いつも大切な投稿ありがとうございます。どうすれば、先生のように心持ちや技術を高めていくことができるのでしょうか。特に心持ちを学ぶにはどうしたらいいのか。なにか参考になる書籍などありましたらお教えいただけますでしょうか?
東洋医学をいっしょに勉強しよう! 2023.2.5
とてもいいご質問であり、とてもむずかしいご質問です。
なぜいいご質問かというと、最も大切な部分に視線が注がれているからです。医療者として最も大切なのは、知識や技術ではなく、「心持ち」です。心持ちさえ高められるならば、その知識や技術は正しいことに使われていきます。正しいこととは「公共に益する」ことです。悪いこととは「私欲を益する」ことです。それぞれがどういう医療を生み出すかは、少し考えれば察しがつきます。
なぜむずかしいご質問かというと、「心持ち」を高める方法は一言では言えないものであるし、1冊や2冊の書籍で得られるものではないからです。しかし、そこを押して回答を試みます。
書籍に関しては宗教書です。
しかし敗戦以降、日本人は宗教を毛嫌いする傾向が強く、誤解を受けやすいですね。なので、ご自分で優れた宗教書を見つけていただくというのが、目下まともな受け答えだろうと思います。
そもそも宗教というのは「人間らしさ」です。
たとえば大切な人が死んでしまったとします。その死体をゴミ箱に捨てる人はいません。たとえ原始人であってもそうです。きっと穴を掘り遺体を安置して土をかぶせ塚を作り、その前で手を合わせ、頭 (こうべ) を垂れたに違いありません。
これが「人間らしさ」であり、宗教性の萌芽です。動物ならばそこに死体を捨て、去っていくでしょう。
動物は共食いも横取りも普通のことです。しかし人間にとっては殺人も強盗も絶対にやってはいけないことです。人間のすべてに生物学を当てはめることは、やってはいけないことだし不可能なことなのです。ではなぜやってはいけないのか。この理由の行き着く先は宗教性です。
こうした「人間らしさ」は、いいものばかりであるとは限りません。欲に身を焦がし金の亡者となるのも人間らしさです。人間臭さと言ったほうがいいでしょうか。動物はそういう趣味を持ちません。そういう臭気ただよう宗教ならば、学ぶべきものは勿論ありません。献金額を名前付きで公表し名誉欲をくすぐって競い合わせるなど、言語道断です。こういうものは新興宗教に限らず散見されます。気をつけたいですね。
人間を学ぶには、宗教を学ぶことが必須であると思います。
過去に所属した鍼灸の勉強会でも、宗教から学ぶ講義はありました。
しかし、書物を片手にふんぞりかえって宗教を研究するという「斜め」的な姿勢では、 “心持ち” (魂) を高めることはできないと思います。ぼくは畳の上で一時間の正座は平気です。それは、宗教書を読むとき、足が持つ限りは正座で行ったからです。もう読まなくなりましたが、今でも大きな正座ダコは爪で押しても感覚がなく、畳の上には座った跡がハッキリ残っています。
敬虔に教えを乞う姿勢さえあれば、それぞれの宗教にはそれぞれ得るところがあると思います。
ぼくは、大量の宗教書を、中学のころから30代にかけて読みました。子供の頃から本が嫌いで、最後まで読めたことがありませんでしたが、宗教書だけは楽しく読めました。これには父の死が大きく関わったと思います。
病弱だった僕を尻目に、病気一つしたことのない元気な父でしたが、僕が中学校に上がる春休みのころから体調を崩し、その年の秋に亡くなりました。ガンでした。いま思えば、宗教書が父親がわりだったかとも思います。父の死を生かしたい思いがあったと思います。
なので読んだ本と言えば99%が宗教書です。借りてまで読み漁りました。ほとんど音読しました。その影響か、特に勉強もしませんでしたが、現代文や古文がやたら好成績で偏差値70超えが普通でした。それくらい没頭して読んだということです。友達から「なんでそんなに成績ええの?」と聞かれましたが、答えにくかったですね笑。
本嫌いで読書感想文もあとがきを写していた僕が、いまこのようなブログを書かせていただけるのも、このかなり変わった経歴が大きいと思います。
他にも、この経歴が影響していると感じることがあります。
不思議なことに、患者さん方が様々な悩みを打ち明けられた時、なぜか言葉が勝手に出てきます。その言葉に患者さんが涙を流されることは日常のことであり、どうしてこんなことができるのかと聞かれたら、こういう大量の書籍を読んだからだと答えるほか理由が見当たりません。
それは暗記ではなく、直感的に口をついて出てくる感じです。ブログに書き散らかした言葉には、受け売りもあればオリジナルもたくさんあり、それは日々の臨床の中で勝手に生まれた言葉です。
「先生には何か太くて大きな柱みたいなのがある、それがどこから来ているのかが不思議だ」と言われたことがありました。30歳のころでした。
絶対他人になつかなかった犬が、僕だけになついて皆んなが驚いたことがあります。
長い期間をかけて魂で吸収し、それを臨床に合うように出力している。それがこのブログの一つの側面です。ですから、まずはブログを何度も読んで頂くことでしょうか…。おすすめできる書籍は特定できません。
人間らしい思考回路、それが宗教だと思います。ただし、善い人もいれば悪い人もいるように、宗教にも善い宗教と悪い宗教があります。たとえ善い宗教であっても、その団体メンバーには善い人と悪い人が必ずいます。
だからこそ、宗教の善い面にのみ向き合い、人としての良い面を磨いてゆく。悪い面は反面教師、かかわってはいけません。
では、どの宗教がそれに適しているのか。
本が嫌い。ゆえに見聞の狭い僕の意見は、非常に参考になりません。
いいものは逆境の中で育つものです。めぐまれた環境ではどうしても甘えが出ます。そのときは辛くとも、あのとき逆境にあってよかったと思うことがよくあります。これからも逆境に感謝しつつ、前に進んていきたいと思います。