健康とは自然な現象です。病気は不自然です。
病気はして当たり前…などと思わないでください。
健康が当たり前なのです。
生活習慣が健康をつくり、また病気も作ります。
夜更かしが続けば体調を壊すでしょうし、そうでなければ何も起こらないでしょう。
では、正しい生活習慣とは何か。
人間のやることは、そんなに複雑ではありません。
食べる、寝る、動く。そして思う。4つだけです。
どういう食べ方がいいのか。
どういう寝方がいいのか。
どういう動き方がいいのか。
どういう思い方がいいのか。
この4つについて展開していきます。
本編は、中医学の病因論に基づきつつ、そこに僕個人の見解を付け足したものです。よって科学的根拠があるものとは言えません。定説がない中、ご自分に合ったものを見つけていただければ幸いです。
プロローグ
生活習慣をどう見ているか
たとえば運動療法は、生活習慣改善のための一つの方法です。これについて以下のような資料があります。「日本糖尿病学会誌」第58巻第8号570頁「運動療法指導を行うにあたっての問題点」 (2015年) です。
指導に十分な時間がとれない(68.3%)
「日本糖尿病学会誌」第58巻第8号570頁・運動療法指導を行うにあたっての問題点
診療報酬に反映しない(58.1%)
適切な運動指導者がいない(51.3%)
適切な運動指導ガイドラインがない(46.0%)
正しい生活習慣を知るには
簡単なものから難しいものへ
糖尿病もさることながら、まずは肩こり・胃もたれ・頭痛などから、命の危険の少ない病気を、生活習慣改善によって治癒に導くことが基本です。それができた後、より難易度の高い疾患へと広げていくことでしょう。
たとえば頭痛が起こったとします。原因は、3日連続で徹夜マージャンをやったことであったとします。でもこれは聞かないと分かりません。治療者は「なぜ頭痛になったと思うか?」と問い、何が原因かを伝えます。そしてこの痛みを止めることと同時に、「今日は早くやすみなさい」と声をかけるのです。
今夜もマージャンをする…という負の連鎖は避けなければなりません。
東洋医学は、養生というものを非常に大切にします。それは肩こりから糖尿病にとどまらず、全科に及びます。これをぼくはすべてに使ってきました。生活習慣を改善して病気を治す手助けにした例は、この20年で山のようにあります。
たとえば、テレビを見る時間を制限することによって80代の坐骨神経痛が改善、毎日25分のウォーキングが可能になりました。この患者は洗面所にも立てなかったのです。改善前はテレビ (韓国ドラマ) を見る時間は5時間に及び、それを1時間までとしました。目は東洋医学的な「血」を消耗し、血の消耗はさまざまな症状の温床となります。
こういうことが可能になるのは、「徹夜マージャン」を改善するというような、簡単で基本的なことを、手を抜かずにやってきたからです。
それぞれの体の声を聞く
さきほどの1時間という数字はどうやって出したのか。カンではありません。ぼくは、脈診という方法を使い、患者の「体」と会話をします。ぼくの言葉による問いかけに、体はYES・NOの二択でなら答えてくれます。患者さんが眠っていても、この脈診は正常に機能します。オーリングとよく似ていますが、患者さんの主観をまったく挟まない点にちがいがあります。
脈で何が分かるのでしょうか? 脈とはホースに水が流れる状態と同じです。誰でも診られる脈は、ホースの上っつらに伝わる縦方向の波動です。しかし、ホースの下っつらにも同じような波動があるはずです。しかも、ホースには水平方向に血液が流れる波動もあります。
上っ面・下っ面・水平方向…この3つを一度に診る技術があれば、脈が立体的となります。波動 (線) の組み合わせが、立体図を生むのです。その立体図の変化の法則性を知ることで、体との会話を可能となります。こういう手法を見出し、20年近くになる今も使い続け、ますます重要性を増し続けています。
理論を見つける
それぞれの患者さんで、第一義的に改善すべき生活習慣は異なります。だれでもテレビを1時間にすれば病気が治るというものではないのです。しかし、多くの患者さんの体が発する言葉を集約すると、普遍的な正しい生活習慣が見えてきます。誰にでも当てはまるもの、それを紹介しようと思います。
ただし、気を付けるべきことがあります。例えばテレビを制限することが、なぜ症状の改善につながったのか、という理論 (理由) です。
理論と実際は必ずしも一致するとは限りません。それでも理論は大切なのです。しかも、実際に偏し過ぎても、理論に偏し過ぎてもよくありません。理論と実際のバランスを常にとって、正しい生活習慣とは、という大きなテーマに臨んでいこうと思います。
その一、食べる
まずは、以下のリンクを御覧ください。なぜ「食べ方」が大切なのか、理由を書いています。
過剰も不足もダメ
人間は食べなければ命を保てません。生きるためには食べることが不可欠です。ゆえに、食べることは大きな意味において、良いことです。しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし、という言葉通り、食べ過ぎてもいけません。過不足のない中庸が真理です。
間食を止め、お菓子は食後に食べる
間食とは
間食とは、食事後30分以降に摂る食事のことです。食事とは、3度の食事のことです。
間食は、水・日本茶以外に摂る飲食物のことです。カロリーのあるものは、たとえ少量といえども間食です。アメ・ジュース・果物・ひとかけらのお菓子・コーヒー・紅茶 (ストレートも) ・ブラックコーヒーも間食です。
間食は、脈診で100%どんな人でも、NOと体が返答します。体は間食を非常に嫌がっているのです。食後のお菓子やデザートは、脈診でYESです。ただしそれも食べ過ぎたらエラーがでます。
お菓子を辛抱できない人は多いです。ですから、お菓子は食後のデザートとしていただきましょう。間食をするよりも、うんと体に負担がありません。これは仕事でいうと、
間食…「5分の夜間よびたし出勤」と、
食後の食べ過ぎ…「1時間の残業」ほどの違いがあります。
毎日「1時間の残業」が続くより、「5分の夜間よびたし出勤」が続いたほうが嫌ですね? これについては、夜間の呼び出し出勤 = ほんの少しの間食 としてまとめてありますので、これを御覧ください。
間食は「痰湿」のもと
植物を育てた経験のある人は分かるでしょうか。鉢植えの花を上手に咲かすには、水やりがもっとも大切です。水をやらないと枯れてしまいます。水をやり過ぎると根腐れします。コツは、表面の土が乾いたら水をやることで、そこまでは我慢です。
人間の場合、三食というタイミングで土の表面が乾く (シッカリお腹がすく) のです。節度を無視してダラダラ食べると、鉢の土にドロドロの緑色の苔が生える結果となります。こういうドロドロのものを東洋医学では「痰湿」と言いますが、肩こりからガンまで、あらゆる病気の主要な材料になります。
節度と、健康な組織
