診療開始早々、9時過ぎに電話がなった。2025/7/7のことだった。
「母が今朝からめまいがして何度も吐いているんですが、どうしたら良いでしょうか…。」
いつも送り迎えをしてくださる母思いの娘さんからである。当該患者 (73) は軽い認知症を患っておられるので、詳しい問診はいつも娘さんから伺っている。そうか、吐いているのか。めまいが相当強いんだろう。
「手っ取り早いのは来ていただくことですが、とりあえず今の状態ではねえ?」
「そうなんです。もう4回も吐いていて…。めまいがひどくて起き上がれないようで…。」
「朝食は?」
「まだ摂れてないです。」
「吐いているんで、食べたくないと思うんですが、それでも白米を一粒でもいいから食べてください。できたら手を合わせて、よく噛んでね。とりあえず、今すべきことはそれです。で、それでまた吐いても良いんですよ。全部吐いたらスッキリすることもありますので。」
「分かりました。食べさせてみます。」
朝食と夕食は必ず食べる。
ただし無理に食べてはならない。
ただし白米一粒は無理にはならない。
だから手を合わせていただく。
一粒なんか意味ない…それがよくない。
健康は、素直な人にしか宿らない。

「もし10時とか11時とか、来れそうだったら来てください。診ないとわからない部分もありますので。」
その日、電話はもう鳴らなかった。
翌日 (2025/7/8) が予約日である。
挨拶する当該患者の声が聞こえてきた。
診察の手を止めてブースから出てみると、元気そうだ。ああ、よかった。
「お母さん、どうですか?」
「あれからすぐ、午前9時30分ごろに白米を一口だけ食べさせたんです。そうしたらすぐに大量に嘔吐しまして、それでスッキリしたらしく急に元気になって、もう洗濯物をたたみ出したんです。びっくりしました。」
「そうですか。めまいもそれで収まったんですね。」
「はい。」
「白米が催吐剤になったんです。嘔吐物はどんなものでしたか?」
「黄色い液体でドロっとしていました。」
「白米を食べさせて急に吐いて、びっくりしませんでしたか?」
「先生から催吐剤になることもあると聞いていたんで、びっくりしませんでした。」

この嘔吐物は痰湿である。痰湿とは、生命の元になる飲食物を食べすぎたときなどに、体の器に収まりきらずに溢れてこぼれたものである。もちろん、腸で吸収した場合は体内で痰湿を形成するが、本症例の場合は吸収する前に胃で生じたものである。吸収してしまうと排泄は少しずつしかできない。だから当該患者の体は、吸収する前に一気に体外に痰湿を追い出したのである。それが嘔吐である。
白米は、胃中の痰湿をきれいに拭い去り、まとめて押し出す原動力となった。この原動力のことを穀気という。あるいは宗気と呼んでもいい。

「このめまいは吐くことで治ったんですが、そもそも吐く必要があるということは、その前段階で食べ過ぎがあったと思ってくださいね。」
「そうなんです! ちょっと母は食べすぎてるんじゃないかと、いつも気になるんです。」
「こうやって、体は教えてくれているんです。それを見逃すことなく、本人に納得させるのも僕の仕事のひとつなんです。今回のめまいはね、お母さん、ちょっと食べすぎてたんや。あんまり美味しいもん作り過ぎたらあかんで。(笑)」
邪気を排出する方法としては、汗吐下という言葉があるように、発汗・嘔吐・瀉下 (大便) のいずれかを行う。邪気が皮毛にあれば汗法である。邪気が胃よりも上にあれば吐法、胃よりも下にあれば下法である。体は、もっとも近い排泄口から邪気を排泄しようとするので、それを手助けするのである。その手助けが「治療」であると言える。そのためには、綿密な診察が必須である。
ところが、本症例は電話で症状を効いただけである。
まともな診察もしないで、なぜこうもうまく行ったのだろうか。
- 朝食と夕食は、必ず食べること。
- その際、白米を主食とすること。
- どうしても食欲がない時は、白米を一粒で良いからよく噛んで頂くこと。
僕はこの半生の臨床で、以上のような法則を得た。
その法則は外れることがないという自信がある。
だから白米を食べるよう指導した。
本症例はその原則に間違いがないことを改めて示す結果となった。
ファスティング (このまま朝食を抜く) をやっても、このめまいと嘔気はスッキリすることはない。経験上、そう言える。
めまい嘔気に苦しんでいた人が、白米を食べた瞬間に嘔吐し、その次の瞬間には洗濯物をたたんでいた。
体調が悪いときこそ、白米という原則に戻る。
そして、朝ご飯は食べるという原則に戻る。
さらに、僕の愚直さ。
そして、当該患者の愚直さ。
当該患者の口癖は「ありがとう」。
ときに涙を浮かべる。
一般には持ち得ない要素が重なり合って、この結果となった。