五運六気って何だろう

「運気」という言葉を聞いたことがありますね。占いのようなイメージがあります。

正確には「五運六気」といいます。

五運六気は、五臓六腑や三陰三陽に反映されて行きます。

・五運とは、大地における木火土金水の循環です。
肝 (胆) ・心 (小腸) ・脾 (胃) ・肺 (大腸) ・腎 (膀胱) に通じます。
・六気とは、天空における風寒暑湿燥火の循環です。
厥陰風木・太陽寒水・少陰君火・太陰湿土・陽明燥金・少陽相火に通じます。

東洋医学を正しく理解する上で、基礎中の基礎となるものです。五運六気という概念がなければ、東洋医学の理論は成立しないと言っても過言ではありません。

しかし、あまりにも遠い昔に、おそらくはすごく素朴な発想で、しかもとても長い時間をかけて複雑に発展してきた概念です。それだけに非常に漠然としています。もちろん謎だらけです。

いかに臨床という現実へと道筋をつけることができるか。やってみましょう。

地の陰陽 (五運) ・天の陰陽 (六気)

そのためには、まず知識を持つことです。

五運とは、大地における陰陽五行 (木火土金水生長化収蔵) の運行です。
六気とは、天空における陰陽五行 (寒暑燥湿風火・三陰三陽) の運行です。

寒暑燥濕風火.天之陰陽也.三陰三陽上奉之.
木火土金水火.地之陰陽也.生長化收藏下應之.
<素問・天元紀大論 66>

以下に、日本における一年間の五運六気の運行の表を上げておきます。

物候 (五運) ・気候 (六気)

五運は大地の上にあり、目に見えます。触れることもできます。よって「物候」に通じます。
六気は天空にあり、目に見えません。触れることもできません。よって「気候」に通じます。

物候とは、桜の開花などです。
気候とは、春などです。

在天爲風.在地爲木.
在天爲熱.在地爲火.
在天爲濕.在地爲土.
在天爲燥.在地爲金.
在天爲寒.在地爲水.


在天爲氣.在地成形.
形氣相感.而化生萬物矣.
<素問・天元紀大論 66>

天 (六気) と地 (五運) の関係です。天では “気” であったものが、地では “形” を持ちます。

形をもったものが「物候」となります。聞き慣れない言葉ですね。後で説明します。

五運・六気の起源

地の五運は、「天干」= 十干 (甲乙丙丁戊己庚辛壬癸) から生まれたと言われています。
天の六気は、「地支」= 十二支 (子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥) から生まれたと言われています。
《運氣易覽》にその記載があります。これは基本になることなので覚えておいでください。

運氣者,
以十干合,而為木火土金水之五運,
以十二支対,而為風寒暑湿燥火之六気。

《運氣易覽》

ドンドンさかのぼっていきましょう。東洋医学の根幹が見えてくるはずです。

天干・地支の起源

《五行大義》

天干と地支はどのようにして生まれたのでしょうか。

支干者。因五行而立之。昔軒轅之時。大撓之所制也。蔡邕月令章句云。大撓採五行之情,占斗機所建,始作甲乙以名日,謂之幹 (干) ,作子丑以名月,謂之枝 (支) 。有事於天則用日,有事於地則用月。陰陽之別,故有枝幹名也。
《五行大義・第一釋名》

【訳】干支は五行によってできた。むかし軒轅 (黄帝) の時代、その大臣である大撓が制作したのである。蔡邕が著した《月令章句》に以下のように言う。大撓は五行の原理を汲み取り、北斗七星の運行規律を自分のものにして、甲乙…を創作して、日 (日輪の高低) に名を付し天干とした。また子丑…を創作して、月 (月輪の周期) に名を付し地支とした。天における変化を察するには日 (日輪) を用い、地における変化を察するには月 (月輪) を用いた。陰陽の区別があり、それが地支・天干である。

《五行大義》の解説

【解説】日のもともとの字義は日輪 (sun) を指し、日数を数えるときの助数詞「日」は後に生まれたものです。月のもともとの字義は月輪 (moon) を指し、月数を数えるときの助数詞「月」は後に生まれたものです。このことを踏まえると、上記《五行大義》でいう日・月とは助数詞ではなく、日輪と月輪を言ったものであると解釈できます。

