ツボの診察…正しい弁証のために切経を

ツボは鍼を打ったりお灸をしたりするためだけのものではありません。

弁証 (東洋医学の診断) につかうものです。

ツボの診察のことを切経といいます。つまり、手や足やお腹や背中をなで回し、それぞれにツボの虚実を診て、気血や五臓の異変を察するのです。たとえば…

脾兪に虚の反応が出ているとする。これは脾虚があるということです。
合谷に実の反応が出ているとする。これは気滞があるということです。
太衝に実の反応が出ているとする。これは肝気鬱結があるということです。
三陰交に虚の反応があれば血虚、実の反応があれば瘀血があるということです。

傷寒論にみるツボ

ツボの診察 (切経) は、鍼灸家・漢方家を問わず、弁証を正しく行うために必要なものです。

傷寒論をひもときます。記載はほとんど問診のためのものですね。悪寒があるとか、頭項強痛があるとか。問診内容が弁証にどうつながるか…ということです。あと脈について少し記されているだけです。それからわずかですが “期門を刺せ” などの記載が随所に見られます。これは張仲景先生が普段からツボを診ていた証拠です。でないと急に鍼は使えませんね。湯液を中心とする仲景先生が、何のためにツボを診ていたのか。

書物に残せるのは、問診で使うものだけです。あとはせいぜい脈・舌です。ツボの診察 (切経) は文字にしたくてもできない。だから傷寒論でも切経には触れず “刺せ” とだけ言っているのです。切経は東洋医学の裏の世界…とも言えるでしょう。超一流は皆これをやっていたのではないか。

正しい弁証のために

弁証の基本は問診です。患者さんの話を聞く。一番とっつきやすい診察法です。しかしこれは患者さんの主観が入る可能性がありますね。治してほしいこところは大げさに言ってみたり、関係ないと思うことは詳しく言わなかったり、これは苦しむ人の心情です。

切経は患者さんの主観が入りません。だから純粋な情報が得られます。ただし敷居が高い。問診とは比較にならないほどの技術が必要です。

切経は腹診も含みます。舌や脈よりも診る範囲・表面積が広く、それだけ細かい分類ができます。

たとえば天枢の虚実で気虚の有無がわかります。実は気虚でしんどいのに「ちょっとしんどくて」とサラッと言う人がいますね。うっかりしていると聞き漏らしてしまいます。気虚に瀉剤・寫法は禁忌ですので、非常に便利です。瀉法でなくとも、気虚のときに普段と同じような鍼をすると悪化する場合があります。

たとえば肝兪が実で脾兪が虚だとすると、肝脾不和の症状がでていなくても、水面下で肝気横逆が起こっていることが分かります。

切経ができれば弁証が楽になり、確かなものになります。自覚症状のない病気は、予後不良の証 (逆証)のものが多いですね。これを問診だけで弁証できるでしょうか。脈診や舌診や腹診だけで見抜けるでしょうか。見抜ける場合もたしかにありますが、決定的なものにするためには切経が必要です。

左右差から診る

基本は、手指の感覚を磨くことです。

まず、初心者はツボの左右を見比べて、差が分かるようになることです。東洋医学は陰陽から成り立つので、 “比較” ということが大切です。比べることでハッキリするのが東洋医学の特徴とも言えます。たとえば太衝に左右差がないとすると、太衝には問題がないとまずは考えます。左右差があるならば太衝に問題があるとします。太衝に問題があるということは、肝の病証があることの証明になります。

ツボの左右差とは、発汗・弾力などの左右差です。冷感・熱感も参考にします。

右はサラッとしているのに左は湿っているとなると、右が実で左が虚とし、左右差ありと診断します。
右に弾力があるのに左はヘナヘナしているとなると、右が実で左が虚とし、左右差ありと診断します。

人差し指で触ってみたり、中指で触ってみたり、なでてみたり、指先でトントンしてみたり、眺めてみたり、手をかざしてみたり、いろんな角度から工夫しながら左右差を見つけ出すのです。

立体的に診る

しかし、これは初心者のレベルです。ツボは経脈の流れの一部です。脈診でみる脈と同じで、奥行きがあり流れているのです。

脈の見方は「脈診って何だろう」で詳しく展開しました。上っ面の脈・下っ面の脈・水平方向に流れる脈、この3つを同時に見ることが脈診の基本であるという考え方です。立体的に診るのです。この脈診の方法は、記述の便宜上、「三脈同時診法」と名付けています。実はこの脈診法が、ツボを診察する上でも基本となります。これは意外かもしれません。

東洋医学の脈診って何だろう
中医学では二十八脈を挙げています。浮、沈、遅、数、滑、濇、虚、実、長、短、洪、微、緊、緩、弦、芤、革、牢、濡、弱、散、細、伏、動、促、結、代、大(or疾)のことです。一見複雑ですが浮沈・遅数・大細・長短という陰陽から、細分化して行きます。

脈は拍動しています。経脈 (経絡) は拍動していません。どちらの方が見やすいかは明白で、脈診の方が見やすいのです。だから脈診のほうが基本なのですね。脈診が上達すればするほど、切経がうまくなっていきます。切経に精進していると、脈診のさらなる深さが見えてきます。

