証候とは…「天突」の望診にいたる病態把握への挑戦 

グループの皆様はじめまして、理学療法士をしているものです。
先日の乳児アトピーの投稿を拝見し、アトピーのみならず、お子様の表情や目の輝きがどんどん変わり、心身相関の実際を見せていただき大変勉強になりました。
評価について、いくつか疑問点があったのでこちらで質問させていただき、皆様と共有できればと思います。
初学者なので、知識不足な中で質問することをお許しください。

【疑問点】
・表証の判断は症状が顔に出ていることからなのか。それとも空間的なエネルギーの問題なのか。
・寒に関しては、どのような評価から判断したのか。
・注目箇所として挙げた天突にて、どのようなものを評価するのか
・空間診と望診の違い。
・百会と懸枢を選んだ理由。
実際には問診や切診なども詳細に行っているかと思いますが、他の評価との関連などもお聞きできればと思います。

お手数おかけしますが、お手隙の際にご回答いただけると幸いです。

本グループの主な目的は、このような質問に答えることです。中医学に関する疑問点をドンドンご質問いただければと思います。

まずは、非常に理知的な方であるということが想像できますね。

「評価」という言葉ですが、専門用語であり一般に馴染みがありません。概念が非常に広いですが、ここでは「病態把握」あるいは「病態把握のプロセス」…と置き換えて読み進めてください。これでも分かりにくければ「診断」や「所見」と訳してみてください。

臨床に活かせるポテンシャル

東洋医学のもつ考え方や原理は、医療に携わるあらゆる人が共有し応用することが可能です。鍼や漢方薬を使わなくても、自在に臨床に活かせるポテンシャルを持っていると思います。

ただし、その勉強すべき内容や、それを臨床で踏むべき経験は、おそらく思ったよりも膨大な量が必要です。ご質問に目を通して思うのは、どれも一言で答えられるものがないということです。

これは、裏を返せば、質問者の着眼点がどれも的確であるということにもなります。ポイントばかりを指摘しておられるからです。

踏まえていただきたい内容

まず、中医学は「気」を土台とした学問であるということに立ち戻りましょう。
「気」とは機能のことです (私見) 。可視化できないものです。

ご質問内容に直結するのは、「気」の世界との向き合い方 です。まずはこれから読んでください。

もっと理解を深めるならば、

などが参考になります。

こういったことを踏まえながら、以下に質問に答えたいと思います。

乳児の弁証は極めて困難

目を通していただいたでしょうか。

質問に、便宜上の番号を打ちます。

  1. 表証の判断は症状が顔に出ていることからなのか。それとも空間的なエネルギーの問題なのか。
  2. 寒に関しては、どのような評価から判断したのか。
  3. 注目箇所として挙げた天突にて、どのようなものを評価するのか。
  4. 空間診と望診の違い。
  5. 百会と懸枢を選んだ理由
  6. 実際には問診や切診なども詳細に行っているかと思いますが、他の評価との関連などもお聞きできればと思います。
  1. について、表証の「評価」は、悪寒・浮脈・頭項強痛です。これが基本となります。しかし本症例ではそのいずれも確認していません。乳児なので出来ないのですね。
  2. について、表寒の「評価」は、ハッキリとした悪寒 (悪風) です。もちろん本症例では確認していません。
  3. について、 「気」の世界との向き合い方 でご確認いただいたとおりですが、下段にもう少し詳しく説明します。
  4. と5.について、藤本蓮風著「上下左右前後の法則」を熟読し、臨床で最低3年は真剣に実践してみてください。百会と懸枢の意味が書いてあります。やり方は僕独自のものですが、基本はこの本から学びました。

6 については今すこしの洞察が必要です。臨床を考えてみましょう。乳児に問診ができるでしょうか。切診は可能ではありますが、もたもたしていると泣き出してしまいます。脈を見ようにも乳児は手首を持たれるのを非常に嫌がります。舌も診ることが出来ません。ほとんど何もできないんですね。

