衝脈とは《前編》…流注をまなぶ の続きです。
▶衝脈と冲脉
衝脈は、中国では「冲脉」と書きます。冲とは「沖」の簡体字です。現代中国では、「衝」と「沖」を同じ意味と見なし、衝は使わず沖を用いています。
清代にまとめられた《四庫全書》には「衝」の字が用いられています。
日本では海の「沖」(おき)という、中国にはない独特の意味をもたせています。衝と沖を別の意味として用いていますので注意してください。ここでは、まず「オキ」の意味を消し去ってください。
本来、「衝」と「沖」の意味はほぼ同じです。しかし「衝」と「沖」という別々の字があるくらいですから、微妙にその意味は違います。調べてみると、双方に、衝脈の意味するところの薀蓄(うんちく)があります。
よって本ページでは、「衝」と「沖」の両方の字源・字義をまとめ、衝脈の理解の一助としたいと思います。
また、衝脈の起こるところである穴処、気衝は気街とも呼ばれます。つまり「街」は「衝」と同義で用いられているのです。よって「街」の字源もまとめます。
▶衝の字源
▶衝
衝(彳童亍)、通道也。从行童聲。《春秋傳》曰:及衝以戈擊之。《説文解字》
【訳】通ずる道なり。行と童からなる。《春秋傳》いわく、衝(の字義)は “戈擊” …戈(ほこ)で擊つ… に及ぶ。
突き通る道路です。
臣鍇曰:“謂南北東西各有道相衝。《説文解字系伝》
【訳】…臣鍇曰く、東西南北、おのおの道あり、あい通ずる道。
交差点・十字路のことです。交通の要所です。要衝です。
衝脈と照らし合わせると、
・重要な経気
・東西 (両蹻脈) ・南北 (任督) の起点
と符合します。
衝。通道也。衝通疊韵。引伸之義為當也。向也。突也。从行。童聲。昌容切。九部。今作衝。春秋傳曰。及衝以擊之。左傳昭元年文。各本以下有戈字。李燾本無。按上云子南執戈逐之。則云以擊之。不再出戈是也。今傳作擊之以戈。亦是淺人所改。《説文解字注》
【訳】…衝は疊韵(韻を踏む・重ねる)に通じる。そこから語義拡大し、当・向・突となる。…
「戈(ほこ)で擊つ」は「之(これ)を撃つ」が正しいと言っています。まあ、どちらでもいい。
何度も重ねて道を通じるところから、「攻撃」「当たる」「向かう」「突く」を意味します。
「衝撞」のように、 人心をつき動かすこと… の意味もあります。
「衝雨」のように、雨にも負けず危険を冒し突き進む…の意味もあります。
「童」とは罪人・奴隷のことです。これと衝脈との関わりは見当たりません。
衝脈と照らし合わせると、
・何度も打つような持続的で強い影響力がある
と符合します。これは深湖に通じます。
▶重
「彳童亍」は、隷書(漢代に最盛期)では「彳重亍」に改められます。
「重」のほうが「童」よりも意味を持ちます。
「重」は図のように、左に人、右に東です。この「東」は方向のことではなく、荷物(上下をヒモでくくった袋に入れている)です。これが重い。後世、人が上に、東が下になります。その後、下に「土」が加わり、「重」になりました。
現代中国語では、物品のことを「東西」というようです。
重。厚也。从壬東聲。凡重之屬皆从重。
徐鍇曰:壬者,人在土上,故爲厚也。《説文解字》
【訳】「重」は「厚」である。「壬」と「東」からなる。「重」の属はみな「重」からくる。徐鍇いわく、「壬」は「人」が「土」の上にくる。故に「厚」となすのである。
「重」は物質的な重さ、語義拡大して性質的な重さ。
慎重。手厚い。重責。重要な職務。地球の求心力(重力)。重視。貴重(高価)。増加。層。
などから、「厚い」「高い」という語義拡大が見られる。
衝脈と照らし合わせると、
・高い次元から生命を統括する
・奇経八脈を統括する
・五臓六腑を統括する (五臓六腑の海《霊枢・逆順肥痩38》)
・十二経絡を統括する (十二経の海《霊枢・動輸62》)
と符合します。これは深湖に通じます。
