脈診で “体の声” を聞く

藤本蓮風先生の御尊父、藤本和風先生。その患者さんが、かつて近所におられた。その方いわく、「ピーナッツが好きでね、でも和風先生は脈を診て、” ピーナッツは一日〇〇個までやで ”っておっしゃるんです。」

そんなことが脈で分かるのか…と感心したのが、僕が鍼灸学校に通っていたころだった。蓮風先生の講演ビデオにかじりついていた頃で、そういう僕を見ていた母親から伝え聞いたのである。

以来、奮起して独自に脈で判定する術を身に付けた。

改善か悪化か

たとえばイレウス (腸閉塞・嵌頓) が頻発し、入退院を繰り返している患者さんがいた。10日間で2回イレウスを起こし、腸の細くなった部分の切除手術を受けた。胸をなでおろしたその4ヶ月後、また2ヶ月間で3回イレウスを起こした。そんな経過があり、最後の退院後、すぐに当院を受診された。

腸閉塞 (イレウス) …東洋医学から見た症例の考察
東洋医学では、腸閉塞 (イレウス) は「結胸証」を参考にする。《傷寒論》が出典である。その中に大陥胸湯証と呼ばれる承徳な証があり、上腹部が痛み、そののち腹部全体に及ぶ。これが劇症の指標になるとされる。

ここに挙げたのは一例であるが、そういう患者さんの、食事量・食事内容・食事回数・下剤の量・就寝時間・運動量などを、どの程度が適正なのか脈診で判定する。非常に便利である。こういう病気は発作がいつ起こるか分からず、発作が起これば即入院となる。治療がいくら効いていても、上記の適正量が誤っていたら、発症する危険度が高くなる。

脈診で判定し、それによる指導を真面目に聞く患者さんなら、まず悪化はしない。

たとえば運動療法 (ウォーキング) は大切だが、度を越すと悪化する。どの程度の時間をやれば改善していくのか、どの程度の時間を超えれば悪化するのか。つまり改善か悪化かを脈で察するのである。

男脈と女脈

和風先生に直接教えを請うたこともなく、どのように脈を診られていたかは今や知る由もないが、これを僕自身は難経にある「男脈・女脈」を用いて判定している。

十九難曰.經言.
脉有順逆.男女有常.而反者.何謂也.…

是以男子尺脉恒弱.女子尺脉恒盛.是其常也.
反者.男得女脉.女得男脉也.

《難経・十九難》

男脈・女脈…というよりも、それをヒントにしたオリジナルである。難経は「弱・盛」で診ているが、僕はそれでは “確実な違い” を見分けることが難しいと思った。たとえば、太淵あたりが脈打っているのが肉眼で分かるほど脈管が浮き上がっている人が少なからずいるが、そういうのはたぶん生まれつきのもので、弱・盛の判定が難しくなる。

だから、傾斜に注目した。傾斜で浮いている側は「盛」、傾斜で沈んでいる側は「弱」と判定する。

ポイントは “水平方向の脈” すなわち心臓側から指尖側に “流れる脈” を感じ取ることである。そのためには、皮膚側に感じられる “上っ面の脈” と橈骨側に感じられる “下っ面の脈” を同時に感じ取る技術が必須になる。以下の記事を参考にしていただきたい。

東洋医学の脈診って何だろう
中医学では二十八脈を挙げています。浮、沈、遅、数、滑、濇、虚、実、長、短、洪、微、緊、緩、弦、芤、革、牢、濡、弱、散、細、伏、動、促、結、代、大(or疾)のことです。一見複雑ですが浮沈・遅数・大細・長短という陰陽から、細分化して行きます。

たとえば、先程のイレウスの患者さんであれば、揚げ物を食べても良いか、術者が声に出して聞く。もし食べると体に良くないと体が判定すれば、男性なら男脈がしばらく女脈になる。女性なら男脈になる。食べてもよいのであれば、男性なら男脈のまま、女性なら女脈のままである。YES・NOでの判定が可能になる。

この手法の特徴は、患者さん・術者ともに、全く主観を挟む余地がないということである。意識すると脈の早さは変わることがある。しかし傾斜は変わらない。また、脈の強弱や堅さとはちがい、傾斜は術者の主観をはさみにくい。

体のほうがえらい

なぜ脈でそんなことが分かるのだろう。体と直接会話ができるからである。

そもそも体はすごい。我々の意識とは関係なしに生命を営んでいる。寝ている間も呼吸しているし、体温も調節する。目に見えないウイルスとも知らない間に戦ってくれているし、女性に至っては精巧な人間を作ったりもする。体は何でもよく知っているのだ。よく知らないのは我々のほうで、それは専門家であっても大差はない。

体は医学書を読んだことがなくとも、肉体という現場をよく知っている。なにしろ〇〇年もの間 (笑) 、現場一筋なのである。「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」というテレビドラマの名セリフがあるが、病気は体で起きているのであって、医学書の中で起きているのではない。

われわれが取る様々な行動が体にどう影響しているのか。これを知ることが大切である。

たとえば、知らず知らずに、常に毒を飲んでいる人がいるとする。それが原因で体を悪くしているなら、当然その毒をやめさせなければならない。いくらいい治療をしても、毒を飲んでいる限り体は良くならないからだ。ただし、現代社会は多様化しすぎて、いったい何が「毒」…すなわち “体に良くない生活習慣” なのかを特定するのが難しい。脈診は、そこに大きな指標を提示できる実用性が見込める。

「根拠」と「柔軟さ」

たとえば画面などでの “目の使いすぎ” は、近年一般的になった「毒」である。しかしこれが、人体にどのように影響するかというメカニズムは未解明である。だが、それは後から研究すればいいことである。まだまだ分かっていないことは多く、これには相当の年月を要するだろう。東洋医学では目の使いすぎは「血」を消耗すると解く。

久視傷血.<素問・宣明五氣 23>

ならば、理屈でなくとも、原因が分かれば目下それでよいのではないか。もし “目の使いすぎ” が原因という証明ができなかったとしても、その診断が間違っていたとしても、くだらない動画を見る時間が減ったところで、別に損をするわけでもない。

理論的な根拠も、頭を柔らかくすることも、両方とも大切だ。

それにしても、藤本和風先生のエピソードを耳にしなかったら、こういう発想すらできなかったに違いない。先人が切り開いてくれた道があればこそ、歩むことがかなう。少しでもそれを整備できたらありがたい。

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