排尿障害…東洋医学からみた7つの原因と治療法

排尿についての症状が主訴になることは、少なくありません。ここでは、残尿感・尿道の痛み・小便が出にくいなどを中心に考えたいと思います。簡単に言うと、おしっこが出にくい。パッと思い浮かぶのは膀胱炎や前立腺肥大症。経験した方も多いのではないでしょうか。重症になると小便が出ない。腎不全などがあげられます。

軽症であろうが重症であろうが、東洋医学ではあくまでも、尿がなぜ出ないかを東洋医学的に考え治療します。どのように診立てて解決していくのでしょうか。

そのまえに、排尿の生理を考えます。病気を知るには健康を知っておかなければならないからです。

一般的な視点

まずは、中学の理科でも学ぶ排尿のメカニズム、それはこうです。口から飲食物が入り、大小腸で吸収され、血管に入って肝臓で無毒化され、再び血管に入って腎臓の毛細血管でろ過され、膀胱に送られて排尿となります。

これは人体を物質的に見、水分を物質的に見た時のルートの順番を大まかに述べたものです。

東洋医学の視点

東洋医学は人体を物質とは見ません。機能と見ます。

機能とは何でしょう?
砂糖の「白い粉」が物質、
砂糖の「甘さ」が機能。
白い粉がないと、甘さは生まれません。
一方、白い粉がいくらあっても、甘さがなければ意味がありません。

砂糖の甘さは機能です。この甘さを、画像化したり化学式で表現したりすることはできません。
なめてみないと分からない。直感的なものです。

白い粉は実体。甘さは実用。実用は直感的で、表現しづらい。でもこれがないと意味がない。脳 (物質) とこころ (機能) の関係もわかりやすい例です。

東洋医学は、この直感的かつ表現困難なものを基礎に置きます。
これが気の医学と言われるゆえんです。
気とは、機能のことです。

ですから、排尿に関しても、物質的な管のルートをたどることはしません。
東洋医学は物質的にではなく、機能的に排尿という現象を説明します。この説明は非常に大切で、病気に対して、より機能的にアプローチする切り口が生まれてきます。なぜ機能的なアプローチが必要かというと、病気は物質ではなく機能だからです。

東洋医学の説明をできるだけわかりやすく説明してみましょう。砂糖をなめたことのない人に甘さとはどんなものかを伝えようとする挑戦です。

脾臓・腎臓・肺臓

まず、飲食物が口から入ります。飲食物は脾臓という機能の中に入っていきます。
脾臓とは、消化・吸収・栄養機能です。つまり、

飲食物が口から入ります。その後、胃腸にはいり、栄養豊富な液体 (以下、栄養液と呼ぶ) がこしとられます。栄養液は全身をめぐり、各細胞にエネルギー源として供給されます。各細胞はこのエネルギーを使って活動し、その結果として栄養液は消えてなくなります。また、栄養液をこしとられたカスは大小便として排出されます。

この一連の働きを脾臓と言います。脾臓の働きは土をイメージすると分かりやすい。

土には保水力がありますね。川が絶えることなく流れる様子をみても、いかに大量の地下水を保持しているかが分かります。これと同じように、脾臓にも飲食物のエネルギーを垂れ流しにせず、とどめておく力があります。
また土には澄んだ地下水を生み出す力があります。澄んだ有用なものと濁った不用なものに分け、有用なものだけを循環させます。同じように脾臓にも有用な栄養分や澄んだ水分のみをこし取り、体内に循環させる力があります。

土とは、地球規模の地質学的に考えると、地球のわずかな表面のみを覆う粉塵の堆積したものです。しかし、この土が命にとって非常に大きな役割を果たします。追って見ていきましょう。

一つ注意すべきことがあります。脾臓・肝臓・腎臓・胃・膀胱などの名はもともと東洋医学の言葉で、何千年も前から用いられています。杉田玄白がその名称を用いて以降、概念が違違うものとなりました。誤解のないようお願いします。現今用いられる臓器名称のイメージを取り払って読み進めてください。

さて、吸収された栄養液は体の循環のルートに乗り、全身をめぐります。
そのイメージは陸海の水が蒸発し、天空で雲となり、雨となって土に降り注ぐ…そういうふうに考えます。陸海の水を蒸発させる力を腎陽といいます。腎陽とは腎臓の一側面です。また、天空から雨を降らす雲の力を肺臓といいます。

詳しくは「浮腫…東洋医学から見た5つの原因と治療法」をご参考に。

もう少し詳しく考えます。

大自然の循環

気化

腎陽は地温あるいは海水温とよく似ています。まとめて地熱といった方がいいかもしれません。地熱は地球そのものの温度でもあり、太陽の影響を受けての温度でもあります。気温と比べるとあまり大きな変化はせず、恒常性があります。そういう機能が我々の踏みしめる足元のはるか下にあり、上は天空の雲、そのはざま (中) に「土」があって地下水を蓄え、海水を湛 (たた) えています。地熱の力 (温煦) によって、水分は水蒸気として大気中に蒸発します (気化) 。こういう力が腎陽です。

宣発・粛降

蒸発した水蒸気は、冴えた冷たい上空で、再び水滴となり雲を作ります。雲になったからと言って、水はすぐにドスンと落ちてくるわけではありません。少しずつ雨粒を落とし、その間に雲は広がったり移動したりして (宣発) 、ザーザーとあまねく各所々々を潤そうとします。しかもその間、雨粒は大気中の粉塵をまといながら地上に落下 (粛降) するので、空気は不純物のない澄んだ状態となります。こういう力が肺臓です。

