「七草がゆとウイルス感染」と題して1月7日に投稿したところ、「七草は陰暦1月7日 (新暦の2月初旬前後) に食べるものだ。」とのご指摘を受けました。
たしかに七草粥は、本来は陰暦の1月7日であるべきものです。
ではありますが、その風習にならう場合、陰暦・新暦にこだわる必要はないでしょう。
陰暦の1月7日に七草がゆを食べる。それはそれで正解ではあります。
しかし、新暦は新暦で、食べすぎがあったであろう正月の食生活をリセットする「いい機会」と見ることもできます。たとえ間違った慣習であっても、健康に活用できるというメリットがあります。
もともとは陰暦の文化だ…ということを知っている。それはそれでいいことです。しかし「陰暦が正しい」「新暦は間違いだ」と主張しすぎると、「食べすぎ」を原因とする正月明けの体調不良に間に合いません。だから今 (新暦1月7日) のほうが良いタイミングなのです。正月明けの体調不良に対して、2月初旬前後の旧暦1月7日に食べてたのでは、ちょっと遅い。
食べすぎによる痰湿は、癘気のエサにもなります。
昔は、食べ過ぎるであろう旧正月の7日後に、七草粥が大事だと説いた。
今は、食べ過ぎるであろう新正月の7日後に、七草粥が大事だと説く。
当然のことです。
新暦で正月を祝うなら、新暦で七草がゆをいただいたほうが、消化器をリセットする「本来の意味」にかなう。だから新暦1月7日に投稿したのですね。
活かすことが大切
七草粥が教える養生は、陰暦1月7日だけというものではなく、その日にみんなが「腹八分目」の大切さを思い出す、そのキッカケとして活かすことに意味が生まれます。「意味」が重要です。何が大切かが分かればそれでいい。
北国の方には、雪に埋もれた七草が採れなければそれはそれでいい。すずしろ (ダイコン) やすずな (カブ)だけでも添えて、お粥を感謝していただければ、意味は同じです。「七草がゆとウイルス感染」では、七草の功能よりもはるかに大切なものがあると説明しましたね。
たとえば村の鎮守の秋祭りをやる。田舎の高齢者は平日であろうが「日付」にこだわりますが、日曜日に決めたほうが若い世代の参加者が得られ、たくさんの方が秋の収穫に感謝するキッカケになります。感謝するのが目的 (主) であり、日付はそのお膳立てをするもの (従) に過ぎない。昔は百姓ばかりで日付を固定しても集まれましたが、サラリーマンが多い現代では、これにこだわると平日は参加できなくなります。あるいは、平日に仕事を休まなければならなくなれば、不満が生じて感謝どころではなくなります。
感謝する人が多ければ多いほどいいに決まっている。
主客転倒という言葉があります。
こだわりは体に悪い
こだわりは、病気のもとです。
治す側としては、食べすぎて疲弊した体をリセットすること、そこに活用することに意味があるのであり、「正確な日付」なんてどうでもいい。
こだわりが原因で、どれだけ多くの人が病気になっていることか。
だから厳しく申し上げます。
もちろん正しいこだわりは大切です。
しかし、どうでもいいことにこだわるとロクなことになりません。変なこだわりが良くない。
本当に、たくさんいます。
たとえば、砂漠で道がわからなくなり、ノドが乾いて動けなくなったとします。そのとき、有害着色料入りの飲料水があったとします。そんなときに、有害着色料が体に良くないと「こだわる」ならば、その場で死んでしまいますね。こうやって体を壊している人が、何人いることか。それは、たくさんです。そして、そういう人は治せない。心が硬いからです。
こういえば、じゃあ有害着色料はいくら飲んでも良いのか? となるのですが、普段の日常では、飲んでいいものではありません。当たり前のことです。
日常で安全なものを選ぶ。これは「正しいこだわり」です。
他家で出されたものを拒む。これは「変なこだわり」です。
発達障害で問題になりますが、それだけではありません。
電磁波・農薬・化学物質…。こだわりすぎて過敏症になっている人がいかに多いか。過敏症 (生命力のない興奮状態) は血虚です。「こだわり」は、血という生命力を、ドンドン消耗する行為です。自分で病気を作る典型例です。
栄養をとらなきゃ・運動をしなくちゃ・熟睡しなくちゃ…。原始時代や戦国時代では想像もできない、豊かで平和な現代の世の中で、こんな「こだわり」が病気・早逝の原因になっているとは、こだわっている限り気づくことはできません。そして、それが原因の病気もまた、癒やすことのできない不治の病となるのです。
極端な場合は、「体に良いと思ってすることは、全て体に悪いことだと思ってください」と指導せざるを得ないこともある…。高齢になればなるほど多いですね。ここに書けないもの、まだまだ沢山あります。
