筋肉が硬い、柔らかい…痛みを取る方法

ご質問を戴きました。

リラクゼーションの仕事をしています。質問させてください。

  1. 背中から足にかけて、とくに下肢の後面 (太陽膀胱経) が鉄板のようにカチカチで痛むという方がおられます。原因は何が考えられるでしょうか。
  2. 左側、右側によって原因も、対策も変わってくるかと思うのですが、どのように考えたらいいでしょうか。
  3. セルフケアのアドバイスをするとすれば何が的確でしょうか。筋肉の緊張が取れない場合、水をたくさん飲んで めぐりをよくするようiにアドバイスをしています。
  4. 表面は柔らかいのに相当な圧を掛けないと刺激を感じない方は、何が原因と考えられるでしょうか。

1〜4まで、順番にお答えします。

その前に、基本的なことを確認しておきます。

筋肉は細胞の集まりです。一つ一つの細胞は生きています。近年の研究で分かっているように、髪の毛一筋でも、その細胞は一人の人間になるポテンシャルがあります。つまり、細胞も人間と同じ、お腹も空くしご飯も食べる水も飲む、うんちもおしっこもします。

そのインフラになるのは毛細血管です。そのルートを使って、ご飯が送り届けられ、そのルートから大小便を流して排泄するのです。人体の血管を全てつなぎ合わせると、地球を2周半するほどの長さがあると言われます。そんな長くて細いチューブが、この小さな体にしまわれているのですね。

このように毛細血管は想像を絶する細さです。その毛細血管の「壁の厚さ」となると、更に想像を絶するものです。これを損なうことなく機能させることが大切です。

筋肉細胞も、この細い細いチューブを命の綱と頼み、命を営んでいるのです。細胞一つ一つが生き生きとしていれば、自然な柔らかさ、張り、しなやかさがあります。このチューブ、そして中を流れる液体が、いかに機能しているかが、筋肉の状況を良くすることにかかっています。

このチューブには、行き止まりがありません。単純な模式図は、浮き輪のようにつながった管です。

それだけに、どこかが詰まると全体に影響します。そう考えると、一部分の筋肉の硬さは、生命全体の状況が決め手になることがよく分かりますね。体全体を良くすることが、筋肉をよくするために不可欠なのです。

1.背中から下半身後面、太陽膀胱経がカチカチで痛む

筋肉がカチカチで痛むのは、まず気滞を疑います。

カチカチな中にも潤いがあればいいですが、筋肉に潤いがなく乾いた感じのカチカチさならば、血虚です。血虚と気滞が同時にあります。血と気は陰陽関係で、血が弱ると気が勝つ場合があります。やる気はあるけど体がついてこない。そういう状態が筋肉に見られると理解してください。

カチカチさというよりはモッチリした感じがあるなら痰湿を疑います。この場合は重だるさを伴った痛みになります。

気滞ならば、痛み具合に注意しながら、身も心もゆっくりゆったりと散歩です。加減が大切で、やりすぎると悪化します。

血虚ならば、目の使いすぎに注意です。夜ふかしはほとんどが目を使っています。目を休める、早めの就寝を心がけるだけで、痛みが緩解することはいくらでもあります。

痰湿ならば、食べすぎや間食に注意です。

膀胱と腎は表裏関係にあり、足太陽膀胱経は腎の状態を示すと思ってもらって結構です。精血同源という観点から、高齢者の筋肉に血虚があるならば、腎の陰精の枯渇が進みつつあると見ていいです。高齢者で、体が弱りつつあるのに興奮状態、つまり疏泄太過になっている人は多いですね。興奮状態は精血を暗耗します。

疏泄太過って何だろう をご参考に。

腎は先天であり、これを直接強くすることは困難です。しかし後天の脾を強くすれば、先天を補充することができます。脾は気血生化の源です。間食・食べすぎに注意です。

当たり前のことですが、鉄板のようにカチカチになった組織は、柔らかくする必要があります。それは鍼灸でも同じです。ただし、どういう影響力を与えて柔らかくするか、ということは十分イメージする必要があります。「痛いところに鍼をしない、たった一本の鍼」で、 “鉄板” がごっそり緩むことは日常的に見られます。もちろん、柔らかくなると痛みが取れます。一度緩むと持続性があるのも特徴です。

慢性疲労症候群の症例 をご参考に。

また、硬い原因が運動不足であることもあります。たとえば脳梗塞の麻痺した手足の筋肉が、弱りながらもカチカチになることからも分かるように、筋肉は適度に動かさなければ硬くなります。もちろん動かしすぎても硬くなることがあります。中庸 (ちょうどいい) がどこなのかの診断を、東洋医学では常に重視します。

2.左右の問題

左右の問題に関しては、根本的には肝が関わると考えてください。上に気が上っています。頭でっかちなので左右に不安定になり、左右の問題が出ます。いかにして下に気を降ろすかですが、臍下丹田に重心を持っていくことが、そもそも治療行為の眼目ですので、一言では言えません。