人生において「節度」というものは大切なもので、とくに人間社会 (組織) は、これなしには機能しません。飲食というのは人間が生まれて初めてとる行動で、行動の基本です。つまり、間食を辛抱するということは、基本となる節度と言えます。
基本がなければ上積みはかないません。何でも自由で良いという考え方は行き過ぎだし、規則で拘束すれば良いという考え方も行き過ぎです。その中庸をいくのが「節度」です。人間の体も、細胞たちが力を合わせて成り立つ組織ですから、同じことが言えるのかもしれません。
腹八分目
食べ過ぎは「痰湿」のもと
3度の食事は食べ過ぎないことです。少しの空腹感を残して箸を置きます。この空腹感は少しのスキマ (遊び) となり、このスキマがあるからこそ、消化器は動きやすく、十分な吸収と代謝を行うのです。
食欲がないのに栄養を摂ろうと無理に食べる、もらいものを捨てるのがもったいないと言って無理に食べる、これらはかえって体を壊す元になります。たしかに、食材には命があり、無駄にするのはよくありません。しかし、それよりも「もったいない」のは、この体です。第一義をよく理解して、手を合わせて捨てさせていただくことです。
お腹にはバケツのような容器があると考えてください。この容器に栄養たっぷりの水が、八分目まで注がれるのです。八分ならば、容器を自由に移動し、栄養を求めている各細胞のところまで運んで、こぼさずに注ぐことができます。
しかし、十分目まで満たされていると、容器を運ぶときにこぼれてしまいますね。しかも容器に入っていた時は、体にとって必要で美味しい栄養分だったにもかかわらず、床やじゅうたんにこぼれた瞬間、汚く臭くベタベタしたものに変わります。このベタベタしたものを、東洋医学では「痰湿」と言います。
痰湿はしつこく、掃除してもなかなかきれいにならないものです。除去するために、時間と労力を消耗して、体が弱ってしまいます。この弱り、そして痰湿は、あらゆる病気の原因となります。
食べ過ぎとカゼ
子供が、ご飯を食べずにオカズしか食べなくなったり、食事をとらずにお菓子ばかり食べるようになったりすることがあります。そういう変化が急に見られたら、それはカゼを引いて熱を出す直前です。インフルエンザはお正月に食べ過ぎているのも原因です。意識してみてください。
ずっとそういう習慣のある子は、何か持病を持っているものです。子供は大人と違って正直に出る場合が多いので、因果関係が比較的ハッキリ出ます。大人は表面に出にくく、動脈硬化やガンのように、水面下で事が進行します。「腹八分目に医者いらず」という古言は、非常に重い意味を持っています。
朝食は午前9時までに、夕食は午後9時までに
朝食と夕食は必ず
人間の歴史は昼行性であり、それに従わなければなりません。日の出とともに起き、日の入りとともに活動を終える。それが自然です。朝食は活動の起点となり、夕食は夜の快眠の起点となります。
朝食と夕食は必ず摂りましょう。朝の6時前後 (午前3時〜午前9時) に摂る食事が朝食となり、夕方6時前後 (午後3時〜午後9時) に摂る食事が夕食となります。このような節度があれば、昼食の時間はおのずと決まってきます。
食欲がなければ、昼食は無理に摂らず、抜いても構いません。そうすると夜にはお腹がすいてくるものです。おなかがすくからこそ、身につくのです。
12時間以上食事をとらないことが良くありません。食事が合図となって体が動きます。胆汁も食事が合図で分泌されますね。胆汁は定期的に動かしてやらないと、胆石になったり、コレストロールが排泄できなくなる恐れもあります※。胆汁に限らず、体は液体の流通なので、合図となる食事が大切です。
飽食も断食もよくない。要するに節度ですね。
※コレステロールは、肝臓で胆汁に作り替えられ、腸内に排出し、大便として排泄します。少しずつ、少しずつ微調整するのです。食事を摂らなければ、胆汁はでません。食べなければコレステロールを調整するチャンスが減るのです。
ごはん一粒でも
朝・夕は必ず、と言いました。もちろん無理に食べるのはよくありません。食欲がなければ、無理のない量で、少量でいいです。朝と晩は必ず食べるようにします。
朝の食事がノドを通りにくかったら、無理にならないように、一口でもいいからご飯を食べてください。一粒でもいいです。これなら無理にはなりません。
ごはん一粒というのは、大げさに言っているのではありません。劇的に改善した経験からいうのです。そういう努力を続けていくと、やがて朝の食欲が出てきます。朝ごはんが美味しい、というのは健康の証しです。こういう人は、日中は快活に動き、夜は落ち着いて寝につくものです。
夕食が午後9時を過ぎたら夜食になると思ってください。深夜に入りますので、食べたり活動したりするのに向かない時間帯となります。やむを得ずその時間になったならば、食べずに寝るのも良くないので、本当に軽く、腹五分くらいで、あっさりしたものだけにして、特におかずは少量にすることです。
おかずは食べたいものを食べる
無理に食べるのは病気のもと
食べたくもないのに無理に食べても、身に付きません。無理に栄養を摂ろうとして体を壊している人はたくさんいます。例えば膝に水がたまるという高齢の患者さんがいるとします。食欲がないのに栄養を気にして無理に食べると、てきめん痛みが増して腫れます。
注射で水を抜いてもらうと言いますが、この水は非常に栄養分が豊富なのです。むくみの原因となる体液も、重病でおこる腹水も、みな栄養豊富です。体が望めば、必ず欲しくなります。その自然の営みを無視して無理に詰め込むと、体に染み渡らず、変なところにたまります。
膝の水だけではありません。多くの病気の材料は、体そのものであり、過剰分が原因になると言えます。例えば脳梗塞を引き起こすのは、血管に張り付いたコレステロールや血糖です。ガンも、我々が摂りこむ栄養によって成長します。ガン専用の血管を作って効率的に栄養を引き込もうとする場合さえあります。
不足分は必ず「欲しくなる」
そもそも体はうまくできています。水分が足りなければノドが渇き、塩分が足りなければ塩気を欲します。塩の摂り過ぎが体に悪いことは周知の通りですが、塩の不足がよくないことも注目されるようになりました。じっさい、ナトリウムなしでは命は保てません。
他の栄養素はどうでしょう。摂ればとるほど体に良いのでしょうか? 塩に塩梅があるように、他の栄養素にも塩梅があるのではないでしょうか? ここにも中庸という真理が見え隠れします。
水も、命を保つうえで不可欠です。しかし、水をたくさん飲めば体に良いと思って、夜中に何度も小便に行く人がいます。夜の睡眠は健康のために大切なのに、これでは何をやっているのか分かりません。腎臓の仕事が増えるばかりです。
もっと簡単に考えましょう。体が望めば欲しくなる。体が望まなければ欲しくなくなる。分かりやすい例は、同じものばかり食べていると飽き、変わったものを食べると美味しく感じるという、誰もが経験したことのある反応でしょう。
