気は、宗気・営気・衛気の三つに大別されます。
これら一つ一つを明確にし、さらにそれぞれがどのように関わり合うのかを知ることは不可欠です。
気を理解するのが東洋医学の基本ですね。
しかも気を理解する上で、気と血、気と精の関係を理解しておくことは必須です。
《霊枢・邪客71》
宗気・営気・衛気。
この三つを理解する上で、《霊枢・邪客71》は避けて通れません。宗気・営気・衛気について、成書の解説を鵜呑みにするのではなく、自分の眼で原典に向き合い、「気」を理解したいと思います。
五穀入於胃也.其糟粕津液宗氣.分爲三隧.
故宗氣積於胸中.出於喉嚨.以貫心脉.而行呼吸焉.
營氣者.泌其津液.注之於脉.化以爲血.以榮四末.内注五藏六府.以應刻數焉.
衛氣者.出其悍氣之慓疾.而先行於四末分肉皮膚之間.而不休者也.晝日行於陽.夜行於陰.常從足少陰之分間.行於五藏六府.《霊枢・邪客71》
五穀入於胃也.其糟粕津液宗氣.分爲三隧.
【訳】胃に入った飲食物は、糟粕・津液・宗気の三つに分かれる。
【解説】
五穀とは飲食物のことです。
・糟粕は衛気となる。
・津液は営気となる。
・宗気は飲食物から直接生まれる。
糟粕とは、飲食物から液体 (津液) を濾し取られた残りのウンチのことです。
ここでいう津液とは、飲食物から滲み出した液体 (栄養を含んだ水) のことです (後述) 。
要するに、飲食物は糟粕と津液の二つに分かれるのですが、もう一つ、宗気というものが生まれるということが言いたいのです。
宗気
故宗氣積於胸中.出於喉嚨.以貫心脉.而行呼吸焉.
【訳】ゆえに宗気は胸中に蓄積され、気管に出て、心脈を貫き、呼吸を行う。
【解説】
“脉宗氣也” 《素問・平人氣象論18》とあるように、宗気は脈動そのものです。また呼吸を行います。脈動はドクン・ドクン、呼吸はスー・ハーで、動いて静止し、また動いて静止するという「動 (気) 」そのものの姿が宗気です。
・糟粕 → 衛気
・津液 → 営気
・宗気
という分け方で、なぜ宗気だけが糟粕とか津液とかの物質を介していないのでしょうか。その説明の一つとしては、糟粕も津液も食べてしばらくしてから生まれるものですが、宗気だけは食べたらすぐに得られるからです。お腹が空いて力が出ない…ってなっていても、食べたらすぐに元気百倍になりますね。これが宗気です。さらに言えば、実際には口に入れて飲み込んだ瞬間 (食道を通過するとき) にもう力がついています。つまり胃に入る前からです。これを《霊枢・營衛生會18》では、 “上焦出於胃上口.並咽以上.貫膈而布胸中” と表現しています (後述) 。
その説明の二つ目としては、宗気とは、生命が誕生したときからもともと持っている気であるからだ、とも言えます。生命がもともと持っている気ということは、人間にも飲食物にも、もともと備わる気であると言えます。
ここが、 “宗気は精から直接生まれた陽である” と、上に定義した理由です。もともと生命であるところの飲食物そのものの精から、直接瞬間的に得られる。飲食物そのものの精は、飲食物から得られた水穀の精よりも、さらに高次のものであると考えてください。だから、食べた瞬間に元気を得られる。それが宗気なのです。
もちろん気は営血から作られますので、宗気は営気から作られる側面が大です。しかし、それだけではないというところが、ここでのポイントです。
宗気の力があるから、
・飲食物を糟粕と津液に分けることができ、
・糟粕を衛気に、津液を営気に、と気化できるのです。
また、
・この力はもともと先天的に持っている力 (最初にある気) でもあり、
・五穀すなわち穀物によって後天的に得られる力でもある
と考えていいでしょう。
このようにまとめると、精と非常に立ち位置が近い「気」ですね。
宗気は上焦で生まれます (後述) 。ここでは “胸中” “喉嚨” “心脈” “呼吸” が上焦を表します。
営気
營氣者.泌其津液.注之於脉.化以爲血.以榮四末.内注五藏六府.以應刻數焉.
【訳】営気とは、 (飲食物から濾し取った) 津液が流れて行き、 (その津液が) 脈に注ぎ、それが化して血となるところのものである。四肢を栄養し、内は五臓六腑に注ぎ、それによって百刻 (二十四時間) 絶え間ない生命活動に応じるのだ。
【解説】
ここでいう “津液” とは、飲食物から抽出された「栄養を含んだ水」のことです。この「栄養を含んだ水」のことを、 水穀の精と言います。精そのものは静 (陰) で動きません。精が動 (陽) の性質を持ったものを精気と言います。つまり水穀の精とはまだ動いていないものを指し、これが動いたものが水穀の精気…つまり営気です。
“榮者.水穀之精氣也” 《素問・痺論43》
また、動いていなければ津液 (陰静) です。ここ《霊枢・邪客71》での津液は、水穀の精と同義です。この津液 (栄養を含んだ水) が脈に注ぎ動いた時点で、動いている (陽動) ので営気と名を変えます。
そして営気の余った分は、血として保存されます。また血の余った分は営気として解凍されます。
「余った」を「極まった」と言い換えましょう。すなわち、営気の動が極まった (営気が止まった) 時点で血 (静) となり、血の静が極まった (血が動いた) 時点で営気となります。これが拍動ですね。動極まって静となる。陰極まって陽となる。
血になったり気になったりするのが命の営みです。つまり、保存と解凍を繰り返すのですね。
この営気が四肢末端から五臓六腑までを栄養し、生命活動 (気) を支えているのです。
営気は中焦で生まれます (後述) 。水穀の精気なのですから当然です。
“營出於中焦” 《霊枢・營衛生會18》
衛気
衛氣者.出其悍氣之慓疾.而先行於四末分肉皮膚之間.而不休者也.晝日行於陽.夜行於陰.常從足少陰之分間.行於五藏六府.