運化と昇清・降濁

落ちた水は土に降り注ぎます。土は不純物を含んだ雨水を吸収して留め (制水) 、清水と汚濁に分けて (昇清・降濁、あるいは泌別) 、清水を地下水としてめぐらせます。

そればかりか、土のいたるところに、まるで網の目のように水を行き渡らせます (運化) 。土は表面が乾いているように見えても掘ると湿っていますね。しばらく雨が降らなくても、大地のいたるところに雑草が育っているのはその証です。毛細管現象のような力が働いて水を上に持ち上げている (昇清) からです。

この力がどれくらい不思議ですごいものか。しなびてうなだれた草花にジョウロで水をやるとピンと元気になりますね。植物には心臓のようなポンプがないにもかかわらず、100mもの高さのある樹木でも、先端まで水は供給されます。これは現代科学でも説明できないそうです。人体でも、毛細血管をつなぎ合わせると地球2周半の長さがあるといいますが、心臓のポンプのみでは説明しがたい力があるのです。これらの力を総称して脾臓といいます。

こういう働き、すなわち、保水した水をジワジワ持ち上げる力によって、水は地表までたどり着き、地熱によって蒸気として上に持ち上げられ、天空の雲となって大地に雨を降らせます。このサイクルを繰り返すことで、大気は清新さを保ち、大地は潤いを保ちます。その大気と大地のはざまで、命が育まれます。古代中国人はこの一連のストーリーを人体の中に見ました。

人体の循環

腎と肺の循環

肺臓は上にあって天空の雲と相似する。
腎臓 (腎陽) は下にあって地熱と相似する。
脾臓はそのハザマ (中) にあって土と相似する。
ちなみに、太陽は心臓と相似します。

吸収・精錬され生まれた栄養液は、土である脾臓にあって、網の目のようにジワジワ行き渡らせる脾臓の力 (運化) と、下にある腎陽の力 (気化) とで、上にある肺臓まで持ち上げられます (昇清) 。肺臓に持ち上げられた栄養液は、全身にあまねく降り注ぐように全身を潤します (宣発・粛降) 。潤す中で、様々な老廃物をまといながら再び腎臓に戻ります。腎臓は蒸発して有用なものと無用なものとに分け (気化) 、有用なものは再び肺臓に持ち上げられ、無用なものは膀胱の力で排出します。膀胱は六腑の一つです。

腎陽と膀胱は夫婦のような関係で、共同して尿を作り排出します。両者は共同して水を温め水蒸気や蒸留アルコールのように精錬されたものを作り、これを上に持ち上げ、それと同時に残ったものが作られます。これが尿で、膀胱の腑に一定量ためられたのち排泄される。この一連の流れを「気化」といいます。精錬されたものを作るのは腎陽、尿を作るのは膀胱、便宜上このように考え、分かりやすくするために腎陽の気化と、膀胱の気化に分けています。また、精錬された有用なものを「清」、残りの無用なものを「濁」といいます。清は軽く上に昇る性質があり、この性質を昇清といいます。濁は重く下に降る性質があり、この性質を降濁といいます。

現代の日本語で、気化という言葉は液体が気体に変わることをさしますね。東洋医学では気化という言葉は、2000年前の書物「黄帝内経」という医学書のなかで既に用いられています。もともと古代からある医学用語で、気化とは体の中で機能や物質が作り替えられることを指します。詳しく言うと煩雑になるので省きますが、ここでは体液を精錬されたもの (清) と不要な尿 (濁) に作り替えることを気化と呼んでいます。

これも余談ですが、肺臓は清粛の気を持つと言われます。これは上空の冴えた冷たい空気のイメージです。肺臓は、西洋医学でいうところの肺呼吸や皮膚呼吸の機能も兼ねており、肺や皮膚に接する空気はは体温より温度が低い関係上、温度が低いということが言え、気温が低く冴えわたった天空の清粛の気と相似関係としてみたのかもしれません。

脾臓の循環

さきほど、脾臓について簡単に説明しましたが、もう少し詳しく掘り下げて考えてみましょう。

脾臓には上に持ち上げる力があると言いました。実はこのとき同時に、脾臓の清濁を分ける機能が働きます。腎・膀胱にも清濁を分ける力がありましたが、脾臓もこれを持っています。

例えば泥水をグラスに入れてしばらく待つと、上澄みと沈んだ土に分離します。土が下の卑しい位置に進んで降ることにより、上澄みという高貴なものができます。土にはそういう性質があって、土という存在そのものが清なるものを生む力を持ちます。これは地球と大気の関係も同じです。宇宙に散らばる粉塵が集まることで地球 (大地) ができました。大地ができると同時に天空という清なるものが生まれます。大地 (土) は天の生みの親なわけです。進んで縁の下の力持ちになる人がいないと、上に立つ人も存在しない。同じく、土が土たり得なかったならば、清なるものは生まれません。

土は、清を生み出します。清は上に昇る性質があります。そういう清を生むということは、イコール清を持ち上げるということになります。また清が生まれるということは濁が生まれるということ。つまり清を上に持ち上げると同時に、濁が生まれ下降します。逆に言うと、清を持ち上げられなければ、濁は存在せず、下降もできません。清を持ち上げられず、濁を下すことができなければ、尿は出なくなります。出たとしても体外に出すべき毒が出なくなります。ちなみに糞便も濁です。でも食べたものがそのまま下痢として出た場合は濁が下りているとは言えず、清濁混淆のものが流れ落ちているにすぎません。健康的な糞便は濁が下りています。

