子供の鼻血のように軽いものから、潰瘍性大腸炎のような難病、肝硬変末期の吐血のように生死にかかわるものまで、出血にはいろいろなバリエーションがあります。それぞれの出血を、東洋医学では偶発的な血管の損傷とは考えません。たとえ軽い鼻血であっても、そこから出血が起こることは偶然ではなく必然と考える…それが東洋医学の体に対する向き合い方です。どういう観点から出血を分析するのでしょうか。
血とは
血は気とセット
東洋医学では血をどのように分析するのでしょう。まぎれもなく血は物質ですね。だから目に見えるし記号・数式で表すこともできます。しかし、この血を考えるうえで、外せないものがあります。それは気です。気とは「機能」のことです。
機能とは何でしょう。例えば脳は物質ですね。その機能には「こころ」がありますが、「こころ」は血のような色彩もなく、形もなく、目に見えないし写真にも撮れません。それが機能、つまり気なのです。砂糖で例えれば、砂糖の白い粉は写真に撮れますが、甘さは撮れませんね。しかし重要なのは写真に撮れない甘さの方です。機能とは実用で、実用は実体よりも重要です。肉体がいくらあっても命がなければ用をなしません。機能とは非常に説明の難しい概念であることがご理解いただけると思います。
東洋医学では、物質に偏重した視点で人体を見ません。必ず機能とセットで物質を考えます。つまり、物質である血は、機能である気によって温められ動かされ体内に留められているのです。また血は気が働くための物質的土台になり、機能が働き続けるための栄養を補給します。血がいくらあっても気がなければ用をなしません。同時に、血という実体がなければ、気という実用は存在することができないのです。
機能は「例え」で理解する
ただし、さきほども言うように、気 (機能) は説明が難しい概念です。そこで東洋医学ではこれを説明するために「例え」を多用してきました。一般的には、人体をミクロコスモスと見て、大自然と人を相似関係と捉えるのが東洋医学の基本です。
たとえば地球のような星は、もともと宇宙にただよう塵が引き寄せられ集まったものらしいですね。その地球が散り散りバラバラにならないのは、中心部に向かって引き寄せる力が働いているからです。引力とか重力とか表現されるものです。この力は生命にもあって、もしそれがなければ体液は体のいたるところ…汗腺・口・肛門・前陰部・目・鼻など…から漏れ出て、息絶えてしまいます。こういう引き寄せる力を封蔵といい、また腎臓とも言います。生命における腎臓を、地球の引力に例えて説明をしようとしているわけです。
※東洋医学でいう五臓六腑は機能を指します。ゆえに東洋医学でいう腎臓と、西洋医学でいう腎臓とは、同名異物です。詳しくは 「五臓六腑って何だろう」をご参考に。
腎臓の封蔵
後述しますが、血は脾臓の統血機能と肝臓の蔵血機能とによって人体内部に留まることができています。それをバックで支えているのが腎臓の封蔵機能です。バックで支える腎臓までもが弱くなってしまうと、命に関わる出血となることがあります。そうならないように、脾臓や肝臓の段階でうまく治療をしておかなければなりません。ですから、本ブログでは脾臓と肝臓がどのように血を保持するかという話を中心にしたいと思います。
人体は国家、血は国民
ミクロコスモス以外にも、相似関係によって人体を理解する方法はたくさんあります。その中の一つが、国家です。東洋医学では国家組織と人体組織を相似関係と捉えます。例えば心臓は君主 (立法・行政) に相当します。肺臓は宰相に、肝臓は将軍 (現場指揮官) に、脾臓と胃は食物備蓄 (米倉) の責任者 (財務省) に、腎臓は技術部門の責任者 (例えば農耕・衣服・住居・医療などの技術開発。国家が強勢になるかは技術にかかっている) 、胆は司法、三焦は運河や用水路の責任者 (国土交通省) 、膀胱はすべての河川を統括し水害危機管理も兼ねた責任者…といった具合に、古代の国家組織…すなわち国家としての原型のありようがここに見られます。
