三陰三陽って何だろう

21歳の時、まだ一般の大学に通っていたころのことです。ぼくは独学で東洋医学を勉強していました。特によく分からなかったのが小腸です。胃とどういう違いがあるのか、脾とどういう違いがあるのか。

当時、大阪の上本町で開催されていた勉強会に参加し、この質問を60代と思しき代表講師に投げかけてみました。すると答えは、「そんなにキッチリ分けられるものではない。」とのことでした。

いま、この歳になって、そのことを思い出します。僕がもし講師ならこの図を見せるでしょう。そして、「キッチリ分けられるのだが、君ではまだ勉強不足だ。この図を理解できるくらいに勉強しなさい。」と返答するでしょう。

この図は今の到達点です。梔子豉湯について直感した理論がつじつまの合うものなのかを確かめるため、小腸について勉強しているうちに得られたものです。

この図を見ながら、当時まだ鍼灸学校にも通っていない身で、よくも面倒な質問をしたものだな、と思います。

下の2つの図は何かというと、五臓六腑と三陰三陽を同時に説明したものです。一個の生命の枠にとどまらない、壮大な構図であることが分かります。六尺足らずの人体のバーツとは次元のちがう概念です。

三陰の図

三陽の図

三陰の図の説明

三陰の図 (上の図) は、人体生命を球形と見たときの五臓の内訳です。赤 (陽) は日中、青 (陰) は夜間です。人は、地球とともにグルグル回り、さっき陽だったところは、やがて陰になります。

少陰腎とは

日光は地球 (土) の主に半分を温め、その温かみはコアの腎陽の熱を持続させます。土とは脾のことです。月光は地球 (土) の主に半分をクールダウンし、コアの腎陰 (腎精) を保持します。地球がグルグル回るので、さっき腎陰だった部分は腎陽に、腎陽だった部分は腎陰にと変化し、陰が陽を養い、陽が陰を養うという太極図のような構図が現れます。

太陰脾とは・太陰肺とは

土 (脾) は純陰で、陽気を持ったり陽気を手放したりしながら、ちょうどよい温かみを保持します。土に含まれた熱は上昇して大気 (肺) を温めます。土に含まれた水は、その温かみによって蒸発・上昇し、大気を潤し、雲となり雨と化して降り注ぎます。

厥陰肝とは・厥陰心包とは

これらは、一つ一つのパーツとして分析しましたが、すべて機能的につながりを持っています。そのつながりには動きがあります。グルグル回ったり、上昇したり、下降したりです。この動きのことを疏泄といい、肝といいます。肝が風に例えられるわけです。

肝はそもそも将軍で、君主 (君火) である心の代行的存在です。心包はそれに類するものとして理解していいと思います。肝も心包も、君火の実働的存在である相火 (宰相) です。地球がグルグル回ることによって陰陽の変化が生まれます。本来、君主は自らは動かないもので、まるで太陽 (動かない恒星) のようです。地球がグルグル回ることにより、太陽が動いているように見えます。これが宰相の働きです。

グルグル回るためには、求心力が必要です。ハンマー投げのときのグリップにかかる力です。この力は、奥へ奥へ引き込む力です。これがあるから外へ外へ行く力を制御し、グルグル回ることができるのです。この力が厥陰の闔です。つまり引力ですね。

少陰心とは

君主が正しい考えた方であるならば、宰相は正しい統治をおこないます。君主が間違った考え方をもてば、宰相 (厥陰) は誤った統治をおこないます。少陰腎と少陰心に宿る精神が過つと、厥陰は誤ったやり方で手綱を引き、グルグル回すのです。もしそうなれば、地球の浅層部 (太陰) はそれに振り回されて、昼夜・気温がメチャクチャになるでしょう。少陰が枢という考え方です。

陰維脈と陽維脈

「人」を見ると分かるように、上=表層部、下=深層部 となっています。これは陽維脈・陰維脈の謎を解く際に必要な立体的理解です。上焦は大気 (天空=清) に属し、中下焦は大地 (土=濁) に属します。中焦は脾に属し、下焦は腎に属します。天地人ひっくるめて生命であるという考え方です。これらを踏まえて、下の図の説明に行きます。

