東洋医学の「腎臓」って何だろう

まず注意として申し添えしたいのは、東洋医学の五臓六腑と、西洋医学の臓器名は同名異義であるということです。ゆえに東洋医学の腎臓は、西洋医学で言う腎臓とは違うものです。現在の意味で用いられるようになったのは杉田玄白以降です。誤解のないように断っておきます。

≫「五臓六腑って何だろう」をご参考に。

それからもう一つ大切な前提があります。東洋医学の言葉は、すべて機能に名づけられたもので、物質に名づけられたものではないということです。これから腎臓について説明しますが、腎臓を物質として考えて読むと分かりづらくなります。あくまでも機能 (=気) についた名称と考えて読み進めてください。

≫「東洋医学の気って何だろう」をご参考に

類経図翼

封蔵とは

まず、大雑把なイメージとしてもっていただきたいのは「封蔵」という概念です。

封蔵とは、封じ込める。貯蔵する。たくわえ。求心力。

一つにまとめる。

これが腎のイメージです。

これを念頭に、説明を展開していきます。

2つの元気

先天の元気・後天の元気

東洋医学では、生命力のことを「元気」と呼びます。元気には2種類あります。

1つ目は、腎臓にそなわる元気で、先天の元気と言います。
2つ目は、脾臓が作る元気で、後天の元気と言います。

われわれは、お父さんお母さんのもつ、神秘的な力によって誕生しました。生命の誕生は、現代科学でもまだ謎のままです。これは、生まれた時から持っている元気なので、「先天の元気」といいます。父母から受け継いだ先天の元気が、何処かに行ってしまわないように封じ込めておく働き (求心力) のことを「腎臓」といいます。

その生命を存続させるのが脾臓で、飲食物を取り込む力です。食べることで命をつなぐのです。飲食物を取り込む力は、生まれた後に得られる元気なので、「後天の元気」といいます。

これら2つの元気は、車の両輪のようなものです。2つ合わせて一つの生命です。

元気の「封蔵」

腎臓とは、これら2つの元気を保持する働きのことです。保持する働きを「封臓」とも言います。腎臓=封蔵、と言えます。

そもそも「臤」という字には「堅くする」という意味があります。蔵に封じ込める…外には決して漏らさない…そんなイメージでしょうか。

さて、父の先天の元気、母の先天の元気が合わさって、新しい先天の元気 (生命 ) が生まれます。新しい生命は、この生命力を保持し、また次世代に引き継ぎます。人類という大きなくくりで見れば、人類が存続する限り、先天の元気は永遠に存続します。個人というくくりで見れば、先天の元気は一代限りでついえます。

たとえばアインシュタインは偉大な人物です。人類をよりく、より偉大なものにしました。しかし、その術・知識を伝えていなければ、一代でついえますね。伝えたので、その績は永遠なのです。

腎者.作強之官.伎巧出焉.<素問・靈蘭祕典論 08>

先天の元気には、そういう意味で有効期限があります。これが寿命です。腎臓をいかに長持ちさせるか、封蔵をいかに長く存続させるかが、元気で長生きのカギというわけです。

腎臓を強くする方法

先天の元気の強さは、生まれつき決まっています。だから生まれつき強い人、弱い人が出来てしまいます。しかし、弱い人も悲観することはありません。先天の元気をパワーアップさせる方法があるのです。それは後天の元気です。

じつは、後天の元気によって、先天の元気を補充することができます。先天の元気と後天の元気は、車の両輪で、相互扶助の関係にあります。
先天が強いと、その余波が後天に及び、後天も強くなります。
先天が弱いと、その余波が後天に及び、後天も弱くなります。
逆に、
後天をいたわり強くすると、先天をよく補充し、先天は長らく維持できます。
後天を酷使し弱くすると、先天を補充できず、先天は早く尽きてしまいます。

生まれつき体の弱い人…つまり先天の元気の弱い人は、後天の元気を強くすればよいのです。もちろん、治療も必要でしょう。でも、養生でも、かなり補えます。

適度な飲食・適度な運動・適度な休息…これらはすべて脾臓を強くします。適度とは中庸のことです。脾臓が強くなれば、腎臓も強くなり、腎臓が強くなれば、先天の元気を保持できるので、元気で長生きする、というわけです。

それに対して、食べ過ぎ・動きすぎ・動かなさすぎ…これらはすべて脾臓を弱らせます。偏ると良くないのですね。脾臓が弱ると、腎臓も弱くなり、腎臓が弱くなれば、先天の元気を保持できなくなるので、病気したり短命に終わったりします。

