昔の人は元気になればその分は農耕などで動きましたが、現代人は元気になったらなった分だけ食べたり夜ふかししたりなどに走ります。元気にする (正気を補う) とかえって邪気が増える。これは虚実錯雑の特徴です。とくに補剤には注意が必要です。すぐに悪化するわけではありませんが、食べ過ぎ (痰湿) や夜ふかし (邪熱) などの邪気を、水面下で増し続ける可能性を想定する必要があります。
奇経は、正気を補いつつも邪気を元気づけない機構が存在すると考えられ、以下はそれを理解するための奇経の立体的構造を解説したものです。
正経 (普通の経絡) が分からないと、もちろん奇経は分かりません。だから応用編です。しかし、奇経が分からないと臨床ができません。正経だけで行けるほど、現代人の病態は単純ではないからです。
▶奇経八脈とは
奇経八脈 (きけいはちみゃく) とは、
・任脈 (にんみゃく)
・督脈 (とくみゃく)
・衝脈 (しょうみゃく)
・帯脈 (たいみゃく)
・陽維脈 (よういみゃく) と陰維脈 (いんいみゃく) … あわせて両維脈ともいう
・陽蹻脈 (ようきょうみゃく) と陰蹻脈 (いんきょうみゃく) … あわせて両蹻脈ともいう
のことです。任脈と督脈はご存じの方も多いでしょう。重要穴処が多いですね。
しかし、ほとんど謎の概念に近いと思ってください。 その概要、つまり臓腑経絡との位置関係を知ることが大切です。
▶難経における奇経八脈の概要
奇経八脈は、難経二十七難にその概要が示されています。百花繚乱の解釈があります。僕なりの解釈をします。
脉有奇經八脉者.不拘於十二經.何謂也.
<難經・二十七難>
然.有陽維.有陰維.有陽蹻.有陰蹻.有衝.有督.有任.有帶之脉.
凡此八脉者.皆不拘於經.故曰奇經八脉也.
經有十二.絡有十五.凡二十七氣.相隨上下.何獨不拘於經也.
【訳】脈に奇経八脈というのがあって、十二経に拘らないというが、どういう意味だろう。
そうだ。陽維脈・陰維脈・陽蹻脈・陰蹻脈・衝脈・督脈・任脈・帯脈、
これらは八脈であり、みな経脈に拘らない。だから奇経八脈というのである。
経脈には十二脈あり、絡脈には十五絡あり、上下に循環している。なぜ奇経だけが経脈に拘らないというのか。
然.聖人圖設溝渠.通利水道.以備不然.
<難經・二十七難>
天雨降下.溝渠溢滿.當此之時.霶霈妄行.聖人不能復圖也.
此絡脉滿溢.諸經不能復拘也.
【訳】そうだ。聖人君子は先のことを前もって図り、河川 (経脈←聖人が管理している) が氾濫しないように、バイバスとして溝 (絡脈) を設備して整え、いざという時に備えるものである。
ところが天から雨が降って 、溝 (絡脈) までが満タンになり溢れることが考えられる。まさにこの時、霶霈※として水が妄行しあらぬところに流れ出てしまうこととなる。予期せぬ大量の雨 (大量の飲食) は、いかに聖人といえどもそれを前もって図り想定することはできない。 (しかし実際は、水が妄行することはない。)
※霶霈 ボウハイ … 大雨の降るさま
同じように、(口から飲食物つまり水穀の精が降ってきて、水穀が経脈から溢れて) 絡脈までもが満タンになり溢れて妄行することが考えられる。 (妄行したとしたら、経脈にあるのが正気だけならば水穀で元気づき貯金もせずに使い果たし、経脈に邪気もあるならば邪気も水穀で元気づき正気と抗争し、混乱をきたす結果となるだろう。しかし実際は、たくさん飲食したからと言って混乱することはないのである。) 経脈はというと、そんなことは預かり知らぬところであるし、知っていたとしても今さらどうすることもできないのである。 (しかし水が妄行するようなことにならないということは、経脈が預かり知らない “深い湖” のような奇経八脈があり、ここに知らぬ間に流れ込んでいるおかげである。)
陽維陰維者.維絡於身.溢畜不能環流灌漑諸經者也.
<難經・二十八難>
【訳】陽維脈・陰維脈は身を維絡 (丈夫な幕でまとうように維持) する。溢れて貯蓄した分は、 (スムーズに) 環流して諸経を灌漑することはない。
比於聖人圖設溝渠.
<難經・二十八難>
滿溢流於深湖.
故聖人不能拘通也.
而人脉隆盛.入於八脉.而不環周.故十二經.亦不能拘之.
其受邪氣.畜則腫熱.砭射之也.
【訳】聖人 (←河川・経脈を管理している) においては、溝 (絡脈) を計画的に設備して整える。
(一方で、大雨による水は) 滿溢し、 (知らぬ間に) 深い湖に流れこむ。
故に聖人は拘ったり水を通じたりはできないのである。
このようにして、人の脈が隆盛であれば、奇経八脈に流れ込み、それはグルグル周ることがない。だから十二の経脈は拘ることができないのである。
(この奇経に) 邪気を受ければ、 (スムーズに循環しないだけに) 蓄積し、 (穴処などが) 腫れて熱を持つこととなる。その場合は石で作った針を射 (う) てばよい。
▶中医基礎理論における奇経の概要
<中医基礎理論>の奇経八脈についての概要をまとめます。
- 奇経とは、十二正経 (いわゆる経絡) とは「異」なるものである。奇は異である。臓腑に直属せず、表裏配合もない。十二経脈と異なり、奇経は上肢に分布がない。走行は下から上に循行する (帯脈を除く) 。
- 奇経は五臓や奇恒之府と関係がある。
- 十二経の気血が余った時に奇経に貯蓄し、不足したときに奇経から補充する。
- 十二経脈同士の連携を強める。督脈は陽脈の海、任脈は陰脈の海、衝脈は十二経の海、帯脈は十二経を束ねる、両維脈は表と裏をそれぞれ一枚の幕のようにつなぎ、両蹻脈は左右の陰と陽をそれぞれ支配する。
▶考察… “深湖” とは
概要を知ることが大切です。
▶難経と中医基礎理論の総括
まず、正経 (十二経脈) に対する奇経です。正攻法に対して奇攻法という言葉があります。正と奇は陰陽関係にあります。まずこれが大きな概要です。
つぎに重要な概要です。
- <難経>に “深湖” という表現が出てきます。これが奇経のことです。ダム湖ですね。
- 経脈とは川のことです。
- <難経>に “溝渠” つまりミゾという表現が出てきます。これが絡脈です。絡脈とは経脈と経脈をバイパスのようにつなぐ脈のことです。水の圧力を逃がすために人工的に作った水路… と例えて言っています。大雨が降って川が氾濫し渋滞しないように、あらかじめバイパスを作っておいて、有事に備えるのです。これは人間的努力です。
しかし、自然というのは時に人力では制御できない力で津波のように押し寄せます。そんなレベルの大雨が降っているのに、川が氾濫していないことにみんな気づいているか? それは “深湖” のように少々の雨では水位がビクともしない受け皿があって、それが知らぬ間に処理してくれているんだよ… ということです。だから “正経は拘らない” のです。
自然の持つ大きな包容力や制御力、そういう恩恵を我々は知らないんだよ… 難経はそう言いたいのではないでしょうか。自然治癒力もそうですね。知らぬ間に治してくれているのに、我々はそれに気づいていない。
奇経はそれほど、見えづらい大きな世界であると言えます。だから謎のベールに包まれているのですね。
難経では、いったん奇経に流入すると、 “不環周” と言われるように正経には戻ってこない… とされます。中医基礎理論では、正経の気血が不足すると奇経の余剰分で補充するとあります。一応説明しておきますが、奇経に蓄えられた気血は、正経に向かっては何の障壁もなく循環していくのではないが、少しは循環しています。ダム湖と河川がイケイケの関係なら、ダム湖は河川になってしまいますね。考えれば分かることですが、字句の解釈だけに終始すると解けない部分です。
正経が河川に沿った人間の居住区域であるとすれば、奇経は地球全体と言えるでしょう。地球という自然環境が、具体的に何をしてくれているのか、それは “聖人” といえども窺知しうべからざるところなのです。
▶虚実錯雑に用いる
さて、これを臨床にどう生かしましょうか。虚実錯雑に応用できます。
虚実錯雑とは、正気の虚を補えば邪実が増し、邪実を瀉せは正気の虚が起こる… という厄介なものです。
しかし、これを正経でやらず、奇経でやるとどうなるか。
ダム湖 (奇経) と河川 (正経) の関係… ぼくはこれを源頼朝と義経の関係に例えます。頼朝がダム湖、義経が河川です。
源平合戦 (病気) をイメージします。義経軍 (正気) と平氏 (邪気) は、戦場 (正経) でともに死力を尽くして戦います。腹が減っては戦ができぬ、両軍ともフラフラで倒れそうです。そこで、誰かが義経軍を助けようと、その戦場に一度にドバッと大量の食料 (補法) を放り込んだ。
喜ぶのは義経軍 (正気) だけではありません。平氏 (邪気) も、先を争いむさぼりついて元気になります。合戦 (病気) は火に油を注いだように激しくなります。これが先程の “正気の虚を補えば邪実が増し” の部分です。
そこで一計を案じます。戦場に食料を放り込むのではなく、頼朝の本陣にドバッとやる。すると、暗々裏に本陣から義経軍に食料が届けられる。義経軍は徐々に元気が回復する。平氏軍は… いぜん腹が減ってヘトヘトです。
互角に渡り合う正気と邪気も、工夫次第で正気を優勢にすることができる。これは義経軍のバックに、頼朝という大きな “深湖” があったからなのです。
これは、虚実錯雑など、正邪が拮抗しているときに非常に有効です。奇経を使うのです。こうして正経が正気で満ちてきたら、正経を一気に瀉すことも可能です。
逆バージョンも可です。正経で正気と邪気が互角である。瀉法がしたいが、それでは正気が傷ついてしまう。よって邪気の本陣である奇経を瀉す。邪気は本陣からの救援を得られなくなり、徐々に衰える。こうして邪気が衰えれば、正経を一気に補うことも可能です。
もちろん、正邪という陰陽が正常に機能しているときは、正経で勝負したほうがシャープな効果が期待できます。ただし、そういう見極めが未熟ならば、奇経を動かしている方が無難ではあります。奇経が好んで用いられるのは、虚実錯雑を呈するケースで予期せぬ悪化が少なく治療効果が高い… ということが理由として挙げられると思います。
正邪という陰陽 をご参考に。
いずれにしても、全体像を把握した上で選穴を行うことが大切です。それができた上で、八脈のうちのどれを使うか…になります。
▶立体球に例える
奇経とは、物質的フレームをなす「空間」、そして陰陽循環としての「回転」です。
地球のように自転する立体球とかんがえると分かりやすいと思います。
あるいはコイン回しでできた立体球を考えます。
▶衝脈
衝脈は、地球で言えば地軸のようなもので、地球に北極と南極があるように、衝脈にも既に上下があります。これは <霊枢>に記載があります。
衝脉者.…起于腎.下出于氣街.…並少陰之經.下入内踝之後.入足下.<霊枢・動輸 62>
衝脉者.起於氣街.並少陰之經.侠齊上行.至胸中而散.<霊枢・骨空論 60>
気衝穴から上行するものと下行するものがあります。ということは、真ん中、上、下を既に持っているということです。
衝脈は左右に流注するので厳密には「面」です。回転して「線」になります。面としての衝脈前が任脈、後ろが督脈になります。
▶任脈と督脈
任脈は前にある「線」で、左右を仕切る境界です。全身の陰に大きく影響するので重要穴処が豊富です。任脈は回転して陰維脈になります。
督脈は後ろにある「線」で、左右を仕切る境界です。全身の陽に大きく影響するので重要穴処が豊富です。督脈は回転して陽維脈になります。
督は身の後の陽を主り、任・衝は身の前の陰を主る。南北を以て言うなり。<奇経八脈考>
▶陰維脈・陽維脈 と 帯脈
陰維脈は球形 (ビーチボール) を形作る幕の内側 (裏面) です。陽維脈は幕の外側 (表面) です。帯脈はこの幕の表裏の境界です。この幕の中に血が入ります。この幕の外側を気が覆います。両維脈は左右に流注するので「面」です。
ビーチボールの中に陰 (血) が入り、ビーチボールの外を陽 (気) が覆います。
陽維脈は陽を入れる器、陰維脈は陰を入れる器です。器を大きくすれば、陰陽 (正気) も大きくなります。また器に入り切らないもの (邪気) も正気として収納できます。
「維」には、つなぐ・ささえる・たもつ・幕の四方をつなぎとめて維持する… という意味があります。本義は「物をつなぐ大縄」です。<説文>には “車蓋維也” とあり、車蓋とは馬車の座席の上の覆いのことで、幕のようなものもイメージされます。
こうもり傘のように、骨で大雑把に覆い、それに幕が張られて隙間なく包み込むのですね。“維絡” <難経・二十八難>は、大縄で大雑把につなぎとめつつ、繊細に包み込む (絡 (まと) う) イメージです。陰陽をつなぎとめ、包み込むのです。陰陽を包有する器、それが両維脈です。人体そのものと言ってもいいでしょう。人体には骨があり皮膚があって体内の成分が漏れ出さないように維絡しているのですね。
陽維陰維者.維絡於身.《難経二十八難》
その大きな幕を、境界の帯 (帯脈) で固定するのです。
帯脈は赤道という見方もできます。赤道と見るならば「線」です。しかし、それだと陽維脈が北半球、陰維脈が南半球となり、 “表裏を主る” という説明がしにくくなります。
