56歳、女性。2024年6月1日初診。
良性発作性頭位性めまい症である。
10年ほど前に発症して診断を受けた。以来、発作的に激しいめまいを起こす。前回は4月に起こり5月まで続いた。
頭位性めまいとは。頭の位置を変えると起こる。じっとしていれば数分で収まる。発作的に、激しくグルグル回ったり、揺れたりするめまいである。
原因は、前庭にある耳石が剥がれ、3つある半規管 (三半規管) のいずれかに入り込むことによる。半規管はリンパ液で満たされており、もともと耳石はない。その三半規管に耳石が迷い込むとリンパ液にデタラメな波紋が生じて、それを神経が感知することで、めまいが生じる。
耳石は前庭の毛細胞にくっついた形が正常で、頭位が変わると耳石が動き、それを神経が感知して平衡感覚を感知できるようになっている。耳石は新陳代謝で垢のように剥がれるものであるが、何かの拍子に三半規管に入り込んでしまうのである。
通常、西洋医学的な治療では、三半規管に入り込んだ耳石を追い出すように、頭の位置を変える運動を行う。液体の輪投げのオモチャ (ウォーターゲーム) があるだろう。それをイメージすればよい。ただし本症例では、僕の話を聞いただけで揺れが収まり、頭に1ミリほど鍼を刺しただけで頭位を変えても めまいが起こらなくなった。これは非常に不思議な現象であり、考察の余地ある症例と言える。
ちなみに。
前庭は上下・左右・前後の位置移動 (直線) による平衡感覚を感知する。内部はリンパ液で満たされており、頭が移動するとリンパ液が動いて、前庭内にある毛細胞 (耳石を持つ) が動くことで平衡感覚を神経に伝えるのである。前庭内の毛細胞の先端には耳石が付着しており、この石 (炭酸カルシウム) の重さによって重力や加速度を感知する。
三半規管 (3つの半規管) はxyz軸それぞれ3つの平衡感覚 (回転) を感知する。前転・後転・側転である。三半規管の中はリンパ液で満たされており、頭が回転するとリンパ液が動いて、三半規管内にある毛細胞 (耳石は持たない) が動くことで平衡感覚を神経に伝えるのである。そんな精密器官に変な耳石が転がり込んだら、感覚がメチャクチャになるのは知れている。それが頭位性めまいである。
メニエール病と比較すると立体的に理解できる。
>> https://sinsindoo.com/archives/meniere.html#メニエール
▶初診からの経過
主訴は、仙骨痛と不眠である。
仙骨に腫瘍があり、座ると痛い。
また、不眠があり、寝付くのに2時間ほどかかる。
現在、めまいは起こっていない。
初診時、天突が反応しているので表証あり。表証の養生を指導。
間食をやめて食後のデザート的にお菓子を食べるよう指導。
また、眠れなくていいという指導。
【6月1日】初診。百会。
【6月3日】2診。百会。前回治療後、早く寝たら眠くなって、すぐに寝付けた。
【6月10日】3診。百会。眠れる。体がすごく楽。仙骨の痛み10→6。
〇
【6月15日】
朝9時の予約、来院を笑顔で出迎える。あれ? なんか表情が硬い?
「昨日からめまいで、仰向けに寝れないんです。昨夜の夜中からなんです…。」
「あー、そうですか。ベッドに寝なくていいですから、この椅子に座ってお待ち下さい。今日は座って治療していきますね。」
めまいは持病 (頭位性めまい症) である。右を向く、または仰向けに寝るとぐるぐる回る。
2ヶ月ぶりとのこと。
座位で診察を始める。まず望診で診ていく。
白毫OK、これから悪化する兆候はない。
天突OK、表証はない。
下腿胃経、短期痰湿スコアは安全域。
胸部腎経、短期邪熱スコアが異常域。霊墟のレベルである。
ここ数日で、新しい邪熱が生まれている。おそらくこれが昨日からのめまいの原因だ。なんで邪熱が生まれたのか?
望診で穴処を診ていく。太衝に実の反応を見つけた。肝鬱気滞がある。ストレスか?
