早く寝なさい!

4月6日 (水) 、夜の9時ごろ、電話があった。

娘である。泣いてる。号泣で。

4月1日 (金) が入社式。
4月2日 (土) に寮から帰宅。
4月3日、午前中に寮に戻る。この時点では元気。
4月4日 (月) から仕事。というか研修。帰寮後、課題のレポートを書き終えてから23時に就寝。翌日も同じパターン。

「べつに失敗したとか (ヒック) 、怒られたとかじゃないねんけど (ヒックヒック) 、もう無理やって思う (わーん) 」
「そのうち慣れるって。」
「そうかなあ…。毎日、夜になったらネガティブになるねん。朝は普通やねんけど。もうこのさき不安だらけで…。」
「月曜からそんな感じ? 」
「うん。」
「今日で3日目か。血 (陰) が弱ってるな。早く寝なあかん。時間の使い方で変わるで。レポートは今日もある? どれくらい時間かかる? 」
「毎日ある。2.3時間かかる。」
「9時に寝よう。で、4時に起きてレポート。それで間に合う? 」
「間に合うと思う。」

深夜0時を起点に考えよう。寝る時間が2時間しかなかったら、23時から1時まで寝る。寝る時間が4時間しかなかったら、22時から2時まで寝る。そんなふうに、アナログ時計で0時を中心に左右に扇を開くように考えると、一番効率のいい睡眠のとり方がわかる。

寝る時間が6時間なら、21時から3時まで寝ると、同じ6時間でも、0時から6時まで寝るよりも効率よく “血” が補える。9時10時の睡眠が、4時5時の睡眠よりもいいということだ。深夜0時がいちばん陰が “深い” から、深い時間帯に寝ていると「陰のカキコミ時」なので効率がいい。

陰 (血) とは、簡単に言うと「燃料」である。「英気をやしなう」という言葉の「英気」に当たる。休むことで得られるエネルギーのことだ。「クールダウンする力」「おちつき」 とも訳せる。日の入から日の出までの暗い時間帯 (夜) に補えるが、そんなに長く寝てもいられないので、どの時間帯が最も効率的にこれを得ることができるか…ということがポイントになる。

その観点から、午後9時以降の睡眠はこれが大きく期待でき、午前3時以降の睡眠はこれがあまり期待できない。日の出以降の睡眠はこれがもう得られず (ただし眠れば眠気はなくなる)、逆に起床したほうが「陽」を取り込む時間が長くなり、陰陽の幅 (生命力) が増える。

「とりあえず、今 (21時) から寝ろ。で、今から寝るなら、起きるのは3時以降、意味わかる? ずっと寝ててもいいなら日の出まで寝てればいい。 でもレポートがあるから、それに間に合う程度の時間に起きて、やったらいい。もしかしたら日中は眠いかもしれんけど、眠いのとしんどいのとはまた違うからな。血は燃料 (陰) やから、これが十分なら「前」に進む動力 (陽) ができる。気持ちが「前向き」になる。大丈夫や。またしんどかったら電話してこい。」

翌日 (木) 、電話なし。

翌々日 (金) 。
妻「電話があって、今夜帰ってくるって。元気そうやったで」
僕「きのう、どうやったんかなあ。」
妻「もう元気になったって言ってたで。」
僕「そうならそうと電話しろよな。」
妻「ははは」

9時頃帰宅。
娘「あれから全然しんどくなくなった。早く寝て4時からやるって寮の友達に言ったら、その子もそうするって言うから、朝の4時から2人でやってた。ありがとう。」
僕「っていうか、なんでこんな遅く帰ってくんねん。電話もしてけーへんし。」
娘「今日の寮食、断ってたから。今日に限って残業で、もっと早く帰れるはずやってんけど…。あーーでもやっっぱり家のご飯は美味しいなあ! 」