ここで間違いやすいのは、脾臓という機能の所在です。消化器つまり口から肛門につながる管も脾臓ですが、体中にある一つ一つの細胞もそれぞれ脾臓を持っています。我々の体と同じように、細胞は栄養液を受け取り、老廃物を排出しています。純粋に人体を機能としてみたとき、解剖学的な胃腸とか腎臓とか膀胱とか血管とかを度外視して、清を上に濁を下に分けようとする姿が見えてこないでしょうか。物質的解剖学と機能的生命学との見方の違いです。

清とは精錬された体に有用なもの。濁とはそれ以外の不用なもの。飲食物や空気という清濁混淆のものを取り込み、われわれは常にそれを清と濁に分けて秩序だった生命を営んでいます。清はもちろん純粋ですが、濁も純粋な濁です。ゴチャゴチャしている状態が生命にはよくありません。キチッと分けることにより、秩序と循環が生まれます。

腎と脾は持ちつ持たれつ

肺腎の循環は、上に肺臓があり、下に腎臓があって循環が起こる様子を説明しました。その過程で清なるものが蒸発して上に昇り、濁なるものが尿として下降すると説明しました。
脾臓の循環は、清濁混淆の飲食物を口から取り込み、濁なるものを下に沈める力により、清なるものが上に昇り、清濁を仕分ける様子を説明しました。清なるものはさらなる食欲・消化・吸収の力となって、再び飲食物を体外環境から取り込んでは清・濁を分けることを繰り返す。そういう循環がありました。

まとめて俯瞰すると気づくように、肺腎の循環は、体の中のみでの循環です。
一方、脾臓の循環は、体内環境と体外環境の循環です。人間は植物や動物を食物として口から取り込み、それを清濁に分けて濁を自然界にもどします。それは植物をはぐくむ肥しとなり、動物はそれを食 (は) んで肉をつくり、それら動植物から選び抜かれた肉や野菜を、再び人間が摂取します。
このように、肺腎・脾臓のそれぞれの循環は、循環の枠が違います。
しかし次元を異にしながらも、一方が他方をサポートしあう関係にあります。腎陽の温かみがないと土の毛細管現象に相似する脾臓の運化は働きません。また、脾臓の清濁を分ける力がないと、清なるものが循環する肺腎の循環はそれ自体成り立ちません。

両者に共通する大切なことは、清と濁を分けるという作業です。

そもそも腎臓とは、生命誕生に係わるエネルギーを指します。このエネルギーは神秘的なもので、我々は、未だに物質から生命を人工的に作り出すことができません。このエネルギーがついえた時が死です。有限ともいえるこのエネルギーは、子々孫々に受け継がれて無限とも言えます。
一方、脾臓は生命誕生以降、その命をつなぐ飲食物のエネルギーを得る力です。受精卵もこのエネルギーを使って細胞分裂を繰り返し、やがて1メートル以上もある体まで成長します。このエネルギーが得られなくなったら当然死にます。
このように、生命は、腎臓と脾臓の二本柱です。この両者はいろんな面で持ちつ持たれつの関係にあります。

上記のような循環がうまくいかなくなると病変がおこります。これらを踏まえて、排尿障害はどのようにして起こるのか見ていきましょう。

淋疾・癃閉

東洋医学では、尿が出にくい病態を淋疾 (りんしつ) と癃閉 (りゅうへい) の2種類に大別します。

淋疾と癃閉という病態は、必ずしも単独で起こるとは限らず、二つが合わさった病態もあり得ます。

淋疾とは…

膀胱や尿道に違和感・残尿感、あるいは痛みがある。何度も小便に行きたがるが一回量が少なくスッキリ出ない。ただし一日の尿量の合計は正常。必ず東洋医学的膀胱に熱がある。膀胱炎や前立腺肥大症はその代表です。

癃閉とは…

違和感・痛みなどはない。単純に尿が出ない。一日の尿量が少ない、または全く出ない。おおくは西洋医学的腎臓に問題があります。浮腫を伴うことがあります。

さて、これを踏まえて項目別に整理します。

原因と治療法

1.膀胱湿熱

原因

①食べ過ぎがあるにもかかわらず、運動不足だとします。食べたものは脾臓の泌別機能で消化吸収しますが、運動が不足すると栄養液が消えてなくなりません。つまり、昇清・運化が貫徹できません。使われずに存在するだけの栄養液は無用のものであり、それどころか流れてやまない体の循環の妨げになる邪魔ものです。この邪魔もの化したものを「痰湿」といいます。

痰湿は居座ると気の滞りである気滞を生み、気滞は緊張となって熱を生じます。こうして痰湿に熱を帯びたものを「湿熱」といいます。

このように湿熱は必ず気滞を伴い、体の循環を妨げながらも、自らも体のあちこちを遍歴し、もし下に弱りのある体質の人なら下の膀胱に移動してそこに居座ります。この現象を「湿熱下注」といいます。湿熱下注となると、膀胱に湿熱が居座るわけですから、強い気滞によって膀胱の気化ができなくなります。

②また陰部を不潔にしていると、陰部で湿熱を直接形成し膀胱湿熱となる場合もあります。

症状 (共通)