古代中国人の生命の営みは農耕でした。一年のうちの今日という日に何をするべきか、とくに種をいつまくか…というのが大切です。毎年訪れる季節があることを知る中で、太陽の高低差を見て夏なのか冬なのかを知り、規律を見抜きます。こうして得られた一年に、月の満ち欠けを組み合わせます。この組み合わせで、細かい分類 (1月・2月…) を可能にします。こうして大まかな暦ができました。

ただし月は月齢によって月の出が早かったり遅かったりします。一年を通して同じ位置にある北極星を中心に、その周りをめぐる北斗七星を観察するほうが、より精密に、月齢・季節や、夜中に太陽がどの位置にあるか (夜中の時刻) などの情報が得られることに気づきます。沈む太陽と北斗七星の現れる位置から、太陽がなくとも夜の時刻が分かります。北斗七星は季節によって場所が変わるので、毎日同じ時刻に北斗七星 (カシオペヤ座) を観察することで、季節 (紀月:十二ヶ月) も分かります。月は初心者向けで、北斗七星は専門家向けと言えます。専門家にとっては北斗七星の方が便利で扱いやすいのです。

明るくなったら南を向いて太陽を観察しながら、四季おりおりの植物の変化 (物候) を目で見る。
暗くなったら北を向いて北極星 (北斗七星) を観察しながら、その時期の気温や湿度の変化 (気候) を肌で感じる。
そういう研究方法を編みだすことになります。

太陽は位置が大きく変わり、昼は気温の高低差が大きく、そして明るい。陽の性質を持ちます。
北極星は位置が変わらず、夜は気温の高低差が少なく、そして暗い。陰の性質を持ちます。

  • 干は「幹」で、支は「枝」であると《五行大義》にありますが、ここにヒントが伺えます。
    • 天干 (一年) が縦糸となり、そこに地支 (十二ヶ月) を横糸として当てはめることで、命の営み (農耕の一年) が織りなされていくのです。
    • 天干 (一日) が縦糸となり、そこに地支 (十二刻) を横糸として当てはめることで、命の営み (農耕の一日) が織りなされていくのです。

天を見て地を知る (天干)

古人は、太陽を通して天を観察しました。すなわち、太陽の昇降 (一日) の太陽の昇降をみて、天干としてまとめます。朝から次の日の朝までを10段階に分けたのです。

一日の「日」は、お日さまです。

また、正午の太陽の高低 (一年) を観察し、そこから陰陽の変遷を見て、一日のそれと重ね合わせて考えたのでしょう。そして、天干をもとにして「地の木火土金水」 (生長化収蔵:万物の拡大と縮小) の循環を推察したのです。

太陽が高い時は、地の万物が盛大です。太陽が低いときは、地の万物が縮小します。そして太陽は最初は低く、だんだん高くなり、そしてまた低くなっていきます。これと同じように、草木の芽は上に伸び、そして落葉・落果して下に下っていきます。この変化を十段階にまとめたものが天干です。

天干とは十干 (甲乙丙丁戊己庚辛壬癸) のことです。

天に太陽がないと、地の万物の拡大と縮小 (物候) を見ることはできません。

地を見て天を知る (地支)

天・昼・日輪は陽で、地・夜・月輪は陰です。昼に太陽で天を観察し、夜に月で地を観察するという発想があったようです。

また、月鏡という言葉があるように、古人は月を鏡と例えました。月 (太陰) に、地球 (陰) の影が映ると考えたのでしょう。月の陰影の大きさによって、地における影 (輪郭ある物質・影像) の変化を見抜こうとしたのです。太陽は光 (気) です。それと陰陽関係にあるのは影 (物質) です。

