診療開始早々、電話が鳴った。
急患である。腹痛と嘔吐が激しい。今朝から突然である。
早く見てあげたいが分刻みの診療である。よって12時に来院をお願いした。
ところが10時ごろまた電話があり、救急車で病院に向かったという。よってこの日の診察はなくなった。土曜日 (2024/11/23) のことだった。
週が開けて月曜日 (11/25) の朝一番、その患者さんから再び電話があった。CT検査の結果、尿管結石だったとのこと。痛いので今日見て欲しい。やはり間がないので、12時に来院をお願いした。
初診… 11/25 (月)
50歳。男性。建築大工。
受付で待っている間、背を丸めてずっとうなだれている。歩くのも腰をかがめて普通に立てない。背中を丸めてトボトボ歩く。
痛み止めの座薬で多少ましだが、とにかく痛い。
水を1日2リットル飲めと病院で言われたが、吐くので飲んでいない。
運動しろと言われたが歩くたびに衝撃で痛いのでできない。
痛いのは左下腹部である。4mmの結石が左尿管にあるとのこと。
11/22 (金)
・棟上げを負えて昼食 (唐揚げ) 後、腹痛が始まる。
・15時、コーヒーを飲んで嘔吐。痛みは継続。
・夕食は摂らずに就寝。
11/23 (土)
・朝食 (パン・コーヒー) 後、嘔吐。
・嘔吐後、経験したことがない激痛となる。当院に電話。
・救急車を要請。
・それ以降、吐くのでほとんど食べていない。水も吐く。
当該患者は3年ほどお付き合いのあった馴染みの患者さんで、ここ2年ほどはご無沙汰になっていた方である。過去につちかった信頼があった。だから尿管結石であっても当院を頼ってこられたのだ。患者さんの駆け込み寺であれ…とは、名医・藤本蓮風先生の教えである。この信頼をさらに強くするか、それとも裏切るか。うーん、こういうのが面白いのである。
中断から2年ぶりの来院、聞けばずっと調子が良かったという。
ベッドであお向けになってもらったが、痛みは変わらない。顔が歪んでいる。
だが問題ない。一つ一つ取っていくだけ。
一瞥して表証 (表寒証) がある。天突に特殊反応があるのだ。
まずはこれから。
・診断当日の風呂 (洗髪も) をやめる。翌日の夕刻以降にする。
・温かいもの (37℃以上) のみを飲食する。
・無用の外出や運動をひかえる。
以上、3項目の注意を与える。すると、即座に天突の反応が消えた。これで表証は解決である。
つまり、石を出すための運動は、まだ早いのである。
水分を取るにしても、温度の低い水は (当該患者に関しては) よくない。
次に、寒府に実の反応を見つけた。防寒に問題がある。
「寒いときはないですか。」
「寒いときがあります。」
「いつですか。」
「フトンの中で、明け方です。」
「パジャマは冬物ですか。」
「はい、冬物です。」
「掛け布団は分厚いですか。」
「はい、分厚い冬物です。」
「暑くないですか。」
「暑い時があるんで、気がついたらフトンを着ていないことがあります。」
「薄いフトンに変えましょう。それなら朝まで着ていられると思います。あるいは薄いフトンを二枚重ねにして、一枚は足元だけ敷いておくとか。」
「ああ、なるほど、わかりました。」
この瞬間に、寒府の反応が消える。
うつ伏せになってもらう。懸枢に実の反応がある。これが尿管結石という矛盾を表す反応であると直感する。表証をとっても寒府をとっても、まだ懸枢はとれていないのだ。
こういう突然の痛み (疝痛) 、これはチューブの流れが一気に詰まったものだ。気閉の一種である。こういう場合は、一日の陰陽の問題はあまりない。つまり、疝痛を起こす直前に何を食べたかとかが問題ではない。通常の一般的な病状は、すべて一日の陰陽のひずみが問題となっているので、一日単位の陰陽を整える。これが、誰もがやっている治療の内訳である。
本症例は一年の陰陽の問題である。つまり、この1年2年の間に痰湿や邪熱はつくられ、塊を作ってきたのである。一年の陰陽の問題は、一日の陰陽を調節しても解決しない。だから、こういう疝痛を即座に取ることは難しいのである。
しかし、切り口を変える。
一年の陰陽を調節すれば、それは不可能ではない。
一年の陰陽の歪みは、どこで診るか。
僕はそれを、内関で診る。
今、内関に実の反応がある。これを取らなければ、懸枢の反応がとれないと直感した。
僕がやる内関の反応の取り方は独特である。絶対的虚実で判断する。