淋疾・癃閉を問わず、膀胱湿熱で見られる特徴は…
●排尿時に尿道が熱い。口が苦い。
≫尿道が熱いのは下焦に熱があるからです。口が苦いのは中焦に熱があるからです
●下腹が張る。
≫気滞が膀胱にあるときの症状です。痰湿によって気滞が引き起こされます。
●尿の色が濃い。便秘。
≫熱が盛んになると体液そのものを煮詰めます。そのため尿色が濃くなり、大便は硬くなります。
ご飯でいえば少しおこげがあるくらいが炊き具合がいい。おしっこでいえば少し薄黄色くらいが腎陽の温め具合がいい。ご飯の焦げすぎもおしっこが黄色すぎるのも熱が強すぎるというわけです。

以上は淋疾・癃閉を問わず、共通してみられる症状です。

症状と治療法 (淋疾)

淋疾のみに見られる症状を挙げます。

●小便に頻繁に行きたがるが少ししか出ない。排尿時に熱く刺すような痛みや違和感がある。
≫湿熱は膀胱そのものに気滞をもたらし、一回排尿時の尿量減少が起こったり、痛みや残尿感が自覚されて何度も小便に行きたくなったります。気化とは気の一種。気滞は気の停滞。気とは機能のことでした。気滞があれば当然、気化はうまくいかず、排尿障害となります。

●悪寒がしたり悪熱がしたりする。吐き気がする。
≫悪寒がしたり悪熱がしたりするということは、陰 (寒) と陽 (陽) の境界 (少陽) がぼやけているということです。境界がぼやけると、どちらかにハッキリしません。邪気の勢い (陰) が強く、正気の力 (陽) に並ぶ勢いなので、境界が侵されます。この場合の邪気とは邪熱のことで、気分と営分の間にある陽分と陰分を分ける境界に邪熱が迫る勢いで、気分の非常に深いところに邪熱が侵攻しています。ですから少陽病的な寒熱・嘔気など、激しい症状となります。

また、こうも言えます。淋疾の場合、もともと下に弱りがある、つまり腎臓の弱りがある。腎臓は腎陰と腎陽の2つを蔵していて、相対的に腎陰は内を守り、腎陽は外を守ります。つまり腎臓が弱ると、内は熱を持ちやすくなり、外は冷えやすくなる。腎臓が弱いと冷えは浅いところに浮きやすく、熱は深く深く侵入しやすくなるということです。また、腎臓が弱ると下の求心力が弱くなるので、上に気が昇って嘔気しやすいということも言えるでしょう。
※「陰在内,陽之守也。陽在外,陰之使也。」《素門·陰陽応象大論》

●腰痛拒按
≫湿熱が腎臓という臓腑を犯している症状です。臓腑経絡は陽分と陰分を分ける境界です (私見) 。なので下焦の少陽に入ったとも言えるでしょうか。

※ストレスによる淋疾

ストレスなどで心・肝の滞りや熱がある場合、食べ過ぎが重なると容易に小腸・胆の湿熱となり、こうした小腸や肝胆の湿熱が膀胱に移行して膀胱湿熱となる場合もあります。小腸とは泌別機能のことで清濁を分ける働きがあり、肝臓は陰部と関係が深く、両者とも膀胱湿熱になりやすくなります。

治療方針 清热解毒・利湿通淋
鍼灸   後渓・少沢・上巨虚・臨泣・霊台など
漢方薬  八正散など

その他の膀胱湿熱 (淋疾のみ)

以下の①~③は、膀胱湿熱による淋疾の症状に+αのあるものです。

①石淋 (尿路結石)

●尿に砂のようなものがまじる。尿の出渋りがひどく、突然止まったりする。尿道・下腹・腰の痛みは忍び難い。尿に血が混じることもある。
≫熱が盛んになると体液そのものを煮詰めますが、膀胱の熱が長期に渡ると尿を煮詰めて結石を生じる場合があります。

治療方針 清热利尿・通淋排石
鍼灸   霊台・陰陵泉など。出血があれば血海で涼血し、血塊が認められれば三陰交で活血する。
漢方薬  石韋散など

②血淋 (血尿)

●尿の色は深紅。血の塊が混じることもある。痛みは激しい。気持ちが落ち着かず煩躁する。
≫熱が激しい場合、熱は血に肉迫する場合があります。この時、血は熱を得ると動きやすくなるという性質から、動きに歯止めがきかず血管を破って出血します。熱が激しい分痛みは強く、陰分に熱が迫るため煩躁します。

治療方針 清熱通淋・涼血止血
鍼灸   後渓・少沢・霊台・血海など
漢方薬  小蓟飲子など

③膏淋 (白濁尿) …湿熱>腎気虚

●尿が米のとぎ汁のように濁る。置くと白いものが沈殿し、上澄みには油が浮く。塊や血が混じることもある。
≫膀胱湿熱が長らく気化を妨げ、清濁を分けることができないと清濁混淆のままの白濁尿となる場合があります。

治療方針 清熱利湿・分清泄濁
鍼灸   後渓・陰陵泉・脾兪・上巨虚など
漢方薬  程氏革藓分清飲など

症状と治療法 (癃閉)

●小便が少ししか出ない、またはまったく出ない。
≫湿熱が膀胱に入り、膀胱の気化ができなくなった状態です。長らくこの状態が続くと、もだえ苦しみ、口から尿の匂いがし、ひどいと意識障害を起こします。
●下腹が張る
≫膀胱に湿熱があるということは気滞があるということです。張るのは気滞があるからです。膀胱に熱があって張った違和感があるということは、淋疾の特徴も少し兼ねているといえます。