勝手にしろ。てゆうかよかった。

▶診断の決め手

薄氷を踏む怖さがないわけではない。電話での診断は難しい。

もともと娘は高校入学時にパニック障害を起こしていて、集中して治療をした結果、通常に通えるようになったのだが、やはりその時のことが頭をよぎる。もともと血が危うい。

しかし、電話から伝わる声の厚さで、いけると判断した。

朝はなんともない、18時からしんどくなるという特徴も大きい。

もし、声に力なく、朝がしんどいとなると、女子寮ということもあってかなり厳しい。 夜中に往診で侵入するのは難しそうだ。しかも、まず寝させないといけないので、早朝5時頃に往診になる。これはさすがに。ならば明日は休ませて今から電車で帰らせる、となる。非常事態になるのは避けられない。

こういう症状は早く手をうつ必要があるのだ。

もう数日、娘が電話するのを我慢していたら…。

そういう危うい状況ではあった。

コロンブスの卵、結論だけ言えば簡単だ。

はやく寝なさい。

▶《霊枢・營衛生會18》の解説

「早寝早起き」の出典を示す。興味のない人は飛ばして、最下段の「まとめ」に行ってほしい。

さて、「早寝早起き」は、室内照明が普及するまでは自然にできていたと思われる。夜は屋内で暗い中をジッと身を潜めていたことだろう。よって、2000年も前の書物である《黄帝内経》《難経》には、言及箇所は少ない。そのためか、現代の中医学でも病因病理としてあまり取り上げない。

そういう事情がある中、《黄帝内経・霊枢・營衛生會18》におどろくほど詳細な解説が見られる。以下に、原文を掲げつつ順を追って読み解いてみよう。

黄帝問於岐伯曰.人焉受氣.陰陽焉.何氣爲營.何氣爲衛.營安從生.衛於焉.老壯不同氣.陰陽異位.願聞其
《霊枢・營衛生會18》

【訳】
黄帝が岐伯に質問した。
人はどのようにして「気」を受けるのだろう。陰陽はどのようにして一体となるのだろう。どの気が営気となり、どの気が衛気となるのだろう。営気はどのようにして生じるのだろう。衛気はどのようにして (営気と) と一体となるのだろう。年令によって気は同じではないし、陰陽それぞれで仕事の持ち場も違う。一体化の詳細を教えてくれないか。

岐伯荅曰.人受氣於穀.穀入於胃.以傳肺.五藏六府皆以受氣.其清者爲營.濁者爲衛.營在脉中.衛在脉外.
《霊枢・營衛生會18》

【訳】
岐伯が質問に答えた。
人は穀から気を受けます。穀は胃に入り、 (胃は得られた気を) 肺に伝えて与えます。五臓六腑はみな (肺から) 気を受けることができます。穀のなかから、清なるものは抽出されて営気となり、濁なるもの (残りカス) から衛気が生じます。営気は脈中にあり、衛気は脈外にあります。

【解説】
“穀は胃に入って肺に行き五臓六腑に行く” というのは、《霊枢・營氣16》を受けていると考えられる。肺→大腸→胃→脾→心→小腸→膀胱→腎→心包→三焦→胆→肝 … である。この順番は鍼灸学校で学んだ経穴学で見覚えがあるだろう。栄養はまず胃に入り、肺に届けられてから、この順番で肝までいく。そして肝から上にいって再び肺にもどる。このルートがここでいう「脈」であり、営気はこの中をめぐり、衛気はこの外をめぐるというのである。

穀は穀気とも言われ、水穀の精・後天の精となる。これが脈中をめぐり、そのルートの途中で腎を経ることにより先天の精と合すると考えられる。精というのは陰陽未分の状態のことで、陰陽に分化すれば、ここではじめて営気 (陰) と衛気 (陽) になる。

營周不休.五十而復大會.陰陽相如環無端.《霊枢・營衛生會18》

【訳】
営気は、周回して休むことなく、1日に50回めぐって再び集まって「大会」(後述) となります。陰分 (深い部分) から陽分 (浅い部分) へ、また陽分から陰分へと貫きます。まるで輪に終点がないかのようにグルグルめぐります。

