共存と共依存

人間は一人では生きていけません。
コミュニティーが必要です。

最小かつ最も強固なコミュニティーは母子でしょう。
次に夫婦。
次に父母と子。
次に家族。兄弟・祖父母・孫。
そこから広がって、近所・学校や会社・都道府県・日本・世界。

コミュニティーの中で人間同志がどのように関わり合うか。
それが人間としての最重要事項です。
そこには「共存」という形と、ゆがんだ共存である「共依存」という形があります。

共依存とは、お互いがお互いをダメにし合う関係。
共存とは、お互いがお互いを、高め合い、助け合い、尊重し認め合い、ときには諌 (いさ) め合う関係のことです。

共依存はなぜ起こるのか。

大好きな人ほど、大切な人ほど、われわれはその人のことを “自分のもの” と考えてしまいます。 “もの” …つまり私物化ですね。私物化という概念が頭のどこかに生まれてしまうと、そこから共依存の関係が始まってしまいます。

この大切な人はモノじゃない。人間です。
人間としてあつかう必要があるのですね。

いったん共依存の関係に陥った、つまり、お互いをモノ扱いにしてしまったコミュニティーは、そこから抜け出すことが至難です。

ですが、不可能ではない。

目をつけなければならないのは。
最も大切な人を、大切にできているか。
モノ扱いの大切さでは、本当に大切にしているとは言えません。
人間として大切にしなければならない。

“大切にする” とは?…この世のすべてを良くしたい
モノを、ヒトを。妻を、患者さんを。そして世界中の人々を。大切にしたい。大切に思わないものを、良くすることなどできようか。

どうすれば、人間を人間として扱えるのか。

そもそも人間とは、誰が作ったのでしょうか。
母親ではありません。少なくとも僕の母親は、僕の似顔絵すら上手に描けませんでした。粘土細工で僕そっくりのものを作ることも不可能です。そんな不器用さで、どうして僕の体のような精巧極まりないものを作ることができるでしょうか。母が作ったのではない。大自然が作ったのです。

大自然が作った。
大自然もモノ扱いしてはなりません。人間をモノ扱いしてはならないのと同じです。
「作った」のならば、それは人と同じです。
大自然を人間扱いにする。一人格としてみなす。
いわゆる「神様」です。

大自然を、物として見ない。命として見る。

命はモノではない。「気」である。これは中国伝統医学の基礎となる考え方である。

神様が作った。

僕という人間は、母が作ったのではなく、神様が作ったのです。
父母も、兄弟も、子供も、そして…世界中の人間すべては、神様が作ったのです。
みんな神様の子供なんですね。
大切な、神様のお子さん。

本当の親とは、この大自然。
もっとも強固なコミュニティーとは、「この自分」と「自然」だったのです。

つまり、父母も子供も、自分のモノではない。
神様からの預かりものだと言えます。
大切な預かりもの。
人間扱いにするためには、この考えが徹底しなければなりません。

徹底できなければ、相手を尊重できない。
自分のモノとし、モノ扱いとなる。
人間はモノ扱いにされることを非常に嫌います。
だから、モメる。

発達障害 (グレーゾーン) の芽 —その2—
男児の症例である。ずっと部屋に閉じこもって、壁を殴ったり、暴れたりしていたが、母親に “子供は預かりものである” というアドバイスを与えると、まもなく問題の行動は見られなくなり、素直になった。

相手に無理やり強制しているのに、気付けない。
ぜんぜん可愛そうだと思えない。
相手が真心を与えてくれているのに、気付けない。
まったく平気そうな顔をしてる。

人間として扱えていないことに、気付けない。

自己愛の行き着く先はモノ扱い。

大切なものを傷つける理由… 人の性は善か悪か
そもそも人間はみな「女神のような性」と「動物のような性」の両方を持ち合わせている。前者がステージに上っているときは、優しく穏やかで落ち着きがある。後者がステージに上ってしまうと、ジコチュウで目障りなほど落ち着きがなく騒がしい。

こっちも相手も、生身の人間です。
一方的な強制では、真心が相手に届きません。
真心に相手が無反応ならば、これも一方通行です。
一方通行は長く続きません。
陰と陽 (自分と相手) の交流がないものは、やがて破綻するからです。
だからモメるんですね。

親と、幼い子供がいるとします。
親は、子供に愛を与え続けます。
しかし子供は、その愛に見合うものを返すことができません。
誰しも、大自然が与えてくれた恩恵に報いることができないのと同じです。
釣り合わない。

でもかまわない。

愛は、無理しなくていい。

小さな手に握りしめた、つたない野花。
「はい、お母さん。これあげる。」
それでじゅうぶん。

共存とは互いの愛の交流であり、その愛は質量の値なんかではない。
「わあ、きれい。ありがとう。」
ほんとうに、ありがとう。ほんとうに、うれしい。

気持ちを、そのまま形にする。

真心なんですね。

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