大根には大根にしか含まれない栄養素があり、魚には魚にしか含まれない栄養素があり、その栄養素を体が求めているかいないかは、「おいしさ」で分かるのです。よく言いますね、五臓六腑に染み渡る。ああ、おいしい! と自然に声がこぼれれば、感謝の心もまた自然にこみ上げます。体に良い食事とはこういうものであり、健康とはこういうものです。
「おいしい」が大切
味覚による「おいしい」「もうたくさん」という感覚を大切にすることにより、栄養不足にならないような、栄養過多にならないような、オートマティックな調整が行われます。
このように考えると、サプリは体に良いのか、悪いのか。味覚を通さずに流し込むところに最大の不自然さがあります。よく分からないから無害だろう、という考え方は危険です。脈診ではほとんど「NO」で出ます。
どんな成分でも吸収されると毒 (アンモニアなど) を作り、それが全身にめぐる前に、まず肝臓に運ばれて解毒されますが、過度の栄養摂取は肝臓に負担をかけます。アルコールの過度の摂取が肝臓を壊してしまうのは、この理由によるのです。
糖分と油脂分は注意
ひとつ、注意事項があります。同じものばかり食べると飽きて、自然に取り過ぎを回避できるといいましたが、人によっては飽きないものがあります。砂糖と油です。昔は欲しくても手に入らなかった素材で、今は簡単に毎日の摂取が可能です。
遺伝子的に回避する能力が追い付いていないのか、本能的に取り過ぎだと認識できない素材です。内臓脂肪をいっぱい貯めているのに、まだ油脂分を好んで食べるなどが、その例です。砂糖と油だけは、意識して撮り過ぎに気をつけることです。
牛肉・揚げ物・おもち (おかき)
牛肉・揚げ物・おもち (おかき) …これらの食材は、スポーツ選手など体を鍛えている人には必要なもので、体を動かさない人や虚弱体質の人には負担になりやすいものです。この3品目が最高峰で、それに次ぐのが砂糖や豚肉・鳥のもも肉・サバなどの油脂分を多く含む食品です。
体を動かすということは、栄養を摂りこむ受け皿を大きくすることです。タンパク質・カルシウム・鉄などは重要ですが、体を動かさずに栄養摂取に励んでも、筋肉も骨も血も付いてきません。体の強い人は活動的です。体の弱い人は動きたがりません。体質相応に無理なく栄養を補充すべきで、1日の摂取量は何グラムなどと、体質を無視して画一的に考えるのはよくありません。
白米を主食にする
白米で「腹八分」に
ここでいう白米とは、味のついていない白いご飯です。白米は食べ過ぎにくい食材です。たとえば、白米でご馳走様にしても、そのあとメン類なら食べられます。ケーキ・お菓子・パン・お寿司なども、まだ食べられそうですね。しかし、メンでご馳走様した後、白米を食べられるでしょうか。ケーキ・お菓子・パン・お寿司…それらでお腹をふくらせた後、白米はノドを通りにくいものです。つまり、満腹中枢を早めに刺激し、腹八分目を容易にしてくれるのが白米なのです。
コツは、ご飯におかずを添えることです。そして、ご飯がもう一口欲しいな、というところで箸を置きます。ご飯がもういらないなら、おかずももう食べない。この一線を守っていれば、腹八分になります。今の人はおかずばかり食べるので、どこが腹八分か分からなくなっています。
「白米」ではない、味のついた米、あるいはスルっとノドを通る加工をした米は、上に述べた特点が生かされず、おかずと同じ意味合いとなります。具体的には、寿司・どんぶり・カレーライス・チャーハン・炊き込みご飯・ふりかけご飯・卵ご飯・雑炊・おにぎり・お茶漬け・米粉パン・米粉メン (ビーフン) などです。
これらは、ご飯or白がゆで満足した後でも、まだ食べたくなる可能性のあるもので、腹八分目にすることが難しい食材です。ただし、米食の習慣がなく、それに移行する過渡期として、これらメニューを使うことは意味のあることです。
漬物が好きすぎて、ご飯が過ぎてしまうという人もいますが、こういう人は、ご飯を止めてしまわずに、漬物を止めることです。
子供が、ご飯を食べずにオカズしか食べなくなったり、食事をとらずにお菓子ばかり食べるようになったりすることがあります。そういう変化が急に見られたら、それはカゼを引いて熱を出す直前です。インフルエンザはお正月に食べ過ぎているのも原因です。意識してみてください。
ずっとそういう習慣のある子は、何か持病を持っているものです。子供は大人と違って正直に出る場合が多いので、因果関係が比較的ハッキリ出ます。大人は表面に出にくく、動脈硬化やガンのように、水面下で事が進行します。「腹八分目に医者いらず」という古言は、非常に重い意味を持っています。
白米は「動く力」に
僕はお米を使ってウォーキングを持続させ、患者さんの体力をつけています。米は、動く力・体を動かす力のもとです。なぜそういえるかというと、腹八分目にできるからです。食べ過ぎたら動けなくなるのは誰もが知っていることです。それと、以下のような理由も考えられます。
日本は温暖湿潤気候で、湿気によって体の重さだるさが出やすい地域です。そんな気候の中で育つイネは湿気に強く、痰湿をさばく力が強いのではないかと思います。だから米を食べると動けるのです。それは手足の筋肉だけではありません。循環して代謝するのも「動く力」です。
動く力さえあれば、各細胞は活性化し、活性化して栄養が不足しそうになれば、不足分を貪欲に求めてきます。求めるからこそ得られる…というのは真理でしょう。体を動かすことなしに栄養ばかりを気にしていては、主客転倒です。まず動かして、各種栄養分を吸収する受け皿を大きくすることが大切です。そのために白米が重要なのです。
病院食で用いられる「おかゆ」は最高の病人食で、多くの病気を治してきた実績を持ちますが、こういうことが知らず知らずにできていたのです。
気持ちよく運動できるコンディションを作ることが第一義であると思います。倦怠感に顔をゆがませながら運動療法をやるなどは逆効果です。無理をするということは不自然なことです。それでは健康はつくれません。
以前、コロナ渦で帰国できなくなった日系アメリカ人を数ヶ月治療したことがあります。あらためて、日本人は体型が細くて驚くとおっしゃっていました。向こうは本当に肥満が多いと。
米は水浸しの中 (どろどろの水田) で力強く育つ植物です。こういうものには水 (痰湿) をさばく力があります。痰湿がさばけると、体が軽くなります。
白米で味覚を鋭敏に
塩辛い味付け、甘い味付け、脂っこい味付けに慣れ過ぎることは、生活習慣病の原因になります。白米を主食にすることで、味覚を鋭敏にし、薄味でも美味しく感じる訓練ができます。
そのためには、まず本当の空腹感を出すことです。「ひもじい時にまずいものなし」と言われるように、本当に空腹感があれば、お米は美味しく感じます。お米がおいしくないということは、本当の空腹感ではないのです。お米は空腹感の基準であり、空腹感は健康の証しです。
お米の微妙な甘みを感じることで、味覚が鋭敏になります。味覚の鋭敏さがあれば、センサーは正常に働きます。センサーとは、先ほど説明した、ある栄養分が不足すれば、自然とその栄養分を多く含むおかずが食べたくなる…というセンサーです。また、強烈な塩辛さ・甘さ・脂っこさを嫌うセンサーです。