時異方貢玉人、石鏡,此石色白如月,照面如雪,謂之月鏡。
《拾遺記·周靈王》晋・王嘉

古人は月を通して地を観察しました。すなわち、およそ30日周期 (一ヶ月) で訪れる満月を観察し、そこから陰陽の変遷を見て、それを十二支 (=地支) としてまとめたのでしょう。つまり12ヶ月です。そして地支をもとにして「天の風寒暑湿燥火」の循環を推察したのです。

一ヶ月の「月」は、お月さまです。

特に月の満ち欠けは、農業の歳時記的な役割 (こよみ…いつ種を蒔くか) が大きかったはずです。それは計測の難しい「正午の太陽の高さ」や、ばらつきのある「物候」よりも、より分かりやすい目安として活用されたと考えられます。すなわち「気候」です。気候によって一年を十二に分けたものが地支です。

地支とは十二支 (子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥) のことです。

大地に土がないと、天空の空気における寒暖・乾湿 (気候) は生まれません。土の温かさと湿り気が、気温と湿度を生みます。

一年と稲

一日の「日」はお日さまの昇り降りです。天干・十干です。これによって一日は動きます。
一ヶ月の「月」はお月さまの満ち欠けです。地支・十二支です。これによって一ヶ月は動きます。

では一年の「年」は何でしょう。

稲 (五穀) と人との関係です。一年草である稲は、最も大切な命の糧でした。稲を育てる周期を一年とした。いかに東洋文化が、稲などの「穀物」と関係あるかを改めて思い知らされます。この観点なしに、東洋医学を解くことはできないでしょう。

一年の「年」は、稲の種まき・田植え・出穂・稲刈り・乾燥・脱穀・貯蔵です。

稲の一年は何によって動いているのでしょう。かんたんにいうと、太陽 (十干) と気温 (十二支) の2つです。

稲は、太陽の光の強さで育ちます。その時期ならではの日差しの高低や強弱によって、稲の形体 (大きさ・高さ・垂れる・刈り取られる) が変わります。光の強さの推移は、お日さまのある昼ならばこそ正確に目に見える。これが十干の変化を示すものとなります。

稲は、温かさや暑さや湿気で育ちます。その月ならではの気温と湿度の変遷によって、稲の状態 (みずみずしさ・伸びやかさ・充実さ・乾燥した堅さ) が変わります。気温の推移は、お日さまのない夜ならばこそ正確に肌で感じられる。これが十二支の変化を示すものとなります。

日輪と月輪による周期変化

一年を、昼を基準に10 (5) に分けて、生 (春) →長 (初夏) →化 (盛夏) →収 (秋) →蔵 (冬) を目でとらえた。昼は明るく万物を目でとらえることができます。目でとらえるのは「物質」です。一日にもこの変化があります。

一年を、夜を基準に12 (6) に分けて、風 (春) →熱 (初夏) →湿 (梅雨) →火 (盛夏) →燥 (秋) →寒 (冬) を肌で感じ取った。夜は暗く目でとらえることはできませんが、物質以外の何かを感じ取るには最も適した時間帯です。また、日光があるかないかによる寒暖差がなく、気候変化を正確に感じ取ることのできる時間帯です。肌で感じるのは「気」です。一日にもこの変化があります。

一日が幹 (干) で、基幹となります。日が出て翌日また日が出るまでです。そして、
一日が30回で一ヶ月、この周期のなかに新月・満月という現象があります。
一ヶ月が12回で一年、春が来て翌年また春が来るまでです。
一年が60回で一周期、この一周期が干支です。60年周期でよく似た現象が起こると考えるのです。

  • 一日には変化があります。朝涼しく昼熱い。つまりマックスとミニマム (激しい変化) 、これが陽です。明るい地上 (気温の上下がある) を示します。目に見える波があります。
  • 一ヶ月にはその変化がありません。マックスとミニマムがない。これが陰です。暗い地下 (気温の上下が少ない) を示します。波が見えない。しかし五感を超えた感覚でとらえると、規則的な波 (新月・満月) があると考えました。
  • 一年には変化があります。マックスとミニマムがある。
  • 60年には変化がありません。しかし一ヶ月と同じように目には明らかではないが、隠れた規則的な波があると考えたのでしょう。これが運気的な予測につながります。