【訳】衛気は、 (下焦で生まれ、糟粕から) 素早い悍気 (勇敢な気) が生まれ出る。
そして四肢の肉や皮膚の間を (すり抜けて) 先ず (昼を) 行き、休むことがない。 (このように) 昼は陽 (浅部) を行く。
夜は陰 (深部) を行く。 (夜は) 常に足少陰の分間から、五臓六腑に入って行く。
【解説】
“足少陰の分間” とは、少陰の大絡 (股ぐら) のことでしょうか。眠りにつくときは、このあたりに心地よい落ち着きが必要だと思います。足少陰腎経は経絡のなかで最も深く、夜になると衛気は、この足少陰腎経から少陰の大絡を介して衝脈 (五臓六腑の海) に入るのです。
夜になると衛気は陰 (深部=営気の領域) に入りますが、一気に全部入ってしまうのではなく、少しずつ入っていって、完全に入り切るのが深夜0時です。この状態を合陰と言います。深夜0時を過ぎると、また少しずつ出て行って、完全に陽 (浅部=衛気の領域) に出切るのが日の出の時間です。
衛気は下焦で生まれます。もっとも重濁 (陰) である糟粕 (ウンチ) から抽出され、もっとも下にある膀胱に至って、ここで気化し、もっとも軽快 (陽) な衛気になります。つまり陰陽の転化です (後述) 。
“衛出於下焦” 《霊枢・營衛生會18》
《霊枢・邪客71》のまとめ
飲食物を、
・宗気
・液体 (津液)
・ウンチ (糟粕)
という分け方にしているのが面白いですね。
- 胃・小腸で吸収されて肺脈に入った液体 (栄養を含む) は、動いて営気 (栄養) となります。
- 大腸で吸収されて膀胱に入った液体 (栄養を含まない) は、揮発して衛気 (温かさ) となります。
- 宗気とは、食べたらすぐに元気になる、その元気です。また営気と衛気に支えられた生命の拍動そのものです。
このうちの「栄養をふくむ液体」は、誰もが価値あるものと考えます。
東洋医学では、
・食べた直後の力 (=宗気)
・下腹の力 (ウンチ → 衛気をつくる)
をも価値のあるものと考えます。
《霊枢・營衛生會18》
引き続き、宗気・営気・衛気について考察していきます。
今度は、《霊枢・營衛生會18》を読み解いていきます。
ここから取り上げるのは《霊枢・營衛生會18》の後半部分です。
前半部分は 早く寝なさい! で訳し、詳しく解説していますので、最初から読みたい方はそちらからどうぞ。
この《霊枢・營衛生會18》には古代からいろいろと注釈がなされています。しかしこれらの注釈を読んでみても、僕にはよく理解できません。特に、《霊枢・營衛生會18》に “下焦” とある部分を、注釈書では “上焦” であるとしており (後述) 、原文とは完全に異なる見解となっています。
それほどは、難解でいまだ定説のない文章であると言えます。この混乱は、宗気というものがよく理解できていないことによるものです。大幅に私見を加え、宗気に明確な定義を与えながら《霊枢・營衛生會18》を矛盾なくまとめたいと思います。
黄帝曰.願聞營衛之所行.皆何道從來.
岐伯荅曰.營出於中焦.衛出於下焦.〇
黄帝曰.願聞三焦之所出.
岐伯荅曰.上焦出於胃上口.並咽以上.貫膈而布胸中.走腋.循太陰之分而行.還至陽明.上至舌.下足陽明.常與營倶行於陽二十五度.行於陰亦二十五度.一周也.故五十度.而復太會於手太陰矣.黄帝曰.人有熱飮食下胃.其氣未定.汗則出.或出於面.或出於背.或出於身半.其不循衛氣之道而出.何也.
岐伯曰.此外傷於風.内開腠理.毛蒸理泄.衛氣走之.固不得循其道.此氣慓悍滑疾.見開而出.故不得從其道.故命曰漏泄.〇
黄帝曰.願聞中焦之所出.
岐伯荅曰.中焦亦並胃中.出上焦之後.此所受氣者.泌糟粕.蒸津液.化其精微.上注於肺脉.乃化而爲血.以奉生身.莫貴於此.故獨得行於經隧.命曰營氣.黄帝曰.夫血之與氣.異名同類.何謂也.
岐伯荅曰.營衛者.精氣也.血者.神氣也.故血之與氣.異名同類焉.故奪血者無汗.奪汗者無血.故人生有兩死而無兩生.〇
黄帝曰.願聞下焦之所出.
岐伯荅曰.下焦者.別廻腸.注於膀胱而滲入焉.