治療方針 清熱利湿・通利小便
鍼灸   後渓・少沢・上巨虚・臨泣・霊台など
漢方薬  八正散など

※命門の火

癃閉では、体質的に命門の火が盛んで湿熱がもとからある場合、湿熱が膀胱に移行し、癃閉となる場合もあります。大食漢で血気盛んで体ががっちりして毛髪が薄く体毛が濃い男性が排尿障害を起こすのをイメージすればいいでしょう。

2.肝鬱気滞

原因

肝臓とは、条達する働きのことです。西洋医学でいう肝臓とはだいぶ違いますね。

条とは「すじ」「みち」、つまり条達とは、まっすぐに到達する力です。イメージとしては木々の新芽がまっすぐ青空に向かって伸びていく姿。非常に爽やかですね。肝臓はそういう雰囲気のもと、条達を貫徹させます。血液循環・呼吸によるガスの循環・腸内の飲食物の循環、尿が排泄される循環など、実はすべてに肝臓という条達機能が働きかけており、これらがスムーズに行われることを可能にしています。

上に説明した、腎と肺の循環も、条達機能が大きく関わっています。もし、この条達ができなくなると、いくら腎や肺が正常でも排尿障害が起こります。腎と肺の循環は気化が最大のエンジンとなっており、循環できない (条達できない) と気化エンジンは働けなくなります。当然、気化ができないと排尿できません。

肝臓のもう一つの側面は、陰部と非常に結びつきが強いということです。前陰部・乳頭など、性的な役割を果たす部分は肝臓の支配下です。おや?条達とはイメージが重なりませんね。
実は、条達のバックにはものすごく荒々しい力が隠れています。でないと木々は枝を伸ばすことなどできません。その力の根源は前陰部にあるという考え方を東洋医学はします。確かに性的機能が旺盛な年代は、仕事もバリバリするし、筋力も気力も強い。荒々しい力が旺盛なのです。これは前立腺肥大あるいは癌がなぜ中高年に起こるかという意味を示唆しています。
先ほど肝臓とは条達機能のことだと言いましたが、より本質的に言うと、肝臓とは荒々しい力の根源です。これを東洋医学では「将軍」に例えます。国を憂い思う、心優しき将軍。敵の襲来に備え、一朝ことあらば軍隊を指揮しまっすぐ敵に向かう。猛々しくも爽やか。そういう将軍の本拠地が前陰部にあるということです。

この肝臓が一番嫌うのはストレスです。ストレスは「考え方」次第で大きく減らせるもの。この「考え方」を「心臓」といいます。心臓は君主に例えられ、君主は将軍の心のよりどころであり、将軍をねぎらいいたわる人です。将軍も守ってもらわねば立つ瀬がないということですね。人それぞれで異なる考え方、「こころ」。実は、考え方・心の持ちようこそが肝臓が正常であるためのカギなのです。君主が悪徳だと、将軍も烈火のごとく怒り狂った猛獣のようになってしまいます。ストレスは肝臓を自分勝手な将軍に変えてしまい、条達は滞ります。

話が飛びましたが、肝臓がなぜ陰部とかかわりがあるかという説明でした。陰部との関連は排尿障害に結びつきます。

ストレスにより、肝臓が本来持つ働きができない状態を肝鬱気滞と言います。排尿障害が起こる原因となります。

症状 (共通)

淋疾・癃閉を問わず、肝鬱気滞で見られる症状は…
●イライラし怒りっぽい。

症状と治療法  (淋疾)

●小便が出渋る。下腹が張って痛い。
≫ストレスで肝臓の条達が滞り、滞りは熱を生み、その熱は肝臓とかかわりの深い陰部の周辺に停滞し、下腹の痛みが出ます。膀胱にも熱が波及し、膀胱の気化ができなくなり、小便が出渋ります。

治療方針 疏利気機・通利小便
鍼灸   百会・行間・肝兪・後渓・蠡溝・照海など
漢方薬  沈香散

症状と治療法 (癃閉)

●小便が出ない、あるいは少ない。
≫腎と肺の循環を助けていた肝臓の条達が低下し、結果として膀胱の気化ができず、小便が出なくなります

治療方針 疏利気機・通利小便
鍼灸   百会・行間・肝兪・後渓・蠡溝・照海など
漢方薬  沈香散

3.脾臓の弱り

原因

脾臓の循環が弱ると排尿障害になります。
①淋疾…膀胱湿熱が長引くと、脾臓というエンジンに負担がかかり、エンジンそのものに弱りが出て、それが主要矛盾となって淋疾が起こります。
②癃閉…動きすぎ・動かなさすぎ、飲食の摂り過ぎ・摂らなさ過ぎ、久病・虚弱体質は、脾臓の弱りを起こして癃閉となるものがあります。

症状と治療法 (淋疾)

●小便がピタッと止まらずポタポタ出る。
≫脾臓には保水する力 (制水機能) があります。これらが弱るとポタポタが止まりません。

●下腹が下に墜ちるような不快感を伴う張りがある。
≫先ほど述べた膀胱湿熱による淋疾が長期に及ぶと、脾臓に負担がかかり弱りを来たします。脾臓の弱り>湿熱 の状態です。膀胱湿熱の特徴である下腹の張りや尿道の痛みよりも、このような独特の下腹の張りが主となります。脾臓には制水機能に代表されるように、抱きかかえて下に流れ落ちないようにする働きがあり、これが弱ると下にさがるような、しんどい不快感が出ます。