「組織」と相似関係
人間は一人では生きていけません。だから社会組織を作ります。その最小単位が夫婦、少し広げて家族、むら、くに、最も大きい組織が国家です。これらすべてがまるで一人の人間のように機能していますね。その機能的側面に、人体生命との相似関係があることに気づかされます。国家組織は役割分担が明細化されているので人体生命を考えるうえで重視されたものと考えられます。早くから中央集権国家を確立した古代中国は、特にそのことをよく知っていたのでしょう。おもしろいことに、現代でも「組織」という言葉は、人体にも社会にも使います。
これらの組織は、国家戦略を立てるうえで必要なものですが、この中に最も大切な要素が抜けています。それは国民です。国家に国民がなければ、君主などいても名あって実なきものです。国家としての実体がない。実体がなければ国家は機能しません。では、国民は人体では何に相当するのでしょうか。人体の実体…物質的エッセンス…それは血です。血こそが国民に相当すると考えられます。
脾臓の不統血
脾臓とは
さて、まず脾臓の「統血」機能から考えていきましょう。そもそも脾臓とは何か。東洋医学では、脾臓は飲食物を取り込み、消化し、吸収し、各組織を栄養する機能全般をいいます。よって、血を生む根源は脾臓となります。これを国家で例えると、食物管理者 (米倉責任者) となります。原始的な農耕社会では、豊作の年もあったでしょうし不作の年もあったでしょう。豊作であったとしても予算 (食物備蓄量) を考え、不作の年に備えます。国民はこの政策に悦服し、愛国心をもって住み続けるでしょう。優れた国家は、国民と執行部の差別をしません。
もし劣った国家なら? 執行部が私腹を肥やす政策をすれば、国民はその国を離れて他国に住みたいと思うでしょう。国民の流出は止まらず、国家は国家としての実体を徐々に失い、やがてその国は消滅するでしょう。これが脾臓の弱りによる出血です。
血を「抱擁」する
このように、脾臓は血を優しく抱いているというイメージで、これを統血機能といいます。脾臓は土にもたとえられますが、フワフワのスポンジのような土が大量の水を蓄えているように、脾臓も保水するように血を抱きかかえていると考えてもいいでしょう。土とは、母なる大地です。さっきの例えのように米蔵責任者が、食料を確保しようとする愛情に国民は抱かれていると考えても、母のような優しさが血を統摂しているとイメージできます。
母は我々に食べ物を用意してくれる存在です。ママ (母親) とマンマ (食べ物) は世界共通語らしいですね。母=食べ物 なのです。大地も米蔵責任者も、母のような存在であるということです。だから脾臓が弱ると血が漏れ出す…ということになります。脾臓の統血機能は、母のような優しさが血を抱く姿と言えます。脾臓の弱りによる出血は、血を統摂する機能を失ったことによるもので、これを不統血といいます。
肝臓の不蔵血
一般的な理解…迫血妄行
肝鬱気滞が起こると、肝臓に熱を持つ。この熱はあくまでも気分の熱で。その熱が営血分に迫る (迫血) と、血が妄行を起こし出血する。これが中医学で説明される不蔵血の機序です。ここでは、疏泄太過による出血も不蔵血のなかに包含しながら、もうすこし分かりやすく説明したいと思います。
肝臓とは
まず、肝臓から説明します。肝臓とは「さあ動こう!」という掛け声とともに瞬時に活動に移す力です。よって筋肉や目の活動と関わります。人間の活動のすべては筋肉や目が関わり、肝臓が関わっています。活動には必ず血が必要となります。ですから、肝臓が身体に「動け!」と命令する権限があるということは、肝臓が血を支配しているということです。
これから動かそうとする筋肉や目、それらの活動は血による栄養分の供給によって成り立っています。つまり肝臓とは、その筋肉なり目なりに血を動員し、活動させる力です。国家では、肝臓は将軍に、血は軍隊隊員に例えられます。目的地に向かって軍隊を派遣して采配をふる。戦いあるいは災害が起こったときも馳せ参じ、解決・修復に尽力します。他国と交渉する際も、君主ではなく、まず将軍が出向きます。