つまり、乳児アトピーの症例 での「評価」の決め手は望診だけだということです。お母さんにの若干の問診はしましたが、あくまでも確認やコミュニケーション程度の目的であり、まったく決め手にはしていません。

乳児の「評価」は極めて困難なのです。これは取りも直さず、
乳児の「弁証」は極めて困難である、ということです。

では、どうするか。
1〜5 までの項目を、教科書どおりの「基本」にそって、診察が簡単な「大人の患者さん」にご協力いただき、3年はやる必要があります。ちなみに僕は分かるまで20年かかっています。

はてしなく広い裾野 (基本) の上に、富士山の頂上は存在します。富士山の頂上だけをつかまえて、霊峰の勇姿は語れないのですね。

しかし、難しく考える必要はありません。北辰会などが中心となって、一般化できる弁証の方法 (望聞問切) を提示してくださっています。これが、ここで僕が言う「基本」です。まずはこれを学べばいいと思います。

証候とは

証名と証候

中医学では、病態のことを「証」といいます
証には「証名」と「証候」があります。

たとえばここに、「悪寒・浮脈・頭項強痛」という「表証」を示す「ひとくくりの症状」があるとします。
このときの証名は、「表証」です。
このときの証候は、「悪寒・浮脈・頭項強痛」です。

つまり、

証候とは、病態把握の分類 (証名) を決定する「いくつかの症状 (反応) の組み合わせ」のことです。
たとえば「表証」という名称 (証名) を貼り付けるためには、「悪寒・浮脈・頭項強痛」という組み合わせ (証候) が必要なのですね。

ドレスで評価しない

証名と証候、この2つは、とりもなおさず「病態を把握するために必要な外郭」です。
証とは「病態の内実」です。

おもしろい言い方をしますね。

では「証」とは何なのか。特定の名もない。特定の症状があるわけでもない。あるのは「像…対象となる本質」です。像ではなく「象」といったほうが的確ですが…。臓象という言葉がありますね。それも同じです。

像に「証名」をつける。像が「証候」を表現する…。人を肩書 (証名) で評価しない。人を見た目のドレス (証候) で評価しない。ひととなりである人物像 (証) で評価する。ここは深い部分です。上っ面で判断してはならない

ここに、すでに「気の世界」が展開されています。

ともあれ、初心者に大切なのは基礎です。まずは教科書をしっかり学び、証候を覚え、そこから証を導き出すこと。この基本をおろそかにしては、応用がデタラメになります。

「気」を候 (うかが) う

証候をもとにして、証を候 (うかが) う。
目に見えるもの (物質) をもとにして、その向こう側にある気 (機能) を候 (うかが) う。

この丸くて重い石が、漬物石なのか、ただの河原の石なのか、それを見抜くようなものです。それが何者なのかを見抜く。触ったり匂いを嗅いだりしながら。撫でると使い込まれた滑らかさがあるとか。少し糠の匂いがするとか。熟練すればツヤを見ただけで見抜く人もいるかも知れません。

桜の花から春を見抜くのは、証候ならぬ「気候」です。気を候 (うかが) う。桜の並木が揃って満開ならば春と断定してよい。ただし、ちらほら咲きでは断定できない。狂い咲きの可能性もあるからです。狂い咲きを春だと思って治療すると、見当が大きく外れることになります。

これが「気の世界」です。気を基礎とする中国伝統医学の世界です。

理学・作業・看護などでも共通するものがあるはずです。「評価」のことを中医学では「証候」という。まずは簡単にそう考えていいでしょう。

自分だけの「評価」

証候を「つかみとる」

教科書にある証候を覚える。基礎が大切である。そう言いました。

しかし、証候 (教科書的な) が揃わなければ証が確定できない… と考えるのは誤りであることも、同時に知っておかなければなりません。ただし、これは応用です。この応用が正しくできる (理解できる) ようになるのは、10年先であると考えておいてください。

