冬至と血熱

冬至である。この時期は複雑だ。

11月ごろから、合谷に反応が出なくなった。合谷は、多くは気分 (比較的浅い病位) の反応を見る穴処である。合谷に限らず、全体的に穴処の反応が静かである。

そのかわりに注目しているのは右膈兪 (右八兪も) である。反応は邪熱である。右膈兪とセットで出ているのは章門である。ただし章門の直接の反応ではなく、章門の下に広がる異空間の邪熱である。これを僕は「血熱」と捉えている。つまり、膈兪の邪熱も血熱を意味する。血熱とは、血分 (比較的深い病位) に達した邪熱である。

邪熱は、多くはストレスなどから、気分で発生する。そして浅いところへと移動して消えていく。運動すると気持ちがスッキリするのは、外に発散したからだ。

このような性質であるはずの邪熱が、この時期なぜか、深い血分にまで侵入しているのである。これはよくない。

気分は陽、血分は陰である。陽分から陰分を犯すということは、その陰陽を区切っている「境界」が弱いということである。この境界のことを「脈」という。そこは飲食物から得られた「精」で満たされているのが本来の姿だ。脈には栄養分が流れており、命 (陰陽) を養っているのである。

境界とは、陰と陽を区切るものであり、陰と陽とを生み出すものだ。これがあるから陰なのか陽なのかがハッキリするし、陰は大きく陽も大きくなる。一枚の紙の裏 (陰) と表 (陰) を考えればいい。裏と表を仕切るのが境界である。三位一体で一枚の紙を作っているのが分かるだろう。

病気とは、陽は陽らしくあれず、陰は陰らしくあれないことである。陽とは活動、陰とは睡眠のことでもある。昼は元気に動けず、夜はぐっすり眠れないのである。そしてそのうえ、気分と血分の境界が曖昧になり、邪熱が血分に侵入することになる。

血分に侵入した邪熱は、血を熱して乾かす。すると血が消耗する。たかがストレスが血にまで届き、血虚を生む瞬間である。

そのうえ、急な寒波は容易に気分を犯し、邪熱がそうだったように、血分に入りやすい。血寒である。これが血熱をより深い位置に沈め込むことがある。

【バターン1】
間食や食べ過ぎによって脈に痰湿が流れ込み、精が弱ってしまう。精という境界がぼやけるということは、陰陽の境界を直接犯したということである。境界が犯された陰陽は、陰は陰らしくあれず、陽は陽らしくあれず、つまり陰も陽も矮小化してしまう。ストレスで邪熱は気分で絶え間なく生まれており、その邪熱が血分に侵入してしまう。

寒いこの時期は、家でいることが多く、つい間食が増えてしまう。

【パターン2】
冬至にしては、寝る時間が遅すぎることで、血 (陰) を養えず、血は気を生めず、気血不足となる。しかし冬場は気虚の症状 (しんどさ) が出にくいため、結果として夜遅くまで活動が過ぎてしまう。「冬の乾燥がつらい」をご参考に。

気 (陽) 血 (陰) ともに不足すると、陰は陰らしくあれず、陽は陽らしくあれず、つまり陰も陽も矮小化してしまう。ストレスで邪熱は気分で絶え間なく生まれており、その邪熱が血分に侵入してしまう。冬至を中心とした日の短い期間は、早く休めば陰 (血) を大きく補うことができるかわりに、少しでも夜更かしすると陰 (血) を大きく損なうことになる。それは、単に血を使いすぎるだでなく、血熱によってダブルで損なうのである。

モロハノツルギをどう使うか。

『 血って深いんですよ。もし浅かったら大変、全身血まみれになってしまいますね。深いから見えない。そんな深いところに熱があったので、取っておきました。血熱って言うんです。そういうごちゃごちゃしたものが器に入ってたんですけど、それが無くなったので、あとは今晩早く寝ていただければ、綺麗な血がたくさん入るようになっております。詰め放題ですね。』

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