いくつもの嵐を乗り越え辿 (たど) り着いたプロの言葉に耳をかさず、舵取りを間違い続けてさまようアマが自分を貫く。
自分を変えられない。
改められない。
自然さがない。
臨機応変さがない。
それは、軸となるものがないからです。
軸とは、ひたすらの勉強と体験、それに「「省 (かえり) みる」つまり、自分と向き合う」ことによってしか得られないものであることを、再確認しておきます。
陰暦は大切
たしかに、日本の風習はもともと陰暦に発したものばかりなのに、無理やりに新暦にやってしまっている。だからひな祭りに桃は咲かない。七夕も梅雨のど真ん中にやりますね。星なんか見えるわけがない。本来は8月初旬です。この時期なら天の川がきれいに見える。
彦星と織姫が見たいなら陰暦7月7日に飾り付けをすればいい。それはその人の自由です。しかし、みんなが新暦で楽しくやっているときに、1人だけ「これはまちがいだ」なんて強く主張しても、大した生産性がないと思いませんか? 逆に場をしらけさせるだけです。
しかし、新暦と旧暦について議題とする場なら、それは言ったほうがいい。ほんとうは、旧暦でやったほうが良いのです。正月も、旧暦の方が冬の養生に背きません。だから大切です。しかしそれは、議論のステージが異なります。
時と場合によって、大切なものは変わります。
治療する者の心得
これは治療家にとっても、最も大切なことです。
たとえば、交通事故で大怪我をしたにときに鍼や漢方薬などなんの役にも立ちません。そのときは、西洋医学がもっとも大切な医学となります。しかし、だからといって何でもかんでもというわけでもありません。
時・所・位置づけによって、間違いが正解になったり、正解が間違いになったりする。それが真理です。西洋医学を極端に否定する人がいますが、間違っています。東洋医学をマジナイだとバカにする人も、間違っています。
やたらと全否定したり絶対視したりする人がいますが、それは心が狭いのです。心が狭い人は健康になれないし、まして病人を救うことなどできません。救っているつもりでいても、知らず知らずに崖っぷちに追い込んでいるものです。
絶対の善も絶対の悪もない。これが極致です。
人間ごときの分際に、絶対というものはないのですね。
その真理にそぐわないものが「こだわり」です。
陰陽論は、その「真理」を明確に教えてくれています。
追記… その後のやり取り
恐れ入りました。
こだわりが原因で病気なっている人がそんなに多いとは知りませんでした。
アスペルガーはこだわりが症状でした。
こちらこそ、恐れ入ります。
こういう指摘に対して、このように受け止める器の大きい人を、ぼくは初めて見たかもしれません。
自分の非を認める事のできる人は、自分を変える力を持っている人であり、自分をより良く変える力を持っている人は、自分の周りの人々 (世の中) をより良く変える力を持っている人です。
大きな力を秘めてお持ちなのですね。
〇〇さんは、ぼくがこのグループを始める前から読んでくださっていますね。こういう立派な方をメンバーに持つこのグループは、本当になにか大きな力を秘めているのかもしれません。
こだわりが原因で病に苦しむ方々を、ぼくは救うことができません。それは、僕自身がこだわりを持った経験がないからです。つまり、相手の気持ちが分からないのです。つまり、天然なのです。
しかし、〇〇さんは経験をお持ちです。しかも、そこから脱却する力もお持ちです。いや、もうすでに救われた方かもしれません。苦しみを経験した人は、相手の気持ちがわかる。「苦しむ人」を救う力を持っています。
明日、「こだわりは自傷行為」と題して投稿予定です。こだわりが原因と知らずに病に苦しむ人々に、何かのヒントになればいいと思って書きました。この投稿の目的を、お手伝い願えれば有り難いです。
https://www.facebook.com/groups/992459227941716/posts/1532516693935964/?comment_id=1533384307182536&reply_comment_id=1534556240398676&cft[0]=AZULBWuqzzbsBJqlXU-_JnL1VWJmSVqEayyYkg1a2sSlU0CQEitLIdcum-elhnQhJlbLhMgFs1bQdY4Cio_bv_1shTfX_dGU80_dFEIzMgN9zvAUS0ET4G5YdNvfFqgado_fZI7Mny0eN81R6qIRKoe5ZuijXhX7SmkjpOVVDu1ZkjLEcPzsymKuGShfMt7pesc&tn=R]-R