月経と大潮

新月から翌月の新月までは約30日です。新月と満月はだいたい15日ごとに訪れます。これが女性の月経周期と似ており、月齢周期が生命に影響を与えるのではないかという発想の起源が考えられます。排卵期と月経期はだいたい15日ごとに訪れ、体調に影響します。つまり月経周期 (月齢周期) が生命に与える影響力が確かにあるという発想です。

このように自然と人との関わりを考えるのは東洋医学の基本です。

女性が月齢と関わるのであれば、そういう周期が男性にもあると展開できます。つまり、人間は30日周期の月齢の影響下にあるのではないかという理論が成り立ちます。

さらに、人体生命に一ヶ月の月齢周期が反映するのならば、大自然にも一ヶ月の月齢周期が反映するだろう…という理論が成り立ちます。

たとえば潮の満ち引きという自然現象は、月齢に関わります。大潮は満月と新月の日にあたり、だいたい15日ごとに訪れます。大潮の日は、満潮と干潮がハッキリします。大潮の日の干潮は、たくさんの魚介 (食糧) を得るチャンスです。この日が満月と新月であることを古人がはじめて知った時、人間が月の大きな支配下におかれていることを感じたことでしょう。生命と直結する。栄養がとれるかとれないか、元気になるかならないが、これが月齢に左右されるのです。

月が指し示す一ヶ月という周期に、生命をふくめた大自然がどのように応じているのか。

一ヶ月 (30日) は、一日や一年のような陽的で分かりやすい「明るさと温度の周期変化」がありません。しかし陰的で分かりづらいながらも規則的な「水面下の周期変化」があると考えたのですね。これがさきほど言うように、干支 (60年) にもこの陰的周期変化があるという発想につながるのでしょう。

十と十二の起源

東洋医学にはいろんな数字の謎があります。

十干の10という数字は、5本の指が両手で10であることと無関係ではないでしょう。十進法は指の数が関係すると言われます。

片手でみると5です。これが「五行」の発想につながったかも知れません。

この単純な思考を、哲学として押し上げるのが東洋思想です。五行の5という数字は《易経》の河図・洛書にすでに見られるものです。東西南北4つの方向に中央の1をいれて、5であるとしたのです。指の数に哲学としての意味が生まれた瞬間です。

五行で重要なのは、四方に中央を入れたという達観です。四方には東西南北や前後左右があります。これらが存在するためには必ず中央が必要です。空間的な広がりは「中央」が支配します。

東西南北は絶対的であるとしても、中央をどこに設定するかによって、ある地点がさっきは東にあったとしても、中央が移動すればそこが西になってしまうこともあります。そういう意味から、宇宙空間が無限であれば絶対的な東西南北は存在しません。そして、この中央には人が立たなければなりません。中央 (主観をもった立ち位置) があって初めて四方は成り立つからです。絶対・相対は陰陽の基本であり生命の本質です。こういう視点が東洋思想の優れている部分でしょう。奥の深い考え方は最初から備わっていたのです。

四方をめぐる太陽の昇り降り (陽) と、その光によって映し出された「地の物候」すなわち草木の発育衰退 (陰) 、この2つを同時に表現する方法が「10」とも言えます。陽によって陰を知る。太陽も物候も、すべて「目に見えるもの」です。これが五臓という「実質臓器」につながります。「地の物体」は目に見えるのです。

もっと単純に考えると、一日は、太陽が見える昼 (明) と、太陽が見えない夜 (暗) の「2」からなります。昼に5 (生長化収蔵) があり、夜にも5 (生長化収蔵) があると考えると、「10」の哲学に迫れるかも知れません。

手之十指.以應十日.日主火.《霊枢・陰陽繋日月41》

十二

十二支の12という数字は、月齢でしょう。一年の満月の回数を数えると、だいたい12になります。1月から12月までの暑さ寒さを始めとした「天の気候」ですね。

12を陰陽一組として2で割ると6です。五行の5に近づけた結果の6と言ってもいいでしょう。

この6という数字が、「天の気候」が五行の5だけでは説明できない、木火土金水以外に 熱 (太陽光線) という概念が必要である…というところと見事な一致を見せます。

夜であるからこそ光という存在に気づくものです。また夜は光がないので晴れでも雨でも気温は大きく変わらないため、正しく気候を察知するには、夜のほうが感じやすかったと言えます。