そのためにも、ご飯とおかずは分けて盛り付けることです。ドンブリのように混ぜてしまうと、その味に慣れてしまい、味を濃くしたくなるからです。ご飯とおかずを交互に食べ、あるいは口の中で混ぜながら、ご飯の淡い味で味覚をリセットし、おかずの味を常に新鮮に感じられるようにすることが大切です。
乳離れ間もない赤ちゃんに、甘いお菓子を与える風潮がありますが、これはよくありません。甘さは強烈なうま味で、これが基準になってしまうからです。こんなおいしいものを基準にしてしまえば、野菜を食べないのは当たり前のことです。おっぱいの淡く優しい味に最も近いお米を基準にすることにより、もっと豊かな美味しさを野菜に感じるようになるのです。楽に慣れては少しの苦痛に耐えられませんね。基準として最もふさわしいものを主食にするべきです。
その意味からも、おかずの味付けは、できるだけ砂糖を使わず、少量のみりん・お酒で補ってください。砂糖は米の甘みを感じ取る繊細な味覚を奪うからです。野菜にも魚にも甘みとうま味があります。「うまい」の語源は「あまい」です。それを感じ取ることが大切なのです。
白米と、塩分・カロリー
白米は塩を使いません。白米を主食として割合を多くすると、塩を使わないメニューの絶対量が増えたことになります。おかずは塩を使いますが、おかずの割合を少なくすることにより、塩分の絶対量が減ります。おかずの割合を増やし、白米の割合を減らすと、いくら減塩メニューを作っても量を食べることになるので、塩分の絶対量が増えてしまいます。
主食は塩分のないものを用いることです。塩分があるとそれに慣れて、さらに濃い味を求めるからです。パンもメンも塩分が意外と多いことが注目されるようになりました。ぼくは定食屋さんで出される料理は、塩辛すぎておかずを全部食べきれません。それだけ味覚が敏感なのです。
油料理も取り過ぎに注意したいですね。いまや世界に誇る日本料理ですが、その特色である「だし」は見直されるべきものです。油や砂糖を使わずに、深みのある旨味を出すことができ、カロリーの問題がありません。「だし」のうま味は、ごはんを主食にするからこそ合うのであり、感じ取れる特別な味覚です。
お米はカロリーが高いので悪い食材かのように言われる昨今ですが、お米がおいしくないと感じている人が、おかずをたくさん食べて、そのうえ無理にお米を食べたならば、明らかに食べ過ぎです。食べ過ぎたら動けません。カロリー過多になるのは当たり前のことです。
ご飯6:おかず4
ご飯とおかずの割合は大切です。主食の割合が少なくては、「米の力」が十分に発揮されません。割合は個人差がありますが、最低でも5:5は守り、おかずの量がご飯の量を越えないようにすべきです。これは、脈診の結果、ほとんどの患者さんで言えることです。それほど、「動く力」「米の力」が大切です。
体力のない人は、ご飯8:おかず2 で一時的に指導することもあります。動く力を優先するためです。動くことができるようになると、自然と食欲もつき、おかずもおいしく感じられ、おかずによる栄養を摂りこむ受け皿が大きくなります。
「汁もの」の汁はおかずに入れないでください。具はおかずに入れましょう。食後のデザートもおかずに入れましょう。
完璧でなくともよい
メン・パン・粉モノは美味しいですね。味気のない白米を嫌がる方は少なくありません。「食べ過ぎなければ白米でなくてもいいでしょ?」…しかし、これは半分正解で半分誤りです。
さきほど、「お腹にはバケツのような容器がある」というたとえ話をしましたね。実はこの容器は小さくなることがあります。急に寒くなった、急に暑くなった、いつもよりも無理をした、夜更かしをした…などが原因です。これは健康な人はあまり変化しませんが、症状を持っている人は、非常に敏感に反応し、一時的に小さくなります。
このとき、いつもと同じ量を食べたとしたらどうでしょうか。いつもなら八分目の量であったとしても、容器が小さいと溢れます。食べ過ぎになってしまうのです。しかし、我々はそれになかなか気づくことができず、だから体調を崩してしまうことが多々あります。
そんなとき、白米の力は絶大です。「今日は何か食が進まないな」と自覚させてくれるからです。メン・パン・粉モノなどは、その自覚が生まれず、ついいつも通りの量を食べてしまいます。
どうしてもメンやパンが食べたいときは、少量を「おかず」として食べましょう。それでも辛抱できないときは、白米抜きで食べればいい。一回くらいは問題ないし、問題が出たらもうやめればいい。完璧を求めてはなりません。何が望ましいかということを理解したうえで、「できるだけ」が真理です。
玄米は昔の話
玄米が良いという事実が提唱されたのは、いわゆる「戦前」です。太平洋戦争以前と以後とでは、日本人の生活様式はガラリと変わり、それを考慮することが必須です。
玄米はコッテリしていて熱に傾く食材です。ほとんどの現代人において、ストレスや飽食による熱が、病気の一因をなしています。白米はアッサリしていて中庸を得ており、現代はこちらが優れています。主食は体質を左右しますので、傾きのある素材である玄米を毎日毎食とることはリスクがあります。
中庸が何かは、時代によって変化します。戦前は玄米が中庸でした。現代は白米が中庸です。陰陽とはそもそもそういうものです。
患者さんで口臭がある場合、生ぐさい臭い・甘い臭い・焦げくさい臭いなどがあります。そのうち、焦げくさく香ばしい臭いは特に熱を示しますが、糠の臭いを含みます。そのとき必ず舌の苔が黄苔となりますが、これも玄米の色とよく似ています。爪や足底の皮膚もこの色を呈してきます。これは熱 (湿熱) の色です。
ゴマ・ナッツ・オリーブ・菜種などもそうですが「種子」そのものは滋養が非常に高い。油脂分を多量に含んでいるからです。みな油が取れますね。糠も非常によく燃え、油がとれますね。
つまり、糠は肥甘厚味の食品としての傾向があるのです。肥甘厚味の品は、熱に傾きます。
このように、玄米は補い温め熱する力が強く、われわれはこれを「主食」とするだけに、毎日摂り続けるとその影響力が強く出てしまいます。よって、ほとんどが熱証を兼ねる現代人には向きません。
飢えによる冷えがあった昔は、玄米はよく効いたはずです。現代人がもし玄米で行きたいというのなら、おかずは糠漬けに季節の野菜と湯葉などを添え、修行僧のようなものにする必要があります。これはマクロビ・玄米正食の提唱者である桜沢如一も言っていることです。動物性タンパク質のように熱に傾く食材と同時に摂ることは避けるべきです。
ちなみに桜沢如一も、当初は師匠である石塚左玄の考え方に従い、鳥・魚・卵を少しなら食べてもよいとしていたそうですが、晩年は、つまり戦後、食生活が豊かになった時期は、それらも食べない菜食が正しいという見解に到ったようです。時代背景と矛盾しませんね。副食物をどうするか。これとのバランスで玄米の是非を言うべきです。肉や魚を食べながら「玄米が体にいい」を押し通すのはおかしいですね。状況が変わっても、いつも同じ行為を繰り返すことを「馬鹿の一つ覚え」といいます。