故水穀者.常并居於胃中.成糟粕.而倶下於大腸.而成下焦.滲而倶下.濟泌別汁.循下焦而滲入膀胱焉.黄帝曰.人飮酒.酒亦入胃.穀未熟.而小便獨先下.何也.
岐伯荅曰.酒者.熟穀之液也.其氣悍以清.故後穀而入.先穀而液出焉.〇
黄帝曰.善.余聞上焦如霧.中焦如漚.下焦如涜.此之謂也.
《霊枢・營衛生會18》
最初の文からです。
黄帝曰.願聞營衛之所行.皆何道從來.
岐伯荅曰.營出於中焦.衛出於下焦.
【訳】黄帝が問うた。営気・衛気の行くところを教えてほしい。どの通路を通って来るのか。
岐伯が答えた。営気は中焦から出ます。衛気は下焦から出ます。
【解説】
衛気は「下焦から出る」というのを「上焦から出る」とすべきだ… という解説書があります。
《黄帝内経太素》楊上善 (7世紀後半) 、《黄帝内経霊枢集注》張志聡 (1670) といった、最も権威ある書がそのように解説しています。
本ページではこれを是とせず、《霊枢》のこの行に誤写・誤説がないという前提で進めていきます。
なお、ここには営気と衛気という文字は見られますが、宗気という言葉が書かれていません。それには《霊枢》の著者の深意があります。
上焦
黄帝曰.願聞三焦之所出.
岐伯荅曰.上焦出於胃上口.並咽以上.貫膈而布胸中.
走腋.循太陰之分而行.還至陽明.
上至舌.下足陽明.
常與營倶行於陽二十五度.行於陰亦二十五度.一周也.故五十度.而復太會於手太陰矣.
【訳】黄帝が問うた。三焦の出処を教えてくれないか。
岐伯が答えた。上焦は、胃の上口 (胃口=上脘) から (太陰肺経として) 出て、咽 (太陰脾経の食道) と並んで (肺系=気管を) 上り、膈を貫いて (太陰脾経の経筋を走行して、心肺を総括する) 胸中に散布します。
(胸中から) 腋 (脾の大絡である大包) に走り、太陰脾経の分岐点 (大包) を循 (めぐ) って、そこから全身の経絡を行き※、陽明 (中脘) に戻ってきます。
※「行」は十字路が原義であり、前後左右 (空間全体) に広がる意味がある。
(大包から脾経に沿って)上方は舌まで上り、 (脾経と表裏一体である) 下方は足陽明胃経まで下ります。 太陰脾経と陽明胃経を強調していったのは、宗気・営気・衛気の三つが、水穀の精 (後天脾胃の精) が燻蒸されて生まれるところの「三焦」について説明せんがためです。
(この脈中を行く気の流れは、脈外を行く衛気のことではなく、まさしく宗気のことです。すなわち、宗気は十二経脈を) 常に営気とともに、 (一日に) 陽経を二十五度、陰経を二十五度行き、これが1サイクルです。ゆえに五十度にて元の場所である手太陰肺経に戻ってきます。
【解説】
上焦についての説明文です。ここでは宗気のことを説明しています。しかし、宗気という言葉は一度も出てきません。
注目してほしいのは、 “太陰の分を循 (めぐ) って” という部分です。ここで “胃の上口” から出る気が、衛気であるというのが《太素》の考え方です。しかし、衛気は脈中を行かず、脈外を行くというのが定義です。 “太陰の分” とは、明らかに経脈のことです。よって、この上焦の文章は衛気のことを言ったものではありません。
衛気は夜は脈中に入りますが、完全に入り切るのは深夜0時の一瞬のみで、それ以外の時間は脈外にも一部あるいは大部分が存在します。昼は脈中には全く存在せず、脈外のみを行きます。これが《霊枢・邪客71》の前半部分で説明されています。衛気は “合陰” の一瞬 (深夜0時) しか営気と完全に重なることはありません。
では営気の事を言っているのでしょうか。たしかに、
營周不休.五十而復大會.陰陽相貫如環無端.《霊枢・營衛生會18》
とあるように、営気は陰を行き陽を行き 計五十度/一日 をめぐるとされます。しかし、それも違います。ここで取り上げている気は、 “常に営気と倶に行く” とハッキリ書かれています。しかも、陽 (経) を二十五度、陰 (経) を二十五度、営気とともに行くと書かれています。
営気は脈中を行き、衛気は脈外を自由奔放に行き来します。いずれも “倶に行く” という表現は当てはまりません。
陽 (昼) を二十五度、陰 (夜) を二十五度、という表現は、《霊枢・營衛生會18》の前半部分で、衛気の説明として出てきますが、だからといってここでも衛気の説明をしていると安直に考えるから、 “衛気は上焦から出る” と、《太素》などが解説してしまっていると思われます。二十五度行く陰陽は、衛気の場合は昼夜の陰陽のことを言っており、ここでは経脈の陰陽のことを言っています。これを区別して理解する必要があります。
営気と常に一体化して進むとは、宗気のことです。それを何故か《霊枢》は明確に書いていない。この時代の古書は、こういう手法をよく取ります。本当に大切な部分ほど、ハッキリ言わない。ハッキリ言わないからこそれを強く意識させることができる。そういう文脈の美学があると思われます。
水穀の精は陰静で、まだ動いていないものです。上述のように、これが動くと営気になるのでしたね。動かしているのは宗気です。だから“常に営気と倶に行く” のです。
黄帝曰.人有熱飮食下胃.其氣未定.汗則出.或出於面.或出於背.或出於身半.其不循衛氣之道而出.何也.