【解説】
肺→大腸→胃→脾→心→小腸→膀胱→腎→心包→三焦→胆→肝 というルートを、営気は1日に50回めぐるというのである。

「営気:血液」は「機能:物質」の関係にあり概念が違う。1日50周というのは、1日約10万回といわれる心臓の拍動回数を考えると、うわべで鵜呑みにするならば現実と合わなくなってしまう。

そもそも東洋医学はそういう捉え方をしない。50という数字は、5と10 (五と十) とからなる。これは五運・十干を踏まえたものであると考えられる。十干は太陽が昇降する動きから出た概念で、1日を10等分する。太陽の光が地上の山川草木 (大自然) を照らすことにより、五行 (生長化収蔵=生命) の運行が生まれる。五行とは五臓のことである。朝昼夕夜によって体 (五臓) のありようが違う。50という数字でそれを表現しているのであろう。大自然と一生命が、渾然一体となって変化・運行してゆくことが「五十」である。

衛氣行於陰二十五度.行於陽二十五度.分爲晝夜.故氣.陽而.至陰而止.《霊枢・營衛生會18》

【訳】
衛気は、一日に、陰を25回運行し陽を25回運行しますが、このような運行は昼夜によって分別されます。ゆえに、気は陽に至って上にジャンプし、陰に至って下に着地します。

【解説】
着地がなければジャンプができない。これがポイントなので覚えておこう。

「止」は足の象形である。そういえば三本ゆびの足の形をしている。足のゆびを「趾」と書くのはこの義からである。「止」には、「下・地面」のイメージがある。「址」はこの義を踏んでいる。

上に「着地する」と訳したのは、「至」「起」と「止」の字源を踏まえてのことである。

衛気は肺→大腸→胃→脾→心→小腸→膀胱→腎→心包→三焦→胆→肝 というルートの外 (脈外) をめぐるのが原則だが、夜はこのルートの中 (脈中) に少しずつ片足を突っ込むように入っていき、後述するが、深夜0時に完全に脈中に入りきるのである。

25回という数字も、うわべで鵜呑みにしてはいけない。これは太陽の運行によってうまれた「1日」を50とし、それを半分にして昼を25、夜を25としたものである。等分なので、春分と秋分がこれに該当する。夏至や冬至は、この比率はとうぜん変わるものと考える。十干と五運の関係と同様、このような太陽の変化が五臓の運行の変化として反映される。

故曰.
日中而陽隴.爲重陽
夜半而陰隴.爲重陰
故太陰主内.太陽主外.各行二十五度.分爲晝夜.《霊枢・營衛生會18》

【訳】
日中の陽の隆盛な時 (午の刻) を、重陽と言います。
夜間の陰の隆盛な時 (子の刻) を、重陰と言います。

だから
太陰 (月輪・大地・営分) は内を主ります。
太陽 (日輪・天空・衛分) は外を主ります。
おのおの25回、昼夜によって分かれます。

【解説】つまり衛気は、夜は陰 (太陰) を運行し、昼は陽 (太陽) を運行するということである。ここから推察すると、脈中というのは太陰を指し、脈外というのは太陽を指すということになる。

  • 夜半とは、「子夜」すなわち子の刻 (23時〜1時) のことである。夜中である。
    夜の真ん中は午前0時である。
  • 日中とは、「中午」すなわち午の刻 (11時〜13時) のことである。正午である。
    昼の真ん中は昼の12時である。

重陽・重陰の「重」とは、重いものが重なり合い、層をなして分厚い状態をさす。また性質的な重要性をさす。午の刻は陽が重なり合う時間で、子の刻は陰が重なり合う時間なのである。