三陽の図の説明

三陽の図 (下の図)   は、人体生命を筒状のものとして見たときの六腑の説明です。上の図の「人」を拡大し詳しくしたものです。球形ではなく、口から肛門・口から尿道までの通り道があり、それを管 (チューブ) で表現しています。「東洋医学の空間って何だろう」で展開したように、先天の精 (受精卵) が後天の精 (子宮内壁) に着床して、前後が生じ、陽明の管ができて上下ができ、左右が決定して、生命が誕生します。

陽明胃とは・陽明大腸とは

この管は六腑そのものです。飲食物を上から入れて、下から出すという機能が、六腑の原型です。つまり、六腑はすべて闔 (深層へ深層へ、下へ下へ) の機能を元から持っているのです。その最も典型的なのが胃と大腸です。だから陽明胃・陽明大腸と名が付せられ、陽明は闔と称せられるのです。

太陽小腸とは・太陽膀胱とは

いっぽう、小腸と膀胱は開と称せられます。小腸も膀胱も、六腑の宿命として闔の機能は持っているのですが、開 (浅層へ浅層へ、上へ上へ) の機能も色濃く持ち合わせます。これは心陽・腎陽という陽とのつながりが深いからです。陽は遠心性が素直な性質です。

営気と液

胃と大腸は闔の性質のみで、とにかく飲食物を受け入れます。胃は「水穀の海」とも言われます。まず、胃が飲食物を受け入れ、小腸はその飲食物から「液」を、表層部に水蒸気のように散布 (開) します。これが営気です。これは胃と小腸が一体となって液を作るという構図でもあり、心陽 (と脾陽) のバックアップにより行われます。そして闔の性質をも持つ小腸は、大腸に飲食物のカス (あまり) を下降します。

衛気と津

大腸はそれを受け入れ、膀胱は大腸が受け入れた飲食物から「津」を、表層部に水蒸気のように散布 (開) します。これが衛気です。これは大腸と膀胱が一体となって津を作るという構図でもあり、腎陽 (と脾陽) のバックアップにより行われます。そして闔の性質をも持つ膀胱は、そのカス (あまり) を尿として下降排泄します。

水蒸気のように散布し、結果として生じた、あまりの尿を排泄する…その過程を一般的に、 “膀胱の気化” と言ったり、 “腎の気化” と言ったりします。

開が主、闔が従

このように小腸は、開と闔の両方の性質をもちますが、開が主で闔は従です。胃にストックされた液を、小腸が表層に向けて水蒸気のように散布・辛開し、その結果として、残った濃い内容物を蘭門から大腸に排出・苦闔するのが小腸の生理です。

おなじように膀胱は、開と闔の両方の性質をもちますが、開が主で闔は従です。大腸にストックされた津を、膀胱が表層に向けて水蒸気のように散布・辛開し、その結果として、残った濃い津を尿道から排泄・苦闔するのが膀胱の生理です。

津と液

「脾胃論」の大腸小脹五臓皆属于胃胃虚则俱病論に、以下の記載があります。

大腸主津,小腸主液,大腸小腸受胃之栄気,乃能行津液于上焦,灌溉皮肤,充実腠理。

小腸は液を主り、大腸は津を主るのです。

表層に散布される津液は水蒸気のような形となり、これが衛気と呼ばれ、営気によって養われています。営気は水穀の精気、衛気は水穀の悍気です。営気と衛気は共同して気の防御作用を行います。

液とは表面から見えない体液のこと、津とは汗のように表面から見える体液のことです。

汗者,水也,腎之所主也。内藏則為液,上昇則為津,下降則為尿,外泄則為汗。<医碥・汗>

津液にも陰陽があって、津が陽で液が陰です。津の方が清で軽く、液の方が濁で重くなります。表面に出るのが津なので、一般に太陽病といえば太陽膀胱経のことを言うのです。しかし、少し深層は液が支配し、太陽小腸経が関与します。汗は心の液と言われるのも、このように考えると立体的になりますね。