つまり、夜であるからこそ、光線と温度 (気温) が別々のものであるという達観にたどり着けるのです。

闇に包まれた見えざる大地に立ち、夜空に輝く月が示す「陰影 (陰) 」を見 、その陰影によってあぶり出された「天の気候」すなわち「寒さ・熱さ (陽)」 を感じる。この2つを同時に表現する方法が「12」なのです。陰によって陽を知る。闇も気候も、すべて「目に見えないもの」です。これが六腑という「管腔臓器」につながります。「天の空気」は目に見えないのです。

十干と五運、十二支と六気という整頓された数字は、このあたりから来るのではないかと想像します。

故足之十二經脉.以應十二月.月生於水.故在下者爲陰.《霊枢・陰陽繋日月41》

365の解析…五臓六腑の5と6、十干十二支の10と12の謎に迫る では、さらなる私見を展開します。ぜひご参考に。

その他の数字

一 … 太極
二 … 陰陽
三 … 陰陽+境界 → 一源三岐
四 … 東西南北 → 四時
五 … 東西南北+中央 → 五行・五運・五臓
六 … 五行+熱 (十二支÷2) → 六気・六腑
十 … 十干 (五行✕2)
十二…十二ヶ月・十二支 → 十二経脈

天干 (甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)

天干とは

太陽の昇る様子、沈む様子、また、夏と冬とでは太陽の高さが大きく違うことから、古人は何を見抜こうとしたのでしょうか。

甲 (木) … 日の出前の黎明。
乙 (木) …日の出。
丙 (火) …東から南 (真上) に向かう太陽。
丁 (火) …南 (真上) に達する太陽。
戊 (土) …輝きをエネルギーとして植物に与える太陽。
己 (土) …自らはこれ以上輝くことなく、エネルギーを大地に還元・貯蓄しようとする太陽。
庚 (金) …西に傾く大きな太陽、落日の黄金色。
辛 (金) …日没。
壬 (水) …地中の極点に向かって、深く埋もれゆく太陽。
癸 (水) …地中の極点から東に向かって昇りゆく、夜明け前の太陽。

以上、要点のみ 天干 (十干) とは から抜粋した。

天干 (十干) とは
天干とは、太陽の昇る様子、沈む様子を10段階に説明したものです。また、夏と冬とに見られるような太陽の高低差も10段階で説明します。この太陽の光が、地上の草木を照らし、「地の五運」を明らかにします。

物候とは

前述のように、天干から五運が生まれます。天の太陽が昇る様子 (天干) を見て、地の草木が芽吹く様子 (五運) と同じだと考えたのでしょう。赤ちゃんが膣口から出てくる様子と捉えてもいいです。

換言すれば、
太陽 (天干) の光が強く当たると、森羅万象 (五運) の盛んな様が映し出される。
太陽 (天干) の光が弱くなると、森羅万象 (五運) の衰えた様が映し出される。
つまり、天干が五運を生むのです。

五運とは、地上で見られる陰陽 (五行) のことです。森羅万象の盛衰です。目に見えます。さわれます。

すなわち、木火土金水 (生長化収蔵) のことです。

たとえば桜の木があります。

春に芽吹き開花し、…生・木
夏に新緑を輝かし、…長・火
雨に潤い緑を深くし、…化・土
秋に黄や紅に葉を染め、…収・金
冬に葉を下に落とす。…蔵・水

たとえば、ハコベの花が咲く、冬眠していた虫が這い出してくる、イネ科の雑草が生えだす、朝顔の花が咲く、ハギの花が咲く、モミジが色づく、霜が降りる、イチョウが葉を落とす。

