【質問】
「涎」ヨダレ と「唾」ツバ の違いを教えてください。
【回答】
五行のなかの「五液」のことですね?
五液のなかでは、「涎」と「唾」だけが重複しています。鋭い視点です。
よく勉強されていますね。
五藏化液.心爲汗.肺爲涕.肝爲涙.脾爲涎.腎爲唾.是謂五液.
《素問・宣明五氣 23》
・涎はサラッとしていて軽く、澄んだものを言います。
・唾はドロッとしていて重く、濁ったものを言います。
これが臨床にどう役立つかが重要です。臨床に役に立つものが本当の理論です。理論のための理論は空論です。本当の理論は臨床からつくられたものです。
▶津液とは
体液のことを、東洋医学では津液といいます。
宣明五氣篇を読むと、「五臓は液と化す」とありますね。この液は「広義の液」で、正確には「津液」のことです。
津液は細かく分類すると、「津」と「液」に分類されます。
津液各走其道.故三焦出氣.以温肌肉.充皮膚.爲其津.其流而不行者.爲液.
<霊枢・五癃津液別 36>
皮膚を充たすものは「津」であり、皮膚にまで行かないものは「液」であると言っています。
つまり、
津とは表面から見える体液と考えられます。例えば汗などです。清くて軽い。
液とは表面から見えない体液と考えられます。濁っていて重い。
陰陽ですね。
- 津液については、三陰三陽って何だろう で詳しく展開しました。
五液とは、津・液の両方を指すと思われます。
五臓、つまり臓そのものに存在する津液は、とうぜん重くて表面には出てきません。生命力の中心である腎の封蔵が効いているのです。つまり「精」と同じようなものです。
精の変化でもある体液が、外にもれないように内へ内へと引き寄せます。地球の引力みたいですね。そのうえで、「余った分」が外ににじみ出て、潤すのです。
▶精の余り
精に余りがあるのは生命が健全である証拠です。よって、五臓それぞれが所有する精の余りが「化す」と、軽くなって表面に浮いてきます。これが涙・汗・涎・涕です。すべて、目‐皮膚・口・鼻を適度に潤します。
もし、精の余りがないと、五液が表面を潤せません。この潤いがないと、生命は存続できません。生命の大半は水でできているからです。
もし、封蔵が効かなくなると、これら五液がドンドン漏れることになります。例えば脾が弱い場合、ナマツバがとめどなく出てつらい…と訴える患者さんがいますが、これは脾の精 (正気) を補う治療が必要、ということになります。
要するに、五液は出過ぎても出なさ過ぎてもよくない。中庸が健康なのです。
▶涎と唾のちがい
前置きが長くなりました。
本題は「涎」と「唾」でしたね。
涎はサラッとしていて軽く、澄んだものを言います。
唾はドロッとしていて重く、濁ったものを言います。
津と液の対比を先ほど触れましたが、似ていますね。
つまり、腎の液である唾は、深部にあって、そう簡単に出てきてはならないもの…と考えられます。例えば末期がんで、ドロドロの唾液を大量に吐き出すことがあります。これは、腎精という生命の根幹が漏れ出していると考えられます。腎精が有用な正気として体に収まれなくなったので、無用の邪気つまり痰飲として排出されるのです。
涎はサラサラ・唾はネバネバと教科書通りに覚えるだけでは使えません。東洋医学ではすべてを陰陽に帰納します。それを生命という陰陽に実際に当てはめることで、大きな意味を見出すことができる。そういう学問です。
▶五液の元締めは腎
腎者水藏.主津液.<素問・逆調論 34>
津液の洩れすぎを防いでいる、その元締めは腎の封蔵です。
津液が不足しないようにしているのも、元締めは腎です。
腎は先天の元気であり、生命の元締めです。
- 東洋医学の「腎臓」って何だろう をご参考に。
そのように考えると、最終的に五液、すなわち津液は腎に帰着します。
その元締めたる腎の液である「唾」が漏れ出すのは、非常に問題です。
もっといえば、涎だけでなく、唾までもが枯れ果てる。
口中がカラカラに乾いてしゃべることもできなくなる。
これは、いまわの際に見られる特徴の一つです。