「微鍼をもって…」一本鍼の理由

たしか神戸淡路の頃だったと思うが、震度5から、強・弱の分類ができた。5強では被害が出るが、5弱では被害が出にくい。
ほんのわずか揺れが強いと被害が出る。
ほんのわずか揺れが弱いと被害が出ない。

我々の日常でも同じことが言える。
ほんのわずか無理をする。ほんのわずかな欲を出す。ほんのわずか怠ける。これが良くないことにつながる。
ほんのわずかスピードを緩める。ほんのわずか控える。ほんのわずか一歩を踏み出す。これが良いことにつながる。

体でも同じだ。
ほんのわずかな力み、ほんのわずかな賤しさ、ほんのわずかな怠惰。これが体調を大きく崩す原因になる。
ほんのわずかな落ち着き、ほんのわずかな謙虚さ、ほんのわずかな努力。

これが体調を良くする。その積み重ねは奇跡を起こす。

コップに水を張る。溢れない。しかし、ほんのわずか水を足すとあふれる。病気と健康はほんのわずかな差でしかない。

ただしそれが何の差であるか、そこが分かりづらい。

例えば頭をボリボリかいてみる。これは簡単なことだし、大きな意味ももたない。しかしこれと何ら変わらぬ些細な行動が、多大な結果につながる。うまくやる人は、それがどのような行動なのか、どんな行動が大きな影響力を持つのか、そこを見分ける鋭さを持っている。

ほんのわずかとはどこに目を向けたらいいのか。どの程度の力を加えるのが効率的なのか。

鍼も同じである。

以微鍼.通其經脉.調其血氣.營其逆順出入之會.<霊枢・九鍼十二原>

微鍼をもって、その経脈を通じ、その血気を調え、その逆順出入の会を営す。
ほんのわずかな鍼で、流通を良くし、体と心を調え、陰陽の境界に切り込んで活力を与える。

「微鍼」とは何だろう。 

「微」の字源
  • 「彳」…行為をしめす。
  • 「山+兀」…「長」に同じ。「長」は髪を長く伸ばした老人。長髪の巫女。すなわち組織の長 (おさ) 。
  • 「攵」…「攴」に同じ。物に手を加える。手による動作。打つ。

「微」は「彳長攵」である。
「彳」と「攵」とで、打つ行為をしめす。何を打つかというと、真ん中の「長」である。

  • 長 (おさ) は、組織に対して絶大な影響力を持つ。
  • 長 (おさ) は、老人や巫女のように個人としては弱い。
  • 長 (おさ) は、見えざる場所、手の届きがたい場所にいる。

長 (おさ) のみに打撃を加えるのは、さしたる力は要らず、ほんのわずかなものである。しかし、そのわずかな打撃が、組織全体に与える影響は絶大である。ただし、長 (おさ) は組織の中核にあって、アプローチするのが難しい。安心させておいて、そっと忍び寄る。騒ぎ立てると長 (おさ) は姿を消してしまう。

ミクロなアプローチがダイナミックな影響を及ぼす。それが「微」の本義である。「機微」という言葉がもっともそれに近いだろうか。

古代中国人は、なぜ鍼という尖った金属を用いたのか。
先端を究極まで尖らせて細く小さくし、「長」にアプローチしようとしたのだろう。
その目的は、他を乱すことなく、核心のみをピンポイントで狙うことである。
狙うは義元ただ一人。桶狭間のあの瞬間、天下が動いた。
限に効かせるために、限りなく微なものを追求したのである。

逆転の発想。
まさに陰陽である。
大小という陰陽を動かしているのだ。最大を得るための最小。

これをもっと追及すると、より少数の鍼となる。
もっともっと追及する。
その究極の形は一本鍼である。

問診を詳しく取る。体を丹念に診察する。
術者が核心をつかむ。確信を得る。
患者さんが安心する。安定する。
ベッドで休ませ、波が静まるのを待つ。
そこに一鍼を打つ。

一本の鍼が効くゆえんである。

故善用鍼者.從陰引陽.從陽引陰.以右治左.以左治右.以我知彼.以表知裏.以觀過與不及之理.見微得過.用之不殆.<素問・陰陽應象大論 05>

鍼を上手に用いるものは、陽で陰を操り、陰で陽を操り、右で左を治療し、左で右を治療し、此処を観て彼処を知り、表を観て裏を知る。このようにして太過 (大) と不及 (小) の陰陽の理を観て、「微」つまり最小 (のアプローチ) をもって「過」つまり最大 (の成果) を得るならば、鍼を用いるに足る実力がある。

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