岐伯曰.此外傷於風.内開腠理.毛蒸理泄.衛氣走之.
固不得循其道.此氣慓悍滑疾.見開而出.故不得從其道.故命曰漏泄.
【訳】黄帝が問うた。ある人が熱いものを飲食したとする。その気のことが未だよく分かっていないのだ。熱いものを飲食すれば、汗が出るだろう? あるものは顔から、あるものは背中から、あるものは上半身から出るだろう。 (下焦から出るはずの) 衛気の道 を循 (めぐ) らずに汗が出るのは何故だ?
岐伯が答えた。 たしかに、食べたすぐだと飲食物は下焦に届いていませんので、この気 (汗) は衛気ではありません。ご存じのように衛気は下焦で作られますからね。ただし、汗が出るということは陽気の余りが出ていることになり、この気は衛気であるとも言えます。ご存知のこととは思いますが、一応、衛気について解説しましょう。外風に傷 (やぶ) られそうになると、腠理を内側から開き、皮毛を蒸しつつ毛穴を開いて汗を排泄します。(こうして衛気自らが無理やりこじ開けた) この道を衛気は走るのです。腠理が閉じていてその道を循 (めぐ) ることができなくとも、衛気は勇猛で素早いので、疾風のように現れて道を開き、外に出ていきます。ゆえに、 (無理やり道をつくって通すので、既存の) 道を素直に追従するというような大人しいものではありません。この勇猛な働きを称して「漏泄」といいます。
※筆者注:以下の文が欠落、あるいは省略か。
冒頭にも言ったように、衛気は下焦で作られます。食べたすぐでは飲食物は下焦に到達できず、食べたすぐに汗が出るのは衛気ではありません。つまり、飲食物が胃に入ってすぐに汗がでるのは、衛気の漏泄による汗ではありません。衛気ではない。しかも “営気と倶に行く” 。言わなくでも宗気だということがお分かりでしょう。この働きは、さきほどの胃の上口で生まれる気、すなわち宗気です。上口なので、食べたものが胃に入る前に宗気が一気に生まれます。ただしそれを動き (呼吸や拍動) に変えない。当然、食べているときは動き回りませんからね。すると、その使い道のない余った気は、そこにもともとあった衛気をパワーアップさせ動かします。結果として暑くなり、汗となるのです。
黄帝の質問に、岐伯は答えていません。すなわち、
“衛気の道 (下焦から出て毛穴をこじ開けて出ていく道) がめぐっていないのに汗が出るのは、何という気がやっているのか?”
という黄帝の質問です。この質問に対して、まずは岐伯は「衛気の道」を説明してはいます。しかし、そこをめぐらずに汗と言う結果をもたらしているのは、いずれの気であるかという質問に答えぬままに文章が終わっています。写すときに写し漏らしがあったのか、それとも言外で分かるだろうという意図なのか。
【解説】
“其氣未定”…その気のことが未だよく分かっていない…とハッキリ言っています。「その気」とは、宗気のことです。宗気とはどういうものなのか、よく分からない。だからこの問答を挙げているのです。
熱い飲食物を摂って汗が出る。この汗は、正気の余りであり、汗そのものの正体は衛気です。しかし、衛気であるならば飲食物が大腸に到達し、大腸で濾し取られた津液が膀胱に至り、膀胱で気化され上昇して初めて衛気となるはずです。よって、食べたすぐに出たこの汗は、衛気が新たに作られたものではない。もともとあった衛気が、「その気」すなわち宗気によってパワーアップされ動かされ、汗として発したものである。胃に入る前に生まれる気、それが宗気である。そう言外に言っているのです。
中焦
黄帝曰.願聞中焦之所出.
岐伯荅曰.中焦亦並胃中.出上焦之後.此所受氣者.泌糟粕.蒸津液.化其精微.上注於肺脉.乃化而爲血.以奉生身.莫貴於此.故獨得行於經隧.命曰營氣.
【訳】黄帝が問うた。中焦の出処を教えてくれないか。
岐伯が答えた。中焦は胃中 (胃の中央部) とも言えます。 (宗気が発生する) 上焦 (胃の上口) のすぐ後 (胃中) が中焦の出処で、ここで受け入れた穀気は、糟粕がスムーズに流れていく※とともに、津液 (液体) が蒸されて揮発し、その揮発したものは気化して水穀の精微となり、上って肺から始まる経脈に流注し、ここで気化して血となります。血は一身を生かすために犠牲となってくれる。だから、これよりも貴いものはないのです。貴いからこそ、 (飲食物から得られたものの中で) 唯一経脈に入ることができる。それが営気なのです。
【解説】
この文、どこかで見覚えがありませんか?
《霊枢・邪客71》に以下の文がありましたね。
“營氣者.泌其津液.注之於脉.化以爲血”
赤のマーカー部分がほぼ一致します。上下の文を見比べてみてください。
この一致は、《霊枢・營衛生會18》の後半部分と、《霊枢・邪客71》が、対応していることを示唆するものです。双方とも、3つの要素についての説明で構成されていますね。3つの要素は、上から順に、宗気・営気・衛気についての記述であるということが、両方を重ね合わせることで見えてきます。
※ “泌,侠流也”《説文解字》 “侠流者,軽快之流”《説文解字注》
「泌」とは、軽快で気持ちの良い流れのことを指します。
“泌之洋洋,可以楽飢”《詩経・陳風・衡門》 “泌,泉水” 漢・毛亨
泉が流れ洋々と満ち足りて、飢えをすら楽しむことができる。
《類経》では “泌,如狭流也。” と解説していますが、「侠」と「狭」を取り違えていると考えられます。正しくは「侠流」です。「侠」は侠客・仁侠などでも使われるように、 (武芸が) 勇ましいという意味があります。
黄帝曰.夫血之與氣.異名同類.何謂也.
岐伯荅曰.
營衛者.精氣也.
血者.神氣也.
故血之與氣.異名同類焉.
故奪血者無汗.奪汗者無血.故人生有兩死而無兩生※ .
【訳】黄帝が問うた。血は気とともに之 (ゆ) き、異名同類であるとは、どういう意味か。
岐伯が答えた。
営衛の気は、 (精血同源たる) 水穀の精気です。 (つまり気と血は一体なのです。)
血は、神気によって赤色になると言われます。 (つまり気と血は一体なのです。)
だから、血は気とともに之 (ゆ) き、異名同類なのです。
ゆえに奪血 (血脱) は無汗 (気脱) であり、奪汗 (気脱) は無血 (血脱) なのです。ゆえに人の生命において、汗 (気) と血の二つが奪われるならば死にます。汗 (気) と血の二つが揃うならば生きます。
【解説】
水穀の精気 (無色) は営衛の気となり、営衛の気は汗 (無色) となります。 >> さきほど “漏泄”(発汗) が衛気の働きである… とありましたが、営衛も同じことです。
営気 (水穀の精気) が神気 (心の赤色) に触れると、血 (赤色) となります。
・心臓が動く (陽動) 時は、営気 (気=機能) となる。
・心臓が止まる (陰静) 時は、赤い血 (物質) となる。
これが拍動です。拍動とは、ドクンドクンと動いたり止まったりしていますね。
“血は気とともに之 (ゆ) く” とは、こういう事を言いたいのではないかと思います。
しかも、営気の補足説明として “血と気はおなじものだ” と説明していますね。「拍動の陰陽」を考え合わせれば、非常に納得です。とともに、ここまでの洞察を《霊枢》は求めていることに驚くのです。まるで、分かる人だけが分かったらいい…とでも言いたげです。
※【訓読】人生、両 (奪血と奪汗) ありて死し、両 (奪血と奪汗) なくて生く。
「両」とは、車の両輪のようなもので、二つ揃いのものを指します。
両.《後漢・呉祐伝》載之兼両。《注》車有両輪,故称両。
下焦
黄帝曰.願聞下焦之所出.
岐伯荅曰.下焦者.別廻腸.注於膀胱而滲入焉.
故水穀者.常并居於胃中.成糟粕.
而倶下於大腸.而成下焦.滲而倶下.濟泌別汁.循下焦而滲入膀胱焉.
廻腸.大腸也。《類経》
【訳】黄帝が問うた。下焦の出処を教えてくれないか。
岐伯が答えた。下焦とは、廻腸 (大腸) で別れて膀胱に注ぎそこに滲み入るところを言います。
つまり、水穀はつねに中焦の (小腸も含めた) 胃中とともにあり、 (そこで津液が泌別されて) 糟粕が完成します。
そして (糟粕と、そこにまだ濾し取られずに残っている津液は) もろともに大腸に下り、そこで下焦と成ります。
(大腸でさらに糟粕から津液が絞り出され) 滲み出しながら (糟粕・津液) もろともに下り、津液を泌別し尽くして (大河のように流れていき) 、下焦を循 (めぐ) りながら (海である) 膀胱に滲み入るのです。 先程言うように、衛気は下焦から出ます。大腸で絞り出された津液は、膀胱に滲み入り、膀胱が津液を気化して衛気が生まれるのです。
【解説】
明記はしていませんが、ここは衛気の生成についての記述です。
ここまでをまとめると、
・上焦の出る所 …宗気が上焦でどのように生まれるか。
・中焦の出る所 …営気が中焦でどのように生まれるか。
・下焦の出る所 …衛気が下焦でどのように生まれるか。
これら3か所について詳しく説明しています。
「中焦」は営気について述べたぞ、という明記がありますが、「上焦」と「下焦」では何の気について述べているか明言していません。このイジワルさが、後世いろんな説を生む原因となっているのです。まるで、分かる人にだけ教えてあげよう…と。
鍼論曰.得其人乃傳.非其人勿言.《霊枢・官能73》
【訳】鍼論に曰く、其の人を得れば乃ち伝え、其の人にあらざれば言うなかれ。
こういう考え方が、中国伝統医学のそもそもに存在します。
「済 (濟) 」は「すむ」で、し終わる・し尽くす… と言う意味ですが、さらに深いニュアンスを持ちます。
・海に向かって流れていくという意味
・澄んだ酒 (蒸留酒) ができるという意味
下の字源・字義を参考にしてください。これらを重ね合わすと面白いですね。海とは膀胱のこと、蒸留酒とは揮発性のある衛気を生み出す象徴と理解できます。
▶「濟」「済」「济」の字源・字義
濟 泲同,猶釃濾也。《類経》
>> 「濟」は「泲」と同じである。さらに清澄に濾過するのである。
泲 玉篇、古文濟字。《康熙字典》
>> 「泲」は古文では「濟」の字を用いる。
泲 沇也。東入於海。《説文解字》
>> 「泲」は沇という河のことで、東に向かって流れ、海に注ぎ込む。
泲 谓醴之淸者。《周礼·天官·酒正注》
>> 「泲」は澄んだ酒のことである。
胃中 (中焦) から下って、下焦は大腸からであると書いていますね。
・上焦は “胃上口から出て” 上に行く
・中焦は胃中 (胃の中央部) である
・下焦は “廻腸 (大腸) で別れる”
つまり、小腸は胃とともに中焦である…ということになります。
私見ですが、水分穴は、大腸から膀胱への津液の流れを良くする穴処であると考えられます。ちなみに《類経》では、小腸の下口が水分穴と考えており、ここを境に大便は大腸に、津液は膀胱に、と分かれるとしています。現代医学によって得られた事実を参照するならば、前者 (私見) を採用するほうが実際的でしょう。
黄帝曰.人飮酒.酒亦入胃.穀未熟.而小便獨先下.何也.
