患者「鍼で血尿が治りました」 主治医「たまたまかもしれません」——鍼灸師、もっとしっかりせい!——

患者「 血尿が止まったんです。」

医師「え? どういうことですか? 」

1年半以上、排尿のたびに毎回出でいた血尿である。ナットクラッカー症候群と診断されている。 貧血がないため、医師は経過観察を選択しており、薬剤は一切用いていない。

患者「5月2日に止まってから今日 (6月25日) まで、一度も血尿がないんです。」

医師「そんなはずはありません。ナットクラッカー症候群が自然に治るには、太るなどしないと治るはずがないし、太って脂肪が左腎静脈の圧迫を和らげたとしても、そんなピタッと止まることなどありません。本当に止まっているんですか? 」

患者「はい。その日から一度もありません。」

この医師の言うとおりである。ナットクラッカー症候群ならば、血尿がこんなふうに止まることはありえない。つまり、ナットクラッカー症候群ではなかったのである。別の病変による血尿であり、ぼくはそれを、おそらく正しく捕らえて治した。だからこそ血尿が止まったのではないだろうか。

医師「ほんとうに普通の尿なんですか? 」

患者「はい。」

医師「信じられない。何かしたんですか? 」

患者「鍼をしてもらっています。食事指導も受けています。」

医師「どっちが効いたかもよく分からないし、たまたまかもしれません。不安だから、また次回も検査に来てください。」

“たまたま” と切り捨てられてしまった (笑) 。だが、“たまたま” などではない。3ヶ月にわたって綿密にやった仕事、そして血尿が止まったという紛れもない事実である。

だがしかし、そう言われても仕方がない現状がある。これもまた事実である。

解決すべき点は、東洋・西洋の両医学それぞれにある。

東洋医学の課題

まず、東洋医学側の問題点を考察する。

医師の目に、鍼灸師とはどのように映っているだろう。医薬関連の学術系では、まず、この学力の低さが気になるだろう。学力が低いと、勉強という努力ができないと見なされてしまう。努力ができない人が、人の命など扱えるわけがない。鍼灸師は、命に別状のない肩こりの肩に、鍼を打っていればいい。重篤なものは鍼灸師などが手を出すべきものではない。

勉強ができない鍼灸師など、信じることができないのである。

鍼灸が医学として成立しているならともかく、学力の低い連中に医学など作れるわけがないし、そもそも鍼に「医学」など存在しない。鍼はただの民間療法であり、医学ではない。国も「医業類似行為」と法に定義しているではないか。西洋医学こそが唯一無二の医学である。

このように思われても仕方がない現状がある。

鍼灸師には、もっと高い志を持ってほしい。急務はここにある。鍼灸学校を医学部並みに難関で時間がかかるものにしたとしても、人が集まらないだけで終わってしまうだろう。世間の人々が鍼灸にそれだけの魅力を感じているとは思えない。

患者さんの苦しみは、肩こり腰痛だけではない。それのみを診て満足することなく、難病と言われるものをドンドン治す。そして、人々に驚きを与えてほしい。
出血… 指定難病227;オスラー病の症例
あわや難病 …原因はゲーム? (小児リウマチ;指定難病107? )
腎臓の難病 (ネフローゼ症候群;指定難病222) … やはり、奇跡は起こる
リウマチ消失 (悪性リウマチ;指定難病46? )

中医学は、ここにあげた血尿 (血証) だけでなく、以下のような病名を主治する。


以上は、中医内科学に挙げられた病名の一部である。

中医内科学はあくまでも「内科学」である。ここに外科の領域は含まれない。交通事故などの外科領域は、西洋医学の辣腕におまかせすべきであることは当然のことである。

このような病気をドンドン治し、世間の人に「鍼灸の凄さ」を見せつけてほしい。「こんな治療家なら、私も診てほしい」と多くの人が願い、遠近 (おちこち) の患者さんから求められる鍼灸師になってほしい。お金をもうけたいならその夢もかなう。鍼灸師を憧れの職業として輝かせてほしい。そうすることによって、鍼灸師になりたいという人が増える。自然と、鍼灸学校には人が集まり、合格率が低くなって難関となっていくだろう。社会的ステータスが上がれば、学力も自然と高いものになる。

しかし、現状はどうか。

多くの鍼灸師は、肩が痛ければ肩に、腰が痛ければ腰に鍼をする。これは、中医学の「病因」を全く無視したやり方であって、あきらかに対症療法である。肺が悪いからといって肺に鍼をするだろうか?

肺が悪いなら肺を治療するというのは、対症療法を極めた西洋医学であればもっともな話である。しかし、東洋医学はどうか。肺に鍼を打って治るだろうか。治るはずがないし、そんなところに鍼を打つなどやってはならないことである。

