肩凝りの治し方

肩凝りとは、カゼの次に一般的な病気ではないだろうか。
それくらい多くの方がかかり、そして悩んでおられる。

しかし、「肩凝りが治りました」という声はまず聞かない。マッサージに行けば楽にはなるがすぐにまたぶり返すし、なかには揉む手を離したら凝ってくる…なんて人もいる。僕は20歳代のころ、1日の延べ患者数が100人という鍼灸整骨院で見習いをしていたので現場をよく知っている。鍼灸 (全身に100本+電気鍼) ・吸玉・マッサージ・ストレッチ・電気治療をやっていたが、これらを駆使しても、肩凝りが治ったという人を見たことがない。腕がないということを加味しても、この事実は重い。

肩凝りは治らないのだ。

しかし、僕のところでは必ずしもそうではない。

症例

63歳。女性。2024年7月24日初診。

主訴:肩凝り。

35歳頃から肩凝りが常にある。パソコン作業が多い。マッサージ・鍼灸などに通うが寛解と悪化を繰り返す。生理痛がひどく、痛み止めを常用した。
50歳頃から手足が冷たく、顔がほてって赤い。
56歳、子宮がん・卵巣がん。

午後11時就寝。間食あり。

初診…7/13 (土)

座ってもらい、肩に両手を軽く置いて診察をする。肩凝りがつらいと言う割には、筋肉がグニャグニャで柔らかい。3日前にマッサージを受けたらしい。痰湿の特徴であるモッチリさもある。つまり、柔らかい餅のような肩である。マッサージをしなければ餅は固くなり、マッサージをすれば柔らかくなる。しかし餅は消えないので、固くなったり柔らかくなったりを繰り返すのみである。餅 (痰湿) を取り除かなければないらない。そのためには? もっとも大切にしなければならないのは、毛細血管である。これを痛めつけるようなことをしては、餅は “永遠に鎮座まします” ってことになる。

餅 (痰湿) を除去するためには、餅を溶かす必要がある。解ければ毛細血管を流れ、肝臓に行き着いて解毒を受け、胆汁に溶け込む形で胆管を流れ、十二指腸に出てウンチとして排泄される。

餅はもんでも解けない。

肩に手をおいた状態で、気の動きを診る。
皮膚表面の気の流通がない。
深さ1cmにピントを合わせる。気の流通がない。
深さ2cmにピントを合わせる。ない。
深さ3cmに合わせる。ない。
深さ4cm。ない。

深さ5cm。ここで初めて気の流通が見られる。

かなりの重症だ。つらいのも無理はない。

診察とは「確証」を得る行為である。その確証が自信であり、自信こそが治療効果に直結する。そのためには、まずは理論の勉強である。ついで患者さんという教科書を読み解くトレーニングである。患者さんの今の状態が手に取るごとく分かるようになれば、必ず治る。手に取るごとく分からないから、治らないのである。手に取るごとく分かりたいから、精進し続けるのである。気の動きを診るための基礎は、ぼくは脈診 (三脈同時診法) によって得た。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

抜鍼してすぐに座ってもらい、肩に手を置いて診る。グニャグニャから一転、パンパンで固くなっている。これでいい。へたばっていた肩の筋肉がシャキッとしたのである。しおれた草花が水を得てシャキッとした様子をイメージすればいい。

もう一度寝て5分間休憩してもらう。休憩後、再度座ってもらって肩を診る。パンパンから一転、緩んでいる。しかし治療前のグニャグニャとはちがい、しなやかでイキイキした柔らかさである。

筋肉とは、花のようでなければならない。しなやかな柔らかさがありつつも、シャキッとしていなくてはならない。グニャグニャはしおれているのである。

マッサージはやらないように指導し、治療を終える。

2診…7/15 (月)