●顔色が白い
≫脾虚で栄養状態が悪いことを示します。ただし、呼吸が浅く声が小さい・前向きになれない・食欲不振などの脾虚の顕著な症状はハッキリしません。湿熱を相手に戦う脾気はあると見ます。

※血淋 (血尿)  

●尿に血が混じる
≫脾臓の弱りによる淋疾に、血尿という+αがあります。脾臓には、保水して水が流れ出ないようにする働きだけでなく、血液を含む体液そのものが流れ出ないように統制する働きがあります。これが弱ると血尿となることもあります。淡紅色の血尿がでます。

隠白に反応が出るので、この反応を消すように治療します。

治療方針 益気昇提
鍼灸   脾兪・中脘・陽池・太白・足三里など
漢方薬  補中益気湯

症状と治療法 (癃閉)

●前向きになれない・食欲不振・呼吸が浅く声が小さい。
≫生命力の本質は推動力 (前に進む力) です。精神的にも肉体的にも前に進む力がなく、気持ちも食事も滞ります。声にも力がありません。生命力は脾臓と腎臓が二本柱だと言いました。そのうち一方の柱である脾臓がハッキリと弱っている状態です。

●小便がしたいが出ない。出たとしても量が少なくすっきりしない。
≫食欲不振で小便が出ない…つまり体の細胞に入ってくるものも少ないし、細胞から出ていく量も少ないという状態です。土に例えると、ドロドロしていて上げも下しもできない状態と言えます。

●下腹が下に墜ちるような不快感を伴う張りがある。
≫制水機能の抱きかかえる力は、上に持ち上げる昇清機能でもあります。これらができないため、下にさがるような、しんどい不快感が出ます。

治療方針 昇清降濁,化気利水
鍼灸   脾兪・中脘・陽池・太白・足三里・百会など。上に気を持ち上げる。お灸も適宜用いる。
漢方薬  補中益気湯合春沢湯

4.腎臓の弱り

原因

腎と肺の循環が弱ると、排尿障害となります。この循環のメインエンジンは腎陽です。

①たとえば膀胱湿熱が長引くと、腎陽というエンジンに負担がかかり、エンジンそのものに弱りが出てきます。湿熱とは湿と熱です。湿は水であり、水が余って多くなりすぎると腎陽に負担がかかります。

熱が長引くと、腎陰に負担がかかります。腎陰とは腎臓の一側面であり、陰とは生命力の一側面で、クールダウンする力です。この力がないと生命は陽 (ヒートアップする力) に偏り過ぎ、猛火が野を焼くごとく生命を焼き尽くします。もちろん、陰に偏り過ぎても生命は活動する力を失ってしまいます。陰陽のバランスこそ生命そのものなのです。腎陰が弱ると、陽が勝って熱が生じます。この熱は腎陰という生命力の弱りによって生じた熱で、虚熱と呼ばれます。

②湿熱が長引いて起こるもののほかに、生まれつき体質が弱いために腎臓が元々弱く、排尿障害となるものもあります。また、セックスのし過ぎで腎臓の弱りを来たし、排尿障害となるものもあります。老化によって腎臓の弱りを来たし、排尿障害となるものもあります。

症状 (共通)

淋疾・癃閉を問わず、腎臓の弱りで見られる特徴は…
●足腰に力が入らない。

≫足腰は土台です。たとえば、三階建ての建物があります。玄関が正面なので前後があり、左右もあります。そして土台はもちろん下の一階部分です。人体も同じく、下半身が土台となります。ちなみに中心は二階部分です。人体では上腹部がそれに相当します。

では、地球で考えるとどうでしょう。正面と言えるものはなく、よって前後も左右も存在しません。地軸はあるので、なんとか上下だけは存在します。こうした物体の土台は、下ではありません。中心部分 (コア) が土台となります。

人体も前後左右が確定する以前の状態 (受精卵=先天腎) と見たときは、腎が土台であり中心であると見ることができます。しかし通常は、前後左右が確定後の状態 (人体形成後=後天脾) で見て、脾が中心で、腎は下で土台と考えます。

人体は見方によっては、下が中心 (コア) という考え方ができる、ということをご説明しました。この中心が弱った状態が「足腰に力が入らない」という症状として現れます。ただ事ではないことが分かりますね。

●頭がボーっとし、自我の冴えが衰えて目に力がなくなり、気持ちが弱くなる。
≫受精卵以来の生命力、つまり腎臓にかげりがみられるためです。人は最期はみな、人形の遠い目のように瞳に力がなくなります。

以上、淋疾・癃閉に共通してみられる症状です。

症状と治療法 (淋疾)

①血淋 (血尿)

●小便が出渋り、痛みがあるが、大したことはない。淡い色の血尿が出る。
≫湿熱の熱が強く、この熱が長期にわたると、腎陰が弱り、虚熱が生じます。この虚熱がもし血に迫ると、血は熱を得ると動きやすくなるという性質から、動きに歯止めがきかず血管を破って出血します。

治療方針 滋陰清熱・補虚止血
鍼灸   照海など
漢方薬  知柏地黄丸など

②膏淋 (混濁した尿) …腎気虚>湿熱

●小便が出渋り、痛みがあるが、大したことはない。尿の表面に油膜が浮く。
≫湿熱の湿が強く、この湿が長期にわたると、腎気 (腎陽) が弱ります。腎気には固摂機能があります。固摂とは求心力のこと。地球などの星が球形を保っているのは求心力があるからで、この力がないと拡散してしまいます。同じように生命も求心力がなくなると体に必要なものが外に散らばってしまいます。油脂分が出てしまうのはこういう病理があります。