また、無理のし過ぎ・セックスのし過ぎは、腎臓が封臓しているもの (精) を漏らすことなります。先天の元気を直接減らすことになるので気を付けるべきです。

臍下丹田…腎臓は重心

元気を封蔵する場所はどこにあるのでしょう。

腎臓の位置は、下にあります。人体を上中下と分けた時の「下」で、この場所を下焦 (げしょう) とも言います。「臍下丹田 (せいかたんでん) 」という言葉がありますが、これはおヘソの下のことですが、腎臓の位置をもっと限局すると、この臍下丹田のあたりになります。広義での「腰」「腰まわり」と言ってもいいです。臍下丹田に封臓という機能の中心があると考えてください。

腰者腎之府.<素問・脉要精微論 07>

ここに気は引き寄せられ集められます。飲食物もここに向かって引き込まれていきますね。呼吸の際の吸気もここに向かって引き寄せられます。すべて腎臓の求心力である封蔵が効いているのです。空気を臍下丹田に向けて吸い込む力のことを「納気」と言います。これができなくなって呼吸困難を起こしたものを腎不納気と言います。息を吸い込めなくなります。

テレビの特集で、当時一流サッカー選手だったロナウジーニョ選手のドリブルを分析する場面がありました。コンピューターで重心を割り出し、その重心がどう動くか検証していました。この選手は重心がほとんど動かず、他の二流の選手は重心が上下に動いていました。

不規則な動きをしながらも、動かない一流選手の重心は、ちょうど臍下丹田でした。選手は臍下丹田を意識していなくても、道理にかなった動きは、勝手に臍下丹田に重心が置かれるでしょう。

一芸に達した人、一流と呼ばれる人は、この重心を非常に大切にします。

腎臓と「志」

この “重心” から発する精神活動、それが「志」です。

腎藏志.<素問・宣明五氣 23>

「志」とは、やる気、やってみよう! という気持ちです。これがなくなったらおしまいですね。精神活動を支える根本です。 “精も根も尽き果てる” といいますが、腎臓は精根です。

腎者.精神之舎.性命之根.<華佗「中蔵経」>

この “精根” つまり “志” は、どのようにして養われるのでしょうか。

それには脾の働きが不可欠です。他人から学ぶ。人生で何かを成し遂げる際、脾の “意” によって吸収された「知識」を元にして、その人一流の個性を発揮し、キャリアを築き上げてい来ますね。知識 (意) からその人志が生まれる。ただし、志 (学ぼうという意欲) がなければ知識は得られません。志がなければ何も成し遂げられないのです。

志は治療においても大切です。例えば酒の飲みすぎは肝硬変につながることがあります。これは知識としてもっておかなければなりません。この “知識” は脾臓の “意” です。

脾藏意.<素問・宣明五氣 23>

「お酒の飲み過ぎは良くないよ。ほどほどにしましょう。」患者さんにそう指導して、それが本人の腑に落ちた時、 “意” が補われているのです。それを承けて、患者さんが、「よし、そういうことなら分かった。これからは少量にしよう! 量を決めて飲もう! 休肝日も作ろう!」と決意したとします。

これが “志” です。

実は、こういう “決意” があった瞬間に、体の反応 (望診・切診による所見) は激変し、良い変化を見せます。場合によってはその場で症状が消えることもあります。志がシッカリしたということは、イコール腎がシッカリしたということです。腎がシッカリしたならば、体は自ずと良くなります。

加えて、後天 (脾意) が先天 (腎志) を補っている姿も見て取れますね。

2つの腎臓

腎臓は2つあります。これは西洋医学の腎臓とおなじですね。しかし、意味するところはかなり違います。東洋医学では、腎臓は2つにして1つです。

まず、「1つの腎臓」から説明します。

精の封蔵

腎蔵精.<霊枢・本神 08>
腎者.主蟄封藏之本.精之處也.<素問・六節藏象論 09>

臍下丹田を中心とする下焦に、腎臓という機能の中心があります。腎臓は封臓という働きそのものである、と言いました。では、何を大事にしまっているのでしょう。先天の元気を蔵していることは、先に言いました。その先天の元気は、後天の元気の補充を受けていることも説明しました。

先天の元気は「精」とも言います。精とは静であり、ただし「動の寸前の静」のことです。陰静 (水) と陽動 (火) を生み出す力です。精が動を生むことで明確な静が生まれる。陰陽つまり水と火を生むのです。

陰陽って何だろう をご参考に。

これら、精・動・静は、生命の根源です。これがどこかに行ってしまわないように抱きかかえているんですね。

腎臓にはこのような、生命誕生にかかわる哲学があります。

精については 生命誕生のなぞ で詳しく踏み込みました。ご参考に。 

腎臓は「水」

五行では、腎臓は水に配当されます。

北方黒色.入通於腎.開竅於二陰.藏精於腎.故病在谿.其味鹹.其類水.…
<素問・金匱眞言論04>

この水はただの水ではありません。書経には「水曰潤下」とあります。水とは潤下のことだ、というのです。

水曰潤下、火曰炎上、木曰曲直、金曰從革、土爰稼穡。<書經>

「潤」の字源は諸説ありますが、「王」を「壬」とする説と「玉」とする説があります。
「壬」は「妊」に通じ、ふくらむ、肥大する…という意味になり、そこにサンズイが付いて水がしだいにしみ込んで拡大する意味になるそうです。
「玉」は、門 (家) に玉が有り余る…という意味になり。サンズイが付いて水が有り余るという意味になるそうです。

