72歳。女性。2024年1月13日初診。
わずか2週間で、 “全く別人です” (娘さん談) となった症例である。
認知症治療の前提
同居の娘さんに付き添われて来院。
ぼく「娘さんからご相談を受けて、お母さんが記憶力が落ちているって伺っているんです。それで、〇〇さんはご自分でどう思われますか? 」
本人「自分ではよく分からないです。」
ぼく「そうですか。で、娘さんは? やっぱりおかしいなって思いますか? 」
娘「はい、おかしいと思います。」
ぼく「お母さん、娘さんがそうおっしゃってますけど、娘がそう思うんならそうなのかなって思えますか? 」
本人「はい、娘がそう言うのなら、信じます。」
ぼく「お母さん、それでいいですよ。娘さんほどお母さんのことを心配している人はいない。娘さんは、この世の中でお母さんのことを一番大切に思っている人なんです。そういう人の言うことを信じる。お母さん、すごい! それでいいです。それなら良くなるかもしれません。」
本人「はい、ありがとうございます! 娘のことを信じます! 」
娘さんが両手で顔を覆って泣く。
そんな光景から、この軽度認知障害の治療は始まった。
信じるという要素のない人が、奇跡を起こすのは難しい。
症状
娘さんから見た具体的な症状は、
・物忘れがある。
・言葉が出ない。何か言おうとしても応答できない (言葉を思い出せない) 。
・簡単な料理はできるが、複雑な工程の料理 (てんぷらなど) ができなくなった。
・日常生活は介助を必要としない。
また、体の面では、
・腰が「く」の字に曲がっている。伸ばすと腰が痛い。
・ほとんど動こうとしない。椅子に座って死んだようにグッタリしている。
・体の動きが鈍く、スムーズに動けなくなった。トボトボと歩く。
・寝返りはプルプルしながら時間がかかり、ベッドから落ちそうで危なっかしい。
・耳が遠くなった。言葉をかけても応答がない。テレビの音が大きい。
・口臭がある。
・歯槽膿漏で、右下奥歯の歯が浮いて硬いものが噛めない。
また、ご夫君が当該患者に向かって不満をいうと、パニック (過呼吸・動悸) を起こすことが多々ある。
病因病理
パニックのような落ち着かない症状は邪熱である。肝鬱 (ストレス) から化火をおこして邪熱があるのだ。顔も赤ら顔で、邪熱があることを示す。
くの字に曲がった腰を診察すると、左側が異常に硬い。右膝も変形しており、かつて膝に水 (痰湿) がたまった状態が長く続いていたことを示す。これらは、甘いものなどの間食・過食による「痰湿」である。変形は、痰湿が瘀血になろうとしている姿、あるいはすでに瘀血になった姿である。モチモチの餅 (痰湿) は、長い間放置するとカチカチ (瘀血) になるとイメージすればいい。
【邪熱】熱は上に昇りやすい。上に昇った邪熱は、脳の気血を襲い弱らせる。
【痰湿】邪熱の上行によって痰湿も上に昇り、痰湿のドロっとして重い性質は、頭の回転 (また言葉の出) を重くし鈍らせる。また全身を犯した痰湿は、体全体を重くし、機敏な動きを鈍らせる。また耳 (清竅) を痰湿が犯すと、水中で耳が聞こえにくくなるように難聴をきたす。
【湿熱】熱は痰湿 (臭くて汚い) を熱して口臭の原因となる。また歯を犯すと歯槽膿漏の原因になる。
【寒邪】体の表面を取り囲んだ寒邪は、邪熱を魔法瓶のように閉じ込め、痰湿を冷えた餅のように固まらせる。
脳は熱に焼かれて痰湿がこびりついている状態であるとイメージする。
指導
「食べること」が大切である。我々の体は食べ物を材料にしてできている。いま、軽度認知障害を引き起こしているのが脳の問題であるとするならば、その脳も、食べ物を材料にしてできているのである。では、食べ物 (他の生物) を、この体 (人体) に変えているのはどこか。肝臓である。その製造元が疲れ切っていると、少し不出来な製品、不出来な脳を作ってしまう。肝臓を疲れさせないために大切なのは食養生であると説明した。
肝臓を生き生きとさせ、いい仕事をしてもらうことが大切である。いい仕事をするためには、落ち着いて仕事をすることが大切である。落ち着いてするためには、陰 (落ち着き) をたっぷり補充する必要がある。陰を補充するためには、早く寝る事が大切であることを説明した。