また、僕の脈診では、玄米がOKと出たのはまれで、その人たちはみなベジタリアンでした。現代人みんなに、肉や魚や甘いケーキを辛抱しろと指導するのは無理があります。石塚左玄の時代はその指導の必要がなく、求めてもそれらが得難い時代でした。だから玄米でよかったのです。肉や魚や甘いケーキを辛抱できないなら、白米にする必要があります。
それを無視するならば、肉・魚・甘いケーキで熱に傾け、それを玄米でもっと熱に追いやる構図が成立します。
この辺は、熱性食品に関しての「禁忌の理由」として、陰陽論に基づいてさらに詳しくまとめてあります。これは薬膳に取り組む上での基本となります。
僕自身、体が非常に弱かったために肉や揚げ物を食べることができず、食事が美味しいと感じたことがありませんでしたが、玄米正食 (菜食のみ) を一年あまり徹底して続け、非常に改善が見られました。しかしその後はもう改善がみられなくなりました。体がある程度丈夫になって、いままでは食べられなかった肉や魚や揚げ物などを食べるようになったからです。
玄米はそれ単独なら体に良いものですが、現代の栄養豊富な美食とは相性がよくありません。栄養は多ければ多いほど良いという考え方は間違っていますので注意してください。肝臓の仕事量の限界を超えるからではないかと考えています。
栄養学はあくまでも適材適所
食物は元は命です。それをモノ扱いにすることによる弊害はあちこちで散見されます。栄養学 (食物を物質として分析) は重要です。歴史的に、栄養学によって解決した病気は数え切れません。ただしこれだけで考えるなら、糖質は砂糖で代替でき、糖質以外のものは摂れば摂るほど良いのではないかという発想が、一方で生まれます。
食べ物は命あるものばかりで、それをいただくことで我々の命は成り立ちます。その命を、モノとして扱う医学が西洋医学であり、栄養学もその中の一つです。もちろん、モノとして扱うべき場面があります。
骨折や大怪我がその代表です。モノが破損しているなら、モノを修復する必要があります。
栄養学で言えば、脚気 (ビタミンB欠乏症) ・壊血病 (ビタミンC欠乏症) ・くる病 (ビタミンD欠乏症) などです。モノが足りないなら、モノを足す必要があります。
しかし、現代の病気の多くは、モノの問題では片付かないものが多くなりました。モノ (肉体) とココロと両方をあわせたもの…つまりイノチです。これを問題にすべきものが圧倒的ではないかと思います。このイノチというのがなかなか厄介で、モノ扱いされることを徹底的に嫌います。たとえば妻をモノ扱いしたらどうなるか…。悲惨な結果が目に浮かぶようですね。
冷たい飲食物は控える
冷たい飲食は不自然
冷蔵庫の普及によって、夏でも氷が手に入るようになったことは、大きな環境変化です。この数十年の嗜好の変化を見ても、冷たい飲食が「ごちそう」としての地位を確立したと言っていいと思います。昔は客人に冷たい水を出すことは失礼と考えられ、温かい湯で供応したものです。
しかしこれは同時に、非常に不自然なことでもあります。夏は井戸水よりも冷たいものは存在しませんでした。
この不自然さに、人体の遺伝子が対応しきれているでしょうか。人類は火を発見し、文明はそれと寄り添うように発展してきました。料理に火を使わない部族は、食中毒で子孫を残せなかったでしょう。火で温めることに関して、人類は長い歴史を持っています。それにくらべて、冷たい飲食はどうでしょう。ここ100年にも満たない、浅い歴史です。
生冷寒凉… 冷たい飲食物の摂り過ぎ << 中医学における “病因” とは
アレルギーと冷たい飲食
冷たい飲食が問題になるかならないかは、脈診で判断します。必要ある人、必要ない人に分かれます。普段から炎症症状があり、それが時として急激に悪化する人は、必要であることがほとんどです。アレルギー・膠原病・関節炎などです。また、慢性的にカゼを引く人も、必要であることがほとんどです。カゼも炎症の一つですね。
また、さして食べ過ぎているわけでもないのに、コレステロールや尿酸値が高い人にも、冷たい飲食が一因をなしている場合もあります。油よごれはお湯で洗うと取れやすく、水で洗うと取れにくいですね。簡単に言うとそんな説明ができます。
人肌以上の温度で
脈診で問題にならない人は、冷たい飲食を摂り過ぎるとよくないという知識を持っているだけでよいでしょう。
脈診で問題になる人は、体質が改善するまで、人肌以上の温度で飲食する必要があります。果物とかお刺身は人肌以上にすれば問題ないですが、そこまでして食べたくないと思うなら食べないことです。ビールの本場ドイツでは、ホットビールという飲み方があります。赤ワインは温めると非常においしくいただけます。アイスは買い置きをしないことですね。
上下の寒熱差
冷たい飲食物を異常に好む人は、胸から上に熱 (東洋医学的な) をもっています。この熱を冷ます感覚…舌の上に冷たいものが乗る、そしてノドを通っていく感覚が心地よく、そのために多飲します。胸の熱は一瞬冷めますが、すぐ戻ってしまいます。
そして冷たいものは胃に入り込みます。冷やしたビールなんか、いくらでも飲めますね? しかし体はそれを快くは思っていません。その証拠があります。缶ビールを腹に押し当ててみてください。いやだと思います。不思議ですね? お腹の皮一枚へだてて、内ならばなんともないが、外ならばいや。
いやだというのは、体が拒否しているからです。殴られると痛いのは、ケガをしないようにする防御反応です。冷たくて嫌なのは、冷やすと都合の悪いことがあるからです。体幹部にはバイタルに関わる内臓があります。内臓の温度が下がる都合が悪いので、体はお腹の缶ビールを拒否するのです。
ただし、そのセンサーは皮膚にしか備わりません。内臓の上皮細胞にはその感覚神経がほとんどなく、鈍感です。鈍感だからと言って、体が嫌がっていることには変わりありません。胃は、異常な冷えにいやだとも言えず、耐えているのです。
ここで、胸に熱があり、胃に冷えがある。上下の寒熱差です。まずこれが一点目。
内外の寒熱差
つぎに、冷たい刺激により、体は「冬かな?」と勘違いし、体を冬の状態にしてしまいます。冬の状態とは、体温 (熱) を逃げにくくする状態です。冬は手足や皮膚表面が冷たくなりますね。それによって内臓の温かみを逃がさないようにしているのです。
これを例えるなら魔法瓶です。魔法瓶は表面が冷たく、中が熱いですね。外に熱が伝導しないので、容器の表面が冷たいのです。ペットボトルなどにお湯を入れると、容器の表面が熱く、それは熱が外に逃げている証拠で、中のお湯はすぐに冷めてしまいます。
冷たい飲食物を摂ればとるほど、体が魔法瓶化して、熱が外に発散しにくくなるのです。これは炎症が取れにくい人に多く見られる構図です。
