打算で考える「健康になる方法」

打算的に考えてみます。

この世の中は、自分だけが幸せになろうと思っても、なれないようにできています。

周りの人が幸せでないと、幸せにはなれません。周りの人がみんなイライラしていて、幸せになれるでしょうか。お米一粒いただくにしても、農家さんたちが元気に健康で働いてくださるからこそ、口に運ぶことができ、この身を養うことができるのです。

周りが幸せであってこそ、自分も幸せになれる。

また、こうも言えます。

自分が幸せでないと、周りを幸せにはできません。溺れている人が溺れている人を救えるでしょうか。まず、自分が船に救われる。だから救いの手を差し伸べることができるのです。

だから、自分が幸せにならなければならない。
ただし、自分だけが幸せになるために、幸せになるのではありません。
周りを幸せにするために、まず自分が幸せになるのです。

そもそもの目的が間違っていると、正しく目的地に着くことはありません。

自分だけが独り占めする。自分だけが勝ち抜ける。自分だけが救われる。

この心には、周りを幸せにする力がありません。

だから、自分を幸せにする力もない。

自分さえ健康になれるのならば、他人に迷惑をかけてもいい。他人の命すら奪ってもいい。

そういう心で健康を望むのなら、それは決して得られることはないでしょう。
たとえその時得られたとしても、それは金メッキのようにいずれ剥げ落ちてしまうことでしょう。

この病気が治るのならば、他の動植物の命など論外。栄養があるなら容赦なく利用する。その目的を遂げるためなら、踏みにじっていい。
そういう心でいったいどれだけ多くの人が健康を求め、そして得られなかったことか。

自然の大いなる手に抱かれ、その中に生を受けたのが「自分」です。
抱いてくれている周りを粗末にあつかって、どうして健康が得られるでしょうか。幸せが得られるでしょうか。

自分さえ良ければいい。
その心を起点として行う療法は、すべて逆の結果をもたらします。

自分も良くなりたい。周囲も幸せであってほしい。
その心を起点として行う療法は、すべて心底に感謝が潜みます。

打算的に考えれば、そこにたどり着く。
だが、そこまで理論的にたどり着いた人がほとんどいない。
だから、老年期を健康でたどり着いた人がほとんどいない。

貪欲に取り込むことを説く医療は多くとも、一歩を譲ることを説く医療は少ない。

感謝を基本とした医療。

それと相反する療法が、星の数ほどあるという現状を嘆きます。

机上の空論ではありません。奇跡を起こしてきたこの臨床での実際です。

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