これらは地上における「物候」です。目に見える、触れることも可能な森羅万象における四季の移ろい (五運) です。これを太陽 (天干) が映し出すのです。

映し出された物候を見て、「気候」 (季節) を感じ取るのですね。
五運 (物候) を見て、六気 (気候) を悟る…つまり、五運が六気を生むのです。

「物候」とは「気候」と対比される言葉で、視覚化できる生命の営みです。これが地における陰陽 (五行) です。
「気候」は視覚化できません。

物候と気候の対比は、物と気の対比です。物質と機能の対比です。

地支 (子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)

地支とは

子… 陰暦11月。新暦12月ごろ。種を倉庫で大切に保管する。
丑… 陰暦12月。新暦1月ごろ。 種を蒔くにはまだ早い。
寅… 陰暦正月。 新暦2月ごろ。 いよいよ準備を始める。まずは土作りから。
卯… 陰暦2月。 新暦3月ごろ。 倉庫の扉を開き、種まきを始める。
辰… 陰暦3月。 新暦4月ごろ。 芽が出て成長を始める。
巳… 陰暦4月。 新暦5月ごろ。 早い作物は収穫ができる。苗代をつくる。
午… 陰暦5月。 新暦6月ごろ。 夏至。苗代から苗がドンドン伸びる。
未… 陰暦6月。 新暦7月ごろ。 ますます伸び、繁る。
申… 陰暦7月。 新暦8月ごろ。 稲が最も背が高くなる。
酉… 陰暦8月。 新暦9月ごろ。 万緑が深く色づき、堅く分厚くなる。
戌… 陰暦9月。 新暦10月ごろ。稲の刈り入れ。
亥… 陰暦10月。新暦11月ごろ。ハゼかけをして米を乾燥させる。

以上、要点のみ 地支 (十二支) とは から抜粋した。

地支 (十二支) とは
地支とは、月の陰影の変化から一年を12ヶ月に分けたものです。これによって春夏秋冬の熱さ寒さ…つまり「気候」を12段階に分けて説明します。天の六気 (風・熱・湿・火・燥・寒) は、地支から来たものです。

気候とは

前述のように、地支から六気が生まれます。地の陰陽の満ち欠け (地支) を見て、天の見えざる陰陽の変遷 (六気) と同じだと考えたのでしょう。

六気とは、天空で見られる陰陽 (五行) のことです。目に見えません。さわれません。

すなわち、風木・君火・湿土・相火・燥金・寒水のことです。

たとえば、 “熱” は「光線」のことであり、“火” は「温度」のことなので、どちらも可視化できません。太陽は天空で生まれたものですが、それそのものは「火」であり実体あるものなので六気とは言えません。ですが、その「火」が「熱 (光線) 」となるのです。そしてその「熱 (光線) 」が大地に吸収されて「火 (空気の温度) 」となります。

天空における「火性」が、「熱 (光線) 」と「火 (気温) 」に分化していますね。これが我々に感じられるところのものとなります。

おなじように、天空における「水性」「木性」「金性」「土性」が、寒気・風気・燥気・湿気として感じられるのです。

さらに、“地の五運” を生み出すものが、 “天の六気” です。
六気は気です。気候です。
気候が物候を生む… つまり六気が五運を生むのです。
暑さ・寒さ・日差しの強さ弱さ。これら天の気候が、春夏秋冬の景色…すなわち物候を生むのです。

これら天空における「気候」です。目に見えない、触れることもできない、ただ肌で感じるのみの四季の移ろい (六気) です。これを月 (太陰) の満ち欠け (地支) によって… つまり今は何月かを知ることによって正確に割り出すのです。

芽には見えない気候から、「物候」が生まれることを、古人は悟ってゆくのです。
つまり、五運が六気を生むのです。

「気候」とは「物候」と対比される言葉で、視覚化できない天の営みです。これが天における陰陽 (六気) です。
「物候」は視覚化できます。

気候と物候の対比は、気と物の対比です。機能と物質の対比です。

陰をみて陽を察し、陽をみて陰を察する

物候から気候を察する

風 (気) が葉っぱ (物) にあたって揺れるから、さわやかな風 (風) を感じるのです。
燥 (気) が葉っぱ (物) にあたって乾かすから、サラサラした手触り (燥) を感じるのです。
寒 (気) が葉っぱ (物) にあたって冷やすから、凛としたとした冷たさ (寒) を感じるのです。
土 (気) が葉っぱ (物) にあたって潤すから、シットリとした潤い (湿) を感じるのです。
火 (気) が葉っぱ (物) にあたって温めるから、命の温もり (火) を感じるのです。
熱つまり光 (気) が葉っぱ (物) にあたって輝くから、光 (熱) を感じることができ、葉っぱを見ることができるのです。夏は明るく、冬は暗い色に見えるはずです。