疏泄
目的地に向かって、瞬時に前に進む力のことを「疏泄」といいます。肝臓の働きそのものと言ってもいいでしょう。
血を「支配」する
将軍の行くところ行くところに軍隊は付いていき、その先々で働き消耗します。
柔肝
仕事が終われば将軍にともに本拠に戻り、財務省からのねぎらいの食料を優遇されます。ここでは将軍・隊員の垣根を取って語らい疲れを癒します。将軍は軍隊とともにあって、軍隊により癒され、食料によって癒され、明日への英気を養います。血によって肝臓は柔軟になるのです。血を補い肝臓を正常化することを柔肝といいます。肝臓を柔らかく保てていれば、伸び伸びと疏泄し、明日も現場にまっすぐ出向いて 仕事ができるのです。
この軍隊は国民から構成されていますので軍隊=国民と考えてください。先ほどの財務省が国民を抱擁するように養っているのとは対照的に、将軍は国民を支配下に置いています。支配下に置くという時点で国民は軍隊化します。
もし将軍が、国を仰ぎ民を思う人格ならば、国民は彼のために戦うことを本懐としますが、自分勝手で分からず屋の将軍ならば、国民は疲れ果ててもその支配から逃れることを得ず、いやいやながらも付き従うことになります。「道」を外れた所業にも従う国民の姿…これが肝の不蔵血による出血です。血が血管という「道」からそれて、飛び出してしまうのです。
以下に詳しく説明します。
蔵血と疏泄は一体
肝臓の蔵血機能は、肝臓の疏泄機能とセットのものです。疏泄とは、目的の場所に向けてスムーズに向かう機能で、例えば目でものを見ようとする、あるいは手で物をつかもうとすると、その場所に気 (機能) が疏泄して、見る、にぎるといった機能が働きます。そのとき同時に血も、目や手に届けられて、機能を持続させるべく補給されます。さあ、もう休もう、となると、目や手に到達していた疏泄機能は、今度は肝臓に向けて戻るために疏泄し、同時に血も、目や手から肝臓に戻ります。これらの血の動きは疏泄機能によってスムーズに動かされ、疏泄機能には常に血が付き従います。
このように、肝臓は伸縮自在で、瞬時に体全体に拡大したり、体の一小部分に縮小したりします。我々が急に活動したり、急に落ち着いて休んだりできるのは、柔軟な肝臓の働きのおかげです。肝臓の柔軟さは、血と胃気によって保たれています。この柔軟さがなくなると、急に動くとしんどかったり、気が立って休めなかったり…という状態となります。
脾臓で生まれ育った血は、やがて肝臓の支配となって、肝臓のもつ柔軟な疏泄機能の従者として常に行動を共にすることになります。肝臓が血を支配下においている状態を蔵血機能といいます。肝臓の蔵血機能は、師のような厳しさが血を従える姿と言えます。
誤った疏泄
疏泄にはいろいろ種類があり、血を目的の器官に届ける肉体的な疏泄だけでなく、精神的に伸び伸びと意思の向かう方向に進める力も疏泄です。精神的な疏泄では、正しい疏泄は自然の道理にかなった道…つまり正しい道であり、誤った疏泄は自然の道理に背いた道…つまり誤った道であるということになります。心身一如という観点から、メンタルの疏泄とフィジカルの疏泄は別々のものではなく一体です。だから「こころ」の状態は「からだ」に影響し、「からだ」の状態は「こころ」に影響します。
そのような疏泄が異常を起こし、正しい方向に疏泄せず、誤った方向に疏泄した場合、とうぜん血もその方向に付き従うことになります。血が疏泄すべき正しい道は脈管ですが、もし誤った疏泄があった場合、血もそれに従って脈管の外に飛び出すこととなります。肝臓の狂いが原因で出血するものを不蔵血といいますが、蔵血機能を持つが故の出血とも言えます。血という大切なものを支配する肝臓が狂ったのです。権限を持つ人が狂うと大きな悪影響が及ぶのは、国家も人体も組織ですから同じことです。
誤った疏泄の原因