証候 (教科書的な) は決定打ではない。

例えばイチョウの木 (証) があるとします。それを把握するためには、イチョウの葉の形 (証候) は一つの決め手になります。ところが、冬になって葉を落としている時はその決め手 (証候) は見られません。しかし葉 (証候) が無いからと言って、だからこれはイチョウではない…と考えるのは誤っていますね。

証候は、教科書どおりに揃うとは限らない。

そこで臨床です。

例えば表証を診断できるようになりたい。ならば、聞けば答えてくれるし脈も診せてくれる大人を使って、まずは基本的な「表証」とは何かを学びます。「悪寒・浮脈・頭項強痛」のハッキリしたものを、忠実に診察します。

もちろん、ハッキリしない場合があります。初心者は得てして「発熱」さえあれば表証と考えがちですが、これをやってはいけません。「発熱 (イチョウの葉)」だけで診断してしまうと、「発熱」のない表証を見落としてしまうからです。葉のない冬のイチョウを見ても、これはイチョウだと断定できる「何か」をつかむのです。

悪寒・浮脈・頭項強痛のそろったもののみを表証というのではありません。脈が浮かなくても表証と診断できるものはいくらでもあります。これは中医学でも言わないことで、一つ上の世界です。そういう鑑識眼があるからこそ、今回の乳児アトピーが治せていると理解してください。

絶対評価を「探し出す」

悪寒・浮脈・頭項強痛のいずれもがハッキリしなくても、表証であることはいくらでもあります。このときに、これら以外の「何か」を見つけて、表証と診断できなければなりません。そのために、自分なりの「評価」を身に着けていくのです。

自分なりの評価、これは桜の花など相手にもしない、春の「絶対評価」です。ところが、この「絶対評価」は言葉にできない、伝えられない。だから春は「桜」、表証は「悪寒・浮脈・頭項強痛」なのですね。これなら分りやすい。言葉にできる、伝えられる。

伝えられるものしか教科書には書かれていません。

まずは基本となる「桜」で春を見分ける。そして桜がなくとも春だと断定できる力を、人知れず身につけてゆく。

ぼくは表証の「絶対評価」を、自分がカゼを引いた時、熱にうなされながら「脈診」からつかみ取りました。一度でつかんだのではありません。僕は子供の頃から病弱で、大人になってからもカゼをひいては寝込み、そのたびに何度も何度も挑戦してつかんだものです。

もちろん「浮脈」ではありません。

診察力を高める

脈診を高める

その「脈診」のやり方の基本は、ここにまとめてあります。

東洋医学の脈診って何だろう
中医学では二十八脈を挙げています。浮、沈、遅、数、滑、濇、虚、実、長、短、洪、微、緊、緩、弦、芤、革、牢、濡、弱、散、細、伏、動、促、結、代、大(or疾)のことです。一見複雑ですが浮沈・遅数・大細・長短という陰陽から、細分化して行きます。

便宜上この脈診を「三脈同時診法」と呼ぶことにします。この脈診法は僕のオリジナルですが、誰もが納得のいくものであると思います。診察が共有しにくい脈診において、この脈診法は基準を一定にするための脈診の基本として位置付けされるべきものであると自負しています。ただし、やれと言われてすぐにできるものではない。そもそも脈診とはそれほど難しいものなのですね。

僕は鬱になるまで脈診をやりました。そんな中で指の感覚が研ぎ澄まされたのでしょう。気がつけば、いつの間にか「三脈」を同時に感じ取ることができていました。

アフリカの狩猟民族である「マサイ族」の視力は8.0とも10.0とも言われますが、これは幼少期から遠くの獲物を、生き残るために見ているからです。

この人達と、そういう努力をしていない僕たちが「視野」を共有するのは無理ですね。

ただし。

これだけ苦労して得た脈診であるにもかかわらず、乳児では使えないのです。

さあ、どうする。

切経を高める

脈を見なくても分かる必要がある。
だから、ツボで診察する技術が必要である。

こうして、「三脈同時診法」の捉え方を基礎として、切経 (切診) を鍛えました。脈を診るのと全く同じ感覚でツボを診るのです。

ツボの診察…正しい弁証のために切経を
ツボは鍼を打ったりお灸をしたりするためだけのものではありません。 弁証 (東洋医学の診断) につかうものです。 ツボの診察のことを切経といいます。つまり、手や足やお腹や背中をなで回し、それぞれりツボの虚実を診て、気血や五臓の異変を察するのです。