  • つらいところに鍼をする…対症療法。
  • 中医学的病因を取り除くための鍼をする…原因療法。

どんな場合でも術式を徹底できるのは、後者である。
どんな場合でも理論的に透徹するのが、学問である。

たとえば徹夜マージャンが連夜に及んだ。…原因
その結果、頭痛が起こった。…結果 (症状)
症状だけを取るのが対症療法である。ぼくは、これを決してやらない。また今夜もマージャンをやるからである。なぜ頭痛が起こったのか、時間と手間をおしまず、それを詳しく説明する。東洋医学も西洋医学も、わかりやすく説明するためには手段を選ばない。寝不足が、ガン・脳梗塞・認知症などの原因になるという威嚇的エビデンスも披露する。そうすると患者は、
「ああ、なるほど分かりました。今夜のマージャンはやめておきます。」
という反応が起こることがある。この素直な反応が得られれば、このように答える。
「えらい ! そうしてください。ところで頭は同じように痛いですか? 」
すると患者は、
「あれ? なんだかマシです。」
という反応を示す。原因が改善するとともに、結果 (症状) も改善するのだ。その変化によって患者は、先生が言ってることは正しいと認識し、ますます徹マンが原因だと深く理解し、今夜は早く寝ようと決意する。これが、 “病因的に治す” (病因治療) ということである。
そしてさらに弁証論治に基づいた鍼を打つ。これは、 “病理的 (病機的) に治す” (病理治療) ということである。
病因治療と病理治療、この2つを同時に行う。このような究極の “原因療法” を、中医学 (内経医学) は秘めているのである。
肩こりであろうがガンであろうが、ぼくはこのやり方を、徹底・透徹する。そして結果を出してきた。この一貫した “理論と臨床の合致” こそ、学問の端緒たるべきものと信ずる。

中医学は対症療法ではない。原因療法である。中医基礎理論が病因論に多くの紙面を割いているのは、決して体裁飾りではない。実用できるのである。

中医学における “病因” とは
病気を治すには、病気を知ることです。病気を知るには、その原因を知ることです。中医学では病因をどのように考えるのでしょうか。まず、外感と内傷に大別します。内傷は、五志七情・飲食・労逸が主なものです。病理産物 (痰湿・瘀血など) も重要です。

中医学 (内経医学) は、「原因療法」を秘め持っている。それを極める必要がある。

肺に鍼を打たずに、肺を治す。もしこういうことができたら、肺疾患に対して原因を根絶する治療ができる。中医学は「原因療法」 だからである。それとおなじく肩に鍼を打たずに、肩を治す。肩もそうして治すことができるならば、それは原因療法でしか為し得ないことであろう。

この医学は、原因療法を極めることによってのみ、系統だった医学となる。

ぼくは原因療法としての東洋医学を徹底している。その経験から、原因療法としての東洋医学は、西洋医学に匹敵する「医学としての厚み」を持っていると感じている。少なくとも今回の血尿の症例に関しては、東洋医学の診断 (弁証) は、西洋医学のそれを上回った。それは、常に上回るわけではないが、東洋医学と西洋医学それぞれのフィールドの広さは互いに引けを取るものではない。それぞれに得意とする分野が異なるのである。

東洋医学は究極の原因療法であるべきである。
西洋医学は究極の対症療法であるべきである。

そこを、鍼灸師はよく理解する必要がある。

究極の対症療法 (西洋医学) は必要である。命の危機を目前にするならば、原因もクソもあったものではないではないか。まず命を助ける。とにかく結果だけを求める。その可否は、時と場合によるのである。

西洋医学の課題

次に、西洋医学側の問題点を考察する。

医師は、西洋医学だけを勉強していればいいという時代は終わった。ほとんどの医師が漢方薬を用いた経験を持つと言われる現代、医師が東洋医学を勉強するのは当たり前のことであるし、東洋医学 (中医学) が血尿を「血証」として治療の対象にしていることも熟知しているべきである。中医学が、鍼灸と湯液 (漢方薬) の二大方法論で成り立っているということなど、言わずと知れた常識でなければならない。

医師はどんな医療でも行う資格がある。やろうと思えば鍼もできる。これは、鍼灸にも通じた学識をもっていると国から認められた免許を所有しているからではあるまいか。にも関わらず、血尿に鍼が効いた事実に対して “たまたま” とは、一体どういうことか。

3ヶ月かけて、僕と患者が真剣に行った治療を、 “たまたま” と考え、それを一般人 (患者) の前で公言し教育するとは、行き過ぎではないだろうか。

医師は中医学を勉強して、その術式である鍼灸をも治めるべきである。鍼が効いたとする患者の言葉を、 “たまたまだ” とさえぎり正すということは、中医学という “医学” の勉強不足、さらに “医学” に対する冒涜を自らあらわにするものである。

西洋医学のことは、世界中の人々が認め、その力をよく知っている。
東洋医学のことは、多くの人々がその力を知らない。医学のマスターであるべき医師までが、その一人であってはならない。

まとめ

東洋医学と西洋医学、お互いの心すべき点を対比して並べた。

だが、この2つは敵対すべきものでない。
東洋医学が果たして医学の体をなしたとしても、西洋医学と張り合うべきものではない。
お互いがお互いをけなし合い、足を引っ張り合い、ダメにし合うものではない。

東洋医学と西洋医学は、まるで夫婦のように、互いが互いを助け合い、諌め合い、そして育て合うものである。

一体となって家庭を作ってくように、一つとなって医療をより良きものにしていくのである。

そのためには、相手をバカにするような言動があってはならない。
そのためには、相手にバカにされるような素行があってはならない。

批判ならよいのだ。これは成長につながる。しかし、相手を人としてすら見ずに否定するならば、そのパートナーとは向き合うことはできない。こちらも、人として見てもらえるような言動・素行ができていなければならない。

バカにされないように、みんなで頑張ろう。

“たまたま” などと言われていたら、ほんまにアカンのだ。

鍼灸師、もっとしっかりせい!

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