42歳。女性。2024年11月23日。
22日 (金) 、電話が鳴る。
いま、引っ越しの荷下ろしが済んで、もうヘロヘロなんです…とのこと。
受付さんからそれとなくは聞いていた。静岡からここ奈良まで、当院で治療を受けるために引っ越して来られたのである。
23日 (土) 、来院。
診察室に入る。明らかに顔がむくんでいる。まぶたが腫れて、いつものパッチリした目ではない。
カルテに助手が予診を取って記載してくれている。それを見ると、
・胸が苦しい
・動悸がする
とある。なるほど、いつもの動悸が悪化したのだな。海外出張も含めた仕事をこなし、3人の育児、そのうえに引っ越しである。いろんな手続きもあるだろう。無理もない。
心臓の疾患は、胸を出してもらってじかに診る。これは、男性や高齢女性は問題ないが、お年頃の女性はちょっと診にくい。なので “恥ずかしかったらいいよ” と声を掛ける。とは言うものの、ある程度のことは衣服の上から手をかざしても分かるのだが、正確なところはじかに手を触れて診ないと分からない。当該患者は乳がんもあり、初診のときから快く診させてくれた。
胸を診る。
すると、あれ?
おかしい。いつもならある「心臓の症状が出ている状態」の反応がない。
なんでかな…と思いながらも、とりあえず穴処を決める。
僕の場合の穴処の決め方は長年の経験からパターン化している。
まず脈診で絞り込む。虚実はここで確定する。胸腹部の診察で寒熱も含めてさらに絞り込む。最後は候補に残った穴処の中で「生きたツボ」を見つける。番手を決める。そして鍼を打つのである。この行程は1分以内。
今、百会に鍼を打つと決めた。ツボが生きているので、効きそうでしかない。
が、それでもなおかつ、その場で効かす (楽にする) のは難しいことだ。
いま、胸が苦しい。それをタイムリーで取るには、ツボに鍼を打つだけでは難しい。今のように、心臓に反応が出ていない。うかつに鍼をしてはならない。
何を取ればいいのか?
それだけは明確にしておく必要がある。確信がなければ鍼は効かないのだ。
反応がないのになぜ、胸が苦しいのか? 分からない。いつもとは違う…。もう一度胸を診る。やはり胸 (心臓) の苦しさや動悸が出るような反応がない。その反応を取らなければ胸の苦しさは無くならないのに、そもそもその反応が出ていないのだ。こんな状態では、百会という生きたツボを首尾よく見つけたとしても効かない。そんな気持ちで鍼を打っても、効く気がしないのである。わざわざ体を治すために静岡から奈良まで引っ越して来られたのに、その初日からこんなことでは申し訳が立たないではないか!
とりあえず、背中を診てみる。困ったときは背中 (督脈) だ。おや? 身柱を中心に「悪さをしている (アクティブな) 反応」が出ている。ツボが直径7cm大で出ている。これって、肺機能低下、呼吸困難の反応やんな。…もしかして。
「いま、胸は苦しいですか?」
「はい、苦しいです。」
「その苦しさって、心臓? ですよね?」
「心臓?」
「心臓ではない?」
「心臓ではない?…うん、心臓ではない。」
「呼吸が?」
「ああ、呼吸がしにくいです。息が深く吸えないというか。」
「呼吸がしにくいから、胸が苦しいんですよね?」
「たぶん…そんな気がします…。」
そうだ。分かった。心臓ではない。肺気だ。
顔がむくんでいるのも、肺気不宣によるものだ。
いままで胸痛や動悸で苦しんできたために、息がしづらいことを心臓だと勘違いしたのだ。肺には動悸は関係ないが、気になるのはそのためだ。
それで間違いない。身柱の反応を縮小し消せばいい。
もともとの主訴は、大出血をおこす子宮筋腫である。また乳がんである。これら2つはリンクしていて、「悪さをしている (アクティブな) 反応」の面積と「本体の反応」の面積が常に同じである。身柱の反応のみが異なる面積 (小さい面積) で出ており、乳がんと子宮筋腫とは異なる反応 (浅くて取れやすい反応) なのである。引っ越しによる疲労は、乳がんや子宮筋腫には悪影響を与えず、新病 (呼吸困難) として出たのだ。これはむしろ望ましいことでもある。
当該患者は、いつもなら「心臓の症状」が出ている。だから僕は、今日もそれがあると思い込む。これがいけない。体は日々更新されている。昨日見た体は、今日は変化していることが前提なのだ。
それからこれは大切なことだが、本当に問診だけではいけない。西洋医学もやっているように、ある程度問診で絞り込みはするが、確定するのは検査をしてからである。その検査が、東洋医学においては「切経」に代表される切診なのである。
僕が納得した。いま、当該患者の体と僕がつながった。
これで効く!
百会に5番鍼を5分間置鍼。
抜鍼後、ふたたび背中を診る。身柱の反応は? よし、消失。
「息のしにくさは、今もさっきと同じですね?」
息を吸い込んで確認している。
「いえ、吸えます。深く吸えますね。楽になりました。ありがとうございます^^」
あさって月曜日も診察することになった。
火曜日から北陸に数日間の出張なのである。生活も大事、体も大事。
本当にご苦労さま。
帰ってきたらまたケアしましょう。
〇
胸の苦しさと動悸…これが問診によるところの主訴であった。だが僕は、問診よりも切経を重視し、心ではなく肺を病位として弁証した。問診で絞り込んで確定は検査をしてからとする西洋医学同様、東洋医学においても確定は「切経」によるべきである。切経とは、レントゲン・エコー・CT・MRI・血液検査に相当する重要な診察方法である。
現行の中医学は問診に偏りすぎている。四診合参という基本を忘れてはならない。ここのところを理解できなければ、中医学はただの民間療法に堕落してしまうだろう。西洋医学の先生方は、すでにそういう見方をしているのではないだろうか。そんなことでは重症例は扱えない。社会の認知も得られない。
機械的にやってはならないのである。
それは医療だけではなく、広く人生においても言えることである。
ついうっかり結果を求めてはならない。まず意味を考えるのである。なぜこうなったのか。
普段の生活からそういうクセをつけておくと、正しい道筋を経て良い結果にたどり着くことができる。
手っ取り早い結果を求めるクセは、悪いクセだ。悪いクセは悪い結果をもたらす。
手っ取り早く結果が出ることがある。だからクセになってしまったのだ。
症状 (苦しみ) は結果。原因をたどることが大切。
良い結果が欲しいのなら、プロセスを踏むクセをつけることだ。
ローマの壮観は幾星霜のプロセスを経た結果である。
百会が出ているから百会が効くだろう。
そこに安易な鍼を打ったならば、こういう結果にはならないことは知れたことである。
一本の鍼に、一挙手一投足に、どれだけの意味をもたせることができるか。
それによって、どれだけの影響力を与えることができるかが決まる。
人生は長い。長期を見越した良い影響力と結果を見定めたい。
もともと月経にともない子宮筋腫による大量出血が頻繁にあった。そしてまさに月経中の大出血を起こしているさなかの2024年7月5日に初来院、一度の治療で即座に月経量が減少した。
それ以来、1〜2週間に1度来院され、午前中3回の治療を続けてきた。乳がん (確定診断には至っていない) もある。2024年11月23日現在、その乳がんは柔らかくなり触知しにくくなってきている。子宮筋腫も小さくなってきている。そして足のむくみや重さ、動悸や息切れ があり、これらは疲労の度合いに応じて波がある。