これは熱中症にもいえることです。熱中症予防には、人肌くらいの飲料水を摂取することです。冷たいもので体温を冷やそうとしても、上記の理由でよくありません。また、冷たい刺激がノドの乾いた感覚を満足させてしまい、水分補給の量が少なくなる弊害もあります。ただし、体温よりも高い飲み物を炎天下で飲むと、体温が上がることがあるので、これも避けた方がいいです。
以上から、
上の熱 & 下の冷え
内の熱 & 外の冷え
という構図が、冷たい飲食でできたことが分かるでしょうか。
寒と熱がぶつかり合う時
これら入り混じらない寒と熱がぶつかり合うとき、急激な悪化が起こります。
「突沸」という言葉をご存知でしょうか。こんな経験があります。深い鍋に大量の濃い味噌汁を作り、それを冷蔵庫で保管していました。温めなおそうと強火にかけます。しばらくすると爆発する音がしたので、慌てて駆けつけると、鍋蓋が飛び、味噌汁は床に散らばり水浸し、鍋の中にはほとんど味噌汁が残っていませんでした。
味噌汁は水と違い、対流しにくい。だから鍋の下半分だけが熱くなり、上半分は冷たいままで、その極端な温度差がぶつかり合ったときに爆発するのです。「爆発卵」も同じ原理で爆発します。
気象でも、温かい空気と冷たい空気がぶつかり合うところで前線が発生して風雨をもたらします。ゲリラ豪雨や爆弾低気圧もそうです。
人体も自然の一部なので、自然現象と同じことが起こります。冷たいものと熱いものがぶつかり合うと、急激に激しい症状 (発作) が起こります。喘息発作・蕁麻疹・アナフィラキシーショックなどは典型例で、それに類するものは多く認められます。
季節の野菜を食べる
脈診で判断したとき、必要である人、必要でない人に分かれます。
冷たい飲食を控えることと同じ意義があります。冬は温める野菜が育ち、夏は冷ます野菜が育ちます。冬に夏野菜を食べると冷えがひどくなり、夏に冬野菜を食べると熱をこもらせることになります。結果として寒熱差がひどくなり「突沸」を起こす素地になります。
カフェインはひかえる
火事場の馬鹿力
カフェインは興奮剤です。人によっては眠気が覚めたり眠れなくなったりします。そこに変化が見られない人でも、どこかが興奮するものです。
「火事場の馬鹿力」という言葉がありますね。「火事だ!」となると、普段は出ないような力が出ます。我々にはこういう力が元々備わっています。ただしこれは、普段は出してはいけない定期預金みたいなもので、いざという時のためのものです。興奮によって思わぬ力が出るのは、敵に襲われたときなど、まさかの時の「生きる力」として備わった非常時モードです。
その力は使ってはならない
だから、火事が収まると寝込んだりします。その力は安易に使ってはならないもので、使うとそれだけの代償があります。もし「火事場の馬鹿力」を常に使っているのに、何もしんどくならないならば、水面下で疲れが借金のように膨らみつつある状態を示します。
ガンや脳梗塞は、発病が明らかになるまで無症状で進むことの多い病気です。水面下で進行し、リスクが膨らみつつある。そしてある日、突然の宣告を受けたり倒れたりするのです。
「脳梗塞…東洋医学から見た原因と予防法・治療法」で詳しく説明しました。
どんな飲料水がいい?
カフェインを多く含むのは、コーヒー・抹茶・ココア・栄養ドリンクの多く・煎茶・紅茶・ウーロン茶・チョコレート・コーラなどです。
飲料として望ましいのは番茶です。夏なら麦茶もOKです。お白湯が一番無難ですね。茶葉でできたもの (日本茶・紅茶・ウーロン茶など) は基本的にカフェインを含みます。ただし番茶は含有量が少なく、敏感な人以外は脈診でYESがでる場合が多いです。麦茶はノンカフェインですが、花粉症の人は冬に飲むと脈診でNO判定がでることがあります。
興奮はカフェイン以外にも
カフェインだけではありません。普段から興奮気味な人は注意するべきです。しかし、興奮というのは自分では自覚できません。もし自覚できたら、それは冷静だからで、もう興奮とは言えません。
冒頭で「徹夜マージャンによる頭痛」についてお話ししましたね。この頭痛がなくなれば、今夜もマージャンがしたくなります。これが興奮です。生活習慣改善を第一義とするべきです。
たとえば生薬でも、健康な人に正気を補いすぎると興奮状態になり、本人は元気になったと勘違いすることがあります。もちろん、虚証 (生命力の弱りが主要病因) の人には正気を補うべきです。
その二、寝る
床に就くのは11時までに
夜というのは陰のかき入れ時です。陰とはクールダウンする体力のことです。現代人はストレス・飽食による熱が、多くの病気の原因になります。その熱をクールダウンすると、病気が治りやすくなるし、予防にもなります。
暗い時間帯 (夜) に寝るということが大切です。日が昇ってからの睡眠は、眠気は覚めるかもしれませんが、体を良くする働きはありません。日中は活動することにより陽を取り入れる時期です。陽とは体を温めめぐらせる体力のことです。
夜更かしをする人は、朝寝坊しがちです。陰の取り込みも陽の取り込みも、どちらも効率よくできず、病気に打ち勝つ体力ができません。
陰は体力の基礎になります。とくに炎症症状が起こりやすい人は陰の力がたりません。体の弱い人は、8時でも9時でも、暗くなったら床に就くようにしていれば、その時間だけの陰を補給することができます。遅くとも、11時までには床に就くべきです。
横になっているだけで体は良くなる
「早く床についても眠れない」という人がいます。しかし、横になっているだけで陰の取り込みができます。夜に、消灯して布団でジッとしている。これだけでとれる疲れがあるし、もっと踏み込んでいうならば、そうしていないと取れない疲れがあるのです。熟睡はできなくても、それはそれでいいのです。
体は、熟睡させる必要があって熟睡させていて、夢を見させる必要があって夢を見させており、また、覚醒させる必要があって覚醒させているのです。体には、夜に床でジッと覚醒している状態でしか修復できないことがあります。自然の摂理は我々のちっぽけな知識で分かるものではありません。
自然に任せ、眠れないときは眠れない状態がベストなんだと理解することです。眠れないと体に悪いという先入観が、焦りを生み、余計に眠れなくします。安心しきったうえで眠れないのであれば、眠るべきタイミングがくれば自然と眠りに落ちます。
起床は日の出とともに
体内時計が狂ってしまっている人がいます。そういう人は、深夜遅くにしか眠りにつけず、朝が来ても起きることができません。そういう場合は無理にでも、日の出の時刻を目安に起床することです。それを毎日続けていると、早く眠くなり、夜の間に十分な睡眠時間を得ることができるようになります。
冬場は早く床に就く
活動量は、夏場>冬場に
自然界の動植物を見渡してください。夏場は活発で、冬場は静かです。夏場に枝葉を伸ばした樹々も冬場には葉を落とし、夏場にぎやかだったカエルは土にもぐって冬場を過ごします。
大自然の一部である人間もそうあるべきだし、自然に生きていれば勝手にそうなるものです。というのは、夏場は夜が短く、冬場は夜が長いからです。明るい間に活動するならば、冬場は勝手に活動量が減ります。
