「言い訳」とは、話の本筋をはぐらかし自分を正当化することである。
かつてそう書いたことがある。しかし、なぜそうなってしまうのだろう。説明とのちがいはどこにあるのだろう。ついはぐらかしてしまいそうになる「本筋」とは?
理由を説明することは大切だ。
しかし、言い訳は悪いことだ。
説明と言い訳、この2つは似て非なるものである。その違いは…。
認めても問題がないことを決して認めず、理由を述べることが言い訳
認めると問題があることを決して認めず、理由を述べることが説明
人間は淡白でなくてはならない。
恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安 (いずくんぞ) 從來.《素問・上古天眞論 01》
【訳】無欲かつ素直であれば、真気はおのずと満たされ、心身ともに内実するのである。どうして病気などに侵されることがあろうか。
自分の悪いところを認めることのできる人は、成長できる人だ。
成長できる。そこに損はない。得しかない。
そのためには、淡白である必要がある。
説明と言い訳の微妙な差について例を挙げてみよう。
ぼくが鍼灸学生1年生 (23歳) のときである。初めての臨床実習でのこと、誰かが置いてはいけない場所に鍼を置いたらしく、その近くにいた僕に向かって、所長先生がすごく怒ってきた。ぼくは「すみません。」とだけ言って鍼を片付けた。所長はそれ以上何も言わずに立ち去った。後で主任先生が、「 (片付けなかったのは) 上君じゃないんでしょ?」と声をかけてくださったが、僕は「はい。」と答えただけだった。
所長先生に僕が怒られたとき、もし僕が「僕じゃないです!」と言ったらどうなるだろう。所長はますます怒って、「誰とか関係ない!」と言ったにちがいない。だから「すみません」がベストアンサーなのだ。というより僕は、実習生代表として謝ろうと考えた。それがいちばん簡単だと思ったのだ。即答で謝られた所長先生は、すこし拍子抜けしたようだった。もう少し怒るつもりだったのかもしれない。
片付けなかったと他人から思われたところで、いかほどの損失があるだろう。片付け忘れなど誰にでもあることで、それがたまたま僕だったとしても何の問題もない。だから、「僕じゃありません」と言うほどのことでもない。むしろ、僕がやったような体裁で謝っておいたほうが、早く事が解決する。そういうことを知っていたのである。
そもそも僕は言い訳が嫌いだ。だから人から誤解されることもある。しかし、それ以上の信頼を得ているようにも思う。だからという訳でもあるまいが、所長先生も主任先生も、僕にずっと良くしてくださった。他の実習担当の先生方からも一目置かれていたと思う。机担当の先生方からは、箸にも棒にもかからぬやつだと嫌われていたが(笑)。
言い訳をしない患者さんは、早く治る。
言い訳をしない人は、話が短い。そして分かりやすい。
40年前に失明した目が見えるようになった患者さん、これはいい見本になる。これだけのミラクルを起こしたのである。説得力があるのだ。
初診はあお向けに寝られなかった。めまいがあったからだ。めまいについての問診は短時間で済んだ。救急車で運ばれたこともあるめまいだったが、めまいの持続時間を聞くと “1分もない” とあっさり答えられた。一瞬でおさまるとは言え、少し首を傾けるたびにグランとくるだから何日も辛いのである。
普通は、もっと大げさに言いたがる。1分もないと言ってしまうと過小に評価されると考え、なかなか時間を言わず、どれだけ酷くて激しいめまいか…ということを必死で言い立てるのが患者というもの、質問に答えないのだ。なんども追求されてやっと口を割るという感じである。多くの患者さんは “わかってほしい” が優先し、きちんとした説明ができない。
ところがこの患者さんは、ぼくの「持続時間は何分ですか」、この質問に対して答えることができる人なのである。非常に客観的、私情をはさまない。私情をはさまないからリスポンスが率直、素直なのである。
数秒から1分以内でおさまるのは頭位性めまいである。メニエール病なら10分から数時間持続する。この病態を分けておくことは治すうえで重要になるが、だからといって患者さんが感じる恐怖に差はない。
- めまいであお向けに寝ることができなかったが、治療をするとその場で平気になり寝ることができるようになった。それ以来、一度もめまいはない。
- 毎朝かかさず起こっていたこむら返りが翌朝からなくなり、初診から6週間経過時点でこむら返りは一度しか起こっていない。
- パンパンで重かった両足が、初診の治療直後から柔らかく軽くなった。これもずっと持続している。
さらに、40年ぶりに目が見えるようになったのである。視野の真ん中をふさいでいた真っ黒の影は、治療の翌朝目が覚めると、斜め上に移動していた。
その斜め上の暗点も、6週間の経過の中でだんだん透明になってきているのである。
くどくど説明したがるのは、自分を正当化したいからである。自分を過大に評価してほしいからである。
いい格好をすることはない。その必要はない。なにも問題はない。
淡白。
素直。
それが、我々が目指す道である。
冒頭の “本筋” とは、その道筋のことである。
その行く先にこそ、健康も幸せもあるのだと知るべきである。