散とは… 経絡流注の字源・字義

散 【訓】ちる さんず

「散」とは、凝集しているものが分離することである。

散の字源

麻の茎を割いてバラバラにすることが字源である。

「散」を分解すると「ホホ」+「肉 (月) 」+「攴 (攵) 」となる。
「㪔」+「肉 (月) 」でもよい。

「㪔」… 分離の意で、散と同義である。「ホホ」+「攴」。麻を棒で叩くのが字源である。

「ホホ」… 「麻」と同じ。

「攴」… 「攵」は攴の略字。打つ・叩くなど、手による動作。

㪔。分離也。从攴从ホホ。ホホ,分㪔之意也。《説文解字》
ホホ。麻紵。 《廣韻•卦韻》

「ホ」… 麻の茎を左右に割いたもの。「屮+八」。
「屮」… 「艸」=「艹」。草を表す。
「八」… 左右に別れる。

ホ。分枲茎皮也。从屮、八象枲之皮茎也。《説文解字》
【訳】ホは、枲 (麻) の茎皮を割く。屮に従う。八は麻の茎を二つに割いた象である。
枲。麻也。《説文解字》

中国での麻の歴史は、少なくとも一万年の長い歴史があり、紡績の材料として布や紐あるいは紙などに加工され用いられてきた。また、2700年前の古代中国でシャーマンが幻覚を目的としたと考えられる大麻が発掘されている。日本でも麻は繊維や神儀に用いられてきた。

麻から繊維を取り出す作業は、長い茎を水に浸けて腐らせ、圧迫や叩く (攴・攵) ことによって平たくし、そして半分に割く (八…左右に別れる) ことである。さらに何度も何度もくしけずる。バラバラになって乱れる (「麻のごとく乱れる」) 。これが「散」の字源によるイメージである。

摩 (こする) ・磨 (みがく) ・糜 (ただれる) ・靡 (なびく) ・魔 (心を乱し惑わす) などが、「麻」のこれらのイメージを受け継ぐ。痺れや感覚麻痺のことを「麻木」というが、圧迫すると麻 (痲) 痺すること、大麻を吸うと陶酔 (麻酔) 感が生じることの両方がイメージされる。

散の字義

散。
【集韻】…㪔,通作散。
【易·說卦】風以散之。
【禮·曲禮】積而能散。
【博雅】布也。
【廣韻】散,誕也。

《康煕字典》

  • 分離。
  • 風 (☴巽風) によって散る。
  • 凝集していたものが散る。
  • しきのべる。ひろめる。行き渡らせる。

などの意味が「散」にはあることが分かる。刮目すべきは、

  • 「誕」

という意味である。

「誕」の字源字義

誕とはなにか。じつは、「誕生する」という意味はもともとない。

大きな事を言う・大口をたたく・ホラを吹き散らす… という意味が本義である。
上に挙げた「散」の字義に通じるものがある。

「言」+「延」。
「延」は「廴」+「ノ」+「止」。
「廴」は「彳」の下部の ❘ が横にのびた形。
「ノ」はのばす意味。
「止」は足。

言葉が針小棒大に延長することである。

誕。
【徐曰】妄爲大言也。
【廣韻】欺也。
【玉篇】天子生曰降誕。【後漢・虞美人傳】誕生聖皇。
【廣雅】信也。

《康熙字典》

引用から分かるように、後漢の時代には「誕生する」という意味ができている。

「言」は、「辛」+「口」である。
「辛」は、剣の象形である。

「口」からでる声音を、剣で一音づつ (ア・イ・ウ・エ・オなど) に分断する。
その一音一音が組み合わさって融合する。
そして、意味のある「言葉」が生まれる。▶融合と分断、そして成長 をご参考に。

分断 (散) され、融合することによって、命が生まれる。
これは稲の命がるとともに、新しい種が生していることを見ても分かる。
食べ物 (生命) を噛み砕き細かく分断して、この生命が養われているのを見ても分かる。

肝臓はアミノ酸を分子レベルにまで分解し、再合成して、10万種類とも言われる人体組織のタンパク質を作ってゆく。命を作るには、まず分断が必要なのである。 >> “肝臓” を考える…東洋医学とのコラボ をご参考に。

アサの茎を打ち付け押しつぶしビリビリに割いてゆくことなしに、命の暖かさを守る衣服の誕生はない。

これは人生も同じである。苦労なしには花は開かない。

こうして命が、それをつなぐラインがどんどんドンドン長してゆく。
親から子へ、子から孫へ。
植物を動物が食べ、動物を人間が食べる。

引用を見ると、 “【廣雅】信也 ” とある。「信」とは人が生きる意味 (命) であると言っても過言ではないほどの「人間らしさ」を構成する要素である。かつて「信とは…脾がつくる生命力」と題して展開したが、東洋思想は「命」と「信」とを近いものとして扱っている。

散のまとめ

ほんとうに東洋思想とは、陰陽である。

散る。だから生まれる。

陰から陽に転化するのである。東洋医学を勉強しても、漢字を勉強しても、ここが根本であることを思い知らされる。

アサの茎がバラバラに分断されるのは、散って消え去るためではない。
麻の紐糸に生まれ変わり、融合して衣 (ころも) に作り直されるためである。

臓腑経絡学での読み方

足陽明之正.上至髀.入於腹裏.屬胃.散之脾.《霊枢・經別11》

【訓】足陽明の正は、上りて髀に至り、腹裏に入り、胃に属し、散じて脾に之 (ゆ) く。

胃から散布して脾にゆく… と単純に読むよりも、
胃から出ていったん分散し、再び融合してこんどは脾の脈気に生まれ変わる… と読んだほうがイメージが付きやすい。

「散」は、いったん脈気が分断・分散され、その脈気と同じようではあるが少し別の脈気として生まれ変わるニュアンスを含む場合があるとイメージしてよい。もちろんただ単に「散布する」という意味のみの場合もある。

アサの茎と、麻の紐糸は、同じようではあるが、また少し別物である。より優れたものに生まれ変わるイメージがある。

まとめ

「散る」というと、かなりネガティブなイメージがある。花が散る。「塵」と「散り」は同源で、平家物語には “盛者必衰” を “風の前の塵に同じ” とうたっている。

盛んなものも、いずれ塵のように散ってしまうのだ。

ところが、ここまで見てきたように「散」にはもう一つの意味… すなわち「誕生する」という意味があった。

散るのは、生まれるためである。

「毋」には「無」の意味があり、「母」には生むの「意味」がある。だから「毒」は薬になり生命力を生むのである。
>> https://sinsindoo.com/archives/doku2.html#母

瀉法もそうである。いったん土をバラバラに砕いて、そこから芽が生まれる。
>> https://sinsindoo.com/archives/hosha.html#瀉法

ネガティブ (陰) からポジティブ (陽) への転化。

散って消え去るのではなく、散って生まれる。
そのイメージを、《霊枢》にも臨床にも、そして人生にも持っていたい。

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