ツボの診察で、表証の決め手はどこにあるのか。大人で「悪寒・浮脈・頭項強痛」が揃い、表証と診断できた時がチャンス。脈が診られない、悪寒や頭項強痛がハッキリしないときを想定し、体中を撫で回す。特徴を探し回る。

得たのは肺兪 (の周辺、主に左) です。どういう反応かは、何度も言うように伝えたくても伝えようがない。伝えられるのは、まだ分りやすい「三脈同時診法」までです。

ただし。

これだけ苦労して得た切経であるにもかかわらず、やはり乳児では使えないのです。乳幼児はじっとしてくれない場合がある。切経すら難しい。

さあさあ、どうする。

望診を高める

乳児であろうが鑑別は正確に出来なければなりません。

だから、そういう切経の捉え方を基礎として、こんどは望診を鍛えました。

脈を診るのと全く同じ感覚で、手で触れて診るのと全く同じ感覚で、体を眺めるのです。

腹痛… 望診の “その上”
運転しながら、一瞬振り向いて後部座席の娘の残像を焼き付ける。前を見て運転しながら、その残像で診察する。この季節、疑わしいのは冷えだ。寒府は? 邪が出てるな。やっぱり冷えがあやしい。

大人で「悪寒・浮脈・頭項強痛」が揃い、表証と診断できた時がチャンス。脈もツボも診られない、しかも悪寒や頭項強痛がハッキリしない状況を想定し、舐め回すようにジロジロ見て探す。デジタル的にあるかないかの「体征」 (診察していて発見する体の異変) を見つける。

スーパーのレジ付近で表証の人をさがす遊び (訓練) はよくやりました。順番に並んでくれているのでじっくり見ることが出来ます。ちなみに怪しまれないように細心の注意が必要です^^

そんなこんなで得たのが天突です。大椎でも出来ます。

これで子供でも、はじめて診断ができるようになったのです。このようにして得られた技術でもって、この乳児アトピーの患者さんを治療したのですね。

下リンクのような「奇病」でも、これを使って治しております。

全身麻痺 (痿病) の症例
中医学での表証は、あらゆる奇病と関連する可能性を持つ。本症例は急性の痿病であり、全く筋肉が動かせない状態が全身に及んでいたが、表証を撮ることによって速やかに回復した。表証とは何かを考えつつ症例を検討したい。

めざすは神 (しん)

これら脈診・切経・望診で、僕が独自に見つけ出した反応は「証候」です。ただしこれらは、「証」 (対象となる本質) に限りなく等しい「証候」です。それをつかみ取った。「絶対評価」です。

つまり、

証という「像」を直接この目で見ることができるようになったのです。

「気」の世界を見た… とも言えるでしょう。

望而知之.謂之神.
【訳】望んでこれを知るを神 (しん) という。

《難経六十一難》

《難経》には、望診が神、聞診が聖、問診が工、切診が巧とあります。

何時間もかけて問診し、そのうえまだ体中を丹念に眺めたり、嗅いだり、触ったりするのは、証という「像」を直接「この目で見たい」からなのです。

そこを目指す。

表証だけではない。すべての証を、この目で見たい。

中医学を学ぶものとして、あたりまえの姿だと思います。

こういう世界を否定する専門家がたくさんいます。しかしこれを否定するならば、この乳児アトピーは手も足も出なかった。それだけは確かです。

もちろんこういうのは症例検討には向きません。というか、乳児の症例はすべて検討には向かないと思います。この症例は “こういう世界があるよ” ということを言うためのものであり、共有し合うためのものでないとご理解ください。そして、こういう世界を目指しているからこそ、バカにみたいに基本を勉強するのですね。

いっしょにバカみたいに基本を勉強し、こういう世界をめざしませんか?