「葉っぱ」という「地の物候」から、「天の気候」を察するのです。

気候から物候を察する

さわやかな春の風を感じるから、桜のつぼみの膨らみを探すのです。
まぶしい初夏の日差しを感じるから、輝く若葉に気がつくのです。
シットリとした梅雨の湿気を感じるから、アジサイの色が際立つのです。
真夏の盛大な暑さを感じるから、たたずむ山百合に目を奪われるのです。
乾いた秋空の高さを感じるから、散り敷く萩をいとおしむのです。
身の引き締まる冬の空気を感じるから、サザンカの前で立ち止まるのです。

肌で感じる「天の気候」によって、「地の物候」が際立って観察されるのです。

陽をみて陰を察する

このように、
・天 (陽) を見て、地 (陰) を察する
・地 (陰) を見て、天 (陽) を察する
という手法は、東洋医学を生んだ陰陽論において、常套的に用いられます。

たとえばA4用紙に印刷された文書があるとします。これを、白紙である裏側だけ見せられたのでは意味が分かりません。表の文章を見て、はじめて白紙側が裏であることが知れます。白紙側だけをみて「この白紙は何を意味するのか」を考えても、答えは出ないでしょう。表を見るからこそ、おそらく裏は白紙で、それはこの文書を記すために一枚の紙に書いたもので、だから裏は白紙になっているのだ… とわかるのです。裏が白紙であることの意味は、表を見て初めて察しがつくのです。

天だけを見て、天は分からない。地を見てはじめて分かる。
地だけを見て、地は分からない。天を見てはじめて分かる。

これが、陰陽論の根本的な考え方です。世事万端みなそうですね。一方だけを見ている人は視野が狭い。分かっていない。

五運六気からみた内外の邪気

そしてその考え方が、人体生命における捉え方に、いかんなく発揮されるのです。

すなわち、八綱です。八綱とは、陰陽・表裏・寒熱・虚実をそれぞれに見るものではありません。

陰を見て陽を知り、陽を見て陰を察する。
裏を見て表を知り、表を見て裏を察する。
寒を見て熱を知り、熱を見て寒を察する。
虚を見て実を知り、実を見て虚を察する。

この観察の仕方が東洋医学の基本であり蘊奥であることを、天干地支は教えてくれます。

六気と五行の表

天の六気は、地の五運として顕現・具体化します。

また、天の六気は三陰三陽に相応し、地の五運は五臓に相応します。これは東洋医学おける生理学の一部です。

その関係を表にまとめます。

このような陰陽関係は、病的となった時も維持されます。それが以下の外感六淫と内生五邪です。

外感六淫と内生五邪

表証 (外感六淫) を見て裏証 (内生五邪) を察します。
裏証 (内生五邪) を見て表証 (外感六淫) を知ります。

表証、すなわち外感六淫は「天空の邪」です。よって、天空に相当する皮毛・肌表に生じます。
裏証、すなわち内生五邪は「大地の邪」です。よって、大地に相当する肌肉より深部に生じます。

