約束と「誠」… 夢を現実化するトレーニング

当院は予約制です。

これは、患者さんをお待たせすることなく臨床という業務を円滑に進めるためです。
しかし、それだけではありません。

約束。

それを守るトレーニングでもあります。患者さんご本人が、僕という他人と、意思を統一する。一体になる。

“この日、この時間に来ます”  
“では、お待ちしております”

これが約束です。「自分と他人との融合」の始まりです。
そして、それが現実化する。

“おはようございます”
“はい、どうぞこちらへ”

ここではじめて、「自分と他人との融合」が完全なものとなり、一つになります。

自分と他人との融合。

融合とは、たとえば親子・夫婦の仲の良さです。真の仲の良さは、たがいに約束を守り合うことから生まれます。「親しき中にも礼儀あり」とはここのことです。親しいからといって約束という礼儀を守らずにいると、やがて心が離れてゆき、利害でしか結びつかなくなります。しかし底辺には家族の親愛の情がある。だから「可愛さ余って憎さ百倍」となり、関係が破綻します。心がバラバラになる。

親子夫婦が仲良くするということは、家族との平和です。親も子も夫も妻も、自分ではない「他人」ですね。家族は、組織の最小単位です。

この友好関係をドンドン拡大していけば、隣人という「他人」との平和につながります。会社へ行くのがストレスで体調が悪いなどは、僕の臨床経験ではほとんど人間関係が関わります。仲良くするということは、組織という「他人」との平和につながります。

組織の平和をさらにさらに拡大していくと、世界という「他人」との平和につながります。
世界平和。こんな素晴らしいことはないですね。

そんなの関係ない。
要は「この体」の不調をなんとかしてほしいんだよ。

ほんとうですね。そんなの夢物語です。
しかし、夢物語ではない現実問題として、真剣に考えるべきことがある。

「他人」とは何か?

他人とは、ある程度、自分の思うようになるものです。ちょっとそれを取ってくれない? と頼めば、はい、どうぞ…って、取ってくれますね。
しかし、何でも言うことを聞いてくれるものではありません。百万円くれない? …と頼んでも、まず言うことを聞いてくれる人はいません。

ある程度はコントロールできるが、基本的にはコントロールできないもの。
それが他人です。

この体もそうですね?
腕を伸ばそうと思えば伸ばせる。
でも病気を治そうと思っても治せない。
ある程度はコントロールできるが、基本的にはコントロールできないものです。

この体は他人なのです。

自分と他人との融合。
「この体」を他人と見るならば、体が発する痛みや苦しみとは、他人との中がうまく行かないときに感じる痛みや苦しさなのではないでしょうか。われわれは、体を「大切な他人」と思うことができず、いや、そんなことすら何も考えもせず、体と交わした約束を、破り続けているのではないでしょうか。

食べすぎた後に感じる苦しさ。ああ、もう食べすぎないように気をつけよう。
夜更かしした翌日のしんどさ。ああ、もう夜更かしせぬように気をつけよう。
無理をしすぎた後の体の痛さ。ああ、もう無理はしないように気をつけよう。

何度となく約束し、しかし相手を甘く見て、これまでいったい何度約束を破ってきたことか。

もっと突き詰めましょう。

究極の他人とは、この自分です。
この自分とは、もっとも親しい他人です。コントロールできるようで、できない。
その他人との約束を守る。
これは「自分との約束」を守ることにほかなりません。
「自分との約束」が守れる人は、子供との約束も、親との約束も、夫との約束も、妻との約束も、友人との約束も、隣家や同僚との約束も、守れる人です。…そして世界中の人々と交わした約束 (平和を守るという約束) も… 

そしてそういう人は、かりに約束が守れなかった時、相手が納得できる謝 (あやま) り方ができます。相手が笑って許してくれる。気の毒がって許してくれる。約束を守れなかったのは、事情がある。誰もが納得できる事情がある。その事情にはその約束を上回る重みがある。

そういう「事情」とは、「しっかりした人」、しっかりした重みのある毎日を送っている人にのみ、与えられるものです。

そういう「しっかりした人」ならば、少々の過ちは「この体」も笑って許してくれるでしょう。それが健康です。

その「しっかりしたもの」… 。

それが約束です。約 (しば) って束 (たば) ねる。稲や柴が、バラバラにならないように、一束に融合する。自由ではありません。自分をしばりつける。それが「自分との約束」です。

自由のみを重視する人がいますが、これは大きな間違いです。自由と束縛は両方必要で、この二つは陰陽関係にあります。自由に過ぎたり束縛に過ぎたりすることは偏りです。どちらにも偏しない「中庸」こそが我々の歩む道です。

自由と束縛 をご参考に。

その「しっかりしたもの」…。

誠 (まこと) とも言います。

誠とは「言」「成」です。
言葉が、成就する。現実化する。
口にしたその約束を、なにがなんでも果たす。

健康になりたい。
幸せになりたい。
夢をかなえたい。

その「言」を口にし、実行に移し、そして、かなえる。
そうあるためには、いまここにある小さなこの約束を守り抜く。現実のものとすることからです。
誠ある人は、それを現実のものとして引き寄せることができる。そういう「力」をもっています。