「新しい邪熱が生まれています。これを取っていかなければなりませんが、つまりオーバーヒートしているんですね。オーバーヒートの原因になるものをざっと挙げると、体の酷使・心の酷使・目の酷使・夜ふかしなどが挙げられますが、何か思い当たることはありませんか? めまいは昨日の夜からですから、昨日に問題がある可能性が高いですね。あるいはおとといか…。」
「すこし寝るのが遅くなって、11時ごろになったんですけど、それでしょうか…。」
「いや、そのくらいでは、こんなめまいは起こしません。」
「そしたら思い当たることがないです…。仕事も楽しく出来ているし、気分も爽快だし…。昨日はすごく体も楽で、たくさん仕事をしたんです。」
書道の先生である。
「楽しく? たくさん? 」
「はい、昨日はいつもよりも長い時間、おそくまで仕事をしました。それが悪かったんでしょうか?」
太衝に注目する。反応が消えている。
胸部腎経を診る。短期邪熱スコアが安全域になっている。
そのとおりだ。
「そうですね。努力は大切なことで、これなしでは成長することがありません。〇〇さんは努力できる人です。それは、そのまま大切にしてください。ただし、やり過ぎはいけません。10できそうなら、8くらいで止めておく。10のスピードなら8くらいに減速する。ほんの少しです。ほんの少し、ひかえる。すると、持続可能になります。」
「わあ、そうです! ここで治療し始めてから、すごく体が楽なんです。 だから調子に乗っちゃったんですね!」
「うんうん、そうそう、調子に乗るとね、スピードが出すぎて、スピードが出てる時は気分爽快なんですけど、ブレーキがかかっちゃうから…。車をこすったりして結局は目的地に着くのが遅くなるんですよ。」
“気分爽快” なのに太衝が反応した理由をくわしく分析する。
太衝の実の反応は、肝鬱気滞を意味する。肝は疏泄を主 (つかさど) るので、肝鬱気滞は気滞の邪によって疏泄ができない状態である。つまり疏泄不及である。これは、多くはストレスが原因となる。
だが、当該患者の太衝の反応 (疏泄不及) の原因は、ストレスではなかった。ストレスどころか、体の調子がよく、気分も爽快だったのだ。だが、それは生命力の上限 (制限スピード) を超える仕事量 (スピード) 生み出すという結果となった。
当該患者は書道を教えておられるが、肝の疏泄とは、たとえば毛筆を取ろうとする時、気血が肝 (幹) から手 (枝) に伸びる (拡散) 。筆を置いて手を休める時、その気血は手から肝に戻る (収縮) 。ここでいう疏泄太過とは、手に伸びた気血が拡散しっぱなしで、肝に戻らなくなることを言う。
そういう状態が続くと、肝に血が足りなくなり、血が足りなくなると気が動かなくなる。血はガソリン、気はスピードと考えればいい。このようにして肝気鬱結が起こり、気滞化火が起こったのである。肝火上炎〜陰虚陽亢による邪熱のめまいである。
スピードが出すぎる (陽) と、いずれクラッシュして停止 (陰) する。これが陰陽の転化の法則である。疏泄太過も、いずれ疏泄不及に転化する。疏泄太過が強ければ強いほど、疏泄不及も強烈なものとなる。疏泄太過が長期間であればあるほど、疏泄不及も長期間におよぶことになる。つまり、 調子に乗れば乗るほど、転化後のつらさ (ブレーキ=病気) が耐え難いものとなるのである。
太衝の反応は、気滞である。ストレスにかぎらず、滞り (ブレーキ) は起こることを知るべきである。
ただし、普通は疏泄太過の反応は、肝経においては行間に出る。ただしこれは疏泄太過の最中に出る反応であって、本症例においては疏泄太過は収束してすでに疏泄不及の状態にあった。原因は疏泄太過であっても、結果として疏泄不及になっているので太衝に出たのであろう。
ちなみにオーバーヒート (邪熱) として出たのは、疏泄不及 (気滞) が化火したからである。
「なるほど! それでめまいになったんですね!」
飲み込みがいい! こういう人はめったにいない。多くの人は、やりたいことを好きなだけやりたいと考え、その考えを正当化したがる。好きなだけはよくない。だが、それを認めたがらない。そういう人が多い中、この方はすばらしく “客観性” を持っている。だから、腑に落ちるのが早いのだ!
「なんか先生、さっきまで揺れていたのが、止まりました。」
「え? そうですか。うーん、いいですね。」
腑に落ちると、その場で症状がましになる。正しい方向を向くからである。その結果、体が “めまい” というブレーキを解除しつつある。体は、この人ならブレーキをかける必要がないと、 “信頼” を持ったのだ。
▶腑に落ちる = 脾が強くなる
正しい方向を向く = 腎が強くなる
正しい指導を受けても、それを受け入れなくては体は良くならない。
正しい指導を受けて、それを受け入れれば (腑に落ちれば) 、その場で体が良くなることがある。
正しい指導とは、正しい知識のことである。中医学では「意」という。それをすんなり受け入れる。当然、あらたな「意」が脾に取り込まれる。脾は「意」を蔵する。すなわち「意」は正気である。あらたな「意」が取り込まれるということは、脾の正気が増すことを意味する。脾が強くなれば、とうぜん病気は改善する。
さらに、 “では、できるだけやってみよう!” となれば (正しい方向を向けば) 、さらに体が良くなる。この “やってみよう!” とは、正しい「志」のことである。あらたな「志」が生まれたのである。腎は「志」を蔵する。あらたな「志」が生まれたということは、腎の正気が増すことを意味する。腎が強くなれば、当然病気はさらに改善する。
真理に対して、常にこういう反応ができる人のことを「素直な人」という。そういう人は病気が治りやすい。
イスに座ったまま、百会に一本鍼。
5分間置鍼、抜鍼後、5分間休憩。
スタッフ「はい、今日はこれで結構です。」
ぼく「あ、ちょっと待って。…〇〇さん、今どんな感じですか?」
患者「右が向けるんです! (座った状態で) 向こうとすると回って、どうしても右が向けなかったんです。でもほら、今は普通に向けるんです。」
ぼく「おー、そうですか。ちょっとベッドに寝て、仰向けになってみますか? ゆっくりね。」
患者「なんか、できそうな気がする…。あ…、できます、できます。ほら、大丈夫です!」
身動きできない状態で来院され、わずか20〜30分の間にめまい完全消失。
こういうのはちょっと経験がない。めまいで仰向けになれない…そういうものはよく見かけるが、その場で取れることなどありえない。そんな簡単なものではない。
飲み込みがいい。理解が早い。だからこういう奇跡が起こった。
それは、自分を客観視できるからだ。私欲 (我欲) を挟まないからだ。
治癒力とは鍼の力だけではない。
さらに本症例においては、耳石の位置の改善なくして治癒した。
あるいは、耳石が一瞬で押し流されるリンパ液の水流が生じたと考えるべきか。
なぜ耳石が三半規管に迷い込むのか。それは西洋医学的に謎である。
本症例は、その考察の足がかりを見出す鍵を持っている。