天突から候 (うかが) う証

“天突に注目する” と、一言で言いました。

しかし、これは寝ても覚めてもの実践を経たものである。そして簡単に言葉にできるものではない。なんとなくイメージが出来たでしょうか。

「三脈同時診法」が一瞬でできるくらいの技術を持つ人、そういう人に説明するならば話になるかも知れません。しかしそれでもなお、この脈診法の一段上、そのまた一段上に、天突を「評価」する境地があります。表寒と表熱の鑑別に自信が持てるようになったのも、「天突の望診」を基礎にして、そのまたもう一段上の技術を築いたからです。これが2.に対する答えになります。

「三脈同時診法」が小学生ならば、「天突の望診」は大学生レベルです。小学生に満たないレベルならば、大学生と視野を共有するのはちょっと難しいですね。これが、「気」の世界との向き合い方 で例としてあげた「魚屋さん」です。限りなく高みを目指して、頂上に向けて上ってゆくのですね。

そのためには、富士山の広い広い裾野 (基礎) が必要です。誰もが共有できる「基本」という裾野を開拓しつづけ知識を広げ、その上に人それぞれの「天突」などの個性あふれる山を積んでゆく。大きな裾野であればあるほど、山は高くなります。裾野は広くとも山を積まなければ、治せないただの「物知り」で終わってしまいます。

大海の一滴

子供はウチでは安価で診させていただいています。治療にかかる時間も短い。しかし実は、大人の患者さんで培った膨大な臨床経験と学習時間の「粋」を集めたものです。山の頂上というと語弊がありますが、まずは裾野から分け登らなければ、高みから眺める雄大な景色は説明できません。五合目の景色を知っている人になら、頂上からの景色をなんとか説明することが出来ます。

ぼくが子供の治療ができるようになったのは、つい最近です。ついこないだまで、手も足も出なかった。

そんなぼくが唯一自信を持って言えるのは、頂上目指して死ぬまで頑張る。頂上にたどり着くことは一生無理だという道理を知りつつ、それでも懸命に歩み続ける… ということくらいです。

臨床家には、これがまず必要だと思います。

まずは基礎をびっちりやってください。この「基礎」なら、分りやすいアドバイスが出来ます。基礎の大切さは本グループでくり返し言うところです。ここに最も価値観を置くべきです。とはいえ、こういう質問も、まずは全体像をつかむという意味でとても大切なことです。つかんだ上は、頂上までの道のりを、ただ下を見て土を踏みしめて歩を進める。

果てしなく広がる富士山の裾野に、一点そそり立つあの頂上。
大海のような知識と経験の中に、偶然にも見出したこの一滴。

それこそが、我々が求めてやまない「絶対評価」です。

簡単な道はない

以上、「絶対評価」に至るべきプロセスをまとめました。

同時にこれは、「証候」の奥深さを示すものでもあります。教科書にあるものだけにとどまらず、むしろそれを乗り越えて、自分にしか見えない証候をつかみ取る。これこそが「癒やし」を究めるために不可避の道筋であると思います。そもそも簡単な道ではない。

ここに示した「病態把握のためのプロセス」は、あくまでも僕なりのものです。プロセスは人によってまちまちです。富士の高嶺をめざすルートが色々あるのと同じです。ただしどのルートを選んだとしても、簡単な道程はないということだけは言えると思います。

まとめ

相対性理論を説明してください。

この質問は、するのは簡単ですが、答える方は難しい。ていねいに答えれば、一冊の本では済まないでしょう。質問者は一生かかっても理解できないかも知れません。それ以前に、物理学や数学の基礎がなければ話にならない。そういう中医学の奥深さをご理解いただければと思います。

同時に、ただの凡人である僕が、一つ一つを突破しつつ、今はそこで得たいろんな宝物を身に着けて、楽しくてしかたない臨床をやっている姿をも、知っていただければ有り難いです。

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