予約の日はまだ先だが、当日電話があって急きょ来院。
何かあったかな。
まず望診する。顔面の気色が全面で沈んでいる。強度の疲れがあることを示唆する。
舌をみる。白膩苔。いつもより明らかに分厚い。
日数的にもう生理直前だ。しかし三陰交に「血の充実」を示す反応がない。当該患者は、いつもはこんなことはない。おかしい。やはり、きっと何かあった。
東洋医学の月経って何だろう をご参考に。
ツボの診察…正しい弁証のために切経を をご参考に。
「どうですか? 」
「昨日の夜と今朝と、食事がとれなくて…。それから、意識しないと呼吸できない感じです。」
「ふんふん、なんでやろ。」
「メンタルのダメージがあって…」
「嫌なことがあったってことやな? 」
「ハイ」
ストレスなら、太衝 (肝経) に反応があるはずだ。そう思って診るが、反応がない。
病位が「深い」のである。
冬は病位が深くなりやすいが、ここまで深いのはこの冬 (2021冬至) 特有だ。だから浅い場所 (手足) には出ないことがある。
冬至と血熱 をご参考に。
それを裏付けするかのように、章門の下方の異空間に邪熱がある。これはストレスで過熱した邪気が、深い血の領域に侵入したことを意味する。血熱である。深いところにはあっても、浅いところにはストレスの反応がないのである。
こういう時はどう考えるか。まず、なぜ浅いところに反応が出にくいか…という意味がイメージできなければならない。
血熱証 をご参考に。
この冬、患者さん全般で「陰陽の幅」が極端に狭くなっている。
陰陽って何だろう をご参考に。
陰陽の幅とは何か。陰陽とは生命 (睡眠と活動) そのものであり、これが小さくなる。受精卵の時に戻る…とイメージしてみよう。胎児の時に戻る…でもいい。とにかく丸まった「球形」になる。母体の奥深く守られた球形ならいいが、外気にさらされた球形は、外部環境に犯された時点で、すでに「深い」のである。
さらに球形とは、泥団子の様なもので、中がギュウギュウになっていて「すきま」がない。
陰陽の幅が増えると、小さな泥団子は大きくなって、その真ん中を一本の管が通る。口から肛門に至る管である。粘土細工をするにしても、粘土が少なければ、管のあるチクワみたいな形に細工できないだろう。ある程度の質量がないと、管は作れないのである。受精卵も胎児も、この管がない、あるいは機能していない。
五臓六腑って何だろう ご参考に。
東洋医学の「空間」って何だろう をご参考に。
三陰三陽って何だろう をご参考に。
奇恒の府って何だろう…東洋医学の解剖学 をご参考に。
この管があれば、外から「タベモノ」が入ってきても消化吸収し、余計なものはスムーズに外に出す。外から「ストレス」が入ってきても消化吸収し、余計なものはスムーズに外に出す。そして消化吸収したものは、「からだ」の、そして「こころ」の栄養となるのである。そして、いずれも残滓物が肛門から出てスッキリする。
東洋医学の「脾臓」って何だろう をご参考に。
泥団子の状態では「出すところ」がないし、消化するために入れておく「すきま」もないのである。
とにかく、当該患者は今、この管がない。だから食べられないし、息も吸い込めないし、心もスムーズに通り抜けないのである。
「言わなくていいんやで。嫌ならぜんぜん言わなくていい。何があったの? 言わなくてもいいよ。」
目を真っ赤にしながら、
「彼と別れたんです…。」
「そうか…。言い出したのは? 」
「私です。」
声が震える。
「…いっぱい考えたんやなあ。つらかったなあ。…そうなんや。。」
どう説明したらいいだろう? 今できることは… ! ?
「うん、そうや、成長すればいい。そして彼も成長すればいい。そしたら、このつらさが意味のあるものになる。今まで一緒に過ごした時間だって、〇〇さんにとっても彼にとっても、意味のあるものになる。そのためには、…そのためには、とにかく土壌を大きくしよう。せっかく芽を出しても、土壌が小さくて薄っぺらかったら、育たないでしょ? だから ひろーい ぶあつーい、「幅」の大きな土壌にしよう。体っていう土壌を大きくして、芽を出して、葉を広げて、きれいな花を咲かせて、大きな実を結ぶまで、どんどん成長していけばいい。そしたら今のつらさが、 “あの時ああいう経験をしてよかった” って思える時がきっと来る。そしたら、このつらい気持ちも、必要なプロセスになるやん? 」
「木火土金水」…五行と健康 をご参考に。
更年期と “徳” ご参考に。
この間、ずっと嗚咽しながらうなずいている。
三陰交を見てみる。豊かな正気に満ちあふれている。章門の反応も消えている。僕の話を聞き、真っ直ぐに前を向くことで、陰陽がもうすでに大きな「幅」を持つ土壌となった。と同時に「管」ができた。
この管は、肥料だけでなく “激しい土砂降りの雨” をも受け止める。豊かなフワフワの土壌にある「すきま」に染み込むのである。受精卵のような無防備で弱々しかった生命が、自分で食べて自分で生きていくための「管」を持った瞬間である。
そういう生命は、外からでも内からでも邪気を排出することができるルートを持っている。「筒」を、トイレットペーバーの芯でイメージすればいい。丸めたロールを一枚の紙に戻せば、その紙には表と裏とがある。つまり、表からは発汗で邪気を外に出し、裏からは消化管に邪気を集めて大便として排出するのだ。
今日の涙は、この「発汗」に準ずる。
汗をかいたり、泣いて涙を流したりすると、スッキリすることがあるのはこの理による。ただし受精卵のような小さな陰陽だと、汗や涙を流してもスッキリしない。逆に余計につらくなることもある。もともと少ない正気なのに、それが流れ出たからである。
スッキリする涙、つらい涙。
僕も、そんな涙を何度も流した。
「今ね、この辺 (胸のあたり) に “すきま” ができたかもしれないな。」
涙にむせびながら、大きくうなずく。
「うん、この “すきま” がね、さっき言ってた “管” つまり通り道なんですよ。僕の話を一生懸命に聞いて、それだけで “体力の幅” が大きくなって、管ができた。この “すきま” があったら、白米の一粒くらいなら食べられるかもしれないな。おうちに帰ったらね、先生がそう言ってた…って思い出してね。少しでも食べたら胆汁が出るから。肝臓は体の老廃物を胆汁に溶かして腸管に排出するから。今、涙である程度は排出したけど、そっち (肛門) からも排出して、そしたらスッキリして、体力がスムーズに回復して、土壌が綺麗に、そしてもっともっと広く大きくなるから。」
「はい。」
“肝臓” を考える…東洋医学とのコラボ をご参考に。
百会に一本鍼。気を引き下げて、暴走しないようにする。そしてさらに「陰陽の幅」を大きくする。
息がしやすくなりました… 笑顔で礼を言って帰っていった。