コメカミの痛み…やっぱり食べすぎてしまうんです

48歳。女性。

急に食欲不振となり、連日治療して間もなく回復した。いまは間隔をあけて治療している。

「どうですか?」

「もう普段通りなんですけど、夜がつい食べすぎてしまって、寝る前に胃が痛くなるんです…。朝には治っているんですけど…。」

「食べすぎてしまうんですね。いいですね。そういう “原因” がちゃんと言えてる。胃痛は結果ですね。結果ばかりを気にしていない。原因を気にしていますね。それでいいですよ。」

「今日は、朝からすこしコメカミが痛くて、午後からハッキリ痛くなってきたんです。これも食べすぎてるから痰湿かなって…。雨が降ってきたんで、それも関係あるかなって。」

「コメカミ、今も痛い? 」

「はい。」

行間を診る。反応なし。雨天は少し影響している (雨の日は家の中も湿気てくる) かもしれないが、湿邪に入られている (窓が開いていて雨が入ってきている) わけではない。大したことはない。手をコメカミにかざす。左右とも、痰湿の反応がある。下肢を診るが痰湿のレベルはギリギリ合格点である。

「おっしゃるように、コメカミに痰湿がありますね。でも、これは部分的に残っている痰湿です。全体の痰湿は合格点なんですよ。ちゃんと原因を見つめられているし、結果に振り回されていない。食べすぎてるなっていう反省も含めて、この調子でいいんですよ。」

「え〜…でもね、やっぱり食べすぎてしまうんですよ。で、胃が痛くなって、これで食べ過ぎなんだ〜って思って、もう少し減らそうっと思うんですけど、これからずっと減らさなあかんのか…って思うと、なんか切なくなるんです…」

理想は何か分かっている。でも理想通りにいかない。そのジレンマ。

「なるほど、微妙ですね。でも、その微妙さが自然なんですよ。減らさなあかんのですよ? でも今は減らさなくていい。無理をしたらあかん。無理せずに、食べ過ぎたらいいんです。そして胃が痛くなったら、それはそれでいいんです。ずっとそれではあきませんよ? でも今の段階では、それでいいんです。10キロマラソンで、いま2キロ地点にいるということを否定しちゃダメだ。」

もちろんこれは、当てずっぽうで言っているのではない。気滞・痰湿・瘀血・邪熱のどれが主体になるかを、合谷・曲池・三陰交・後渓で比較し、神闕でも確認して痰湿と断定し、さらに切経で、痰湿スコアを検討した上で診断する。こうして確証を持ったうえで、この患者さんの今を肯定しているのである。

「矛盾したことを言ってるようだけど、そうじゃない。それが自然ってもんです。植物ってみんなそうでしょ? 太陽に届こうとしている。だから上に成長するんですね。でも届かないんです。届かなくていいでしょ? でも、だからといって “じゃあ成長するのもうや〜めた” っていう奴はいない。届かなくても届く気満々でいて、生き生きしている。こんな話、したことあったっけ?」

「ブログで読んだことありますけど、直接は聞いてないですね…」

太陽にはとどかない、でも成長をやめない
成長とは何か。これを自然から学ぶ。植物の成長である。

その話を詳しくした。
たった1mmの成長、それができている今を否定してはならない。
たった1mmの成長、それができている植物は生き生きしている。
その、生き生きさこそが健康なんだ。

「人間ってね、自然から生まれたものなんですよ。人工物じゃあない。だから、自然の法則がそのまま当てはまるんです。」

からだ = 自然

コメカミに手をかざす。痰湿の反応はもうない。
鍼を打とうとディスポの包装を剥きながら、

「いま、コメカミは痛いですね?」

「はい、…あれ? あ、痛くないです。」

「ちょっとは痛い?」

「いえ、まったく。」

そうですか、と言いながら、百会に一本鍼。

抜鍼後、

「また痛くなってきた? 」

「いえ、痛くないです。」

「また痛くなってもいいんですよ。大切なのはそんなことじゃなく、さっき話しましたね。こうやって話を聞いたら、いま、痛みが消えた。体が教えてくれてるんです。それで間違いないから信じなよって。信じていい。百万円の壺は信じちゃダメですよ?損するからね。 でも、これは信じて何の損もない。大事なことだから、自然が証しを立ててくれる。そういう場合があるから、話によって痛みが止まったかどうかを、鍼を打つ前に確認するんです。鍼が大切なんじゃない。今の話が大切だってことを “自然” が、 “からだ” が、こうやって証しを立ててくれるんです。 “からだ” はね、〇〇さんに成長してほしいって、本気で願っているんですよ。」

「すごく分かりやすかったです。」

段階というものがある。小学校1年生は足し算ができれば合格、その合格の「自信と安心」を元に、次の引き算に進むのである。まだ方程式はできなくていい。

成長を助ける。見守る。

成長して、生き生きしていくこと (健康になっていくこと) を願いながら。

“こんな体だからもう無理なのかなって思ってたんですけど、なにか希望が持てるようになりました”

その後の診察でうかがった言葉である。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました