【質問】
facebookより
58歳女性です。コレステロールを下げる薬を飲むべきか、で悩んでおります。
飲みなさいと言う都会の医者 (冬季間は実家へ数ヶ月間帰る為たまに行く循環器内科医) と、飲まない方が良いと言うかかりつけの医者 (いつも漢方薬を処方してくれているドクター) の間で揺れ動いています。
閉経後、コレステロール値が高くなり、LDL147、HDL67、中性脂肪147、
血圧は、上135下85〜95といつも下が高いです。
クレアチニン0.81、ここ4〜5年はこんな感じです。
コレステロール値が高いことで腎臓が悪くなるのが怖いです。
どのように思われますでしょうか? よろしくお願い致します。
【回答】
58歳女性でクレアチニン0.81ならば、eGFRはだいたい57となります。60以下が慢性腎臓病と言われますので、すでに対策が必要ですね。
慢性腎臓病の原因の主なものは、動脈硬化です。高コレステロール血症は動脈硬化の原因になります。
“安心” こそ、医療の基本
どういう医療を用いるかを決めるのは、悩ましい問題ですね。その問題を考えるときに、最も大切なことを言います。
“安心” です。
医療において、安心ほど大切なものはありません。たとえば子供が高熱で苦しんでいる。親はそれを見てとても不安である。こういう状態では熱は下がりません。ところが病院に行ってみた。薬をもらった。すると、帰りの道中、もうふたりともニコニコしている。まだ薬は飲んでいないのに、です。
これは、親が安心したからです。すると子供も安心する。安心したら、急に元気になった。こういうことはいくらでもあります。この親の場合、西洋医学を信頼しているから、こういう現象が起こるのですね。
信じるものは救われる。それほど安心というのは大切なものです。
よって、見解のちがう二人を主治医とするのは安心が得られず、望ましいことではありません。
ポイントは “真心”
まずは、どちらの先生を信頼するかという部分が大切だと思います。
ただし、信じていてもそれが間違ったものであれば、いずれ裏切られ信じられなくなります。ですから正しいものを求めていくという姿勢が必要になります。信じては裏切られ、また新しく信じる。この繰り返しの中で人は成長していくものです。
どちらの先生を信じたらいいか…を判断する基準は、ぼくは「真心」だと思います。真心を強くもっておられる先生が、より信頼していい先生だと思います。百万円の壺を買えば健康になれる…は、一番信じてはならないものです。しかし、その人のことを利害抜きで真剣に思ってくれる人の言うことは、信じるべきだと思うのです。とくに、迷っているときはなおさらです。それを信じていれば完璧に救われるということは無いでしょう。しかし、正しい方向に進むのならば、この方法しか無いと思います。
真心とは、無償の愛のことです。例えば子供の頃、親がああしろこうしろと、うるさかったですね。そのときは、なんでこんなことをしなきゃいけないのか…と不満にも思いました。しかし今、親と同じ年代になって、それが大切なことであったことがよく分かります。無償の愛とはそういうものです。嫌われようがその人の先々のことを思いやる。ですから、その愛を受け止める側も、「もし間違っていたとしてもかまわない」という覚悟が必要となります。真心ある人のことを信じて、もし裏切られても構わない…これも真心です。人生とは、こういう「真心のせめぎあい」のなかで良い方に進んでいくものであると確信します。
よって、〇〇さんが「薬を飲むべきか飲まざるべきか」に対する回答はできません。
ただし、ぼくならどうするか、という答え方ならできます。
コレステロールは必須栄養素
まずコレステロールは、そもそも体に必要なものであるというところからお話します。女性の場合は閉経後、コレステロールが高くなることが多いですが、性ホルモン (エストロゲン・プロゲステロン・テストステロンなど) は、コレステロールを材料にして作られます。副腎皮質ホルモン (ステロイド) も同様です。みな「ステロ」「ストロ」が付きますね。
またコレステロールは細胞膜の材料として必要です。人体を構成するのは細胞なのですから、そう考えるとコレステロールを骨格として人体は成り立っているとも言えます。またコレステロールは胆汁 (胆汁酸) の材料となります。また、紫外線を浴びることで皮膚でコレステロールからビタミンDを作ります。
こんな大切なものでも、摂り過ぎはいけないのですね。たとえば塩は人体にとって無くてはならないミネラルですが、摂り過ぎも摂らなさ過ぎも良くないということは周知の事実です。コレステロールも同じです。三大栄養素 (糖質・脂質・タンパク質) も、摂りすぎると肝臓の負担になります。
コレステロールは、食品に含まれます。たとえば卵にコレステロールは多く含まれていますので、卵を食べるとコレステロールは小腸から吸収されます。