帯脈は一本ではなく、上下に複数あるという考え方 (医宗金鍳) もあり、そう考えると帯脈は「面」となります。このほうが “六合を以て言うなり” <奇経八脈考> に合いますね。確かに帯脈はジグザグで任脈や督脈のようなきれいな線にはなっていません。
陽維陰維は.身を維絡し.溢畜は環流できない。<難経・二十八難>
陽維は一身の表を主り、陰維は一身の裏を主る。乾坤 (天地のこと) を以て言うなり。<奇経八脈考>
帯脈は諸脈を横より束ねる。六合 (天地東西南北) を以て言うなり。<奇経八脈考>
陰維脈と陽維脈を上下 (乾坤) と考え、帯脈がそれを仕切る境界と考えることも必要です。これは、「ふくろ」としてではなく「はたらき」として理解する上で重要となります。地球で言えば、北半球と南半球、それから赤道です。この考え方は、奇経八脈って何だろう<後編> で詳しく展開します。
衝脈・任脈・督脈のコインそのものが、帯脈・陰維脈・陽維脈になっています。
・衝脈と帯脈
・任脈と陰維脈
・督脈と陽維脈
この3組は密接な関係があると考えられます。
とくに任脈と陰維脈は天突・廉泉で交会しており、督脈と陽維脈は風府・瘂門で交会していることからも明らかです。
帯脈で衝脈を動かしたり、衝脈で帯脈を動かしたり、陰維脈で任脈を動かしたり、…ということが可能であるということです。
▶陰蹻脈と陽蹻脈
陰蹻脈は立体球を縦に割ったときの、左右それぞれの半球の陰 (血) です。
陽蹻脈は立体球を縦に割ったときの、左右それぞれの半球の陽 (気) です。
陰 (血) とは休息、陽 (気) とは活動です。
- 人体の左右の場合は、たとえば歩く時です。左の陰蹻脈が働く (左の腓腹筋が弛緩する) と、右の陽蹻脈が働く (右の腓腹筋が緊張する) ことになります。これを交互に繰り返すことで活動が可能になります。
- 地球の左右の場合は、夜半球と昼半球です。陰蹻脈が働くと夜半球で睡眠、陽蹻脈が働くと昼半球で活動です。これを交互に繰り返すことで活動が可能になります。
片腕の曲げ伸ばしは、上腕二頭筋と上腕三頭筋の緊張と弛緩を交互繰り返すことで可能になりますね。上腕二頭筋には陽蹻脈と陰蹻脈があり、上腕三頭筋にも陽蹻脈と陰蹻脈があります。腕を伸ばすときは、上腕二頭筋の陽蹻脈は休み陰蹻脈が働き、上腕三頭筋の陽蹻脈が働き陰蹻脈が休みます。こういう働きは、人体各所で微妙に行われており、全体的な動きが部分部分でギクシャクすることなく、それらが統合した円滑な動きにするため全体のバランスをとります。臓腑経絡とくに心神が司令を出す動作、その大きな補佐をするのが奇経なのです。
“機関をして蹻捷ならしむるゆえんなり” <奇経八脈考>
反射神経が悪いものは臓腑経絡を治し、運動音痴的なものには奇経を治す…という発想もできますね。
臓腑経絡が主に行う「活動と休息」を両蹻脈が円滑に補佐するのですね。
陽蹻は一身の左右の陽を主り、陰蹻は一身の左右の陰を主る。東西を以て言うなり。<奇経八脈考>
▶応用は無限
この立体球は、物質的空間と軸回転です。ビーチボールが縦軸を中心にグルグル回転し、左 (陽維脈) は右 (陰維脈) になり右 (陽維脈) は左 (陰維脈) になり、止まることなく回ります。そのビーチボールの中は血で満たされ、ビーチボールの外は気で覆われます。
五心煩熱とは をご参考に。
これが “深湖” として、臓腑経絡で作られた「気血」をダムのように蓄えるのです。いざ臓腑経絡で気血が不足した際は、救援物資として助け舟を出すのです。
生命力の貯金ですね。
ビーチボールのような大きな気血の入れ物、それは全身に渡る大きさで全身に影響します。その中にはちょっと出し入れ (環流) しにくい定期預金のような正気がはいる。
それが奇経八脈と言えます。その使い方は応用無限です。
“上肢に分布がない” とありますが、八脈交会穴 (八宗穴・八総穴とも:以下に列挙) は上肢にも分布しているので、これは意味を持たないと思います。奇経八脈は全身に遍満して分布すると考えられます。
【上肢】列缺 (任脈) ・後渓 (督脈) ・外関 (陽維脈) ・内関 (陰維脈)
【下肢】公孫 (衝脈) ・臨泣 (帯脈) ・申脈 (陽蹻脈) ・照海 (陰蹻脈)
また、 “走行は下から上に循行する (帯脈を除く)” とありますが、帯脈だけでなく、衝脈も当てはまりません。衝脈は下から上への走行と、上から下への走行があります。