肝臓の弱り、イコール生命力の弱りである。生命力が弱ると、寒邪に取り囲まれてしまう。寒邪に取り囲まれると、銃口を向けられて取り囲まれているようなもので、その環境下では生命力は永遠に強くなれない。そういう絶望的な状況だから、認知症は進行性なのである。これから治療で寒邪を取り払う旨、説明した。また、寒邪が取り囲めなくなるくらいの生命力に回復するまでは、運動や無用の外出を控えるよう指導した。
ここで肝臓といったのは、気血生化の源である「脾」のことである。一般の方でも理解しやすいように、西洋医学的に説明した。
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治療
初診…1月13日 (土)
【症状】うつ伏せになってもらうとき、プルプルしながら時間がかかり、ベッドから落ちそうで危なっかしい。
【痰湿スコア】箕門まで。異常域である。 >> 邪気の数値化…邪実スコアと痰湿スコア
【気の到達レベル】頭頂部まで気が至っていない。これは知能障害が存在することを意味する。
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【治療】百会に金製古代鍼を3秒間かざす。
治療を終えて、うつ伏せになってもらうと、治療前と打って変わってスムーズにできた。わずか数秒での変化である。これなら…と、ベッドから起きて歩いてみるように言うと、スムーズに歩ける。その姿を見て、娘さんが 「わっ 腰がのびてる!」 と驚きの声を上げた。いつもなら「く」の字に曲がっているのに、まっすぐ立てているのである。本人は、ニコニコしながらサッサと何度も往復する。
じつは治療後、膝から下が冷たかったものが、鍼をかざした後、5分後に温かくなった。これは、寒邪が取れたことを意味するだけでなく、痰湿がサラサラになって正気 (生命力) として循環し出したことを意味する。硬くなっていた腰の痰湿が柔らかくなったのである。餅は冷えていると硬いが、温めると柔らかくなるが、それと同じことが起こったのである。赤外線などで温めてもこういう効果は出ない。寒邪を取る (気を動かす) から効果が出るのである。
2診目…1月15日 (月)
【症状】すごく動きやすくなった。腰は伸びた状態が続いている。口臭が消えた。
【痰湿スコア】梁丘まで。まだ異常域ではあるが、前回よりもまし。
「ましになってきていますよ。この調子で努力を前に進めていってください。」
【気の到達レベル】やや改善。
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【治療】百会に2番鍼。1分間置鍼。
3診目…1月19日 (金)
【症状】変わりなく調子がいい。
娘さん「 (腰が伸びたので) 背が高くなりました笑。」
【気の到達レベル】さらに改善。
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【治療】百会に3番鍼。1分間置鍼。
【指導】ウォーキング (5分) を開始するよう指導。脈診で体に聞き、開始してよいか、何分にするかを診断する。
4診目…1月23日 (火)
【症状】
本人「かろやかになりました。」
娘さん「記憶がすごく良くなって、まるで別人です。」
【気の到達レベル】前回と同じ。
【痰湿スコア】犢鼻まで。まだ異常域ではあるが、ましになってきている。
【治療】百会に3番鍼。2分間置鍼。
5診目…1月26日 (金)
【症状】
本人「さわやかです。」
娘「天ぷらを作ることができて、泣いて喜んでました! ほんとうにありがたいです!」
天ぷらを作れたのは、おととい (1/24) のことである。今までは、簡単な料理 (同じメニュー) なら作れたが、天ぷらのように工程の複雑な料理は作れなくなっていた。
また、歯槽膿漏で、右下奥歯の歯が浮いていて噛めなかったが、治った。硬いものが食べられるようになってうれしい。
【痰湿スコア】足三里まで。正常域に入った。
【気の到達レベル】頭頂部まで到達。この状態が持続できれば髄海 (脳) の気 (機能) が回復する。
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【治療】百会に3番鍼。5分間置鍼。
【指導】ウォーキングを10分に伸ばすよう指導。
その後の経過
2月20日現在、週に2回の治療を欠かさず続けておられる。ウォーキングは20分になった。
初診以来、パニック (過呼吸と動悸) は一度も起こしていない。というより、ご夫君から不満を言われても、言い返せるようになった。今までは言葉が出なかったので、何も言えなかったのである。