左は陽で、右は陰です。個人的には、左は気のレベル (浅くて新しい) のものが、右は血のレベル (深くて古い) のものが多いと思いますが、もともと古傷だったり利き足だったりすることもあるので一概には言えません。

左右差は、不健康であれば、ないよりはあったほうがいいです。半身不随にしても、そうならなければ命がありませんので、左右差があったほうがいいとなります。健康であれば左右差はなく、それが一番いいです。

左右差のハッキリしている箇所が、よく効く治療点になることがあります。

3.水を飲む指導

体には、飲食物を容れる器があると考えてください。器の中に入る水は、イコール正気です。

その器は人によって大きさが違います。同じ量の水を飲んでいても、器の大きいAさんは満タンまで行かず、器の小さいBさんは器から溢れ出てしまう場合があります。

また同じAさんでも、その日の体調によって器は大きくなったり小さくなったりします。

もし、器から溢れてしまうと、それは水邪や痰湿となって、正気の邪魔をします。正気とは、ここではめぐる力です。コップに注いだ水は我々にとってすごく大切なものですが、床にこぼしてしまうと汚くて飲めないばかりか拭き取るのに労力を費やしてしまいます。

では、器にちょうどよい量はどうやって知るのかというと、本人が飲みたいと思う量がちょうどいい量になります。体はオーダーメイドで適量を教えてくれています。足りないのも過ぎるのも良くない。中癰がいいということですね。

ちなみに、冷たいのはセンサーを狂わせるので避けたほうがいいです。

形寒寒飮.則傷肺.<霊枢・邪氣藏府病形 04>

肺が狂うと感覚・反射が狂います。たとえば強い圧をかけても痛くない、ということもありえます。が、もっと大きな原因は “慣れ” でしょう。

圧をかけているのに刺激を感じない理由として、まず一番目に考えなければならないのは、刺激への慣れです。なんでもそうですが、刺激は必ず慣れが来ます。慣れが来ると、更に強い刺激が必要となります。

4.表面は柔らかいのに強く押しても刺激を感じない

強い圧を加えると、物理的に筋肉は柔らかくなっていきます。

動物・植物を問わず、組織は細胞からできています。台所の食材も動物や植物ですが、やはり強い圧を加えると柔らかくなります。たとえば鶏肉や豚肉を親指で強く押せば柔らかくなります。同じように白菜やキャベツを強く押せは柔らかくなります。柔らかくなる理由は、組織が引き伸ばされたり壊れたりするからです。

よって、押せば柔らかくなるのは当たり前のことです。

さらに、柔らかくなると痛みが取れる。そういう法則があります。だから柔らかくしようとするのです。

しかし、その法則通りには行かない場合もあります。最初から柔らかい場合です。

痛みがあるのに柔らかい。これは少なからず見られます。こういう矛盾があると、痛みを取るには技術がいります。これ以上ゆるめられないからです。

この柔らかいのは部分的な虚です。痛いのは実です。虚実錯雑になるので取れにくい。まずは、痛みに見合った “張り” を出すことが大切です。こういうタイプの人は、筋肉を動かせば動かすほど、無理をすればするほど緩んできます。正気が補われてくると張りが出てきます。そのためには祛邪も必要です。複雑ですね。

こういう柔らかさと、乳幼児のしなやかな柔らかさとは、似て非なるものです。同じ細胞、同じ組織でできているのに不思議ですね。何が違うのか、手の感覚を鍛えるのには、両者はいい対照かも知れません。

体がすごく柔らかくてベチャッと床につくような人でも、慢性的に痛みを訴える人がいます。

新鮮で生き生きした野菜はバリッとしていますね。生けた花もシャキっとしています。元気のない野菜や花は柔らかくなります。美しい花びらのしなやかな柔らかさと、しおれてうなだれた花の柔らかさ、これらは似て非なるものです。

こういう張りは人間にも必要です。張りが出てくると同時に痛みが取れてくることはいくらでもあります。

カチカチになったものを柔らかくするときも、機械的にそれをするのではなく、よく考えながら柔らかくすることです。「考える」ために中医学などの学問はあります。その際、「しなびた野菜」なのか「柔らかくて美味しい野菜」なのか、これが比較対象のよい材料となります。先に説明した毛細血管の「想像を絶する細い壁」を破損しないように考える。これは基本中の基本です。

学問と臨床をリンクさせながら前に進んでいきましょう。

坐骨神経痛が二人同時に良くなった理由
坐骨神経痛の中医学的な症例検討である。慢性化した坐骨神経痛が、ある養生指導で緩解した。結果としての痛みを取ろうとするのではなく、原因を取ろうとすることの大切さを思わせる症例である。

まとめ

体って人それぞれですね。そんな中に貫かれた法則を勉強しつつ、千差万別である個々の体、いろんな病態に対応するために、日々模索を続ける。

東洋医学が持つ「全体観」をよく理解し、「気一元」ともいわれる世界に視線を注ぎ続ける。

僕も同じです。一緒に頑張りましょう。

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