どちらでも「潤下」の意味するところに合いそうです。水 (陰静) という性質をもった球形のものが次第に膨らむ。それが生命の萌芽であるというのです。そしてそれが「炎上」につながる。

天一生水、地二生火、天三生木、地四生金、天五生土。<書經>

まず最初に水が生じた。二番目に火が生じた。…
この世の始まり、生命の始まりのことです。

つまり、「水」はただの水ではなく、温かい水で、すでに火 (温かさ) を内蔵しているのです。水は静につながり、火は動を意味します。温かい水とは、動になる寸前の静のこと…すなわち、さきほどいう「精」です。すでに静と動という陰陽を持ち合わせています。

生命の根本・宇宙の始まりは、火を内蔵した水…「温かい水」によってたとえられます。たしかに、人間の体も受精卵も、ほとんど水でできていて温かいですね。

火と水の封蔵

つまり、腎臓には水と火が封蔵されているのです。これが「2つの腎臓」です。

火とは温める力・動かす力です。
水とは冷ます力・静める力です。
そういう相反する力が下焦にある。

地球にも火と水があります。昼と夜です。日本が昼のとき、アメリカは夜になります。地球は大きな自然で、人体生命は小さな自然です。この二つは相似関係にあります。

相反する力はお互い拮抗し、どちらかが暴走しないようにしています。水は、多すぎる火を食い止め、火は、多すぎる水を食い止めます。

火を封臓できないと、火は上に昇ります。もともと火は上に昇る性質があります。これは、水の力 (クールダウンする力) が足りないから、火を封臓できなくなるのです。上半身に出る病気のほとんどは、これが関係します。たとえば眼・鼻・ノド・耳などの炎症、頭痛などです。

水を封臓できないと、下から水があふれ出します。もともと水は下に下る性質があります。これは、火の力 (ヒートアップする力) が足りないから、水を封臓できなくなるのです。たとえば頻尿・下痢・下半身のむくみなどです。

水が足りていて火を封蔵できていれば、温める力・動かす力が、度を越さずに適度に機能します。
火が足りていて水を封臓できていれば、冷ます力・静める力が、度を越さずに適度に機能します。

たとえば、仕事を頑張ると、火の働きが旺盛になります。行き過ぎてしまうと、活動が止まらず、眠れなくなります。そうならないように、水の働きがこれを抑制します。すると落ち着き、熟睡し、疲れが取れます。
しかし、ずっと寝続けていたのでは、体を弱らせてしまいます。だから、火が水の働きを抑え、活動できるようにします。
この循環を繰り返すことで、人間の命は保たれているのです。

地球がもし、昼ばかりでは体がもたず、夜ばかりでは立ち行きません。それと同じですね。

大自然にみる封蔵

西洋医学では、腎臓といえば排尿にかかわる臓器ですが、東洋医学でも腎臓は排尿にかかわります。腎臓に封蔵された火が、有用な水を蒸発させて、残った不要な水を、尿として排泄します。これを気化といいます。このため腎臓は「水臓」とも呼ばれます。

冷えると頻尿や尿漏れになる理由にもなります。

腎者主水.<素問・上古天眞論 01>

この循環、大自然にもあります。気象を例にとって考えます。
火は太陽。
水は海。
太陽が海を照らします。すると、水蒸気が昇り、雲ができます。
雲は太陽の火力を調整します。それと同時に、地球上の乾いた土地に水をまくばります。
水は川となって大海に注ぎます。それがまた、太陽に照らされる…。

もし、海が地上から無くなると、つまり、水がこの世界から逃げ出してしまう (封臓できない) なら、火 (太陽) を抑制するものが無くなります。地球は過熱し、砂漠となり、生命は消え去るでしょう。

もし、太陽が空から無くなると、つまり、火がこの世界から逃げ出してしまう (封臓できない) なら、水を抑制するものが無くなります。地球は極寒となり、生命は消えるでしょう。

火と水を一か所に引き寄せる。それらは混じり合い交流しあい、絶妙なバランスをとり合う。そういう働きを、腎臓と言うのです。これは「温かさ」をもった命の本質です。地球も生命も温かい。熱すぎず寒すぎないのです。

偏りがない。中庸。

だから生命は存続できるのです。

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