内生五邪とは、臓腑・気血の失調で生じた邪気のことです。

たとえば、
・外風に犯されたものを見て、内風の存在を察するのです。
・内風の存在を見て、外風に犯されやすいことを知るのです。

・もともと冷えでいる人は内寒があり、内寒があると外寒を受けやすくなります。
・外寒につねに犯されている人は内寒を生じやすくなります。

このように外感六淫と内生五邪は、たがいに関連し合い、たがいに親和性があります。これは東洋医学おける病理学の一部です。

外感六淫と内生五邪との関係を表にまとめます。

臨床はもっと複雑です。全身麻痺 (痿病) の症例 をご参考に。

「運気論」への展開

ここまで、五運六気の成り立ちと、明日からでも使える臨床応用について述べました。

しかし、いわゆる五運六気、すなわち「運気論」は、この一年間のいわゆる「運気」を予想するものとして応用されます。

この発想は、生長化収蔵という「繰り返すサイクル」に注目したものです。

一日は、日の出にはじまり、太陽が高く昇り、やがて日没となり、暗い夜があって、また日の出となります。これが天干です。一日を10段階に分けたので十干と言います。毎日同じことを繰り返しているかに見えますが、物候 (芽が出た・花が咲いたなど) にその日独自の特徴があります。

一ヶ月は、新月にはじまり、上弦の月となり満月となり、下弦の月を経て、また新月になります。これが地支です。一年を12段階に分けたので十二支と言います。毎月同じことを繰り返していますが、気候 (寒暖) に、その月独自の特徴があります。

一年は、春にはじまり、夏となって秋を迎え、寒い冬を経て、また春が来ます。これらは、変化しつつも、結局は全く同じことを繰り返していますが、一日一日で変化があったように、一月一月で変化があったように、この一年一年でも変化があるのではないか… という発想があります。

この「一年」に、十干を当てはめます。
同じくこの「一年」に、十二支を当てはめます。12ヶ月 (陰暦) です。

さらに、
「一日」に十干を当てはめ、
「一日」に十二支を当てはめます。十二を倍にしたものが24時間です。

さらに
「十年」に十干を当てはめ、
「十二年」に十二支をあてはめます。

さらにさらに、
十年 (天干) と 十二年 (地支) 、この「天地」を組み合わせて「60年を一周期」とします。
この「60」は、「60秒を一分」・「60分を一時間」との一致があります。
60進法は古代バビロニアで生まれたと言われますが、古代のいろんな地域で、60という周期が用いられていたのですね。

一日の次の一日がほぼ同じ (朝→昼→夕→夜) であるように、
一年の次の一年がほぼ同じ (春→夏→秋→冬) であるように、

十年の次の十年がほぼ同じで、
十二年の次の十二年がほぼ同じなのではないか。

だとすると、十年と十二年を組み合わせた、
六十年の次の六十年がほぼ同じになるはずである。

  • 毎々同じことを繰り返すのは農耕民族の特徴です。毎年、春に種を蒔く。狩猟民族にはそこまでの周期はなく、とにかく狩りに出る、逃げられる、捕まえるを一日、また一日と重ねる要素が大です。起源1年1月1日から永久に増え続ける日数ではなく、10・12・60を一周として繰り返す数え方を古代中国人が選んだのは、「糧を得るすべ」という根本的な違いがあると考えられます。

子供はママゴトをしますね。お父さん役は会社に行くふりをし、お母さん役はご飯をつくるふりをする。その子供は、大きくなったら本当にお父さんになり、お母さんになる。これは占いではありません。必ずそうなるとは限りませんが、大筋でそうなるであろうという確言です。

こうして、六十年のなかの一年一年の特徴を知ろうとする学問が運気論です。六十年周期といえば、一人の人間が、同じ年を二度経験できるかできないか…という周期ですね。デタラメをやるとマヤカシになります。確言とするためには、そうとうな経験と学問が必要でしょう。

未知なるものを察する

五行を熟知し、身を持ってこれを体験する。そうすれば五運と六気が見えてくる。それを一日に応用し、一ヶ月に応用し、一年に応用する。すると、未知なる「六十年」に応用するすべすら見えてくる。

このあたりが、臨床とよく似ています。

患者さんは、一人一人が違う。同じ人でも毎回毎回みるたびに違う。

しかし、陰陽・五行を手中にし、五運六気・五臓六腑・臓腑経絡・三陰三陽を熟知し、360余の経穴を見るすべを得るならば、それを軸にして、どんな患者さんにでも、どんな病気にでも、未知の病気にすら、確信をもった弁証論治が可能となるのです。

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