狭義でいえば子の刻が重陰となる。ただし広義で捉えれば、子の刻だけでなく、陰が重なり合う時間がすべて重陰となる。上図《夜のアナログ時間 (夏至前後) 》をもう一度見ていただくとわかるように、青い色 (陰) が重なることで濃い青色 (重陰) になっている。最も重なるのは子の刻だが、図で言えば20時から重なり始める。つまり、暗くなってしばらくすると陰が重なり始めるのだ。重陰の時間を広くとることによって、多くの陰をチャージすることができる。

日の入とともに床に臥し、日の出とともに床を立つ。これが最も自然な形である。ただし、そんな理想は忙しい現代社会では無理なので、原理を理解して最も効率の良い時間帯に睡眠時間を置く…というのが本ページの主旨である。生活パターンは人それぞれで異なるため、人それぞれで導き出してもらいたい。

夜半爲陰隴.夜半後而爲陰衰.平旦陰盡.而陽受氣矣.
日中而陽隴.日西而陽衰.日入陽盡.而陰受氣矣.《霊枢・營衛生會18》

【訳】
午前0時は、陰が盛んです。子の刻を過ぎると陰が衰え、日の出に陰が尽き、そしてこんどは陽に気がめぐる番となります。
昼12時は、陽が盛んです。太陽が西に傾くと陽が衰え、日の入に陽が尽き、そしてこんどは陰に気がめぐる番となります。

夜半而大會.萬民皆.命曰合陰
平旦陰盡.而陽受氣.如是無已.與天地同.《霊枢・營衛生會18》

【訳】午前0時こそが「大会 (たいえ) 」です。万民はみなフトンで横になっているべきです。名付けて「合陰※」と言います。
そして日の出とともに陰が尽き、陽に気がめぐり、このように終りなく繰り返します。天地と「紀※」を同じくするのです。

【解説】
「大会」とは、脈中を行く営気 (陰) と、脈外から脈中に入ってきた衛気 (陽) が、脈中において完全に一体化することであると考えられる。陰 (営気) と合体するので「合陰」という名が付されたのだろう。

陰陽は、それぞれの持場で別々に働くのが通常の姿だが、この時のみは合体し「陰陽未分」すなわち「精」の状態となる。この時間に「精をつける」のである。夫婦と同じである。陰 (営気) は家の中 (脈中) で働き、陽 (衛気) は外 (脈外) で働いて夕方になったら家にもどり、2人は合体 (空間を共有) する。

前述したように、営気は「穀」から得た精を蓄えている。帰ってきた衛気は、営気に温かく迎えられ「穀」から得られた栄養を振る舞ってもらうのだ。午前0時を中心とした「陰の時間帯」は、2人が築く家庭 (人体生命) にとって、かけがえのない時間なのである。

ただし、夜になったら勝手にそうなるのではない。条件がある。「」の状態である。ここでいう「臥」の必要条件とは…。
・横になる。 << 横は陰である。陰の状態を維持すれば、衛気は働く必要がない。
・安心安静。 << 落ち着きは陰である。陰の状態を維持すれば、衛気は働く必要がない。
・温かくする。 << フトンを着て温かくしていれば、衛気は働く必要がない。

「眠り込む」のは、その結果として起こる現象であって、これは必要条件ではない

横になり、安心し、温かくし、活動さえしていなければ、衛気は外で頑張る必要がない。この状態と時間とが合えば「合陰」の条件がそろう。

立って動いている・座って何かをしている…ということは、衛気が脈外にある証拠である。この状態では衛気は完全に脈中に入れない。玄関のところで家に入れてもらえないお父さんが、翌日の仕事で活躍できるだろうか。ご飯も食べられへんやん。

夜 (21〜3時) という大切でかけがえのない時間に、きちんと着地 (夜に布団に入ってる) して、大地を蹴ってジャンプ (朝に元気に起きる) するのである。出だし好調であるならば、その勢いで暗くなるまで走り通せる。だから娘は夕方になっても前を向き続けられたのである。