岐伯荅曰.酒者.熟穀之液也.其氣悍以清.故後穀而入.先穀而液出焉.
【訳】黄帝が問うた。人が酒を飲んで、それが (穀物とともに) 胃に入るとする。穀物はまだ消化すらしていないのに、 (酒を飲んだ分の) 小便だけがすぐに出るが、なぜか。
岐伯が答えた。酒は穀物を発酵させた液です。そこから生まれた気はすばやく、そして清い。 (中焦で液を濾し取って、さらに下焦で液を搾り取るという工程が、酒においては省かれています。) ゆえに (酒という液は) 穀物に遅れて (胃に) 入っても、穀物に先んじて (前述のごとく下焦まで下り、大腸から膀胱へと滲み入り、) 液は (小便として) 出てゆくのです。
【解説】
これは明らかに、水穀の悍気である衛気の説明です。衛気は悍 (すばやい) であり、清なのです。
それを酒で例えています。アルコールはまわりが早いですね。
霧・漚・瀆のごとく
《霊枢・營衛生會18》の末尾、まとめの一文です。
黄帝曰.善.余聞上焦如霧.中焦如漚.下焦如涜.此之謂也.
【訳】黄帝がこう言った。よく分かった。私は聞いたことがある。上焦は霧のごときもの、中焦は漚 (あわ) のごときもの、下焦は瀆 (みぞ) のごときものであると。こういうことだったのだな。
漚は「あわ」、瀆は「みぞ」と一般書にならって訓読したが、この訓読が誤解を招く。そもそもこれらの字は馴染みのない字である。そこにこういう訓をつけると、どうしても泡や溝を意識してしまう。当時の中国人がどのようなイメージ (ニュアンス) をもってこの字をつかったのか、字源字義をたどることこそ必要である。とくにここでは “〇のごときもの” と端的に例えているのだから、なおさらイメージ (ニュアンス) が大切である。「きり」「あわ」「みぞ」という僕たちがもっているイメージで理解しようとしていいのかどうか、疑いを持つべきである。
霧、漚、瀆は、天から降雨があり、地で生命を潤し、大河となって海へと流れ込む壮大な循環をたとえたものであることが、字源字義をたどると見えてくるのである。
上焦は霧
上焦は霧 (きり) です。
霧は、われわれがイメージする霧で合っています。また、水蒸気のことです。
まず、軽やか・細かいというイメージがあります。これは気に共通する要素です。
消散というイメージがあります。雲散霧消という言葉がありますね。
また、また濃密さをイメージします。これが意外だと思います。
天下之士,雲合霧集。《史記·淮陰侯列伝》 >> 天下の英雄が、雲のごとく会合し霧のごとく集結した。
玄煙四全,雲蒸霧萃。《火賦》普·潘尼 >> 黒煙が四方から立ち上り、雲蒸して霧が繁茂する。
雄州霧列,俊彩星馳。《滕王閣序》唐·王勃 >> 雄州の地に霧が重なり合い、光彩が星のように飛び交う。
南方者.天地所長養.陽之所盛處也.其地下.水土弱.霧露之所聚也.《素問・異法方宜論12》 >> 南方は天地万物が生長し陽の盛んな所である。その地下は水土が弱いため霧露が集まる所である。
一団となる・繁茂する・列をなし層をなす・集まる。そういうイメージを「霧」に付加させています。
こういう力強さがあります。
霧というのは、すでにあるものです。中焦・下焦を介さずに、すでに上焦にあるものです。口から入ってくる飲食物が、上から降ってくる雨とするならば、雨が降る前にすでに水蒸気 (湿気) はムンムンしていますね。雨が地面に落ちる (胃中に入る) 前に、霧 (宗気) は大気中 (胃上口:賁門) に存在しています。濃密に、そして力強く。
これはまさに上記説明の宗気です。
“宗氣積於胸中” の “積む” とは、霧の濃密さを示すものにほかなりません。胸中に宗気が集合するのです。胸中とは何でしょう。「ドクン、ドクン」という生命の鼓動と、「スー、ハー」という生命の息遣いのことです。もともとそこにある。すでにある生命の動き、それが宗気です。
その動きとは、あたかも霧のように、ときに淡くときに濃く、離合集散する力 (気) そのものです。
上焦肺 (太陰) という天空の気とともにある宗気です。中焦脾 (太陰) ・胃 (陽明) という大地に降り注ぎ、下焦大腸 (陽明) という大河に流れ入るところのものです。
この様相を、
・上焦出於胃上口.並咽以上.貫膈而布胸中.
