54歳。女性。乳ガン。
死の転機をとった症例である。
ポイントは3点。
1点目。ガンが進行する人は休むのが苦手である。ぼくの父 (享年42歳) 、母 (享年69歳) もそうだった。彼らの死、そして当該患者の死を無駄にしないため、あらゆるガン患者を救い啓蒙するため、本ページをまとめる決意をした。
2点目。逆証になればなるほど、大切なことを隠す傾向がある。この「大切なこと」は、本人からは得られない情報であり、めったに治療家にどどかない。大切な人に大切なことを隠すということは、ウソをつくことである。いま、生ある人がこんなことで命を落とすことのないよう、ぼく自身が包み隠さず発言することが、今できることであると信じる。
3点目。生死 (順逆) を見極める診察術は、医者の思った通りに誰かが亡くなったとき得られる。生まれ成長する喜び、成長し健康になってゆく喜び、そのためにこそ志した医道である。にも関わらず、その喜びと陰陽をなすように、悲しみの上にこの「究極の診察術」は得られてゆく。
たった一人でも救うことができるならば。その一念にて。
もちろんご遺族はこの文章を目にしたくないであろうことを慮りつつも、これからのその幸せを念じつつ、隠すことなく本ページを公開する。
〇
初診は2022年9月。
左乳頭を中心にしたガンである。もう病院には行っていない。
この病気のことを同居の実母にも明かさず、隠し続けている。
ガンは、外にコブのように膨れるのではなく、渦潮のように奥へ奥へと向かっている。内に隠れよう隠れようとしているのである。これは良くない。
左乳房は黒く萎縮し、右乳房にも及んでいる。軽く触ると柔らかいが、タップすると奥は鉄板のように硬い。乳頭は形を失っている。ただし、本人はこわいから患部を見たことがない。入浴しても見ないという。出血がある。尋常ではない状態は、誰の目にも明らか。
主訴は胸の痛みである。日中は痛みはなく、痒さがあるのみである。宵の口も痛くないので寝付くのは早い。しかし、深夜 (0時〜1時) になると痛みで目が覚める。痛みで寝ても座ってもいられず、寝室を泣きながら明け方まで歩き回る。こういう状態が今年の春から、約半年続いている。
しかし夢がある。お店をオープンすることである。だがこの状態では体力的に自信がない。
切経すると、左肺兪の大きさは5cmである。左肺兪のツボの拡大は初診のガン患者にはみな見られるが、5cmは非常に小さい反応であり、その限りでは軽症である。舌診すると「神シン」がある。これなら行ける! 助かるかもしれない!
この舌の写真は初診のもので、「神シン」がある状態である。
一見、正常舌にみえるが、他の所見 (ガン患部) から八綱は大きくバランスを失っていることは明らかである。ガンのように隠れた病、あるいは隠したがる病は、舌にも大きな異変が現れないものである。強い邪熱があるはずなのだが、営血分に沈んでしまうと舌には現れなくなる。このあたりが舌診 (物質的な) の限界であろう。舌は重症度を見る大きな指標になるものであるが、こういうレベルになると「神シン」の有無が最も大きな指標となる。これは物質的な形体・色彩では判断できない。
肺兪の虚と天突の反応から表証 (表寒証) がある。
深夜の痛み。この病態から見て熱入営血がある。
全体としては表寒裏熱証、裏熱を取れにくくしている表証をまずクリアした後、熱入営血証として治療するよう指針を立てた。
肺兪の反応は大したことがないので、初診の一回の治療で表証は取れた。
これで少し夜の痛みがやわらぐ。座って少し眠れるようになったのだ。まったく春以来のことである。こういう即効性がないと、重症患者はなかなか付いてくるものではない。
さあ、残るは裏熱であるが、しかし、これがなかなか取れない。というか、営血分の熱ならば三陰交などに反応が出なければならないのに、それが一向に出てこないのである。反応がなければ三陰交に鍼はできない。
「昨夜も泣いてました」という言葉が胸に刺さる。座って夜を過ごすことができるようにはなったが、泣いていることには変わりない。
ここで問診をもっと詳しくとった。今までにマシになったことはないですか、という質問に、5月にコロナ (当時はコロナ禍だった) にかかったときだけ全く痛くなかった…とのことである。この時なぜ痛みが消えたのか。もともと努力家で働きものだが、このときばかりは動きたくても動けない。1週間カンヅメにならざるを得ない、諦 (あきら) めの状態だったからだ。だから行き過ぎた情熱がクールダウンされ、営血分の熱が冷めたのである。
自宅待機 (自室待機) の期間がすぎると、日常が戻る。行き過ぎた情熱が復活する。行き過ぎた情熱は、行き過ぎた活動量となる。
その行き過ぎは、まるでシャンパンのように、コルクという「邪魔者」がなければ、中身 (生命力) が全部なくなるところまで飛び出してしまうのである。だから、そうならないようにコルクが詰められている。当該患者の場合、「コルク」とは「深夜の痛み」のことである。深夜の痛みがなければ、いますぐにでもお店をオープンするだろう。それは生命力を使い果たすことすら辞さないことを意味する。
ということは、この深夜の痛み (コルク) は、取り去ってはならないのだ。ビンの中身がなくなるところまで弾け飛んでしまうからである。だから三陰交が反応しないのである。
上リンクに説明したような指導を行った。すると、その場で三陰交の反応が出てきた。営血分の熱が反応し、それを取ることのできる条件が整ったのである。つまり、深夜の痛み (コルク) をとっても、「行き過ぎた情熱」と「行き過ぎた活動量」 (炭酸) が爆発しなくなったということである。
扶正に加えて、三陰交の瀉法をおこなった。すると朝まで眠れる日が、4日に1回みられるようになり、それは3日に1回、2日に1回、2日連続…と、だんだん増えてきた。
この調子なら行ける…と喜んでいた10月、いままで週に2回の治療を欠かさなかったものが、3週間もあいた。
11月、久しぶりの来院で診察、すると、
舌の「神シン」が、コツゼンと消えていた。
死に向かった……このままでは死ぬ…… なぜ?