  • 合陰とは、陰 (子の刻) において営気と衛気がナベとフタのようにピッタリと合わさることであると考えられる。このチャンスを逃すと、陰陽が離決して「百病の始まり」となる。
    「合」の字源・字義 をご参考に。
    夫百病之始生也.皆生於…飮食居處.…則血氣分離.陰陽破散.《霊枢・口問28》
    居處とは寝起きなどの日常生活の行動のこと。
  • とは、《素問・陰陽應象大論》の綱紀のことである。ここは重い表現だ。綱紀とは、絶対に守るべき規則を言う。「生殺之本始」とまで言っている。病を治すにはこの規則に従いなさいと言っている。
    陰陽者.…萬物之綱紀.…生殺之本始.…治病必求於本.《素問・陰陽應象大論 05》

ちなみに、普段よりも早く寝ると、早すぎてかえって寝られず、落ち着かなくて調子が悪い…となる人もあり、それは困りものである。そういう人には、まずは日の出とともに起床することを勧める。そうすれば体内時計が整い、早く眠くなる。もちろん「寝ようと思えばいつでも眠れる」という人は、今から早く寝たらいい。

▶関元に反応

「睡眠の質」は、陰そのものである。この「陰」が足りているのか不足しているのか。これを見極める穴処として、いまところは関元に注目している。

手をかざして診察し、関元に虚の反応が出ていれば、こうした指導を行っている。

▶おてんとさまの決めた「けじめ」

現代人は「照明器具」にまどわされ、一日の終りがいつなのか、よくわからなくなってしまっている。「あとまわしにしない」「やる事をやってから」というのは大切だが、一日にキリがないなら、永遠にやり続けなければならない。

暗くなったら一日は終わりである。ところが我々は、照明を点けて「泣きのもう一回」的な時間延長をやってしまう。

一日はここまで、という「おてんとさま」の決めた規則である。それに沿った「けじめ」が必要である。

一日が終わればすべて諦め (明らめ) 、まずは寝る。そして新たな一日のはじめに真剣に行う。人類が昔から行じてきた姿ではないだろうか。

室内灯が各家庭の各部屋にまで普及したのは戦後であろう。

かたや人類の歴史は数百万年前からと言われる。

▶まとめ

「夜半」とはあまり用いなくなった言葉だが、夜 (暗い時間帯) の半分の時点、つまり深夜0時前後の時間帯をいう。もっとも夜が夜らしい時間帯で、英語ではmidnightだ。夜の中心、真夜中である。

夜 (日の入から日の出まで) とは、地域によっても違うが、だいたい夏場なら夜7時〜朝5時、冬場なら夜5時から朝7時である。ちなみに東京都の夏至は日の出が4時26分、日の入が19時1分で、冬至は日の出が6時48分、日の入が16時32分である。午前0時はちょうどその真中に位置する。

深夜0時は、現代社会では「宵の口」のイメージがある。深夜といえば2時3時がイメージされ、朝4時5時は夏ならもう明るくても、寝ているべき的な印象を持っている人も少なくないだろう。しかし《霊枢》によれば、本当に寝ていなければならないのは、 “重陰” と呼ばれる時間帯だった。

照明社会に慣れてしまったわれわれにとって、驚くほど早い時間帯だったのだ。

自然に合わせ、おてんとさまの決めた規則に「できるだけ」合わせる。昼に陽を得ること、夜に陰を得ることは簡単で、順風に帆をはらませるようなものだ。

逆に、昼に陰を得ること、夜に陽を得ることは難しい。夏に冬野菜を育てること、冬に夏野菜を育てることと同じだ。労多くして功少なしである。

忙しい人は、睡眠時間は増やしも減らしもしなくていい。

ほんの少し時間をずらして生活するだけで済むことならば…。

それにしても、ここまで明確に整理できたのはここ最近だ。

危ない橋だった。

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