「毒」という言葉は、古代中国ですでに用いられていた。
現代中医学でも、熱毒・湿毒・寒毒・疫毒などの用語が用いられる。
「毒」とはそもそもそ何だろう。古代中国人は、どういうイメージをもってこの言葉を用いたのだろう。字源・字義にさかのぼってみよう。
▶︎母
毒=「生+母」 という説がある。
母には生むという意味がある。
母… 釋名.冒也,含已生也。《康煕字典》
また、「母」は「毋」であるという説がある。
「毋」は「無」であるとされる。
鄭註.古文毋爲無。《康煕字典》
生むという事は、無から有を生じることである。静から動を生じることである。有と無 (物質) 、静と動 (機能) は陰陽論の原点である。古代中国人の思想の特徴でもある。
陰陽って何だろう をご参考に。
陰陽とは一枚の紙の裏 (陰) と表 (陽) のようなもので、表裏一体のものである。よって、「母」は、“生む” だけでなく、「毋」の字義にあるように、その前段階の “生まれていない状態” …つまり「無」という意味も持つ。そういう意味が、一体のものとして「母」に付随する。
つまり、「母」は “有” だけでなく “無” という意味を持っているのである。
無は “見えない” 、見えないは “暗い” にも通じる。以下に例を挙げる。
▶︎毎
「毎」は母と同義で、「屮+母」であり、「屮」は「艸=艹」つまり草を意味する。つまり植物の種は、 “暗い” 土の中にあって、 “見えない” 状態から芽を出現させる。成長し、実を結び、種を落とし、また芽を出す。それが毎時、毎年くり返される。「毎」にも「母」と同じ意味があるのである。
- 「海」… 水は命の源であるという思想が東洋にはある。 “無” から “有” を生じる。
“天一生水” <書経>… 天は一番目に水を生んだ。その象徴が「海」である。 - 「悔」…くやむ。「忄=心」が “暗” くなり、その暗さは明るさに転じる。後悔 (反省) して成長する。新しい学びが “生” まれる。
- 「侮」…あなどる 他人を “無” きもの同様にあつかう。
- 「晦カイ」…日光の “無” い夜のような暗さ。 晦暗・晦黯カイアン は血瘀証で顔色が黒っぽい証候に用いられる用語でもある。
- 「誨カイ」… 誨 (おし) える。知識が “無” い状態から、 “有” る状態にする。
▶︎毒
さて、いよいよ「毒」を解析する。
毒が「生+母」であることは、さっき紹介した。
「生」=生命。「母 (毋) 」=無い。つまり毒とは、命が “無” くなるようなもの、命に危険がともなうようなものを指す。
▶︎毒をもって毒を制す
其病生於内.其治宜毒藥.<素問・異法方宜論 12>
【訳】病気が体内で生じた場合、治療には毒薬が良い。
素問には “毒薬” という言葉が度々登場する。その文脈から、そして上記の字源を照らし合わすと、「命を “生” ぜしめる薬」「起死回生の薬」…として “毒薬” という言葉を用いていると考えられる。
毒藥攻邪.<素問・藏氣法時論 22>
【訳】毒薬は邪を攻める。
この “毒薬” には邪 (邪毒) を攻撃する働きがある。「攻」という言葉は、素問でもたびたび用いられ、中医学でも使われている。瀉法のことである。
“毒をもって毒を制す” という言葉があるが、もともとは「制」ではなく「攻」であると言われる。
機を以て機を奪い、毒を以て毒を攻む <圜悟克勤(1063生)・円悟仏果禅師語録>
機を以て機を奪い、毒を以て毒を制す <雷庵正受(1146~1208)・嘉泰普灯録>
しかも、その “毒薬” は、 “機” をつかんだ上で行われる。
以上の流れから言えば、 “毒をもって毒を制す” というのは、命を奪いかねない病邪 (熱毒・湿毒) であっても、病理機序と治療機微 …すなわち「機」をよくつかみ治療するならば、無から有を生じる効果 (母) が、その度ごと (毎々) に得られることを示唆するものと考えられる。
毒 (命の危機) を、海 (生み) に変えるのである。
参考文献
“「毒」という漢字には、なぜ「母」という字が含まれているのですか?” 漢字文化資料館https://kanjibunka.com/kanji-faq/jitai/q0268/
“31「毒」の字源・語源” 漢字の字源・語源図鑑 http://kanjietymology.blog.jp/archives/12169205.html