肝臓が狂うのはいくつか原因があります。肝臓は将軍に例えましたが、この将軍はもともと心優しく武勇の誉れ高い英雄です。しかし、いくら英雄と言えども、君主が暴君であるとそれに従わざるを得ません。
君主とは心臓です。心臓とは「我々が考えるところのもの」…つまり自意識です。この自意識が正しいものであれば、世に益し自らも歓びを得る生活を送ることができます。しかし誤った自意識ならば、社会生活を送ると多大なストレスがかかり、その結果、肝臓を狂わせてしまうのです。狂った肝臓は誤った疏泄をします。
動血→出血
誤った疏泄は自然の道理に背くため、多大な労力を要します。それによって血を消耗する…つまり要らざる戦をしかけて軍隊を弱らせるのです。
軍隊を弱らせ失った将軍は、一人でも戦います。そもそも肝臓には風雷に比喩されるような激しさが秘められており、これは通常は血によって秘められ和められていますが、血の潤いを失った肝臓はその獰猛さをむき出しにして、誤った方向に激しく疏泄します。「動」が肝臓の本性で、血の支配権をもっているので、残り少ない血はまるで特攻隊のように、肝臓に従って死に物狂いで血管を破って外にでるのです。この現象を動血といいます。
中医学で動血は「熱によって血が速く動き、脈管を破って出血すること」であると説明されますが、上記の説明を補うと理解しやすいと思います。
もともと血の持ち合わせが少なくして生まれてきた人や、脾臓が弱くて血の供給ができない人も、肝臓が狂うという現象が起こり得ます。狂った肝臓のことを肝気偏旺といい、肝気が高ぶるともいいます。これらはすべて道を誤った肝気です。以上は誤った肝気に従った血の話です。脈管という正しい道をそれて疏泄した結果、血もそれに従って脈外に出てしまうという話です。
営血分の熱
一般的な理解…血熱妄行
肝鬱気滞が起こると、肝臓の気分に熱を持つ。この熱が気分から営血分に入ると、動血を起こし血が妄行して出血する。これが中医学で説明される営血分の熱による出血の機序です。脾胃由来の湿熱からも起こります。
脾胃由来の熱は、食べ過ぎからおこるものがほとんどで、食べ過ぎはそもそも肝気が誤った方向に疏泄することで起こります。ストレス食いなどは代表例です。こう考えると、やはり血を支配するところの肝臓に帰結します。ここでは、肝気の向かう方向に着眼しながら、営血分の熱を説明していきます。
血を「煽動」する
さて、ここからは、誤った肝気が血の中に疏泄し、血を煽動し妄動させる現象についてです。血を無理やり支配せず、誤った思想を植え付けて洗脳すると言ったら分かりやすいでしょうか。我々はそれぞれに自分の考え方を持っており、並大抵のことでは考え方を左右されることはありません。意識の境界は侵されるものではないのです。
しかし、条件がそろえは、一度に多くの人の意識を操ることは不可能ではありません。例えばナチスです。ヒトラーは歴史上、誤った将軍の代表ともいえる人物ですが、激しい熱弁を弄し、演説で民衆を煽動したと聞きます。群衆心理の恐ろしさを見せつけた史実ですが、これによりドイツは誤った道を突き進みました。
営血分の熱
本来、血は陰で、静が本質です。それが程よい陽によって周りから温められ動かされる…これが生命の原型で、血は熱 (ほどよい陽) によって動く性質があるのです。しかし、そこに激しい陽…つまり邪熱が入り込んだとしたら、激しい熱は激しく血を動かし、血は軽挙妄動し脈管の外に飛び出してしまいます。
血の領域のことを営血分といいます。陰 (物質・静) の領域なので陰分とも言います。本来、静である血には、動である邪熱は入り込めません。陰 (静) と陽 (動) の間にはそれらを分ける境界が厳然として存在し、容易に他を侵すことができないことになっているからです。この生理に反して、邪熱が血の領域に入る病態を営血分の熱といいます。
砦を破って、邪熱が入り込む原因は、
①邪熱が強すぎて、陰陽の境界がぼやけてしまったとき。
②正気が衰え、陰陽の幅が小さくなりすぎて境界がぼやけてしまったとき。