・走腋.循太陰之分而行.
・還至陽明.上至舌.
・下足陽明.常與營倶行.
と表現しているのです。
すなわち、
・胃 (大地に) に、飲食物 (雨) が降り注ぐ前に、胃の上口から宗気 (霧) が、上焦 (胸中・心肺機能・天空) に集合し、
・その霧のようなものは、中焦 (脾の大絡・大包) から全身各所 (十二経脈) に一斉に離散し、
・営気とともにめぐり、また中焦 (胃=大地) に戻る。ここで胃に降り注いだ営気 (雨) と交わる。あるものは、大地から蒸発する水蒸気のように、舌まで上昇する。
・またあるものは、大地を流れ河川となって下っていくように、足陽明 (下巨虚・上巨虚=小腸・大腸) に下る。
舌にまで「ツバや神」を持ち上げる作用、肛門まで「ウンチや毒」を下げる作用、この2つを宗気がになっていることをも、表現していることに着目です。
中焦は漚
中焦は漚 (あわ) です。
「漚」は、われわれがイメージする泡とは少し違います。
「區 (区) 」は「匚」(容器) という区画のなかに「品」 (多くのもの) をしまい込む状態を示します。しまい込むにはフクロやハコなどの「区切るもの」が必要ですね。だから一般には区切りという意味で使われます。「漚」は、そこに「氵」が加わることで、水で満たされた容器のなかに多くの物 (多くの食べ物) を容れる…つまり「食べ物を浸す」という意味になります。
長時間浸すと発酵して泡が出るため、アワという意味にもなります。
ただし、あくまでも原義は「浸す」です。
この大自然で「浸されているもの」、それは稲です。稲は水田にという「区画された容器」に浸されていますね。もっといえば、地球上に存在する植物すべてが降雨によって浸され、そして植物に依存して暮らす動物もすべて、地球という大きな容器の中に浸された状態にあると言っていいでしょう。その容器なかで、生命として成熟 (腐熟) してゆくのです。アワ (酸素や二酸化炭素) を出しながら。
このあたりは、《老子・第四章》にある「盅」と符合します。この地球は大きな器だという考え方です。《霊枢》の著者ともなれば、こういう思想は当然踏まえていたものと思われます。
小自然たる人体においては、胃 (と小腸) がこの「区画された容器」に該当します。この容器のなかで飲食物 (植物・動物) が腐熟し、アワという気 (精微) を出しながら肺脈に注いでいくのです。
酒の生成のところでも述べましたが、アワとともに酒がうまれます。そして残りは糟粕となります。このあたりのことを、
中焦亦並胃中.出上焦之後.此所受氣者.泌糟粕.蒸津液.化其精微.
に重ね合わせると、明確な理解ができると思います。
ちなみに「匚」(容器) は曲がった線によって形づくられています。「匚」の元の形は「L」です。この「L」によって区画するという意味から「枢」(くるる:木のドアのチョウツガイ部分) ともなります。建築図面でもドア部分は「L」で示されますね。また、「品」を取り込むには「腕を曲げて」抱えます。ここから腕をまげて伸ばせば「殴」、足を曲げれば「駆」、体を曲げれば「軀」「傴」などと派生します。
枢と沤 (漚) 、この二つの文字のイメージを重ねて「漚」という文字が使われたと考えて不自然はありません。中焦 (胃・小腸) から、一方は大腸に糟粕が、一方は肺脈へ精微が、それぞれ枢 (くるる) のように方向を変えて注いで行くのです。
下焦は瀆
下焦は瀆 (みぞ) です。
瀆は、われわれがイメージする溝とは少し違います。
瀆の意味は「水路」という意味もあるのですが、知っておくべきは「大河」という意味です。
江淮河濟為四瀆。《爾雅》
>> 江、淮、河、濟 (長江、淮水、黄河、濟水) の四つの大河は四瀆と呼ばれる。
瀆、溝也。《説文解字》
>> 瀆とは溝 (水路) である。
また、冒瀆という言葉があるように「汚す」という意味もあります。
瀆貨無厭。《左傳・昭公十三年》
>> 汚れた貨幣 (汚職) は厭 (あ) くことがない。
《爾雅》は秦朝あたりの成立、《説文解字》は後漢の成立、《左傳・昭公十三年》は秦朝以前の成立で、《霊枢》の著者はこれらの意味を知った上で「瀆」という言葉を使ったと思われます。
水は高いところから低いところに注ぎます。よって、大河は最終的に海に注ぎます。海が一番低いところなのですね。一番低く下にあるのが下焦です。大腸に行き、そして膀胱に行くのですから、膀胱が一番低いところと言えます。つまり膀胱とは海なのです。その海面に太陽 (心火) の光が宿り、蒸発したものが衛気となる。これが太陽膀胱です。
その間のミゾが大腸です。
糟粕が大腸を通過する間に水分が滲み出し、水分は下流へ下流へと流れて膀胱という海に行き着く。大便は下流へ下流へと流れてウンチとして汚物が排泄されるのです。
膀胱の字源字義
膀胱とは「旁光」に月 (にくづき) が付いたものです。
「旁」とは「方」であり、四方のこと。
「光」とは光線のこと。
字源からみれば膀胱は、四方に広がる光線のことです。まさに太陽ですね。「太陽膀胱」の意味が見えてくるようです。
しかも下焦の一番下に位置します。つまり、水面に写る太陽のことであると考えられます。