尿に油膜が見られるということは、まだ何とか脾臓の力はあると言えます。もし脾臓の力までもがなくなると、油脂分すら体にのこらないほどの弱り方になるからです。腎臓の弱りは腎気の段階で、もし弱りが深刻になり腎陽まで侵されると、脾臓を支えきれなくなるはずです。

脾気の充足がないのに油脂分がもれだすならば、疏泄太過が考えられます。脾気は弱いのに食べられる、食べてしまう。食べた油脂分を腎の求心力で引き留められなくなると、油膜が張るという現象がみられると思います。

●痩せ
≫食べていても栄養分が抜けてしまうので、徐々に痩せます。

治療方針 補虚固渋
鍼灸   公孫・三陰交・滑肉門・天枢・大巨など
漢方薬  膏淋湯など

症状と治療法 (癃閉) …腎陽虚

膀胱湿熱などが陳旧化して、腎陰 (クールダウン機能) が衰えた場合、腎陽までが働かなくなり、癃閉となる場合もあります。陰と陽は互いに助け合う関係なので、どちらか一方かダメになるともう片一方までもがダメになるからです。腎陰も腎陽も弱っているのですが、腎陽の弱り>腎陰の弱り となっています。腎陽を補う治療をします。

●小便が出ない。あるいはポタポタ出るのみでスッキリしない。尿を出す力が入らない。
≫年を取ったり、長らく病気で臥せったりしていると、腎陽が衰えます。腎陽が衰えると気化ができなくなり、尿閉となります。
●さむがる。足腰が冷える。
≫腎陽はヒートアップ機能 (陽) の根源です。
●顔色が白い。
≫腎陽は下から脾臓を支えています。腎陽が衰えると脾臓も衰え、栄養状態が悪くなります。

治療方針 温補腎陽・化気利尿
鍼灸   関元など
漢方薬  済生腎気丸…八味丸+牛膝・車前子

5.脾腎の弱り

原因

淋疾のみに見られる証で疲労が絡みます。
疲労によって、脾臓・腎臓の二大エンジンの弱りが出る場合です。

症状と治療法 (淋疾のみ)

●小便の出渋り、赤い色が混じるなど淋疾の特徴はあるが、大したことはない。ただし、疲れることがあると小便がピタッと止まらずポタポタ出る。疲れることがなければ出ない。
≫膀胱湿熱が長期化すると脾臓・腎臓どちらも弱らせ、脾臓の上に持ち上げる力、加えて腎臓の求心力 (前述) までもが失われるため、体液が漏れるように外に出てしまいます。混濁尿がないのは、脾臓が弱いため栄養状態がよくないからです。

●足腰に力が入らない。目に力がない。
≫腎臓の弱りを示します。

治療方針 健脾益肾。
鍼灸   公孫・滑肉門・天枢・大巨など
漢方薬  無比山薬丸

6.肺熱

原因 (癃閉のみ)

癃閉のみに見られる証です。ノドが渇いて小便が出ないのが特徴です。

外感病が化熱したり、気滞が化熱したり、熱性の飲食過多があったりすると、肺に熱を持つ場合があります。この肺熱が、腎と肺の循環をダメにし、排尿障害が起こります。

外感病 (カゼ) で肺熱になる理由。肺は天空の雲に例えました。冬の凍てつく霜は、雲が上空にあると降りることはありません。最低気温も雲がある日は高くなります。夏の焦げるような暑さも雲が上空にあると、さほどではなくなります。肺もそのような働きがあり、暑さ寒さの変動から身を守る働きがあります。雲がなくなり晴天続きとなると、最終的には温熱に傾きますね。冷えが原因の外感病も、炎熱が原因の外感病も、最終的には熱になり、肺熱となります。

気滞・飲食過多が肺熱になる理由。熱は上に昇る性質があります。気滞や飲食過多が熱となり、上に昇ると、肺は天空の雲で最も上にあるので、熱は自然と肺に到達します。だから肺に熱がこもりやすくなります。

肺に熱がある場合、冷たい飲食物を欲しがります。氷をガリゴリ食べるのが好きな人がいますね。これは肺に熱がある可能性が高い。「酔い覚めの水のうまさは下戸知らず」という川柳がありますが、お酒を飲んだ後、冷たい水がやけに美味しい、という経験をお持ちの方は多いと思います。肺に熱があると、冷たい飲み物がノドを通るとき、非常に気持ちよく感じます。

小便が出なくなる理由。天空の雲は水の上源です。高山も雲がなければ雪は積もりませんし、降水がなければ水の源泉も存在しません。高さ的に、これ以上さかのぼれない水の源泉は雲です。これを擁する天空が熱を持ってしまったとしたら、雲は存在できず、降水も途絶えます。肺腎の循環が機能しなくなる=小便が出なくなる。

本来天空は冴えた冷たい空気で満たされたものであり、肺は清粛の気に満ちています。肺熱はかなり矛盾した状態です。

症状と治療法 (癃閉のみ)