切診は、脈診と切経に大別できますが、脈診と切経は陰陽関係にあって、お互いがお互いを高め合う関係だと思います。

  • 脈診… 動脈の診察 (物質的) …陰
  • 切経… 経脈の診察 (機能的) …陽

切経は、皮膚の上っ面を診るだけでなく、下っ面 (奥の方) も同時に診るのですね。イメージ的には、CTスキャンしなくても触れただけで、あるいは手をかざしただけで、中が空洞かそうでないかを見破るような感じでしょうか。

脈を診るようにツボを診る

このようにして、脈を診るかのごとくにツボを診るのです。脈を打たないツボの “気” を捉えるのです。

具体的には、指尖で診るよりも、手掌でツボに触れたり、手掌をツボにかざしたりする方が、大きく立体的に捉えやすいと思います。井穴のような小さなツボは手掌では捉えにくく、指尖で触れたり指尖をかざしたり、あるいは望診 (目で見る診察) で診る方が早いかもしれません。

按圧は大いに参考になりますが、絶対的な指標にはなりません。脈診も、達人になるほど按圧はしません。もちろん、初心の時期は按圧を軽んじではいけません。

東洋医学の脈診って何だろう から転載

初心者の脈の診察は、上っ面しか診ることができていません。
初心者のツボの診察は、上っ面しか診ることができていません。

三脈同時診法で説明しましたね。

これでは正しい診察はできません。問診も、上っ面だけを診ていたら大したカルテは作れませんね。患者さんの言葉を表面的に捉えるのではなく、患者さんすら気づけない “潜む真意” を洞察するのです。つまり下っ面です。そのうえで、上っ面・下っ面、そして上下の境に流動してやまない命、これらを同時に診る。

表面的ではなく、立体的に診る。診察とはそもそもそういうものです。

正中線のツボの虚実

ツボの左右差をていねいに診ていくと、相対的な虚実が分かってきます。相対的な虚実 (ツボの左右差) が分かると、とりあえず弁証の足がかりになります。しかし、このやり方だけでは限界があります。重症に対応できません。

左右を比べずとも分かる虚実 (絶対的虚実) を診る技術が必要になります。左右を一生懸命調べていると、感覚が研ぎ澄まされて、だんだん見えてきます。陰陽幅の少なくなったもの (重症) に必要です。たとえば気血両虚・虚実錯雑などはツボの左右差がハッキリしなくなります。こういうものを治すためには左右が揃っていても反応が見いだせなければなりません。

つまり、「右も左も実」のものが判断できるか、「右も左も虚」のものが判断できるか、ということです。

これができれば、督脈・任脈のツボでも虚実が判断できます。これが非常に重要です。正中線上にあるので、左右の比較ができませんね。とくに神闕の虚実は重要で、八綱の虚実がわかります。これは懸枢でも診ることができます。

あと、百会・白毫・印堂・人中・天突・膻中・中脘・関元も重要です。白毫は予後…これから良くなっていくか、悪くなっていくか、ということがある程度分かります。印堂・天突は外感病の有無を見分けます。督脈も重病になるほど重要で、ここに実邪があるのは重症です。

重病・難病を治すために、これらはすべて必須です。

また、メンテナンスとしての治療を継続するにも必須です。人間はいずれ死にます。長い人生のどこかで必ず悪化や急変があるのです。悪化を事前に見抜くのは大切で、東洋医学の理念である “未病を治す” にも通じます。

内関と外関

ついでなのでもう少し深堀りします。

以上の任脈・督脈は、一日一日という積み重ねを診断するために重要です。一方、一年一年という積み重ねを診断するを示すのが陰維脈・陽維脈です。

内関 (陰維脈) ・外関 (陽維脈) の切診は非常に重要です。

指先を上に肘を下にして、自分の手のひらを見たとき、これは人間の正面の模式図です。内関はちょうど任脈になります。正確には陰維脈です。陰維脈は任脈とつながっていますね。

同じようにして、自分の手の甲を見たとき、これは人間の背面の模式図です。外関はちょうど督脈になります。正確には陽維脈です。陽維脈は督脈とつながっていますね。

内関・外関は正中線 (任督) と関わりを持ちつつも、正中線ではない (両維脈) と言えます。だから重要穴処なのです。面白いですね。

任脈・督脈は一日サイクルの陰陽を示しますが、陰維脈・陽維脈は一年サイクルの陰陽を示します。ここに邪があるかないかは、一年サイクルでの悪化があるかないかの指標になります。一日サイクルでの問題がなくても、一年サイクルでの問題によって、急変することがあります。

一年サイクルの悪化は、一気に重症化して入院や長期療養になる傾向があります。いきなり気閉を起こしやすくなります。この悪化を事前に見抜くには、切経が最も簡易な方法となります。

とにかく内関と外関に邪を寄せ付けなければいいわけですね。そうすると、 “いつものクセで無理したら、またアレが出てどうしようと思ったんだけど、横になったら治ったんです!” という声が聞かれます。一日サイクルに落とせているのでしょう。