太陽の光熱に照らされて、海水は温かい水蒸気として舞い昇り、気温 (温かさ) となるのです。これが衛気です。
水蒸気には温室効果があります。この世から海がなくなれば、水蒸気がなくなって地球は極寒となるでしょう。
大腸・小腸の字源字義
腸とは「昜」に月 (にくづき) が付いたものです。
「昜」とは陽です。氵(さんずい) が付けば湯です。
「昜」は「日」から「灬」(放射状の光線) が放たれている様子を示した象形文字で、太陽のことです。
下焦は瀆である…に寄せて考えると、下焦にある大腸は下流の大河です。とすると、中焦にある小腸は、大河の上流にある網の目のような細い支流です。細い支流が合流して太い大河となります。そして膀胱 (大海) に注ぎ込むのです。
中国の大河はほとんど海のようなものです。太陽が大河 (大腸) の水面を照らせば、大海 (膀胱) を経ずとも温かい気温 (衛気) は生まれることでしょう。
中焦とは土です。その土を網の目のように支流がながれ、地下に潜って網の目のように地下水が流れます。それが太陽の光熱を受けて上昇し、全ての地表を潤します。数週間、雨が降らなくても草や樹木はかれませんね。あらゆる樹木や草一本一本を潤し養っているのです。これが小腸の、営気を各細胞に送る働きです。「太陽小腸」の意味はここにあります。
このように、膀胱・大腸・小腸はみな、原義に太陽という意味を含みます。
三陰三陽って何だろう をご参考に。
膀胱は「州都の官」
膀胱は、州都の官です。「州」というのは、「川」の真ん中に「⚪」 (中洲) のある状態をかたどった文字です。
中国大陸を、大河によって区切られたような地形とみなした時、川と川とに挟まれた大地を中洲と見ることも可能ですね。だから「〜州」という行政区分ができたのです。日本で言えば「〜県」のようなものです。特に古代中国は国土を9つに分けて、国土全体のことを「九州」と呼ぶこともあります。そして、おのおのの州を管轄するのが州都 (しゅうと) です。県庁所在地のようなものですね。
君主 (心) が一番上の立場だとすれば、州都 (膀胱) はもっとも下の立場です。最も下の立場から全体を管理するのが膀胱と言えるでしょう。最も下の位置にあるのは海です。その海面に映った太陽の姿こそが膀胱です。太陽の熱を受けて海水を気化して温かい水蒸気に変える。これが衛気です。衛気には栄養はなく、温かさだけを持っています。
君主の威光が射照り輝き、それを最も下に映すのが州都です。
君主の実務は相傅 (肺) がにない、その実務の地方末端が州都 (大腸) です。だから肺・大腸の関係に矛盾はありません。なお、小腸は心と表裏一体なので心の光が地上に宿ったものと考えていいです。小腸は胃と並んで中焦 (土) であるからです。
まとめにかえて
ここまで深掘りするとは、正気の沙汰ではありませんね。
しかし、このような狂気じみた探求心こそが、飽くなき臨床の研鑽につながるものと確信します。
「気」を基礎とするこの医学と、世界中の人々の健康とに、この小さな命をかけるのならば。
▶糟粕とは
糟粕とはウンチのことであると説明しましたが、原義はそうではありません。
糟粕とは、酒粕のことです。《霊枢》ではこのように、飲食物が腐熟して栄養になる過程を、酒の醸造にたとえて表現しようとしています。
よって、酒の醸造の仕方の知識を持っておく必要があります。
米を蒸して麹菌と合わせ、さらに水を加えて発酵させると醪 (もろみ) というドロドロのものになります。胃や小腸においてもこのようなドロドロができます。このドロドロが腸内を蠕動運動とともに流れていくことを、後述する《霊枢・營衛生會18》では、 “糟粕を泌す” と表現しています。つまり “糟粕” とは、ウンチになる前の未吸収のドロドロをも意味するのです。
このドロドロした醪を搾るとサラサラした液が濾し取られます。このサラサラがにごり酒 (どぶろく) です。古代はこれを酒として飲んでいました。いわゆる醸造酒 (発酵酒) です。これが、ここでいう “津液” です。ちなみに、にごり酒の上澄みの部分が清酒 (日本酒) です。
このようにしてサラサラが濾し取られると、残りはカチカチの酒粕となりますね。ウンチとよく似ています。後述する《霊枢・營衛生會18》ではこれを “糟粕と成る” と表現しています。この酒粕を古代人は捨てることなく、蒸籠 (せいろ) で蒸して蒸留し、粕取焼酎 (かすとりしょうちゅう) を作っていました。蒸留酒です。醸造酒よりも純度が高く、アルコール度数も高いですね。お酒を熱すると水より先にアルコールが蒸発するため、その気体を集めて冷やすことで、さらにアルコール純度の高い液体が得られます。このように、さらに純度が高いアルコールを取り出す技術は、膀胱というナベに溜められた津液が、蒸留して肺というフタによって集められ、衛気として宣発されたり、津液として粛降される様子とよく似ています。
昔は民間の各家庭で酒を作っていました。こういうイメージは現代人には馴染みが薄いですが、古代人にとっては生活に根ざした身近なものであったと思います。このイメージが、本文を理解する上で不可欠となります。
ただし、たとえはたとえの域を出ず、酒造りでは例えきれないものがあります。それが宗気です。拍動という命の営みです。