マシになったかは聞かない。まずは肩に手を置いて診る。初診の4cm (気が流通していない深さ) から、今日は1cmに改善している。浅くなったのだ。しかし皮膚から1cmは気の流通がないのだから、肩のつらさは変わらないと予想する。

「前よりかなり浅くなりました。いいですよ。でも浅くなってもまだ流通はしていないので、肩は同じように凝ると思います。」

「はい、凝ります。治療の翌日は朝から疲れた感じがあったので、ゆっくり過ごしました。早く寝るようにしています。」

初診からの長期邪気スコアはレベル3が持続。

初診に見られた表証は消えている。生命力が強くなってきていることを意味する。

詳しく説明すると煩雑になるので流したが、表証 (隠れ表証) があればそれを取ることが最重要である。それができていなければ、本症例のこの後の良経過は望めなかったであろうことを明記しておく。何事も基本が大切なのである。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

3診…7/19 (金)

2診目の翌日 (7/16) は、朝から肩が軽かった。

ただ、昨日 (7/18) は外出中に人と出会い、昼過ぎの猛暑のなかで30分くらい話し込んだら、体の力が抜けてきて、しんどくなった (熱中症?) 。脱力感と発熱と食欲不振があり、横になって過ごし、夕飯は少しだけ食べて寝た。

長期邪気スコアはレベル3が持続。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

4診…7/22 (月)

7/18 (木)からの発熱が、 (金) (土) (日) と持続した。 土曜がピークで38.2℃。
くしゃみ・鼻水・咳と食欲不振があった。食事は抜くこともあった。

今日はまし。

肩に手を置いて診ると、浅いところから深いところまで流通している。

長期邪気スコアはレベル3が持続。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

5診…7/25 (木)

肩凝りを感じない。
肩に手を置いて診ると、浅いところから深いところまで流通している。

長期邪気スコアはレベル3が持続。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

おそらく、かるい熱中症による免疫低下から感染症に移行したのだろう。ただし、感染症によって逆に体を休める機会が得られ、スムーズな好転につながったと考えてよい。当該患者はもともと東京でパソコン相手の仕事であったが、おととし奈良の田舎に引っ越して、無農薬の田んぼ作業をしておられる。この夏は田の除草作業に追われ、そのたびに肩凝りが悪化していたが、それも影を潜めた。

6診…7/19 (月)

肩凝りなし。

ウォーキングを指導する。5分間から始めてもらう。

長期邪気スコアはレベル3が持続。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

熱中症から体調を崩すなど、体の弱さが認められる。このウォーキングを時間を伸ばして続けることによって、その弱さを解決したい。体の弱さは、本人はさほど感じておられないが、肩凝りを安定して出なくするには、土台を強くしておく必要がある。どんなに強靭に見える人でも、たとえ肩凝りでも慢性症状があるということは、実は弱いのである。つまり張り子の虎である。早く亡くなったりする。

7診…8/2 (金)

肩凝りなし。

長期邪気スコアはレベル3からレベル2に減少。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

長期邪気スコアが減少した。感染症をキッカケにして、一気に邪気 (おもに痰湿) が抜けた感がある。邪気の「古い蓄積」は、押入れのような場所に詰め込まれているが、感染症はその扉を開く働きがある。ヘタをすれば蓄積に雪崩のように押しつぶされる可能性もある。しかし、上手に治せば、一気に邪気を取り去る事もでき、それを上手に後押しすることが真の治療である。上手な治し方の基本は、安静 (安心) である。症状の口封じをするのは、もう一度押入れに詰め込みなおしてしまっているのである。 >> 「押入れ」の疲れ

8診…8/8 (木)

肩凝りなし。

ウォーキングを10分間に伸ばす。

長期邪気スコアはレベル2。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

9診…8/16 (金)

肩凝りなし。

長期邪気スコアはレベル2。

百会に3番鍼。5分間置鍼。

10診…8/30 (金)

