46歳。女性。
父とともに飲食店を営む。
遠方のため、週に1回の来院である。
主訴はアトピー性皮膚炎である。腋・肘・乳頭が特に痒く、患部は赤くなっている。
また右坐骨神経痛がある。右臀部から右外くるぶしまで痛い。とくに右足首の外側 (懸鐘穴のあたり) が痛い。
10回の治療で主訴の皮膚のかゆさはほぼ治まった。ところが…
坐骨神経痛がほとんど良くなっていない…といい出した。
え? そうだったの?
2023年11月27日、10診目のことである。
皮膚が良くなってきたのならば、坐骨神経痛も良くならなければならない。
切経すると、右懸鐘に痰湿の反応がある。
アトピーが改善しているということは、痰湿が減っているということである。かゆさや炎症の犯人は邪熱ではあるが、痰湿の中に邪熱が入ると取れにくくなる。トロミのあるシチューなどが冷めにくいのと同じである。痰湿だけが残って邪熱が取れるということはありえない。全体としての痰湿は摂れているのだ。つまり、右懸鐘の痰湿は、部分的な痰湿なのである。全体の痰湿は少なくなったが、なぜか足首にだけ痰湿が部分的に残っているのである。なぜだろう。おかしい。
いつ痛いのか聞くと、飲食業の仕事中なのだという。厨房に立つお父さんも全く同じ症状が慢性化しており、仕事が終わると二人でお互いのマッサージのし合いをする。そのあと自分で右足の第4・第5指を揉む。すると、その時は痛みが楽になる。
なるほど、マッサージか。
「痛みはブレーキなんですよ。ブレーキの原因はスピードの出すぎですね。スビードが出すぎているならアクセルから足を離してスビードを落とす。そしたら、ブレーキは必要なくなりますね。ブレーキという結果ばかりに目が行って、スビードオーバーという原因を考えようとしないのは、良くないやり方です。」
結果に神経質になって、原因に無頓着は良くない。点取り虫はその典型である。原因 (日々の努力) に神経質になっていれば、結果 (テストの点数) は気にしなくても自然と良いものとなる。この症例の場合、結果とは坐骨神経痛のことである。では、原因とは何か。当該患者の場合、仕事中にそれが起こるのであれば仕事中の何かに問題があるとみるべきであろう。他の要素 (食養生の問題など) は、これまでの治療である程度解消しているからだ。
「ほんの少しでいいです。仕事中ゆっくりと動いてください。お客さんがお腹をすかせて待っておられると、早くしなきゃって焦りますよね。その “焦り” が陰を消耗します。陰とは、落ち着きです。ここ (おなか) に器があるって話、覚えてますね。その器は陰でできている。落ち着きがなくなると、器が小さくなる (仕事量が減る) んです。だから器が小さくなると、器の中に入っている食べたもの (生命) が、溢れてこぼれ落ちて、汚いものになってしまう。これが痰湿でしたね。痰湿はドロっとしていて、下に降っていく性質があります。だから、臀部から足首にかけて重く痛くなるんですね。」
「いつものペースが10だとしたら、8くらいのスピードに落としてみてください。心の焦りはコントロールできませんが、体の動かし方ならコントロールできます。これでほんの少しの落ち着き、つまり陰が得られます。この “ほんの少し” が大きいんです。溢れるか溢れないかは、ほんの少しで決まります。スピードを少し落とせば集中力が増して、仕事の効率は下がるどころか上がるものなんですよ。」
このように、病因病理を明らかにすれば、どのような治療法が的確かがよく分かる。中医学の治療手段は、鍼灸・漢方薬、そして養生である。この養生がいかに重要であるか、このあと思い知らされることとなる。
器とは、気血生化の源である「脾」のことである。
脾土は純陰☷で、器という物質を形成する。また、大地のような安定 (落ち着き) をつかさどる。この器に、飲食物 (後天の元気) が入るのである。脾が小さくなると、その中身が溢れて痰湿を形成する。これが脾虚湿盛である。こうしてできた痰湿が、気血の流通をさまたげ (不通則痛)、坐骨神経痛となっている。