右膝の変形がありベッドで寝ても膝裏が浮いていたが、まっすぐに伸びてきた。餅のように固まっていた痰湿が緩んできたのである。右膝痛も楽になった。
赤ら顔もましになった。陰 (やすらぎ) が補われたのである。
- 認知機能 (記憶力) の低下
- てんぷらを作る工程が思い出せない
- 言葉が出ない
- 難聴
- 気力がない
- 歯槽膿漏・口臭
- 腰痛による前屈
- 膝関節痛・変形
- パニック (過呼吸・動悸)
初診から40日で改善した症状を列挙した。治療穴は百会のみ、まさに「芋づる式」である。これが東洋医学の特徴である。
考察
治療機会が大切
まず、大切なのが週に2回の治療を欠かさず続けておられることである。もちろん、週に2回来てさえいれば治るという確証などない。しかし、治っていくための必要条件であることは、あらゆる患者さんにおいて診察上言えることである。
たとえばウォーキングは脈診で体に尋ねながら時間を増やしていくのだが、本症例では2週間でウォーキングを10分間にまでこぎつけた。これにしても、週に1回の治療では時間が伸びてこない。
このように、週に2回というペースは重要で、治療が思うようにできなければ、それだけ難しいミッションとなる。
それでなくても、あらゆる慢性病は、治ったら奇跡なのである。
ドーゼ (刺激量) が大切
技術的に重要なのは、ドーゼ (置鍼時間などの刺激量) である。本症例は、百会穴しか用いていない。さらにその刺激量にも工夫がある。
初診…古代鍼をかざすのみ
2診目…2番鍼を1分間置鍼
3診目…3番鍼を1分間置鍼
4診目…3番鍼を2分間置鍼
5診目…3番鍼を5分間置鍼
というふうに、少しずつドーゼを増やすことで成功した。
もし、初診の段階で鍼を打っていたら、かえって悪化して患者さんとの信頼関係が築けず、認知機能改善その他の効果は得られなかったと考えている。スムーズな改善の秘密はこの緻密さにある。
鍼を刺すか刺さないか、番手は何番にするか、置鍼時間は何分にするか、これらのことはヤマカンでやっていいことではなく、テンプレート的に決めてやっていいことでもない。湯を沸かす時、この水量をこの水温ならどの程度の鍋でどの程度の火力を用いれば何分で適温 (たとえば60℃) に達するかということは、経験さえ積めば分かるし確定できるだろう。多面的な要素 (水温・水量・火力) をもとにして決定されるのである。適当にやってうまくいくものではない。鍼も同じである。ありきたりのツボを使っていてもこうした著効が現れるのは、適当にやっていないからである。
ドーゼをはじき出す際、どういった要素を用いて計算するかは、その人それぞれの「気の捉え方」による。
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こうした要素によって、恐ろしく治療効果が変わる。
いかに一本鍼とはいえ、鍼は薬に比べて再現性は極めて乏しいということもよく分かる。
素直さが大切
本症例から一番学びになったのは、素直さがどれほど大切であるかということである。
当該患者は素直な女性であった。一生懸命に診察する僕のことを信じた。僕の話を真剣な表情で聞き、僕が勧める養生指導を無条件で信じ、養生が至らなかった時は自ら申告してはにかみ、症状が改善すればキラキラと目を輝かせ、「ありがとう」「うれしいです」が口癖であった。
年齢は72歳、記憶が薄れつつあるのは不可逆的 (いったん進むと戻れない) で、回復するということは奇跡である。アルツハイマー型認知症の新薬として注目されるレカネマブは、アミロイドβ (蓄積で脳神経細胞を破壊) を除去する医薬品である。その新薬ですら、症状の進行を7カ月半遅らせる効果でしかない。
奇跡の起点はどこであっただろう。
その起点は、アミロイドβを鍼でどうにかしたことではない。
冒頭に挙げた問答である。
世界で一番大切に思ってくれる人のことを、無条件で「信じる」という奇跡であった。
脳性麻痺などの運動障害のある子供を診察する場合があるが、知的障害を伴う場合は気が頭頂部まで至っているかを診察する。頭頂部まで至っていない状態では知的障害が改善し難く、頭頂部まで至っている場合は表情が豊かになるなど脳の発達を促す場合がある。よって、頭頂部まで気を至らせるるように治療することをポイントとしている。認知症も同じである。