パニック障害の発作

43歳。女性。2023年7月24日。

もともとパニック障害があり、息がしにくくなると訴えることの多い患者さんである。
パニック時は、息ができなくなるのではないかという恐怖が起こる。
喉から胸が詰まるような苦しさがあり、外出できないと感じる。

幻覚・幻聴… 統合失調症の症例 で触れたように、パニック障害の寛解期は血虚をはじめとした正気を補うことを主眼とする。しかし、発作期はそれとは異なる。その一例を以下に示す。

少し治療間隔が空いた。ご夫君の運転で来院。
カーテンを開けて診察室に入ると、息遣いが荒い。

「息ができないんです…。」

ハアハアと呼吸が切迫する。
首を左右に振って悶える。
ピクピクと顔の筋肉を震わせている。

この落ち着かない状況、しかしあわてない。こういう修羅場は何度もくぐってきている。そのなかで多くの武器を得てきた。

このような発作期では、まともな問診はできない。患者の口から発する訴えではなく、体が発する訴えを聞き取る力が必要である。この力は普段のなにげない臨床を真剣に行う中で得られてゆく。証候とは… 病態把握への果てしなき挑戦 をご参考に。

患者さんがジッとできないこういう時に、切診 (体に触れて診察する切経や脈診) は難しい。そこで物を言うのが望診 (見て診察する) である。苦しみ悶え、せわしなく動く体からでも、望診ならば容易に反応を捉えることができる。

見る。…じっと。

天突に反応がある。つまり表寒がある。正気の弱りにつけこんで、寒邪が取り囲んでいるのだ。
なぜ表寒が起こった? 穴処の反応を望診で探す。
陽池に反応がある。なるほど、冷たいものを摂り過ぎだ。これが寒邪となった。

「いつもはこんなじゃないでしょ? 急にひどくなったな?」
「ずっと苦しくて、だんだんひどくなってきている感じです。外出するのも怖くて、それでここにも来れなかったんです。ハアハア」

表証というのは、カゼのように、ある日突然発症するのが特徴である。患者さんがどう言おうと、そうなのだ。こういう時、患者さんは苦しみのことしか頭にない。つらいということしか言わない。そういう中で冷静さを取り戻させるには、こちら側に氷のような冷静さがないといけない。

「急にひどくなった日があるはずです。いつ? 」
「ハアハア」
「昨日? おとつい? 」
「土曜日 (おととい) にひどくなって、それからずっとです。」

よしよし、それでいい。これは客観的分析の第一歩である。苦しむ患者さんは、この「客観的視点」が欠落するものであるが、今それを取り戻しかけている。さあ、ここから原因を一緒に考える。こんな苦しいのには、必ず原因がある。それは、この患者さんの日常生活の中に必ず存在するのである。

「土曜日にひどくなったのなら、その日もしくはその前の日あたりに何か原因があるはずです。いつも僕が、こういうことに気をつけてって言ってることありますね? それと考え合わせて、なぜこんなにひどくなったのか、思い当たることはないですか? 」

気をつけるべきは生活習慣を正すことである。正しい生活習慣とは理想であり、それに向かって成長してゆくことが大切である…とは常に患者さんに諭すところである。太陽にはとどかない、でも成長をやめない をご参考に。

「ずっとしんどくて、よく分からないです。」

ハアハアと苦しそうに息をつぎ、喘ぎながら答える。

それでも、原因は大切である。原因を突き止める必要がある。相手がこんなに苦しんでいるときに、何が原因かを問診するなんて普通に考えて人道的ではない。しかし、ぼくはそれをやめない。なぜか。

列缺に反応が出ているからである。列缺に実の反応がある時、ぼくはこれを「乗り越えられる壁」があると診断する。いま、当該患者は何かを乗り越えようとしている。この苦しみは「生みの苦しみ」である。その確信がある。その乗り越えようとしているものは何か、それを彼女に伝えて理解してもらわなければならない。

そして、目星はついている。冷たい飲食物の摂り過ぎである。

「冷たい飲食物、これがあやしい。思い当たるフシはありませんか? 」

7月24日。10日ほど前から夏本番の日差しが照りつけ、最高気温35℃前後の猛暑が続いている。そんな状況を知っていながら、あなた冷たい飲食物を摂取し過ぎじゃないの? …って、こんなに苦しんでいる人に向かって詰問するとは、僕はなんてひどいやつだろう。