▶衝のまとめ
・突き抜ける道
・東西南北の起点となる十字路
・高貴で重視される要所
・突き動かす力
衝脈そのものです。
▶街の字源
気衝というツボがあります。別名「気街」です。このツボから衝脈は、上にいくもの下にいくものにそれぞれ分かれて走行します。いわば衝脈の起点です。
衝脉者.起於氣街.《素問・骨空論 60》
「衝」と「街」には深い関係がありそうです。
▶街
街。四通道也。从行圭聲。《説文解字》
【訳】街は四ツ辻である。行と圭とからなる。
街とは、十字路のことなんですね。
「行」+「圭」です。
▶行
「行」は象形文字です。
原義は十字路です。
▶圭
圭とは、玉圭のことを言います。古代は土地を恩賞として授けたので、この字が生まれたとされます。街が「まち」の意味を持つのは、玉圭が尖った形をしており、「尖ったもの」という意味を持つところから来ています。「まち」は十字に区画され角目正しく作られています。尖った角目のある区画と縦横に走る道をイメージした字となります。しかしこれは気街との関係は見当たりません。
また圭は、圭表のことでもあります。
圭表とは、「季節」と「時間」を測定するL字型の器具で、平地にこれを置き、太陽の影を測って割り出すものです。太陽の光が大地に差し込む角度を測ります。これが気街の意味を示す要素であると考えられます。
▶街のまとめ
陽維脈・陰維脈が一年の季節を支配し、陽蹻脈と陰蹻脈が一日の時間を支配する…とは、奇経八脈って何だろう<後編> で展開した内容ですが、これらを最終的に支配するのは衝脈です。
その脈気の起こるところが「気街 (気衝) 」、つまり「気の街」なのです。
「街」が、前後と左右 (空間) を支配する「行」であり、一年と一日 (時間) を支配する「圭」であるとは!
両維脈が一年を、両橋脚が一日を支配するという考え方は、古典での記載は見受けられず、日々の臨床から見出したものです。その考え方が、字源で符合します。偶然の一致なのでしょうか。
衝脈が、両蹻脈と両維脈を支配して、四時陰陽を一手ににぎっていることが伺えます。
衝脈は、空間だけでなく、時間をも支配するということになります。
▶沖の字源
つぎに「沖」にいきます。中国では沖=衝で、衝脈は「沖脈」と表記されます。
まず、海の「沖・オキ」のイメージを去ってください。この意味は、日本人が独自に作ったものです。
▶涌搖とは
沖。涌搖也。从水、中。讀若動。《説文解字》
【訳】沖は、涌・搖なり。水と中とからなる。動のごとく読む。
水のイメージ。動のイメージ。涌き出る。揺れる。
涌… 水が下から上に向かって吹き出してくる。
揺… 水がゆれる。前後左右に揺れるだけでなく、上下にも揺れる。
・摇晃… 前後左右にゆれる・ふらふらする。
・摇头摆尾… 犬が喜んだときのように、頭を揺らし尾を摆(ゆ)り動かす→有頂天になること。上に行くイメージ。
・摇摇欲坠… 人・物・組織などが、グラグラして今にも瓦解し落ちそうである。下に行くイメージ。
「涌」は下から上に動く。
「揺」は前後左右上下に動く。
衝脈に照らし合わせると、
・生命力の源が湧き上がる
・上下・左右・前後を支配する
と符合します。
▶意義の拡大
涌搖の意義が拡大して以下の意味が生まれます。
・大水が衝突する…「冲撞」
・大水が巻き込んで押し流す
・水で洗い流す…「冲洗」
衝脈に照らし合わせると、
・邪気を押し流す、洗い流す
と符合します。酔っぱらいの治療 をご参考に。
▶中とは
沖は「氵+中」で、この文字のイメージの核心は「中」にあります。
中、内也。从口、丨、上下通。《説文解字》
【訳】中、内なり。口に従う。丨、上下通ず。
「中」はと「丨」と「口」が合わさったもので、「口」を「丨」が上下に通る姿です。突き通る。突き抜ける。「上下に」という意味合いが色濃く伺えます。