でも邪が診られないと話になりません。じつはこれも左右を見比べて診察するのではなく、邪があるかないかをその一箇所で判断する「絶対的虚実」を用います。

絶対的虚実の意義

本題に戻ります。

陰陽の究極は太極です。太極とは、左をよく知り、右を広く見つつ、その真中 (境界) にある “道” を歩む、左右どちらにも偏らない道を知ることです。太極とは絶対です。相対の究極は絶対であるとする考え方です。

絶対的虚実とは、正気が充実しているか虚しているか、つまり瀉法にすべきか補法にすべきか、の判断基準です。つまり八綱の虚実です。重病になればなるほど、これを間違うことは許されません。補法にも “蛮補” という概念があり、間違って補うことは許されません。絶対的虚実は、脈でも診ることができますが、切診も合わせると確実性が増します。

軽症は、瀉すれば補われ、補えば瀉されるシーソーのようなもの (左右にバランスを取る) が働くので、多少の間違いは生体が認容します。相対的虚実です。

重症はその融通が効きません。

望診への展開

このようにして、切診を鍛えてゆくと、望診が効くようになります。

切診も問診も、脈診と同じように上っ面だけを表面的に診てはいけない…といいましたね。これは望診も同じです。表面的な色やツヤを診るだけではありません。もっと深いものを診ます。下っ面です。

望而知之.謂之神.<難経・六十一難>

これも脈診、つまり三脈同時診法と同じ見方をするのです。水平方向に流れるものを読み取り、上から、下から…。ツボの虚実が見えてきます。

そういう切経、望診ができるようになれば、あとは臨床に当てはめていく。

つまり、カゼを引いている人がいるならば、体中をなで回してみます。おっ、肺兪がこうなってる。太渕が、京骨が、と特徴を覚えておくのです。同じく望診でも体中をジッと診ていきます。白毫が、人中が、天突がこうだ、という特徴があります。

「今すごく腹が立つことがあった! 」なんていう人がいたらチャンスです。
家族と旅行しているときに誰かが車酔いした、これもチャンス。

体は何らかの反応を表現しています。それを見つける。面白いですね。

生きたツボ

鍼をする時、灸をする時、効きやすいツボと効きにくいツボがあります。

効くツボのことを「生きたツボ」と僕は呼んでいます。

以上の内容を繰り返し実践していると、その見分けがつくようになります。最初はツボに触れたりタップしたりしたほうが分りやすいでしょう。慣れてくれば手をかざすだけで分かります。更に熟練すると、望診 (見るだけ) で判断が付きます。

人を見るようにツボを見る

我々は、人を見るとその人がどんな人かが、おおよそ分かります。

今日はどんな機嫌だろう。怒っているのかな。良いことでもあったかな。

初めて会う人でも、少し言葉をかければ、なんらかのアクションをかければ、その応答 (反応) によって、どんな人なのか見当がつきます。

ツボも同じです。
その日によって性質が違う。
触れる (アクションをかける) ことで、その反応を見れば、どういう状態なのかが理解できます。

望診も同じです。
何らかのアクションをかけることで、反応を見分けます。

脈診は、最初からアクションをかけてくれています。拍動です。だからアクションを掛ける必要がありません。誤解を恐れずに言えば、実は一番簡単なのが脈診です。

このように、診ただけで (見ただけで) 分かるというのは、何度も何度も見て、何度も何度も喜び苦しみ悲しみ、いろんな経験を山のように積んだからです。そう、人と同じです。我々は、生まれてこのかたウン十年の間、いろんな人を毎日毎日嫌というほど見てきました。だから人をみれば、その人がどんな人かが分かるのです。

ツボも脈も同じです。

四診合参

末期癌の人が来院されたとします。なにか大きな特徴があるはずだと考えます。それが見つけられれば、初期がんが見抜けるようになるかもしれません。予防もできるかもしれません。

ツボは大きくなったり小さくなったり消えたりします。悪くてもせいぜい直径3cmほどのツボが、末期癌では30cmほどに延長することがあります。このような情報を得ることは、問診だけではとてもかなわないことです。

もちろん問診は基本であり、最重要です。書物での勉強はほとんど問診のためにあると言っても過言ではありません。

忘れてはならないもう一つ大切な要素、それが患者さんのお体を書物とした勉強です。それが切経・脈診・望診です。

望診・聞診・問診・切診で得られた情報を重ね合わせて “診断” とすることを、四診合参と言います。四診併重とも言われます。4つのうちのどれかに偏することなく、等しくそれぞれを重んじるからです。

誰か一人だけを信用するのではなく、多くの人の意見に耳を傾けながら自分の考えを作ってゆく。正しい考え方を育てるための唯一の方法でしょう。 “よりごのみ” をしてはいけないんですね。

四診合参もそれと同じです。

四診それぞれの診察角度から情報を収集することは、今の未熟な弁証を、より正しい弁証に押し上げるための唯一の方法といっていいでしょう。

 

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