コレステロールや脂質 (中性脂肪) や糖質は、ダイレクトに体内を循環します。アミノ酸はいったん肝臓で分解されて再合成され、「ヒトのアミノ酸」に変える必要があるので、ダイレクトに体内を循環せず、肝臓で化学処理を受けてから循環するということになります。
ほとんどは糖質や脂肪から合成される
では、コレステロールを含まない食品ばかり食べていればコレステロールが減るのかというと、そうではありません。コレステロールを全く摂取しなくても、脂質・糖質の過剰分を材料として、肝臓によってコレステロールは合成され作り出されるからです。糖質や脂質をとらず、タンパク質のみを摂ったとしても、タンパク質も糖新生で糖質に変化しますので、結局は三大栄養素どれも、コレステロールを合成することになります。
つまり、コレステロールは外部から摂ることも可能だし、体内 (肝臓) で合成することも可能なのです。
二方面から確保できるように設計されているのですね。いかにコレステロールが人体にとって必要不可欠なものであるかが良く分かります。外部から摂り込めなくなったときのために体内で合成するというインシュアランス (保険) が進化したものと思われます。
ちなみに外部から摂り入れるコレステロールは全体の2〜3割と言われており、あとの7〜8割は体内で肝臓により合成されるコレステロールです。人類進化の過程で、外部から取り込むだけでは足りなかったということです。これも、コレステロールが人体を作る材料として欠かすことができないということを暗示します。また、コレステロールを多く含む食品を控えただけでは、コレステロールは下がりにくいとも言えますね。体内で合成させないためには、その材料 (三大栄養素) をたくさん取り込まないことです。
そしてこれは、人類進化の過程で類例がないほどに、かつて無いほどに我々は食べすぎていることを示唆するものでもあります。
コレステロールを下げるお薬は、小腸がコレステロールを吸収するのを邪魔する働きがあります。
あるいは、肝臓がコレステロールを作るのを邪魔する働きがあります。
本来あるべき働きを阻害する…あまりいい響きではありませんね。こういうところから、まずは生活習慣を改善することでコレステロールを下げることが望ましいという考え方が生まれます。
どうせ余ってしまう
いったん入ってきた栄養分、つまり体を作る材料は、プラマイゼロになるのが自然の姿でしょう。しかし現代人の生活は、栄養量のほうが消費量よりも多くなってしまいました。
その歪は、たとえば肥満・中性脂肪・脂肪肝・高血糖などという形で現れています。そのなかにコレステロールも挙げられるということです。これらは放っておくと、死に至る病を引き起こすものばかりです。ガン・脳梗塞・心筋梗塞・肝硬変…。
よって巨視的に見たとき、コレステロールという数値的な「結果」を良くしようと思ってもそれは小手先に過ぎず、口から入ってくるモノの量を制御しなければ、モグラたたきは永遠に続くと言っていいと思います。
では、「口から入ってくるモノ」が、なぜにこうも入ってきてしまうのか。
美味しすぎるからです。不自然なほどに。
だから生命を養うための上限量を越えて、食べる。
その結果、糖・脂質・コレステロールが余る。
「頭でっかち」に見切りをつけろ
美味しさには上限がありません。いまも、更に美味しいものが食材や料理の専門家によって作られ続けているのです。
美味しいものはあっていいのです。華やかな社交はあっていい。
ただし、帰るべき “ふるさと” を忘れてはなりません。
“ふるさと” とは?
それは精です。陰陽を生み出すものです。
それは母乳です。粉ミルクとは比較にならないくらい、淡い味わい。
その淡さに、最も近い味とは何でしょう。炊きたての、温かいご飯。
今の食卓は、その料理が片隅に追いやられています。少し前までは、お膳の真ん中に堂々と据えられていました。
その、主食を忘れた結果、淡い味を好まなくなった結果、強烈な美食のみを食するようになった結果…。
その結果こそ、食べ過ぎるという不自然。
不自然にも、栄養が余る。糖・脂質・コレステロールが余る。
塩も砂糖も使わない唯一の料理、ご飯。
この淡い味を、慎み感謝しいただく。 “ああ…、おいしい…”
その結果として、気が下がる。これほど気が下がる料理はないということに気づくべきです。薬膳の首たるものであると知るべきです。
美食は気が昇ります。 “おいしーーー!!!! ”
逆上させます。興奮して、いくらでも食べられる。
“ごはん” は、精を補いつつも気を臍下丹田に下げ、食べ過ぎまで防いでくれる至高の料理であると知るべきです。
美味しさの閾値は際限なく上がっていきますね。昔話にあるように、お米を至高のごちそうのように食べていた時代もありますが、現代の特に子どもたちは、お米をなんとも感じていない人が増えたと思います。
感謝の閾値もそうですね。豪華誕生日プレゼントをもらわなければ嬉しいと感じられないよりも、この一杯の水を心から喜ぶことができれば、いかほど幸せかと思います。