ここでいう夏場とは春分から秋分までの6か月間をいい、冬場とは秋分から春分までの6か月間をいいます。
照明器具の使い方
ところが、現代はそう簡単に行かなくなりました。照明の普及です。夜でも昼のように明るくすることができるようになり、冬場の夜が長いものではなくなりました。これでは活動量が冬>夏になりかねません。冬場全体の活動量と、夏場全体の活動量が、冬>夏になった場合、いろいろな病気の原因になります。
たとえば「木の芽時」といわれる2月から4月ごろにかけて、病状が悪化する人は少なくありません。こういう人は、春の体の不調がおさまっても、夏場の暑さについて行けず、涼しくなる秋ごろに活動し始めます。そして冬は比較的体調が上がって活動的になり、木の芽時にまた体を壊す、そういう悪循環があります。慢性的に体調不良がある方に、非常に多く見られます。
30分早く床に就く
改善策は、日の入りが早くなるのに合わせて、早く床に就くことです。冬場になったら30分早く床に就く、そういう決まりを作るのも便法でしょう。そうしていれば、おのずと冬場の活動量が抑えられ、夏場の活動量が相対的に増えます。また、朝にも強くなってきます。
夏場に活発に動くことができる、朝に強い…ということは健康のバロメーターの一つです。体調に問題なければ、夏の暑さに負けることなく、汗をかくのを嫌がらずに、積極的に体を動かしましょう。夏に弱い人、夏が嫌いな人は、朝も体調が悪く、こういう人は健康とは言えません。
その三、動く
症状のある人は指導を受ける
ウォーキングをしよう
運動は健康で生きるために必要不可欠です。ジッとしてばかりいる人は不自然なのでいずれ病気をします。運動のなかで、いちばん基本になるのはウォーキングです。健康な人は、1日30分~1時間のウォーキングの習慣をつけ、病気を予防しましょう。
ウォーキングは投資
ただし、誰でもウォーキングをすればいいというものではありません。多くの患者さんを治療する中で、初診の段階でウォーキングを指導するのは少数です。むしろ、現段階での運動は望ましくない、と指導する場合が少なくありません。
運動は投資です。例えば大根を50円で仕入れます。それを100円で売ると儲けが出て体力の貯金がたまります。たくさん仕入れても売れなければ体力は減る一方です。また、景気がいいのか悪いのか、時期も考えなければなりません。おでんの美味しい冬ならたくさん投資して見返りが期待できますが、夏は売れないリスクがあります。
投資にはリスクがともなう
資本金がゼロなのに投資してはいけません。小さい会社なのに大きな投資をしてもダメです。大きい会社なのに投資をケチっていてもダメです。簡単に言うと、病気の人ほどコンサルタントが必要になります。
ウォーキングは、むやみにやればいいというものではありません。その人にあったウォーキングの時間は何分なのか、距離はどれくらいがいいのか、これを判断してもらう必要があります。最初は短時間から始め、徐々に時間を増やして、体力 (生命力・回復力・治癒力) の伸びしろを増やしていきます。
体力というものは人それぞれで限界点が異なります。限界のギリギリ手前まで負荷をかけ、そこでウォーキングを止めると、体力の限界点は高くなり、体力がつきます。逆に、限界を少しでも超えてしまうと、体力の限界点は低くなり、体力が落ちます。また体力の限界点が高くとも、運動をやらずにいると体力は落ちていきます。やり過ぎもやらなさ過ぎも、どちらもいけないのです。
ウォーキングの注意事項
①ウォーキングの目的は鍛えることではありません。気を下げることが目的です。気持ちよく落ち着いて自分のペースで歩けば、勝手に臍下丹田に気が下がり、めぐりがよくなり、治癒力が生まれます。鍛えようと速足で歩いたり、山道・坂道を選んで歩いたりしないことです。呼吸を意識しすぎると、かえって気が上ることがあります。できるだけ平坦な道を、景色に目をやりながらゆっくり歩きましょう。それだけで自然な呼吸法に勝手になります。
スマホで音楽を聴きながら、ラジオを聞きながら、これらはNGです。ウォーキングは自分に向き合う時間です。ただ歩く。足を動かせば自然と頭に余裕ができ、冷静に思いを巡らせることができます。そういう単調な環境に身を置くことで、自然と自分に向き合うことができ、体との歩調が合うのです。
それがウォーキングの最大の目的です。
「自分と向き合う、体と向き合う」をご参考に。
だからこそ、ウォーキングはウォーキングのためだけの時間を設けてください。今日はスーパーでたくさん歩いたとか、通勤ついでに一駅手前で降りて歩いたとか、犬の散歩で歩いたとか、それはウォーキングにカウントしないでください。むしろ、今日はスーパーでたくさん歩いたから、その疲れをウォーキングで取るんだ、という意識で行います。
②ウォーキングは日の出から日の入りまでの明るい間に行ってください。たとえ室内でも夜に運動するとよくありません。夜は活動期ではないので、投資しても見返りがないからです。
③雨の降っている時間帯は、たとえ室内でもウォーキングは止めておきます。雨が止んだら行ってください。滑らないように、足元に気を付けて。雨が降っているときは活動に向かないので、投資しても見返りがないからです。
④風が強くて外に出て落ち着かないと感じる日は、ウォーキングは止めておきます。たとえ室内でも運動するとよくありません。風が強く感じるか心地よく感じるかは、個人の主観 (体力) によります。風速何メートルとかは関係ありません。乱れた状態の時に体を動かすと、余計に乱れることがある、というのが理由です。
筋トレは限られた人のみ
体力のある人や若い人はウォーキングにとどまらず、ジョギング、筋トレと付加を大きくしていきます。しかし、何かしらの持病のある人は、ジョギングや筋トレを行うと、そのうち症状が悪化したり、予期せぬ新たな症状が出たりすることがあります。これは今まで何度も見てきているので、特に注意します。やらないようにしましょう。無理をすると腎 (先天の精) を傷るのです。腎とは肝腎かなめの腎です。
ストレッチについて
無理をすると腎を傷るのは、ストレッチにも言えることです。ストレッチは、ウォーキングと比べてはるかに体力を消耗します。すごく体が柔らかいのにコリ・痛みを訴える人はたくさんいます。そもそも筋肉は伸ばしてばかりではなく、縮めたり伸ばしたりすることが大切なのです。筋肉を使うことと、伸ばすことはバランスよく行うべきです。ストレッチが脈診でNO判定になることはよくあります。
たとえば、お風呂のアカは、浮いたものはすくい取ることができますね。体の老廃物 (邪) は、浮かせて循環ルートに乗せ、大小便で排泄することが大切です。慢性の肩こり腰痛だけでなく、ガンや動脈硬化も、深く沈んで取れにくくなったものです。
あらゆる健康法は、循環ルートに乗せることを目的としたものなくてはなりません。循環ルートに乗ってもいないのに筋肉を無理に伸ばすと、かえって邪が沈んでしまい、取れにくくなってしまいます。