●小便がサーっと出ず、ポタポタ出る。一日の総尿量が極めて少ない。
≫肺がダメになると、肺から腎に行く水のルートが立たれ、癃閉となります。
●ノドがカラカラになったり、ノドが渇いて水を飲みたがる。
●呼吸がハーハーしたり、咳が出たりする。
≫熱のもとは気滞です。肺に熱があるということは、肺臓の機能の停滞が必ずあり、それを何とか突き通そうとする結果、咳が出たり呼吸が整わなかったりします。

治療方針 清肺熱・利水道。
鍼灸   魚際・身柱・霊台・肺兪・後渓・照海など。
漢方薬  清肺飲

7.敗精

原因 (癃閉のみ)

癃閉のみに見られる証です。

先に、湿熱下注のところで「もし下に弱りのある体質の人なら下の膀胱に移動してそこに居座る」と簡単に説明しました。湿熱の内訳が、湿>熱なら、湿は水で重い性質があるから下に降って当然と言えます。でもここでの湿熱は出血や結石が生じるほどの激しいものもあり、この場合は熱>湿であることは明らかです。熱は火のように上に昇る性質があるのに、なぜ下に降るのでしょうか。

心臓と腎臓の関係から説明しましょう。東洋医学でいう心臓は火に例えられます。自然界では太陽と考えてください。腎臓は水です。陸海の水と考えましょう。

太陽は万物を育てる熱源ですが、その光熱が強すぎないように、水が調節してくれています。水が蒸発することにより雲が発生し、その結果、太陽の光熱はさえぎられ、地温は冷まされます。水が蒸発する際に海水温や地温を奪うという側面もあります。水が蒸発するのは太陽の熱が下に降るから、太陽が程よく照らして気温が適度なのは水が上に昇るからです。

このように、水は上に昇って火を弱めて程よくし、火は下に降って水を温めます。水 (陰) と火 (陽) は反対の性質を持ちながらも、互いに交流して丁度よさ…調和を生み出しています。人の生命においても、心臓と腎臓の交流があって、調和を保ちます。

もし、下の水が少なすぎたら。もし、上の太陽が強すぎたら。双方ともに共通する結果は、火が勝ち水が負ける姿です。太陽が強くなりすぎたら、光熱はどんどん下に降りて照りつける結果となります。原因は太陽にも水にも両方にあります。ですから、「もし下に弱りのある体質の人なら下の膀胱に移動してそこに居座る」という説明は、厳密には片手落ちで、上の問題、つまり心臓の暴発も考慮すべきです。

心臓とは「心」…こころを蔵しており、穏やかな日差しで暖かい命を育みます。この日差しが炎熱のように照り付けるとは、行き過ぎた欲望のことです。欲におぼれて美食飽食をほしいままにしていると「こころ」は穏やかでおられず、心臓に熱が生じて、その熱は下方に降り腎臓を侵します。その熱が激しければ、腎臓を乾かしてしまいます。食べ過ぎ・飲みすぎが原因で起こる湿熱下注にはこのようなカラクリがあると考えられます。

腎臓とは「精」を蔵しており、精とは命を育てる水のことです。温かい体液こそが命の原型です。男性の生殖的な精液は、精の一側面です。腎臓を乾かすとは、厳密には精液を煮詰めるということです。敗精とは腐敗した精液のことで、煮詰められた精液は凝結・腐敗し、精血同源ゆえに瘀血化して尿路をふさぎます。ちなみに、尿液を煮詰めるケースは1.膀胱湿熱でありましたね。

以上、今述べたのは湿熱下注による敗精。膀胱湿熱と違うのは、湿熱が膀胱に入るのか、湿熱が膀胱よりも奥座敷にあたる精室 (生殖能力) に入るのか、という点になります。

このほかに、強いて射精を辛抱しすぎて起こる禁欲による敗精もあります。精液は精に通じると言いました。精は上に昇って心臓の熱加減を調節したり、精液となって下に排泄されたり、流動的なのが本来の姿です。禁欲が過ぎると、精が流通できなくなり、上に昇って心臓の熱を冷ますことができなくなります。心臓の熱 (行き過ぎた性欲) は灼熱の太陽となって精室を襲い、精を乾かし煮詰め、瘀血化して尿路をふさぎます。

症状と治療法 (癃閉のみ)

●小便がポタポタ出る、あるいは糸のように細い小便が出る。ひどいと全く出ない。
●下腹が張って痛い。
≫下焦に熱があるからです。
●舌色が紫がかり、脈が渋る。
≫瘀血を示す徴候です。

治療方針 行瘀散结・通利水道
鍼灸   臨泣・三陰交・上巨虚・合谷・後渓など
漢方薬  代抵当丸など

最後に

口から入った飲食物が小便となって排泄されるまでの道のりは、大便となって排泄される経路よりもはるかに複雑です。大便は口から胃腸を経て肛門に行きますが、小便は胃腸から血管に入り臓器に入り、全身をめぐって尿路にたどり着くからです。

今回アップしたブログが長文になった理由です。
複雑なだけに、これを押えておくことは、様々な難病に対処するうえで非常に役に立つと思います。

体内には不必要なものはありません。有用なものばかりです。その有用なものが滞ると、その瞬間に「邪魔もの」に変化します。この邪魔もの (邪気) は生命エネルギー (正気) を大きく損ないます。すべての病気にはこの構図が見られます。
この構図を打ち崩すには、邪気を取り去ることが必須です。小便の滞りは邪気そのものであり、あらゆる病気の温床になります。体液循環をよくしておくことは、どんな病気にも欠かすことができない大切な一手なのです。

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