「言」とは声の分断 (五十音) と、言葉としての融合です。
ア・イ・ウ・エ・オと各々の声音に分断し、アイ・イエ・ウエ などに融合すると、愛・家・上 という言葉が生まれます。言葉には意味があります。我々が生きていることにも意味がありますね。意味とは命です。意味が生まれるということは、命が生まれるということです。

言葉には命があるのです。

“この日、この時間に来ます” と、口から放ったその言葉には、もう既に幼い命が宿っているのです。これから立派に成長する「新芽」です。これを、つみとってはならない。

「言」とは、「辛+口」です。
「辛」とは刀剣のことです。刀剣とは分断するものです。「口」から発した声 (鳴き声) を五十音に分断する。
「辛」とは新です。新とは新生です。新しい命です。五十音に分断し、それを融合することで、言葉が生まれる。新しい命 (意味) が生まれるのです。

▶言=辛+口 をご参考に。

分断と融合。
これは陰陽です。陰陽とは命です。

妊婦が出産するのは母と子に分断するのです。母と子という他人に分断され、その他人同士が仲良く心を合わせて融合する。地球上の何十億と言われる人間がいるのは分断が進んだからです。それは融合するためである。より多くに分断し、より大きな組織として融合し一体化する。それが平和です。

分断の最も最小単位が、「この私とこの体」です。この二つが融合した形が健康です。
その次に小さな単位が親と子です。夫と妻です。
この二つが融合できないために起こる心身の病気がいかに多いことか。

最小単位が平和でなければ、一人ひとりが健康でなければ、平和は来ない。
その次の小さな単位である、家族が仲良くできなければ、平和は来ない。
身の回りが平和でなければ、ストレスがかかって健康にはなれない。

なぜ分断の必要があるのか? 人は一人では生きていけないからです。
なぜ融合の必要があるのか? 力を合わせなければ生きていけないからです。

だから約束を守る。束縛。しばりつける。
バラバラ (自由) では成り立たない。まとまらない。

誠のある人、誠意のある人は誰からも信頼され愛されます。
「この体」も、そういうあなたを信頼することでしょう。信頼できるとみたならば、体はもう何も文句を言って来ません。
そして、そういうあなたを愛することでしょう。愛されるならば病気など起こるはずがありません。

予約とは予言です。予言を現実化させる。
予約をたびたび安易な理由で破棄されることを、僕は良しとしません。それは、僕の業務に差し障りが出ることが主な理由ではありません。

「予言を破棄するトレーニング」をすることになってしまうからです。
「願った夢を破るトレーニング」をすることになってしまうからです。

そういうときは、必ず注意をうながします。

ここは、
“健康になりたい” という夢 (予言) を現実化させる場所です。
“病気をなおそう” という希望 (予言) を現実化させる場所です。

予言が現実化しないのは、それを覆 (くつがえ) すトレーニングによる負の成果です。
そんなトレーニングを、当院が推奨するはずがありません。

トレーニングとは、何千何万と同じことを繰り返すことです。たとえば一流バッターもこれをやります。素振りを繰り返す。バッティングマシーンでひたすら打ち返す。これを続けているうちに、体がそれを覚え込みます。だから、試合でここぞという時、体が自然に動いてホームランが生まれるのですね。空振りするトレーニングを何千何万と繰り返していたら、どうでしょう。

だからウソはいけない。
ウソとは、思ったこと言ったことを、その通りの結果にしないことです。
あえて。故意に。
よって、ウソをつく人は夢がかないません。
何をやってもうまくいきません。思ったようにならない。

約束とはしばりつけることです。思ったことが思うようにならないのは、しばりつけていないから、バラバラ (自由) になったのですね。バラバラでは夢は叶いません。夢とは、一心に思い詰めてたどり着く一点です。まとまった一束です。

我が子であろうが、我が親であろうが、我が夫であろうが、我が妻であろうが。
「この体」であろうが、「この心」であろうが。
甘えない。軽く見ない。かわした約束を、真剣に守り抜く。
「他人」との、「自分」との、約束を現実化する。

夢がかなってしかたない。

それは、予言 (約束) を現実化するトレーニングを何千何万と積み重ねてきた人です。
約束を守るという重い作業を、黙々と繰り返してきた人です。
夢とは、多くの「他人」との融合 (信頼) の中で得られるものだからです。

人目を気にしたり機嫌をとったりして守る約束は「誠」とは言えません。
自分と向き合う。自分を裏切らない。自分との約束を守る。これが「誠」です。
自分と向き合って約束を守るならば、常に堂々としていられ、心は常に爽やかです。

「自分」も、コントロールできるようでできない「他人」ですね。

思いを言葉にする、実行する、実現する。
いかなる夢も思いも、全部かなえていく。実現する。
このささいな約束すら。

その礎 (いしずえ) を固く固く、重く重く積み重ねていく。

願ったことが叶ってゆく。
思ったように事がはこぶ。
そう、治るはずのない病気が治ってゆく!

すべては、「この約束」から始まる。

患者さんに、みんなに、それを分かりやすく伝えなければ!

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