中は「口+丨」で、口は□で○のことです。下図は「中」の甲骨文字ですが、これにも○ (楕円部分) がありますね。
旗の象形とする説もありますが、一説には、種(図の○)から下に根が伸び、上に芽が伸びる様相とも言われます。この説の方が衝脈をうまく説明できます。
東洋医学では「土」を「中」としますので、○は土(地球)とも言えます。そこを「突き通る」ように芽と根が伸びる。気衝から上下に伸びる流注と同じですね。
「○」は空間でもあります。「中空」。そこを「突き通る・突き抜ける」。
「○」は目的物でもあります。そこを「突き通る」。「百発百中」「命中」「的中」のように、「中」には「中(あた)る」という意味があります。これは「衝」とよく似ていますね。
「中」がイメージできると、 “沖天チュウテンの勢い” で「沖」が使われる意味がよくわかります。
衝脈に照らし合わせると、
・衝脈は空間そのもの。空間 (奇経) の源。
・空間を突き抜ける要道。
・気衝から上行する脈気と下行する脈気。
人体を地球に例えると、衝脈は地軸になります。通じるものがありますね。
▶沖は茶碗
「中」の字義がわかると、「沖」がイメージしやすくなります。中のもつ「空間」は、沖の「空虚」に通じます。
沖には「空虚」という意味があるのです。
沖,沖虚。《玉篇》
《玉篇》では、沖は「沖虚」…何もないこと、中が空っぽである様子…であるとしています。
凡用沖虛字者,皆盅之假借。《説文解字注》
「空虚」から派生して、「盅」(湯呑のような器) に通じます。中にお湯が入る前の湯呑は空虚ですね。盅は「中+皿」です。「中」は中空でしたね。
《説文解字注》では「沖虚」は「盅」の仮借 (かしゃ) であるとしています。沖chōngは盅zhōngに通じるのです。「盅」は「中+皿」です。「中」には「中空」の意味がありましたね。そういう皿 (器) です。
これは、かつて 五臓の図形化… 球形をイメージする で提示した「湯呑の画像」と通じます。僕自身の臨床を重ねながら得た奇経のイメージは「容器」でした。そこに「ふくろの完成」「奇経の完成」と説明文を入れ、また「くちべり」が境界だ、とも言いました。この容器こそ、まさしく奇経であり、奇経の根源である衝脈(沖脈)です。まさか「湯呑」が「沖」の字義にあるとは…。
こういう偶然?の一致があるので、勉強が楽しくてやめられないんですね。
また、こういうのは正鵠を得ていることが多い。
▶道 (タオ) と沖
この「容器」という概念を、 “なんだ「お茶碗」か… ” とあまく見るなかれ。
老子の思想の核心でもあるからです。
道沖,而用之有 (≒又) 弗盈也。淵呵! 似萬物之宗。①銼其兌,②解其紛,③和其光,④同其塵。湛呵! 似或 (≒似乎) 存。吾不知其誰之子,象帝之先。
《老子・第四章》
※青字は当方が追加。
【訳】「道」は沖(=盅:空っぽの器)である。そしてその用は、満タンになるということがない。なんと深淵だろう! これこそが万物の親とも言えるであろう。① (その器のなかで万物は) トゲトゲしさを研磨し、②紛争を解決し、③人を射るような光を和らげ、④俗塵(世俗)に溶け込むのである。その深遠さは「湛」 (深すぎてかすかにしか見えない) の一字に尽きる! 道はまるで「存在」そのものである。 (万物の親である「道」の中では誰もが) 自分は誰の子か…などどうでもいいことで、それは天帝に親がないのと同じこと(象=似る)である。 みな「道」の子なのだ。