理由はすぐに直感した。
“夜の痛みが消えてきた。これなら!! お店が開けるわ!!”
舵は大きく切られた。「行き過ぎた情熱」と「行き過ぎた活動量」 (炭酸) が、一気に爆発する。それは、激しく吹き出しているシャンパンに、もはやコルク (夜の痛み) など詰められないほどの、すごい勢いなのである。
とめられるか ! ? 一か八か!!
「このまま、お店をオープンしたら命がなくなる。」
「え ! ? 」
その瞬間、「神シン」が戻った!
「ああ…よかった… 今の気持ちでいてください。今の気持ちでいさえすれば、助かります。命に問題はありません。」
その後、週に1回のペースで治療を続けていたが、
12月のある日、再び「神シン」が消える。
再び、一か八か。
「このまま、お店をオープンしたら命がなくなる。」
以来、治療に来なくなった。
〇
それから一年。
2023年、カレンダーが11月にめくられた日、当該患者の友人が治療にお越しになって、その話は聞いた。
僕が言ったあの一言を、当該患者はこの友人に話していた。
姉妹同様の友を失った悲しみと、あの予言どおりになった驚き。
実母にも隠していた病気だが、最期は言わざるをえなかったのだろう。
そして、僕が言ったあの一言を、当該患者は実母にも話したのだ。
別れのあと実母から、僕には隠しておいてほしいと頼まれた。
だが、その訃報をどうしても僕に伝えずにはいられないのだという。
僕の指導に反するので、怒られるからと通院を止めたのとこと。
8月、念願のお店をオープンした。
二人で「ほんとかな、こわいねえ」と笑いながら話しをしていたのだという。
まもなく体調をくずし、痩せているのを見せたくないと見舞いを断る。
10月、旅立った。
〇
逆証について、人の命について、分かれば分かるほど考えさせられる。
運命とは、変えられるもの…!
しかしそれは、生き方によって死を選ぶこともできるということの裏返しでもある。
やりたいことをやるのは大切なことだ。
しかしそれよりも更に大切なもの、それが命である。
大切なものには、順番がある。
この順番を守ることは、天地自然の理法を守ることである。
命よりも、優先されるものはない。
そして、隠すのは良くない。
心を、開かなければ片付かない。
隠してしまうと、二度と片付けられなくなってしまうではないか!
このブログを公開することで、たった一人でもその命を救うことができたならば。
たった一人でも、
「治るまでは休む」
「隠すことをやめる」
という “奇跡” を起こすことができたならば。
〇
その10月、まさにその前々日、当該患者の娘さんが、治療に来られていたのである。
かつて当該患者とともに治療に通っていた、娘さんである。
そして、3日後に予約を取って帰っていった。
その予約の時間に彼女は来ない。電話をしたが誰も出ない。
そして……、その日の一週間後、電話があってひょっこり来院した……。
僕の顔を見るなり、まだ20歳に満たないその子は口を切った。
「おじが亡くなってバタバタしていて…、電話できる状況じゃなかったんで…。」
「それでも、後からでもいいから連絡はしてね。心配するから。」
約束を守ること、守れなかったらそれを知らせること。約束をウソにしないこと。それが、願いをかなえるためにも大切だという指導までした。
そしてこの日の治療を最後に、その子は来なくなった。
ごめん。ぼくは、何も知らなかったんだ。
そうか。何もしてあげられなかったのか。
この可愛い子のことを。
この、たった一人にすら。
ああ、その大切なことは、隠しちゃダメだ。
連絡なしのキャンセルは、まさか “その” 翌日のことだったとは!
〇
11月6日。誰もいなくなった夜の治療所で、このブログを書き、その子のことを考えていた。
電話が鳴った。
「はい、眞鍼堂です。」
返事がない。イタ電か? 20秒ほど付き合う。
こんな長く?
切れた。
まさか。
「〇〇ちゃん?」
なぜ、そう聞かなかったんだろう!