「〇〇さんね、今日からちょっと早く寝ましょか。いま、年単位の歪みが出ています。一日単位で考えるとね、夜 (陰) も寝ないで昼 (陽) 働くってことをやると、体調を壊すでしょ。おなじように冬場は休まないといけないんです。このまま、今の忙しさを続けていると、冬場 (陰;秋分から春分) の活動量が夏場 (陽;春分から秋分) の活動量を上回ってしまう勢いなんですね。だから陰陽が狂って痛みが出たんです。夜はやく寝ると、一日の活動量が抑えられ、冬場全体の活動量も抑えられるので、それでバランスが取れるんです。だからこの冬は早く寝ましょか。」
「ああ、わかりました。」
この瞬間、内関の反応が取れる。
胆石発作… 七転八倒の激痛を回避せよ でも同じ方法を使って治した。キーワードは、
・内関
・冬場の活動量が夏場を越えない
・チューブ
・気閉
である。
早く寝るという決心が内関の反応を取った。ただし、この決心は永遠のものにはなり難い。だから月日が経てば内関に反応が戻る可能性がある。そのとき、また尿管結石が再発するのである。尿管結石は、食事指導や生活指導を行っても50%以上で再発すると言われる。
懸枢はどうだ? うつ伏せになってもらう。やはり。取れている。
症状はどうだ? 立ってもらう。足踏みしてもらう。
「トンッと足をついてください。お腹の痛みはどうですか? 」
「あ、響かないですね。」
「あお向けに寝てください。いま、寝ていてどうですか。」
「ああ、お腹に違和感はありますけど、なんか気持ちいい違和感ですね。」
「気持ちいい? …ああ、お腹が痛くて下痢して痛みが消えたときみたいな?」
「そうそう! そんな感じです!」
尿管結石は人格が変わるくらいの激痛であると言われる。その痛みが、急に無くなったのだろう。だから “気持ちいい違和感” という表現なのだ。
鍼を打つまでに、主要な反応を「養生指導」で取ってしまう。これが当院の特徴であり、真の「原因療法」であると考えている。
あとは体のさらなる調整である。まだ脈は平脈 (正常脈) にはなっていないのである。
百会に一本鍼。5番鍼で20秒置鍼。
百会は衝脈・任脈・督脈・帯脈すべてに効く。つまり陰陽五行・五臓六腑・十二経絡すべてに効くのである。ただし、マネをしても効かない。こういう使い方をするためには、病因病機を真に理解する必要があると思う。各種弁証法はそのためにあるものに過ぎない。陰陽は百にして一に帰する。100ある理論を勉強して、それを1にまとめる力があってこそ、百会一穴をあらゆる病気に運用することができる。
「明日、仕事に行けますかね…。」
「うーん、まだ早い。明日も来てください。」
「分かりました。」
平気な様子で、普通に歩いて受付を済ませて帰っていった。
2診… 11/26 (火)
腹痛なし。違和感はある。
まだ結石は出ていないのだ。4mmの結石なので、自然に尿から排泄される。排泄されたら肉眼で見えるので、それを確認したら治癒となる。それまでは違和感は残るだろう。
食事はいつもの半分量食べれており、吐いていない。
懸枢に反応なし。これでいい。
天突・寒府・内関にも反応は出ていない。
百会に5番鍼、1分間置鍼。
まだ、正気が邪気 (結石) に戦いを挑んで勝てる状況にはないと見る。正気を強くすることが今日の目的である。
脈診で判定し、ウォーキング30分を指導する。
「明日から仕事に行きます。」
「分かりました。明日は休診なので、あさって来てください。」
3診… 11/28 (木)
まだ下腹部に違和感がある。
食欲は通常に戻った。
百会に5番鍼、5分間置鍼。
右臨泣に5番鍼で瀉法を行う。
前回は、正気 (川の水量・流れの速さ) が弱く、邪気 (結石) を押し出せずにいた。だが治療によって正気が増してきて、やっと正気が邪気に戦いを挑んで勝てるところまで来たのである。だから臨泣が反応してきたのだ。
百会に鍼を打つ前から、左右臨泣に実の反応があった。しかしツボは沈んでおり、僕の腕では取ることができない。百会に鍼を打つと、左の反応が消え、右の臨泣のみが残った。正気が強くなり邪気が弱くなった (邪気が1か所に追い込まれた) からである。しかもツボが浮いており (生きたツボの反応) これなら僕のヘタな鍼でも取ることができる。そういう状況を作ってから、一気に臨泣で仕留めるのである。臨泣は瘀血 (カチカチ) を痰湿 (ドロドロ) に変えて循環ルートに乗せ、排出する働きがある。
4診… 12/2 (月)
今朝、目がさめたら下腹がスッキリしていた。
おそらく臨泣が効いた。
昨日の夜はまだ違和感があったという。
夜中におしっこに行ったというが、寝ぼけていて結石が出たかはよく分からない。
うーーん、しかたない。たぶん、その時に出た。
ちょっと中途半端だが、臨床とはこんなもの。