閾値は低ければ低いほど幸せなのですが、より強い刺激 (美味しさや豪華さ) が閾値を上げてしまう (ぜいたくに慣れてしまう) ように思います。
原点に立ち戻る (閾値を下げる) トレーニングが求められる時代であると思います。
栄養学的に考えれば、米も砂糖も同じ糖質です。あるいは、白米も米粉パンも同じ成分です。あるいは白米をこねてメン (ビーフン) にする。だから同じものだと考える。そういう考え方が、臨床に合わない。
具体例を挙げましょう。
植木鉢に土を入れる。その土を、一方はそのままふわっと盛る。もう一方はスリコギ棒ですりつぶしコテコテにする。そして、それぞれに花の苗を植える。前者はスクスク育ち美しい花を咲かせるでしょう。後者はどうでしょうか。
土の成分は全く同じです。だから、どちらも同じように花が咲く…と考えるのが頭でっかちの学問です。実際は、後者では花の命は育ちません。これが実地です。臨床です。コンサルタントにクライアント。そういうことをよく分かっていない双方の人たちで、この現場は成り立っています。
お寿司やカレーライスにすると、白米の特徴を失う (白米ではなくなる) ことになってしまいます。
お寿司屋さんで食べる酢飯と同じ量の白米は、多すぎて食べ切れるものではありません。
ふだんご飯をお茶碗1杯しか食べない子供が、カレーライスにすると3杯分食べるなどはよく見られる光景です。
おにぎりやふりかけご飯でも、そういう変化が見られることがあります。ここまで考えるのが臨床です。
以下のリンクは、米を全く食べなかった人が、僕の指導で白米を食べだして、数十年来の高コレステロール血症が改善した例です。
白米とメン、どっちが食べ過ぎるか考えてみてください。
白米とおかず、どっちが食べすぎるか考えてみてください。
白米とケーキ、どっちが食べ過ぎるか考えてみてください。
栄養学では、食べ過ぎは防げません。
美味しさは、栄養学 (物質的) では切れません。
人は、「モノ扱い」では切れないのですね。
「人間扱い」しないと、良い結果にはなりません。
「うつわ」に収まるのか?
この体を、食べ物を容れる「うつわ」であると考えてみましょう。
「うつわ」に入り切らない量が入れば溢 (あふ) れます。それが、高血糖であることもあれば、中性脂肪であることもあれば、コレステロールであることもある。
体はいまも、あふれてこぼれた汚いそれらの掃除に明け暮れて、しんどい、しんどいと呻いています。受け入れることの出来る「うつわ」は、日に日に小さくなるばかりです。
そうです、この「うつわ」は小さくなるのです。それが生命力です。
「うつわ」が小さくなれば、食べすぎていなくても溢れるということが分かるでしょうか。食事にこんなに気をつけているのに、数値が全然下がらないのは、この構図をイメージすればいいでしょう。
「うつわ」を小さくするのは…。
・たった一口の間食です。
・夜更かしです。
・無理しすぎることです。
これらすべてを後押しするもの…それが「気の上昇」です。興奮です。
やみくもに運動しても、体調をくずして持続できなければ意味無しです。
こういうことを、ブロクで何度も書き散らかしてきました。
「自分でできる健康法」、記事は全部で56個もあります。こんなの全部読めないですよね。でも、何度も繰り返し声に出して読めば、その人なりの答えが見つかり、その時々の直感が得られるものであると確信します。
「実際の治療例」、記事は今のところ116個あります。人体生命を「うつわ」と見て、溢れれば病気と見、そこに収まれば健康と見る。その見方は一貫しています。「うつわ」 (キャパ) を小さくする要素とは何なのか、「うつわ」 (キャパ) を大きくするにはどうしたら良いのか、ヒントが散りばめられています。
まとめ
一言で片付く答えなどありません。
食べることだけ気をつければなんとかなるものでもありません。
実践 (臨床) とはそういうものです。自分で方法を決めたいと思う時点で、臨床の現場に踏み込むことになります。百人いれば百通りの方法があると思ってください。人間はマウスではありません。マウスは百匹いれば百匹とも同じ方法で同じ結果がでるでしょう。バカの一つ覚えで良いのです。しかし人間はバカではありません。思考も行動も同じというのは二人といないのです。
それを、あえて一言で言うならば、 “自然” です。その指し示す方向に進む。
しかし、そもそも自然とは何か。
時所位に応じて変化するもの。東洋思想は、それを陰陽と表現しました。
現代とは、それを見極める直感がいかに得難い時代であるかを、いま書きながら痛感します。
おそらく、人体を作るところの肝臓が、急激に回復するのでしょう。肝臓については後述します。そもそも肝臓は4分の3切り取られても元通りに再生する回復能力を持っています。こんな実質臓器は他にはありません。