この2点が考えられます。じつは、これら原因の黒幕には誤った肝気が隠れています。順を追って検証してみましょう。
邪熱の原因
邪熱が血の領域に入り込んだ、と言いますが、そもそも邪熱とはどういう病理で生まれるものでしょうか。発生原因は3つです。㋐ストレス。㋑食べ過ぎ。㋒急激な暑さ。
まず㋐からですが、これは肝臓の問題です。ストレスは我々にとって、なくてはならないもので、これは飲食物と同じです。ストレスを咀嚼し消化吸収して、より深みのある人格を形成していきます。これが正しい肝気によるメンタル的疏泄です。ただし、ストレスを消化しきれないと、ひねくれたり病気になったりします。これを消化するための酵素のような役割をするのが「正しい考え方による反省」です。しかし誤った肝気によって、この酵素が不足すると肝臓はストレスで疏泄できなくなり、滞って緊張を生み、緊張は熱に変化します。これが邪熱となります。
㋑は食べ過ぎることによって滞りができ、緊張となって邪熱に変化します。が、そもそも食べ過ぎるとはどういうことでしょう。自然界の動物は食べ過ぎることはありません。人間だけが食べ過ぎるのは、大脳が発達しすぎたために生じたストレスが原因です。そのストレスを周りのせいにし、自らの考え方を正さない…これにより誤った肝気が生じ、「食べる」という解決の仕方に舵をきってしまうのです。食べ過ぎの真の原因は誤った肝気です。
㋒は気候の変動です。急に暑くなった、あるいは異常に暑い日が続く。この気候変化のことを暑邪と言い、人体に影響を与えて邪熱となります。気候変化は自然界の変化、人間の体も自然界の一部なので、体も変化を受けることとなります。また、もともと㋐㋑による邪熱を体内にいくらか持っている人ほど、暑邪の影響を受けやすくなります。熱同士が結びつきやすくなるからです。本当に冷えの体質の人は冬を嫌がり夏を好みます。夏に体調が悪いというのは㋐㋑の邪熱の存在があるとみるべきです。このように考えると、やはり誤った肝気が見え隠れしますね。
正気が衰える原因
では②の正気の弱りが原因の場合はどうでしょう。正気はそもそも脾臓 (後天の元気) と腎臓 (先天の元気) が元となって作られます。もし肝臓が狂い、誤った肝気が生じたとき、この肝気は自然の理法に背くので、非常に正気の無駄遣いをします。
たとえば腎臓は肝気を落ち着かせるために過度の労働を強いられ疲弊します。腎臓のバックアップを失った肝臓はますますいきり立って腎臓を弱らせるという悪循環です。
またこの肝気は脾臓を攻撃し弱らせます。狂った将軍が米蔵責任者 (財務省) を押さえつけ、国民をないがしろにして私利私欲をむさぼる姿です。血である国民が疲弊すると、肝臓はますますいきり立って脾臓を攻撃するという悪循環です。
誤った肝気は脾臓と腎臓を弱らせます。正気を弱らせるのです。
境界を越える邪熱
①の邪熱が強すぎる場合を考えると、邪熱はすべて肝臓由来であることが言えました。誤った疏泄が真因なのですから、強い邪熱があるということは誤った疏泄も強いと言えます。誤った疏泄により、邪熱が境界という砦を越えるのです。
②の正気の弱りの場合を考えても、肝臓の狂いが発端となることが言えました。肝臓の狂いで邪熱を生じつつも、正気の弱りで陰陽幅が小さくなり、境界がハッキリしなくなることが原因です。と同時に、誤った疏泄の関与がいくらかあるとも言えます。
このように、血の領域に邪熱が入る原因の根本は、誤った肝気が関わると考えられます。誤った肝気が血を煽動し、血は付和雷同して誤った方向に疏泄するのです。
瘀血
瘀血は滞り
最後に出血の原因として挙げられるのは瘀血です。血はサラサラ流れていたら生命力そのもの (正気) ですが、これがモタモタすると生命力を邪魔するもの (邪気) となります。血の滞ったものを瘀血と言います。血が滞ると気も滞ります。気が滞るということは機能の停滞ですから、あらゆる循環が不通となります。だから、瘀血で真っ先に挙げられる症状は痛みです。痛みは滞りを代表する症状です。