こうして小腸は液を、膀胱は津を上 (表層部) に発散します。上に行くまでの津液の通り道は三焦水道です。上に昇り切ると、そこでは大気 (肺) がそれを受け止めます。図をご覧になれば、肺が最浅層の表 (太陽) と一致することがよく分かります。そして次は下 (深層部) に下がります。このときの通り道も三焦水道です。

三焦水道が実在するかしないかという議論がありますが、意味がありません。東洋医学の生命観は、物質的にみると理解できません。機能的に見るのです。機能的に見ると、三焦水道とは、全身に網の目のようにめぐらされた血管・リンパ管・各細胞を浸透するルートまで、すべてを含みます。それが最終的に小便となるのですから、機能的な管があるわけです。そういう次元の見方をすべきです。

少陽胆とは・少陽三焦とは

三焦水道を通って降りてきた津液は、胆の仕分けを受けます。必要とあらば大腸に仕分け (闔) されます。必要がなければ膀胱に仕分けされ、気化を受けて全身に散布 (開) されるものと、余りとして排泄されるものに分けられます。三焦・胆が一体となって、少陽として枢の役割を果たすのです。

西洋医学的に見ても、胆嚢にはそういう働きがあります。全身の血液は肝臓に集められますが、そのうち必要な体液は胆汁に作り替え、腸内に排泄されます。必要でない体液は胆嚢に入らず、膀胱から排泄されます。東洋医学は機能的に見ますから、水の動きや動く方向によって呼び名をつけていますから、完全に一致しませんが、おおよそは一致しています。物質と機能は次元を異にしつつも、かなり似通った寄り添う関係であることを思わされます。

胆は少陽に属しますが、空間発生学的にみて、最初に前後が決まる際に、前後を分ける境界 (衝脈) が生まれますが、この境界は少陽そのものです。空間的生命を、胆は最初から支配していたのです。

また、胆は六腑なので、管の一部としての闔の働きを持っているのですが、蔵して漏らさずという特殊な機能を持っています。

この機能は、蔵するか闔するかを決定する機能でもあります。このように見ると、六腑の管そのものが、闔するばかりではなく、蔵する働きを持ち合わせたものであることが見えてきます。闔ばかりでは、食べたものがすぐに肛門から出てしまいますね。蔵があるから泌別し運化する暇 (いとま) ができるのです。闔として下へ行く働きは疏泄とも言い換えられます。

疏泄するかしないか、闔するかしないか、それを決定するのが胆なのです。胆が「六腑の首」と言われるゆえんです。

まとめ

三陰三陽としてまとめます。

太陰は、日光と地球中心部 (コア) によって適度に温められた地球浅層部です。大気を含みます。 (開)
少陰は、太陰を温めたり冷やしたりして調節する機能です。 (枢)
厥陰は、地球の引力を元にしてグルグル回す機能です。 (闔)

太陽は、人体浅層部です。人体浅層部に向かう力です。 (開)
陽明は、人体深層部の管です。人体深層部に向かう力です。 (闔)
少陽は、浅層部に向かう力と深層部に向かう力を調節する機能です。 (枢)

太陰・陽明は、表裏一体となって土の働きをします。土には水を含んでいます。
少陰・太陽は、表裏一体となって温の働きをします。温とは陰寒陽熱の塩梅です。
厥陰・少陽は、表裏一体となって土に温を流通させ、「温かい土 (生命)」 を存続させます。

小腸は太陽

さて、小腸について、もう少し詳しく展開します。

六腑は中下焦にあって土 (陽明) に属しますので、地面です。小腸は心と表裏なので、地面にある日光です。みずみずしい緑葉にキラキラ光る陽光、水面 (みなも) に映る日の光…これが小腸に内在する日光だとしましょうか。考えてみれば、日光にどこからどこまでという規定はなく、その光の届く範囲すべてが日光です。大地…地球に映った光は小腸と考えることができます。大地における日光の移写、それが小腸です。

対する膀胱は、地熱 (腎陽) の温かみです。コアは灼熱のマグマですが、その温かみが届く範囲はすべて地熱です。地表におけるコアの熱の到達、それが膀胱です。

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