うまくいかなくていい

何事も、うまくいけばいいですね。

でも、「うまくいかなきゃならない」と考えると、それは負担になります。

「こだわり」は大きな負担になります。

たとえば、「眠らなきゃならない」と考えると、どうでしょう。そう思ったほうが眠れるのなら、そう思ったほうがいい。しかし実際は逆で、そう思えば思うほど眠れません。リラックスできないからです。よく眠る人はそういう事は考えていません。

不眠で眠れない人は、「 “眠れなくてもいいや” と考えたほうが得だ」という知識を持つことです。

床に就いてさえいれば、そう考えたところで眠れなくなるということはないですね。むしろ、気負いがないのでリラックスします。リラックスしていれば、眠りに落ちる然るべき時が来たら、すぐに眠りに落ちるでしょう。「眠らなきゃならない」「どうしよう眠れない」などと考えていれば、然るべきときが来ていても、焦って興奮しているので眠れません。

興奮しながら眠ってしまう人などいませんね。

「眠らなきゃいけない」
「眠れなくてもいいや」

どちらが得な考え方かは明らかです。1日や2日眠れなくても全然いい。一週間連続で一睡もできなかった経験がありますが、死にはしませんでした。5分でも意識が遠のけばそれで十分、おおらかに構えることです。

臨床の中で、ぼくはもう少し深いところに気づきました。眠れないのには意味があるということです。夜間工事に似ています。夜、体を横たえて目を閉じているときしか、「気血 (生命力) 」を病巣に集中できない場合がある。フトンで横になっていると、他の器官 (筋肉・目・消化器など) に「気血」を動員する必要がないため、病巣のみに「気血」が集中し、治す力が強く働くのです。眠ってしまうと気血は働きません。だから眠れないときほど体が良くなっているときであると考えています。

うまくいっていないと感じていても、うまくいっていることはたくさんあります。陣痛が来たらみんな喜びますね。これは、陣痛がなぜ起こるか知っているからです。もし知らなかったら、 “うまくいかない” と思い込むでしょう。なにせ今まで経験したことがないような激痛が起こるわけですから。もし、この激痛を赤ちゃんが生まれる前兆だとは知らずに、 “死ぬかもしれない” と勘違いしたらどれだけ苦痛が増すことでしょうか。生みの苦しみは “うまくいく” 前兆なのです。

ただし条件があって、眠れないことを不安に思ったり焦ったりしてはならないということです。焦燥すると、気血は夜間工事に集中できなくなります。それどころか、焦燥の炎を消すために気血は大いに消耗するのです。だから眠れなかった朝は驚くほど体調が悪くなるのですね。

焦燥の炎は生命 (気血) を焼き払います。仏法の「焦熱地獄」はこの事を言ったものです。この炎の正体は執着です。地獄とは自らが生み出すものです。

不妊治療をあきらめて、とってあったベビーカーや哺乳瓶など、何もかも処分したらヒョコッと妊娠した… ということはよく聞く話です。

「眠れなくてもいい」と心の底から信じ込んでいる人は、焦燥 (あせり) がありません。

だから、得なことしかないですね。

ただし、一つだけ神経質にならなければいけないことがあります。それは、時間が来たら床に就いて、目を閉じることです。

早く寝なさい! をご参考に。

時間が来たら床に就くのは、自分でコントロールできるものです。意外と大変な努力です。早く夕食を摂って片付けやお風呂を済ませる。

その努力をできるだけやった上は、体を横たえて「なるがまま」に任せる。眠れるか眠れないかは、自分でコントロールできません。そういうものをコントロールしようとすることは、「自然の理法」に背くものです。だから良くないんですね。

人事を尽くして天命を待つ。
今風にいうなら、「ダメ元」です。やるだけやったらダメでもともと。
老子はこれを「無為自然」と説きました。

自分にコントロールできないものを、コントロールしようしてはならない。
自分にコントロールできないものは、天の神さまに任せるべきものである。

これは人生も同じです。

誰だって成功したいしお金も儲けたい。病気も治したいし、妊娠もしたいし、志望校にも受かりたい。

うまくいってほしい。

「うまくいってほしい」は向上心です。向上心を忘れてはならない。自暴自棄 (ヤケクソ) はいけません。捨て身とヤケクソは似て非なるものです。

だからこそ、いま自分にコントロールできるものに、最大限の努力をはらう。
コントロールできないものは…「うまくいかなくていい」くらいに思っておけばいい。

これは、うまく行っている人も傾聴すべきで、うまくいってるときこそ気をつけるのが、その時々で大切なことです。

うまく行っていない時、この瞬間も “夜間工事” のような何かの修復が行われている。そう信じて損があるでしょうか?

我々は日常の中で常に罪を作っています。食事一つとってもそうですね? 生命をあやめ切り刻んで、これが好きとか嫌いとか言って感謝することもない。そんな罪業をリセットし、まっさらの本来の自分に戻って、世間様に喜んでもらえる仕事をさせてもらう。うまく行かないときは、その準備をしている。その準備は、天の神さまが勝手にやってくれている。

押してもダメなら引いてみな。

焦れば焦るほど、不安に思えば不安に思うほど、うまくいきません。

落ち着いた気持ちで、いま自分にコントロールできることに集中する。

落ち着いた努力が継続できる。

そのうち うまくいくことは請け合いです。

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