生理痛などはその適例と言えます。生理前、あるいは生理初日二日目が痛みがきつく、出血するにつれて痛みがましになる、ということはよくあることです。これは瘀血が下ったということです。瘀血が下ると気滞もとれて痛みがなくなります。
瘀血でなぜ出血
このような病理から、たとえばまだ若いのに生理が来なくなるといった場合、正気の弱りであることも考えられますが、瘀血が原因ということもあり得ます。瘀血が気滞を作り、血の流通を阻害するのです。ここで取り上げるのは、瘀血による出血です。瘀血は滞りなのに、なぜ出血するのでしょうか。出血は滞りとは真逆の現象です。
肝臓が疏泄できなくなると、その支配下にある血も動けなくなります。血が動けない状態が陳旧化すると瘀血となります。瘀血はもうすでに血としての役割を失った屍のようなものですから役に立ちません。瘀血ができたら、その分、血は減ってしまうことになります。
そもそも、血を作っているのは脾臓でした。ドンドン新しく血の赤ちゃんが作られ、母のような優しさで育まれ、それが一人前の血になると、新米の新血は、きびしい肝臓に弟子入りし支配下に入ります。一方、役目を終えた古い血は処分されて排泄され、つねに元気な血だけが肝臓のもとで働くことになります。
ところが、そこに瘀血という屍同然のものがあると、滞りである瘀血は排泄されません。瘀血が血の領域に留まると、新血の席が空かず、新血は肝臓の支配下にはいれません。新血は、脾臓という親元を離れた以上、そこに戻るわけにもいかず、行き場を失って出血となります。この出血は鮮紅色ではなく、素体が瘀血体質ゆえに暗紅色となります。
血を「シカバネ」にする
もう少し詳しく見てみましょう。将軍が軍隊を従えて突き進むように、肝臓の疏泄が血を従えてめぐっています。いま、将軍は戦に向かいますが、それは意味のない戦です。この将軍は狂ってしまっており、引き返して軍を立て直し作戦を練り直そうとしません。かといって攻めることもできません。変な意地を張って、隊員のことも考えず、ここに留まり籠城します (気滞) 。軍隊はこの将軍に従うしかなく、そこに留まります。やがて兵糧も尽きて一部の兵隊は力尽きてしまいます (瘀血の生成) 。
兵隊は年をとると若い兵隊と交代し、軍はつねに刷新され、いつでも厳しい任務を遂行できるよう備えることになっています。かつて米倉責任者によって大切に育てられ、一人前になった新兵たちは、老兵から業務を引き継ぐべく、勇んで将軍のもとに馳せ参じますが、屍同様に動けなくなった兵隊たちが退こうとしないので、軍に入ることができません。行きも戻りもできなくなった新兵たちは、組織の外にあふれ出すほか、道がなくなります。
このように考えると、屍のある場所に狂った将軍がいるかいないかが、これ以上の屍を生まない決め手となります。将軍が心を改めて引き返していれば、屍はこれ以上増えることはなく、これを排除し終えることが可能です。しかしそこに将軍がまだいるならば、屍を排除しても、また新たな屍ができて、それでは切りがなく、元気な兵隊はいつまでたっても入隊できません。治療しても取れにくい瘀血があるとすれば、肝気を治すことが必要となります。ここでも疏泄太過が見え隠れしますね。
余談ですが、このように見ていくと、正しい肝気=正しい疏泄ですが、誤った肝気は、誤った疏泄 (疏泄太過) と疏泄不及の2種類があると整理できます。
原因と治療法
さて、以上みてきたように、出血の原因は脾臓・肝臓の問題にまとめることができます。そして重症化すると腎臓も関与します。これを踏まえながら、具体的症状や治療方法をまとめます。
1.元気虚損 脾不統血
「脾臓の不統血」で説明したものです。ここに、冒頭でふれた腎臓の封蔵機能の弱りが加わると脾腎陽虚による出血となります。非常に弱りが激しく、危険な状態です。
●症状…各種出血。反復してジワジワ出血する。精神疲労。食欲不振。倦怠感。動くと動悸・息切れ。めまい。
●治療方針…補気摂血。
●鍼灸…関元・足三里の灸。脊柱・命門の周辺に強い圧痛。ここに多壮灸。隠白。