8/22〜28まで関東の実家で農作業の手伝いをする。それでも体調は崩さず。

肩凝りなし。

実家での手伝いは、猛暑のなか無理もしただろう。だが、これだけ治療間隔が空いても肩凝り再発を見なかったということは、体の改善とともに生命力が強くなったことを示唆する。後は、ウォーキングをさらに伸ばして (最低でも30分) 、土台をさらに強化していくことである。9/9現在もウォーキングを増やすべく2回/週で通院中であり、ウォーキングは20分となっている。

ちなみにウォーキングをどれだけやるかは、僕の判断ではなく、患者さんの体に聞いて決めている。具体的には、脈診で行う。 >> 脈診で “体の声” を聞く

それにしても、10診目でウォーキングがまだ10分間というのは遅い方である。もともと生命力が弱った状態での初診であり、治しづらい肩凝りであったことが想像できる。それもそのはず、30年来の肩凝りである。

考察

僕のところは鍼は一本しか打たない (つらいところも打たない) し、マッサージもやらない。肩凝りの人にはこのうえなく不親切である。だからか、主訴が肩凝りという方は少ない。しかし、ぼくが最初に完治 (患者所感) させた病気は、肩凝りであった。 “若い頃から肩凝り性だったのに全く凝らなくなりました” と喜ばれた。来院の多くの方は、肩凝りよりも深刻な症状があり、それを治療しているうちに肩凝りも消えてしまっている…というパターンがほとんどである。

肩凝りは治るのである。

冒頭で「治らない」と言ったが、その差は何か? まず言えるのは、患部をさわるか、さわらないかである。僕の場合、患部は手でふれて確認するだけで、揉んだりはしない。実際、僕のところでは治せない肩凝りがある。マッサージを併用したり、ストレッチを止めなかったりする人である。他の鍼灸、吸玉もしかり。何もしないことが「当院で治る」ための条件である。

プロスポーツ選手なみに体を動かす人は、マッサージやストレッチをやってもグニャグニャにはならない。よって本ページでは、そういう人を対象としないことを前提として肩凝りの論を展開していることをご承知願いたい。一般の人はそこまで筋肉が強靭ではないのだ。

そのように、肩凝りの患者さんにはお伝えしている。治らないものは治らないと、あらかじめ伝えておく必要があるではないか。

あとは、患者さんのご自由にしていただく。
僕は僕のできるだけのことをするだけである。

坐骨神経痛が二人同時に良くなった理由
坐骨神経痛の中医学的な症例検討である。慢性化した坐骨神経痛が、ある養生指導で緩解した。結果としての痛みを取ろうとするのではなく、原因を取ろうとすることの大切さを思わせる症例である。

たとえばアトピー性皮膚炎は、掻きむしれば気持ちいい。だが、患部を痛めつければ「治る」と考えるのはおかしいだろう。いくら気持ちよくても、痛めつけるのはよくない。当たり前のことである。当たり前のこととして誰もが認識できるのは、目に見える皮膚の問題だからだ。引っかきすぎると傷だらけになるのが「見える」からである。

筋肉は、どれだけ痛めつけても目には見えない。

肩凝りが固くなるようにガンも固くなる。動脈硬化も固くなる。いずれも、つぶせば柔らかくなるのは明白、そして、それで治ると考えるのはおかしいことであることも明々白々である。ガンはますます広がり、血管はボロボロになってしまうという想像がつく。

手っ取り早く収めようとすると、すぐにボロが出る。

マッサージ・ストレッチだけでなく、強刺激で治そうとするならば、鍼灸であっても際限はない。もっと強い刺激を与えないと効かなくなる。太い鍼・電気鍼・雀啄なども、強くしていくといずれ頭打ちになる。そのころには筋肉は「グニャグニャ」になっている。若い頃、ぼくがイヤというほど見てきた光景である。

一つの真理がある。

今さえ良ければいいと考えて快楽にふけると、後が続かない。

アリとキリギリスである。

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