【解説】「道」とはこの世という空間そのものである。真理は大宇宙の中にあり、そして「お茶碗」の中にも存在する。その表現に難く深遠なることはまさに無限であり、万物はその中で生まれる。そして、①人に揉まれて磨きあるいは磨かれ、②愛情あふれる話し合いで争いを解決し、③光輝く才で人を射るのではなく人を温め、④俗塵に身を置いて下座の行をいとわない。この世という大きな「お茶碗」のなかで、我々はそうやって成長してゆくのだ。「お茶碗」とは道である。道というのは前に進むことであり、成長するための舞台である。その「お茶碗」から生まれてきたものは、神であろうが人であろうが敵であろうが、みな「道」のもとに親子兄弟同胞である。手を携 (たずさ) えて前に進むのだ。
“和光同塵” のもとにもなっている《老子》の一節です。いろんな訳ができますが、僕なりの訳です。この「空っぽの器」とは「○」です。地球です。そこに、これから成長してゆく「種」が入るのです。根は大地を貫き、芽は天に沖するのです。「上に下に」と伸びてゆくのです。
※《説文解字系伝》は、この《老子・第四章》に登場する「沖」は「盅」であり「虚」であると説明している。
器虛也。從皿,中聲。《老子》曰:道盅而用之。
臣鍇曰:盅而用之,虛而用之也。今作沖,假借。
《説文解字系伝》
▶道 (タオ) と衝脈
優れた文章は幾通りもの解釈ができると言います。
この《老子・第四章》を、東洋医学的に解釈し意訳することも可能です。
やってみましょう。
【訳】衝脈とは道 (あらゆる陰陽の境界) である。それは満たしても満たしても溢れることがない大きな器でもある。まさに《難経》のいう深湖なのだ! これこそが臓腑経絡の海、つまり “万物之宗” である。その器の中で、①五臓六腑は互いの権を争い乗ずる (五行の相乗) ことなく、②邪気を解し、③心神の輝きと命門の火を温煦に変え、④気を下に引き下げ上下が交流する。 ああ深湖! 衝脈は「上下・前後・左右・内外」の起点となり、この人体生命そのものである。この髪の毛一本であろうと、君主である心であろうと、衝脈のもとでは親子兄弟同胞である。
中、和也。《説文解字系伝》
「中」のもつ深い字義は、「沖」「盅」すなわち道 (タオ) のなかに息づいているのです。調和です。中庸です。
陰陽者.天地之道也.《素問・陰陽應象大論05》
それが世界の平和にもつながります。人体組織の平和 (健康) にもつながります。
▶沖のまとめ
・水 (命の根源《書経》) が湧き上がる
・種から芽と根が上下に伸びる
・生命を容れる容器
・道 (タオ)
衝脈の概念の大きさが伺えます。
▶まとめ
衝脈起於會陰,夾臍而行,直沖於上,為諸脈之衝要,故曰十二經脈之海.《奇経八脈考》
《奇経八脈考》は、衝脈は「衝要」であると、端的に示しています。この意味は…。
もうおわかりですね。意味が大きすぎます。ここまでの内容すべてです。
○
このページを書き進めるについて、さまざまな事象の一致が見られました。字源と臨床の一致、老荘思想と医学の一致、陰陽應象大論との一致…。「漢字」という「形 (陰) と意味 (陽) の集約」であるアイテム。その文化のなかで醸成された思考回路、これが古代中国人そして東洋人の凄さなのか。
とうとう老子の「道タオ」まで登場しましたね。これが衝 (前後左右を臨む十字路) につながり、沖 (上下に伸びる生命) につながります。まさに人生という四つ辻に立つ人です。
道とは、天地のハザマにある通り道、左右を広く見て中道を歩む真理、過去を後にし前を向いて進む現在地です。
天地という陰陽・左右という陰陽・前後という陰陽…。
上下・左右・前後の境界をなす一点、それは東洋医学における「精」そのものです。「精」が陰陽を生む。それが衝脈であるとは、「五臓六腑の海」《霊枢・逆順肥痩38》・「十二経絡の海」《霊枢・動輸62》の別称を付すにふさわしいとは言えないでしょうか。
陰陽の究極の境界。道を通す。衝脈の使い方です。それがすべてでしょう。
小乗 (一小事の救済) に堕しては、衝脈の「根源・枢要・高貴」が墜ちてしまいます。臓腑経絡学における、最も大乗 (無限の視野に立つ救済) 的な概念、それが衝脈と考えます。