●漢方薬…帰脾湯など。
2.肝不蔵血 疏泄失調
「肝臓の不蔵血」で説明したものです。疏泄失調 (誤った肝気による疏泄) には、大きく分けて3種類あります。疏泄不及型・疏泄太過型・疏泄太過不及混合型です。疏泄不及とは肝鬱気滞や肝気虚のことです。これは出血とは関係ないので、ここでは疏泄太過型と疏泄太過不及混合型についてご説明します。
(1) 疏泄太過型
純粋な疏泄太過は気滞 (緊張) や邪熱をもちません。邪実が表現できていないので痛みや熱感などの自覚症状がハッキリしません。ただし (出血とは関係ありませんが) 、太過が不及に転化する時が必ず訪れるので、強い気滞や邪熱が突如として生まれます。
●症状…各種出血。長期に渡ってジワジワ出血しだんだん弱る。躁の状態。
●治療方針…収斂止血。
●鍼灸…百会。
(2) 太過不及混合型
疏泄太過不及混合型は、気滞 (緊張) や邪熱をもちます。邪実があるので痛みや熱感などの自覚症状があります。しかし、その自覚症状は生命の危機的状況をすべて反映することはできず、本人が自覚する以上に重症です。以下に述べる…
㋐肝気上逆・肝火上炎・肝火犯肺・肝陽上亢・陰虚火旺、
㋑肝火犯胃・胃熱壅盛・下焦湿熱、
㋒桑菊飲証
…などは、すべてこの混合型です。疏泄太過の要素があるので境界 (督脈) を使うことが重要だと思います。
●症状…各種出血。鮮血で量が多い。躁の状態。怒りっぽい。目の充血。脇肋部の痛み。頭痛。めまい。
●治療方針…清熱止血。
●鍼灸…霊台・筋縮・脊中。
㋐肝臓の上逆
肝気上逆・肝火上炎・肝火犯肺・肝陽上亢・陰虚火旺は、すべて肝気・肝陽が常軌を逸して上に昇る側面があり、これは疏泄太過の特徴です。血随気逆という言葉がありますが、これが疏泄太過による出血の機序です。血が気に随って逆す。常道を逸して上に昇る気 (肝気) に従って血も随行する。誤った肝気の疏泄に従って血も道を踏み外し出血するのです。肝陽上亢での出血は脳出血が代表的です。陰虚火旺は肝火上炎+腎陰虚で、出血の原因は肝火だが、腎陰虚も治しておいた方が肝火も除きやすい、と考えるといいと思います。
㋑肝臓の横逆
肝火犯胃・胃熱壅盛・下焦湿熱は、すべて肝気が常道を逸した結果です。「肝臓の上逆」で、肝臓が暴走して上逆し、上を犯すケースを説明しましたが、やはり肝臓が常道を逸して、すぐ横どなりにある胃を犯すことがあります。これを横逆と言いますが、これも疏泄太過の一種です。また、先にも触れましたが、誤った肝気はストレスという壁にぶつかったとき、「食べる」という解決の仕方に舵をきってしまうことがあります。食べ過ぎると胃に滞りができ、邪熱が生まれます。ストレス食いも疏泄太過の一種です。
㋒のぼせの鼻血
桑菊飲証とは、暑気あたりや温邪で鼻血が出るものをいいます。これを説明してみましょう。まず、上部に急に外邪 (風熱) が入ってきます。この状態が肝気上逆・肝火上炎・肝陽上亢で見られる、上に気・熱が昇る形と似ています。上部において邪気の実の遍在が起こり、それに対応すべく肝気が疏泄して衛気が上に向かいますが、この「動く力」が過度となり、到達すべきラインを超えて行き過ぎてしまうと、疏泄太過となって、血が血管を傷って外に出ると考えられます。行き過ぎになる原因は、誤った肝気による内熱があったためです。内熱があるからこそ外熱 (暑邪・温邪) と結びつくということです。
子供が帽子をかぶらず炎天下にいて鼻血を出すことがありますね。子供は陽体で上に陽気の遍在が起こりやすく、頭が熱くなると体温を放散するために衛気 (=体温) が盛んに頭部から外に発散されます。その原動力は肝気で、疏泄が衛気の発散を誘導します。血もそれに従って昇りますが、衛気はもともと脈外をめぐりますので、血は脈外に出やすくなり、鼻血となります。涼しいところで休ませれば問題ないケースでも、出血する理由を考えることは大切だと思います。
3.営血熱盛 血熱妄行
「営血分の熱」で解説したものです。営血蘊熱とも言います。