「友達の家で出されたので、2回ほどありました…。金曜日と、それから昨日も…。」

外出ができないほどパニックがひどいのに、友人の家に遊びに行ったのか? いやしかし、そんなことは今はどうでもいい。いま当該患者は、「原因」に向き合い始めている。自分自身に向き合い始めている。当該患者にしか分からない自らの内面に向き合い始めている。それに水を差してはならない。

冷たい飲食が原因であることにまちがいない。陽池の反応があるからだ。これが経験値である。その反応を何年もかけて確認し続けてきた積み重ねである。問診である程度の符合が見られれば、そのまま押し切っていい。

「このしんどさ、熱中症と病理は同じです。冷たいものを食べるとね、体が “冬かな?” って勘違いする。表面が冷えて、体の中に熱がこもって、魔法瓶みたいになる。魔法瓶は表面が冷たいですね。でも中は熱い。こんな説明したことあるかな?」

「はい、聞いたことあります。」

熱中症予防に関する考察 をご参考に。

「中が熱いから高熱になったり脱水になったりするのが熱中症ですが、〇〇さんの場合は熱が胸や喉を直撃してパニックの焦燥感になっています。だからまず、魔法瓶を普通の容器に変えなくちゃならない。普通の容器なら、中が熱ければ表面も熱くなりますね? 放っておいても勝手に熱が外に放散していく。そうなれば、この焦燥感はクールダウンされて落ち着いてきます。」

列缺の反応が消える。乗り越えた。

同時に陽池の反応も消える。

いま当該患者は「ああ、それが原因か。もうすこし温かいものを摂るように気をつけよう」と決心した。その証しが陽池の反応の消失である。治療する側である僕が、正しい原因を知った。それを治療される側である当該患者に伝え、彼女は “本当にそうだ” とその言に従った。だから「神」が輝いた。だから陽池の反応が取れた。列缺の反応が取れた。

《素問・移精變氣論13》に、閉戸塞牖.繋之病者.數問其情.以從其意.得神者昌.とある。医者は、患者の苦しみと一体になってその病因を深く理解し、患者もまたなぜ病気になったかという原因を理解するならば、「神」を得て生命力は昌 (かがや) くだろう… という意味である。逆証 (死の証) とは… 舌に映じた「神シン」の考察 をご参考に。

「神」が輝いた結果は、それだけにとどまらない。

天突の反応に目をやる。反応がなくなった。寒邪が消えた。表証が改善したのだ。

と、普通に息をし出した。

「いま、息が楽になったでしょ?」
「はい。」
「なんでか分かる?」
「冷たいものを気をつけようって思ったから。」
「そう。いま反応が消えた。このくらいなら気をつけれるかなって今思ったそれだけ分を実行に移してくださいね。この、今の気持ちでいてください。」

数年来の患者さんである。この手の経験は何度かある。

「実は今ね、壁を乗り越えたんですよ。その壁はね、ここまで前進してきたからこそぶつかる壁なんです。ここまで成長してきたからこそ、ぶつかった。だから簡単に乗り越えられるんですよ。赤ちゃんのときは寝返りとかつかまり立ちが壁ですね。会社づとめを始めたらプレゼンなんかが壁です。赤ちゃんにプレゼンなんかさせる人いませんね? そこまで成長していないから、その壁は赤ちゃんの目の前に現れない。中学・高校・大学と成長してきたからこそ、プレゼンという壁が目の前に現れてくる。成長してきたから乗り越えられる。で、また進んでいけば次の壁がある。そうやって人生には等間隔に壁が並んでいる。ハードル走みたいなもんです。注意してほしいのは、ハードルは一段一段飛び越えてくださいね。五段いっぺんに飛び越えようとすると、幅跳びみたいになって必ずコケますから笑。だから、さっき言ったように、これくらいなら改善できるかなって思った分だけ、冷たい飲食物の『壁』を乗り越えてください。」

列缺の反応 (壁の反応) が消えたことにどういう意味があるのか、その説明である。

「ほら、あんなに冷たかった手が、温まってきたでしょ? 」
「はい。」
「いま、ドンドン胸からノドにかけてこもっていた熱が、手の指から外に逃げていってるんですよ。だから手が温まってきた。魔法瓶じゃなくなった。」

わずか数分での変化である。

ここでやっと鍼を打つ。百会に一本鍼。気を下げつつ血を補う。
5分間置鍼して抜鍼。冷え切っていた足も温まってきた。

さらに10分間休んでもらう。手も足も完全に温かくなっている。

元気に挨拶して帰っていった。

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