです。っていうか邪魔になる血、邪魔してる血やねん。あっ、たとえやで。実際にそういう血があるかどうかは別として考えてな。それで、そういうのを瘀血っていうんやけど、それが邪魔して血の流れをさえぎって、皮膚にまで血が届かなくなって、皮膚がカサカサする。つまり、このカサつきの原因は肉離れってことです。だから肉離れを治していかないと…。」

「あの先生、こないだ整形外科に行ってきたんです。そしたら肉離れのところから、かなり内出血があるって言われました。」

「へええ、どうやって調べるん? エコーとか?」

「はい、エコーっす。」

おお、ホンマにあったんや。瘀血。

百会に5番鍼5分間置鍼。
右竅陰に銀製古代鍼をかざす。

「離経の血」 (後に説明) としての瘀血は、さすがに解剖学的フィールドに出てくるのだなあ。エコーがあれば実証できるという学びになった。そして、臓腑経絡学を実践していれば、エコーがなくても見抜けるということも。

グチと考察

瘀血は 「血の領域」

そもそも瘀血とは、離経の血といって、経脈の流れから外れてしまった血が代表的である。本症例もそれである。この血は流通しない。

流通を邪魔する血のことを瘀血という。

血瘀証 (瘀血による病態)
血瘀とは、瘀血のある状態をいいます。よって、血瘀証とは言っても瘀血証とは言いません。血瘀とは証の呼び名のこと、瘀血とは病邪のことです。なかなか奥の深い概念です。詳しく説明します。

離経の血のうち、外傷によるものは比較的早く吸収され、体外に排出されるが、こういう瘀血は病位は浅い。取れやすいものは浅いのである。本症例でも、瘀血の病位は浅い。浅いのだが、治りきらない内にバレー練習をしてしまうのでなかなか治らないのである。

もちろん、動脈硬化による脳出血も離経の血であるが、これは素体の健康状態がすでに悪く、病位は深い。素体に問題のない外傷出血と、素体に問題のある病的出血とは、根本的に意味がちがうので分けて考える必要がある。つまり離経の血には、陰陽 (深浅) があるのだ。そして離経の血は解剖学的に捉えることのできる瘀血である。

我々がもっとも出会う頻度が高いのは、慢性病の瘀血である。この瘀血は、病気の過程で起こる二次的病因 (中医学では継発性病因という) としての瘀血であり、血の領域 (営分・血分) に存在する。よって病位は深い。つまり、継発性病因としての瘀血は、病位が必ず深いのだ。こういうものは、血の領域の滞りの原因となる。

ここが間違いやすいところであるが、「血の領域」は解剖学的に捉えられない。血の領域とは、臓腑経絡学 (陰陽論) においてのみ捉えることができる。中国伝統医学から生じた概念なので当然のことである。だが、多くの漢方家やドクターは、鍼灸を勉強していないために臓腑経絡学に暗く、ここが理解できない。浅い部分にも浅深あり、深い部分にも浅深あり、それが陰陽である。

理解できていない人で、しかも自分が偉いと思っている人とは、話をすることが極めて困難となる。

新血が生めない

瘀血 (流通を邪魔する血) があると、新血を生めない。新血とは、生命力としての血であり、四肢百骸を潤す働きがある。本症例では、この働きが瘀血に邪魔されたために、皮膚がカサカサになったのである。

由于瘀阻日久、新血不生、而导致血虚、肌肤経脉失于濡养、可见肌肤甲错、面色黧黒、毛髪不栄、脉细渋等血瘀血枯证、宜活血养血、祛瘀生新。

中国中医研究院・中医証候鑑別診断学・人民衛生出版社1995・pp37

舌がいつもよりも赤かったのは、瘀血によって気滞をひどくし、気滞によって邪熱が発散できず、熱がこもったのである。舌に現れる赤さは、多くは気分証の気分にある熱である。営分・血分の熱は、赤さとして現れにくいことがあり、これは熱があまりにも深いため、舌の表面にまで反映されないケースである。

こういうことは、北辰会で基本を学んだ。北辰会方式は、多くは一本鍼なので、体の変化を見て取る能力が鍛えられる。斬新な病因病理の捉え方をドンドン打ち出しており、中医学をリードする立場にあると考えている。ただし、こういう基本をそのまま鵜呑みにするのではない。自分自身の臨床経験によって裏付ける。その裏付けができて初めて、自分の言葉として発することができると考えている。

臓腑経絡学 (中医学の解剖学) を勉強しない者には、理解できない内容であろう。

鍼を一本打つたびに、漢方薬を一服飲むたびに、そのたびに臓腑経絡が動く。その動きを察することができなければ、反論はおとといにお願いしたい。

グチのまとめ

中医学で捉えているのは、多くは機能である。
しかし、離経の血としての瘀血は間違いなく物質である。

中医学で捉えたものは、必ず西洋医学的に実在する。しかしそれが、機能であったり物質であったりというフィールドの違いがある。その違いを理解できない人が多い。そういう人が中医学を分析しようとしても、矛盾だらけとなってしまう。違いを理解できていないので、矛盾していることにも気づいていないのだからどうしようもない。

西洋医学は物質的なものを動かして機能を改善しようとする。
東洋医学は機能的なものを動かして物質を改善しようとする。

ただし、それらはおのおの、機能 (陽) と物質 (陰) を両方俯瞰してこそ成し得ることである。それは陰陽だからである。当たり前のことを言っている。

パソコンばかり見て、患者さんの表情すら見ない醫者には逆立ちしてもできない。
中医学ばかり勉強して、西洋医学を勉強しない醫者には逆立ちしてもできない。

このような陰陽としての捉え方ができなければ、東洋医学とは何かを語ることはできないだろう。

少なくとも、陰陽をある程度とらえているならば、東洋医学の気 (機能) を動かして、物質を動かすことができる。40年間失明状態にあった目が、鍼を打った翌朝に見えるようになった症例を僕は持つが、これなどは「物質を動かした」のである。物質を動かした経験はそのほかにも多数ある。そういう実践を経てきた臨床家こそ、中医理論の運用を可能としている者であると言えはしないか。学歴や資格しか盾に取れないものが中医理論をとやかく言うことは、慎むべきであると思うのである。

真に物質 (西洋医学理論) を知るには、機能 (中医理論) を知らねばならない。臓腑経絡を知らねばならない。また、その逆も然り。

その真似事が何とか出来だしたので、失明状態の目が見えるようになったのであろう。

もっとも、まだまだ真似事の段階だ。これからもっとハッキリとこの目で捉えられるようにならなければ。

エコーでしか見えないはずの瘀血が、僕の目に映じたように。

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