●症状…各種出血・紫斑。夜間に出血しやすい。夜間に発熱し苦しむ。夜間に数脈・大脈。朝になると症状も脈も落ち着く。
夜に症状が出る理由
営血分に熱があると陰が阻害される。夜間は陽 (昼間の活動力) が陰に入って中和され、安眠となる。これがが通常だが、営血分に熱があるということは陰に熱があるということなので、陽が中和できず、営血分の熱が激しくなり、夜間に症状が騒がしくなる。
●治療方針…清熱解毒・涼血止血。
●鍼灸…①霊台。②三陰交・血海・膈兪・隠白・大敦・行間。①ののち②を行う。
●漢方薬…十灰散など。
4. 瘀血阻絡 血不循経
「瘀血」で説明したものです。
●症状…各種出血。血は黒っぽく、粘り、艶がある。出血箇所に痛みがある。舌の色が紫がかる。イライラ。≫血瘀から気滞をおこすので、気滞の症状を伴う。
●治療方針…活血化瘀。
●鍼灸…三陰交・臨泣。
虚血性大腸炎の出血 (下血)
虚血性大腸炎は、大腸が虚血状態による炎症を起こして下血をおこすものです。
虚血状態とは、細胞に十分な血液が供給されず、栄養不足による壊死を起こすことにより、炎症を引き起こすものです。たとえば打撲で炎症が起こる場合も、打撲箇所の細胞が壊れて起こりますね。一部の細胞が壊死すると炎症を起こすのです。
大腸が虚血状態になる原因は、動脈硬化や便秘が考えられています。
動脈硬化が起こると血管が狭くなって大腸の血流が悪くなることにより、虚血状態となります。また便秘で腸管の同じ場所に便が長く停滞すると、その部分がパンパンになって腸壁が圧迫され、虚血状態になります。
動脈硬化の原因は、糖分や油脂分の取り過ぎと言われます。また便秘は中医学的に見てストレス・食べすぎなどで脾胃に弱りや邪熱が生じることで起こります。つまり、脾不統血・肝不蔵血・営血熱盛という血証の病因病理と矛盾なく重なり合うということが言えます。
大腸憩室症 (憩室出血) の出血 (下血)
大腸憩室症は、大腸にできた憩室に大便がたまり細菌が増え、炎症を起こして下血を起こすものです。憩室とは、消化管にできたくぼみのことで、主に大腸にできます。
肥満が憩室出血のリスクを高めるとされています。
また、NSAIDsの服用が憩室出血のリスクを高めるとされています。NSAIDsエヌセイズとは非ステロイド性抗炎症薬 (Non-Steroidal Anti-Inflammatory Drugs) のことで、抗炎症作用、鎮痛作用、解熱作用を持つ薬剤の総称です。ロキソニンやバファリンなど、広く用いられているいわゆる解熱鎮痛剤です。
バファリンはアスピリンで、アスピリンはいわゆる「血液をサラサラにする薬」つまり抗血小板薬 (血小板の働きを抑える) としても有用で、心筋梗塞や脳梗塞でよく用いられています。ちなみにワーファリンは抗凝固薬 (フィブリンの働きを抑える) として、同じく心筋梗塞や脳梗塞で用いられており、納豆が禁忌のワーファリンよりも、それがOKなアスピリンの方が広く用いられています。
中医学的に、肥満と憩室出血の関係を考えてみましょう。肥満は食べ過ぎる人に多く、食べすぎてしまうのはストレスがあるからです。ストレスは肝火を引き起こし、食べ過ぎは湿熱を引き起こします。これらが浅い部分の熱 (気分の浅い所) であれば出血は起こしません。しかし正気が弱って深い所 (気分の深い所・あるいは営血分) に入ると出血傾向となります。これが大腸憩室を持っている人で良く見られるのでしょう。
中医学的に、NSAIDsと憩室出血の関係を考えてみましょう。肝火や湿熱で炎症や痛みを起こしている病態において、活動や摂食の過剰さに対するブレーキが、痛みや辛さを主とする症状の正体であると考えます。痛み辛さが消失すると、このブレーキが効かなくなり、活動や摂食が生命の許容量を超え、正気が衰退します。すると肝火や湿熱が気分の深い所や営血分に入り、出血傾向となります。これが大腸憩室を持っている人で良く見られるのでしょう。
気分の深いところに入る出血は、肝不蔵血です。営血分に入る出血は、営血熱盛です。