循環ルートに常に乗っている人 (健康な人) は、激しい運動もし、ストレッチもやって、老廃物を作っては排泄し、ルートの活性化につとめるべきです。よく食べ、よく動き、よく排泄するのです。この場合、お相撲さんのマタワリ (内転筋のストレッチ) が重要になります。
タブレットについて
スマホ・ゲームなどのタブレットは、体力を非常に消耗します。体力には2つあり、それは「気」と「血」です。気は元気だと考えましょうか。血は元気の土台と考えてください。
目を使うということは、血を消耗するということです。血を消耗しても、すぐに気の消耗につながるわけではありません。いやむしろ、血の土台を失った気は、興奮状態に陥ります。そして興奮下で、さらに血は暗耗 (知らぬ間に消耗していくこと) していくのです。血の弱りはあらゆる病気の温床になります。
タブレットは画面が小さく、テレビよりも至近距離で見ます。そのせいか、よそ見をあまりしません。テレビなら家族と会話しながらユッタリ見ることができますが、タブレットはそういう性質のものではないのです。ものすごく集中し、ものすごく目を使うのです。
タブレットの依存による病気は、すでにたくさん経験しています。
IT革命は、第2の産業革命です。
18世紀に起こった産業革命がもたらした影響は、良い影響・悪い影響ともに多大です。まず食物の大量生産・収穫が可能になりました。そしてそれを世界各国に送り届ける流通が盛んになりました。そのため、先進国では飢えがなくなり、かわりに生活習慣病が出てきたのです。温暖化も進みました。これは、産業革命が起こったころは、予想もできなかったことでしょう。今後、予想もできない病気を、IT革命がもたらす可能性は非常に高いと思います。
文明はうまく制御し、それを利用すべきであり、それに操られてはならない。これだけは確実に言えることです。
その四、思う
できるだけ
さて、たくさん健康法を並べました。これらを行ううえで、最も大切なことがあります。それは、完璧にできなくともよい、できるだけの努力をすればよい、ということです。
体は大自然の一部であり、我々の成長を促してくれています。それはまるで優しく厳しい先生のようです。できることなのにサボると先生は厳しく叱りますが、どうしようもないことには目をつむってくれます。そして、できるだけ努力する姿を、非常にほめてくれるのです。
これは空想の話ではありません。臨床で患者さんに真剣に向き合う中で、そうとしか思えないような反応を体は示してきます。
何事も過不足なく
怠けるのも無理しすぎるのも良くありません。食べ過ぎも食べなさ過ぎもいけません。こだわり過ぎるのも無関心すぎるのも良くありません。
すべてにおいて過不足のない「中庸」を得ることが真理です。
全体の中の1個
細胞は一人の人格者
我々の体は組織です。考えてみれば、人間の体は数多の細胞の集まったものです。そしてその一つ一つの細胞は独立した「命」をもっています。これはips細胞の発見によってますます明らかになりました。髪の毛一筋でも、一人の人間になるポテンシャルを持っているのです。
こんな個性をもった細胞たちが、自分勝手な行動をとることなく、協力し合う姿が「この体」なのです。一糸乱れぬ統率には驚かざるを得ません。
大自然は統率されている
実は、これと似たものがあります。この宇宙、この大自然です。次の日食はいつか、次の月食はいつか、ハレー彗星は何年後か。この宇宙は寸毫たがわぬ正確さで営まれています。そして、地球上における命も、食物連鎖という循環を繰り返し、ライオンが増えすぎることなく、シマウマが増えすぎることなく、植物がなくなることなく、地球を維持するために十分な循環を絶やすことがありません。
人体:細胞 = 宇宙:人間
東洋医学は太古から、大宇宙・大自然を、人体と相似関係にあると捉えてきました。その観点に立てば、我々は何のために生きているのか、その答えが見えてきます。各細胞が自分の好き放題に活動するのではなく、一個体のために活動し、その結果として細胞そのものも個体によって養われ守られているように、我々は大自然のなかの一細胞としての働きがあるのです。一つとして、一人として、不要なものはないのです。
孔子はこう喝破しています。
「心の欲するところに従いて矩 (のり) を踰 (越) えず」
(個人の好きなように行動し、全体の規範から外れることなく調和できる。)
我々を形作る一つ一つの細胞そのものに見えませんか? 細胞は考えて行動しているのではなく、やりたいように本能のままにやっている。それがおのずと全体に融和し役に立っているのです。存在する意味を持っているのです。
健康へとつながる道
われわれは、自分勝手な気持ちをもっています。しかし調和したい気持ちも持っています。やりたいようにやった結果が全体のためになっている。全体の成長につながっている。そんな生き方、考え方が、自然の摂理にかなうのです。そう、成長するのです。その成長は、死ぬ瞬間まで続く成長です。
その究極とは、「感謝」そして「謙虚」です。人間にしかできないもの。それが人間としての成長です。
成長…。
植物を見てください。木々の成長は一時たりとも休むことなく、成長し続けます。動物も、進化の過程で姿を変え、能力をみがき成長し続けます。我々人類ははその最も典型的なもので、わずか100年単位で劇的な進化を遂げ続けてきました。1000年前の暮らしと今とでは、どれだけ違いがあることでしょう。
赤ちゃんが誰にも教わることなく寝返りの練習をし、立つ稽古を一心にする姿、生まれながらに持つ「心の欲するところ」を、我々は忘れることなどできないのです。
それが健康へとつながっていく道です。なぜなら健康とは、自然の一側面だからです。
無理でもよい、結果などは二の次です。第一義は、今という瞬間のベストです。
「できるだけ」そうありたいと思います。
がん患者さんで、ごはんを食べなくなる場合があります。「ガンが食べる」と表現する方もおられます。体は弱っていくのに、ガンは成長するのです。不思議ですね。
https://sinsindoo.com/archives/skin-cancer.html#ごはんとガン を参考にして下さい。
お米は「穀気」ともいわれ、正気 (生命力・治癒力) の根幹になります。栄養学どおりなら、米のかわりに砂糖でもOKとなります。栄養学は「物質」を元にした科学から生まれた学問です。「気」を元にした学問である東洋医学は、それとは一線を画します。
米を食べると勇気や気力が湧いてくる感覚を、古人はよく知っていたのでしょう。逆に甘いものを食べると体が重くなります。同じ糖質でもこれだけの差がある、この「感覚」をおろそかにして「人間」は治せないと思います。人間の本質とは「こころ」 (感覚) だからです。「からだ」 (物質) が本質ではありません。
気力がついて、体力がついて、体を動かして、そこで初めておかずの栄養が生きると考えていいと思います。白米は動く力になります。人間、動いてなんぼです。動いてこそ筋肉も血も骨も強くなります。動いてこそ、タンパク質も鉄もカルシウムも役に立ち、生きてくるのですね。