現在19時、朝から12時間経過し労働もこなして何の違和感もない。
これで治癒とする。
まとめ
尿管結石は過去にも何度か経験がある。そのときもポイントは腰背部 (脾兪から腎兪) だった。過去の下手くそな僕なりに、一生懸命に体を診て得た経験が、今回の速やかな治癒につながったと思う。
それにしても、救急車を呼ぶ前に僕のところに来ていたらどうだっただろう。
尿管結石による疝痛と見抜けたか。尿に異常がなかった本症例では、その自信はない。西洋医学で救急で診てくださった先生は、CTで尿管結石を見破られたが、いろんな可能性を視野に入れた中で尿管結石もその一つとして頭にあったと思われる。でないと画像があっても解析できないだろう。
急患で腹痛に身悶えする、尿管結石だと気が付かなくても、ぼくなら痛みを軽減できたかも知れない。しかし、それでいいはずはない。中医学なら「石淋」 (尿路結石) という「弁病」ができなければならないのである。「腹痛」や「嘔吐」という弁病では誤りである。しかし、尿に異状がない状態で石淋という診断ができたかどうか。尿管結石で来られた患者さんは、これで3例目に過ぎない。
- 5:2で男性に多い。
- 30〜50歳代男性に多い。
- 女性の場合は閉経後が多い。
- 腰背部・側腹部・下腹部の激痛。
- 夜間や早朝に起こる場合が多い。
- 結石が膀胱に達すると、残尿感・頻尿・排尿時痛といった膀胱炎様症状が出る。下部尿管結石でも頻尿や残尿感が起こる場合がある。
- 血尿を伴うことが多い。
- 腎盂腎炎を併発すれば発熱 (38〜40℃) する場合もある。
- 結石が4〜5mmならば自然に排泄される。
- 結石が5〜10mmならば確実とは言えないが1ヶ月以内で自然に排泄される場合がある。
- 結石が10mm以上ならば自然に排泄される可能性は低い。
- 自然排泄のために2L/日の水を飲む。また運動する。
- 自然排泄されない場合は結石破砕術を用いる。
本症例のような、腹痛・嘔吐のみのの患者さんが急患で来たら、さまざまな疾患を疑うべきで、たとえ鍼でましになったとしても、確定診断 (弁病の確定) は画像診断によるしかない。弁病が分からないと最も困るのは、予後が分からないことである。5mm以下の結石なら最後はおしっこといっしょに出てくるので、注視しておいてください。その指導がどれだけ大切なことか。
これは、病因病理に大きく関わる。こういう重症例になると西洋医学的な病因病理も押さえておかないと、予後の見通しがつかない。
見通しがつかなければ不安である。僕が安心できない。僕が安心できなければ、患者さんが不安になる。不安なのに治すことなどできない。病気とは安心がもっとも効くものだからである。
例えば脈診だけやっていても、症状は取れる。僕も最初はそれでやっていた。しかし40歳のころ、崩漏 (子宮からの大量出血) の患者さんを診たことがきっかけで、修正を迫られた。この出血が、あったほうがいい出血なのか、止めるべき出血なのかということが、僕の脈診の腕では分からなかったのである。脈診を鍛えてもわかるかも知れないが、崩漏という病気について勉強し理解を深めることのほうが近道だし、なによりも患者さんに説明がしやすいと思った。
それからである。脈診だけに頼らず、他の所見をも重視するようになったのは。
まず問診である。問診ができるためには中医理論を治めている必要がある。
そして切経である。問診と紐づけしていくことで飛躍的に正確なことが言えるようになった。
そして今、西洋医学の勉強が、病因病理を詳らかにするうえで非常に大切であると考えている。
もっと、安心したい。
だからできるだけ、勉強を続けるのである。
表面的には調子が良かったかも知れないが、内実はそうではない。尿管結石は痰湿に邪熱が加わったものである。痰湿は餅だと考えればよく分かる。餅は最初は柔らかいが、放っておくと鏡餅のようにカチカチ (瘀血) になる。それを、さらにフライパンで熱すればもっとカチカチになるだろう。それが結石なのだ。そういうものを作りつつある状態が “いい状態” と言えるだろうか。自覚がなかっただけで、体は刻々に悪いものを作っていたのだ。危険な状態なのに自覚がない状態。これをぼくは “疏泄太過” と呼んでいる。当該患者は疏泄太過になりやすい体質であることは、以前診察していたときにも把握していた。
中医学は湯液 (問診) に偏りすぎている。だから僕の言う “疏泄太過” という概念がない。鍼灸の切経を取り入れなければ、無証可弁はいつまで経っても実現できない。