毒親とアダルトチルドレン

カルト宗教に多額の金銭を貢いできた母親を持つ。
そんな方が不安障害に苦しんでいる。
その他、痛み・痺れ・便秘・血圧・動悸などに苦しむ。症状を機関銃のように羅列する。
「すっごく」「ぜんっぜん」「いっつも」…やたら強調の促音便が多い。

母親のことが許せない。

怒りがあれば、病気は治らない。症状は取れない。
怒り (躁) の後に、悪化 (鬱) がくる。その法則を丁寧に説明した。

甲状腺 (橋本病とバセドウ病) …東洋医学から見た5つの原因と治療法
ノドボトケあたり (甲状腺) が腫れる病態のことを、東洋医学では “癭病 (えいびょう) ”と言います。注目しなければならないのは、自己免疫疾患という考え方です。免疫の暴走は肝が関わます。免疫が弱るのは脾の弱りです。

枝葉末端の愁訴は、その幹 (怒り) を断てば自ずと消え去る。その旨を折を見て何度も諭した。

しかしその日は、苛立ちをあらわにした。一度激昂すると止まらない。

できるだけのことをしたが、理解が得られなかったので、もうこれ以上治療しても改善の見込みはないと判断し、治療を断った。いったん治療を止め、それでも此処で診てもらいたいと思ったら、もう一度初診枠 (3時間のマンツーマン) で診ます…と。

意識がどちらに向かうがが大切である。怒りはよくない、という知識 (理性) を持つ。でも怒り (感情) を消さなくてもいいのだ。しかし、怒りはよくない…という考えを認めないと、体が良くなる見込みはない。成長しないからだ。

太陽にはとどかない、でも成長をやめない
成長とは何か。これを自然から学ぶ。植物の成長である。

認めるとは、新たな知識を持つことである。正しい知識は、正しく感情を塗り替える。

怒りがどうしても抑えられません
怒ることは体に悪い。その通りです。おこりんぼさんは病気が治りません。 体を傷つける。肝を傷つける。 だから怒るのはよくない。どのくらいよくないかというと、人を殴るくらいよくない…

11時から治療を開始し帰っていただいたのは午後2時を過ぎていた。それだけ時間をかけて間違いを正し、大声で叱った。その愛情が届くか。母から愛を上手く得られず、愛とはどういうものかを知らない可能性がある。怒られて嫌な思いをするのみで終わるかもしれない。それでもいい。もう会えなくてもいい。

真心は届かなかった。反論し、僕に対して怒りをぶつけた。

物別れに終わったのだ。

2ヶ月ほどして、電話があった。

「あんな態度を取ってお願いしにくいんですが、もう一度先生の治療を受けたいんです。」

「あの怒りはね、お母さんへの怒りなんですよ。でもお母さんに向けても受け止めてもらえない。だから僕に怒りを向けたんです。ここへ何をしに来ているか。グチを言いに来てるんじゃない。 “怒り” という病気を治しに来てるんです。それを治したい。そう願ってほしい。そう願うことができるなら、僕ならその願いをかなえることできるかもしれません。これから治療に来るときは、それを治しに来てるんだ…という気持ちで来てください。良くなる見込みがあるなら、僕はいつでも診ます。日を決めましょうか。」

3時間のマンツーマン枠を開けて、治っていくためにはどうすればいいか、丁寧に説明した。
だが今度は、薬害があったと主張し、それを医者が認めないという。その話をして憤慨する。

「その怒りは、お医者さんに向けたらあきません。お母さんへの怒りなんですよ。」

母親の悪口を話し始める。

その老いた母親が病院に行くという日、たまたま母親は体調が悪かった。それで、病院まで車で送ってやると言ったのに、自分で行けると言って一人で病院に行き、検査してもらったら心筋梗塞を起こしており、そのままカテーテルでステント治療となった。病院から呼び出されて慌てて病院に急行した。

最初から送ってもらっていれば良かったのに…と怒りが収まらない。

母親のことを心配している。

心配している、それを肯定できていない。

「この不安障害は、小さい頃に背負えるはずのない重荷を背負ったために生まれた障壁です。だから、怒りが収まらないのも無理はない。ねえ? 不器用なくせに、母親風だけは吹かせてくるでしょ? だから憎いんですよ。そうじゃなくて、いっしょに成長し、いっしょにチャレンジし、失敗したら “ごめん、次から気をつける” とさえ口にすれば、子供は平気な顔して、勝手に成長してくれるのにね。〇〇さんはね、そうやって “ごめん” って言ってほしいだけなんです。でも、相手は絶対にそれを言わない。絶対に言わないです。」

想像を、はるかに超える不器用さ。

「本当ですね。親がそんな事やっちゃダメですね。でもね、完璧な親なんてどこにもいないんですよ。みんな不器用でね、そんな親にできることと言えば、子供のことが “大好き” っていうことくらいです。」

救いようがないのは、不器用すぎて、子供に “大好き” をうまく表現できないことである。

「そのことを子供はよく知っていて、だから親のことが大好きだし、大好き過ぎて時には逆らったりしますね。憎くてしかたないのもそうです。」

憎くて仕方ないのは、大好きという気持ちがどうしても消えないからだ。

なんで? なんで大好きな親なのに、そんなことしたの?

犬に噛まれたくらいでは千歳の恨みとはならない。しかし人間に噛まれたら恨みが残る。まして親に噛まれたともなれば。

僕の父も毒親だった。その父が植えたハッサクが、いまも50年の時を経て実っている。父は、僕が12歳のときに世を去った。ぼくにロクなことをしてこなかった。しかし僕は今日、このハッサクに救われた。ひどく疲れて帰宅し、焼酎のあつ〜いお湯割りにその果実を漬けていただいた。ああ、おいしい…。疲れが取れる…。父は、この日の僕のためにハッサクを植えたのではないだろう。しかし…。

ぼくを救ってくれている。

いったい、家族って何だろう。

大好き。

絶望的なくらいに見つけられないその気持が、どこかにある。

それは一生見つけられなくてもいい。

あるからである。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました