年頭に、「日本東洋医学発祥の歴史」をリンクします。
ここには、いろんな思いがあります。
たった一人の中国人が、日本朝廷に中国医学書を持ち込んだ。海を渡ってやってきたその事実を、今の日本は認めようとしていません。学校の歴史に登場する医学史の最初は、あいかわらず杉田玄白です。西洋医学しか認めていないんですね。
いずれ症例でご紹介しますが、感染症がキッカケで歩けなくなった20歳の女性が、百会の鍼一本、刺してすぐ抜くというアクションのみで、その場で足が動くようになっています。いまは2ヶ月の治療を経て、車椅子を廃し、杖を廃し、階段まで昇れるようになりました。
奈良医大附属病院に通院も悪化が止まらず、阪大病院への転院を勧められ、「いま鍼に通い出したところだから少し待って欲しい」と訴えた過去がウソのように、ふつーに歩いています。
(場合によっては) かの医学をはるかに凌駕するこの医学の、保険適応というものがあって当然の効果であろうと思います。
いや、保険適応を訴えるつもりなどないのです。我々鍼灸師が足並みを揃えて国民の信頼を得るレベルになりさえすれば、国の信頼など自ずと得られ、保険適応は成るべくしてなるでしょう。
そのステータスを得るためにはどうしたらいいか。僕が思うには、まず小手先の効果に走るのを止めるべきだということです。病気には原因がある。中医学的病因、それをとことん追求する。
川も本流をたどれば源にたどり着きます。人類もその祖先をたどれば、たった一人のアフリカで生まれた女性の遺伝子にたどり着くと言われます。
一つに行き着くのです。これは陰陽の基本的な考え方でもあります。
世界中のみんなが健康になる。当然、僕一人の力では及びもつかないことです。しかし、みんなそれぞれが、それぞれの場所から、源を求め辿りたどって、そして一つの場所にたどり着くならば、それは思いも寄らない光景が眼の前に広がっているかもしれません。
一月一日というこの日に、万物帰一 (万物は一に帰する) という言葉に心を束ねる。
あらたまの年のはじまりをお慶び申し上げます。