この痰湿は、食べ過ぎが原因ではないところに注目である。
「あと、マッサージは控えめにね。乳幼児にやっても痛がらない (泣かない) 程度にしてください。痛い (泣く) ということは防衛反応です。それを無視してやってしまうと、組織を壊しちゃうんですね。大人は乳幼児に比べで鈍感ですが、血管は動脈硬化でボロボロですね。」
たとえば「肩こり」という病気がある。数十年に及ぶ慢性的なものが、僕の治療で完治するケースがある。もちろん、一本鍼であり、肩には鍼を刺さない。しかし条件がある。マッサージをしないことである。強く揉みしだくマッサージをしながら僕の鍼で肩こり治ったケースは一つもない。その前に、マッサージで肩こりは一時的には改善するが、根治しないものであるという一般論を知っておく必要があろうか。いっときの愉悦を味わってしまうと解決しないのである。
“結果” を揉みつぶすのではなく、 “原因” (中医学における病因) を消せば治る…という考え方は、肩こりにおいてもマイノリティである。
「別の例えで言えば、可憐なユリの花にやったらどうなるか。柔らかくはなるでしょ? ふにゃふにゃにね。でも生き生きさは失われますね。葉脈が壊れたからです。脈が壊れると、蓄積した老廃物も排出できなくなるし、栄養分も届かなくなります。毛細血管を破壊するようなことをしてはいけないのですね。そのときは楽と感じるかもしれませんが、結果として坐骨神経痛が取れにくくなります。結果だけを操作しようとしてはいけないんですよ。」
そうである。原因を改善すれば、結果は自ずとついてくる。原因は、本症例では “焦り” による陰の消耗である。マッサージが足りないことが原因ではない。
そして、全体としての痰湿は減っているのに、右足首 (懸鐘) にのみ痰湿が残ったのは、その部分だけ経脈を損じ、物理的に流通しなくしたからである。
治療はいつもと同じ、百会一穴。
中医学は、病因・病機を明らかにしたうえで弁証論治を行う。たとえば百会一穴に鍼をすれば、病因が改善しなければならない。つまり鍼や漢方をする目的は、「坐骨神経痛」を消すことではなく、「病因」を消すことである。これをおろそかに考える専門家が非常に多い。病因とは…。リンクを開いてもう一度確認したい。中医学は原因療法なのである。断じて対症療法ではない。
本症例の “原因” は “焦り” であり、五志七情の 驚・恐・怒などが関与する。これらはすべて “急” であり、急は驚に通じる。
これを鍼だけではなく、術者の力量すべてを注入して取り除くのである。
12月4日、再診。
「あれから痛みがすごく楽になったんです! 」
どのくらい楽なったか聞くと、10→1 にまで激減したのだという。
「じつは、先生にうかがった話を父にもしたんです。それで二人ともマッサージをやめて、仕事を少しゆっくり動くようにしたんですよ。そしたら父も坐骨神経痛がすごく良くなったんです!びっくりしました!」
そういえば、お父さんも同じ症状だと言っていたな。
当該患者は全体の痰湿は取ってある。だから、少しのことで部分的な痰湿がすぐに取れた。それは分かる。しかしお父さんの方は…。
なんか、知らない間に知らないところで良いことが起こったようである。
提示した二つの改善策は、思った以上の効果があったようだ。
「その時は」という部分は注目である。
慢性疾患を治す時、「その時は楽になる」ということのみを追求すると治らない。その時も楽になるし、日を追うごとに楽にならなければならない。その時のみ楽になるというのは、原因が改善したのではなく、原因をさらに増やすことにもなりかねない。たとえば徹夜マージャンが連夜に及んで頭痛が出た場合、その痛みを「その時のみ」消せば、今夜もまた原因 (徹夜マージャン) を積み重ねることになるではないか。