信とは… 脾が育てる生命力

「信愛」という言葉があります。これさえあれば家庭も世界も平和ですね。体にも良くないはずがありません。

信と愛は陰陽です。

信は理性、愛は感情です。理性と感情も陰陽です。

これを踏まえながら「信」とは何かを考えます。

▶信じる…とは?

▶信じてるだけ

「信」とは、言葉を信じることです。これが理知を育てます。

たとえば聖徳太子が593年に摂政になった。歴史の教科書に書いてある「言葉」を、素直に「信」じる。だから知識が増え、理性が養われます。

地球が回っているというのも、信じているのです。じっさいにこの目で見たわけでも、この手で触ったわけでもありません。誰かが言った言葉や、誰かが作った影像を信じているだけです。

こうしてみると分かるように、「自分の心」はさまざまな知識で構成されますが、「この目で見たこと」はほんのわずかで、そのほとんどが「誰かから教わった情報」の積み重なったものです。「自分の力」で発見発明できたことが、いくつあるでしょうか。

それら「情報」がおおむね正しいからこそ、それを使ってみんな仕事をして生活できているのです。ところが我々はすぐいい気になって、まるで自分は最初から知っていたかのように、自分で確かめて知識を得たかのように勘違いします。しかしその実は、他人から得た知識を大量に積み上げているに過ぎません。

これが信です。

▶感じてるだけ

大量に積み上げた知識は、まるで最初から自分の一部であったかのように体に染み付き、染み付いた知識は、「そうとしか思えない!」という感情となります。

つまり我々は、新しく得た「さまざまな知識」をつなげ合わせつつ、それを「原始的な心」の上に積み重ね、一体化させ巨大化させて、新たな「さまざまな感情」を生んでゆくのです。

「さまざまな知識」は正しい知識だけではありません。そこには、とうぜん誤った知識も混じってきます。そこから「誤った感情」が生まれてしまいます。たとえば「戦争をやっていい」という誤った知識があって、それをかたく信じて体と一体化すれば、「戦争をやるべきだ!」という感情を生みます。

言い切ってしまう人がいますね。これは感情的にものを言っています。

戦争をやるべきだ!
戦争は絶対にダメだ!

どちらも感情が上回ります。いい感情とわるい感情があるのですね。

どうせなら、いい感情 (愛) を持ちたい。そうすればストレスがありません。

▶信

信とは何か。

字源をたどりながら本来の意味を見ていきましょう。

▶信は誠

信.誠也.《説文解字》

信とは「誠」です。

誠とは、約束を必ず守ることです。「信頼」という言葉がありますね。

約束を守るには、相当な理性が必要です。しかも、これも「言葉」が関係します。約束は2人以上がいなければ成り立ちません。

信とは、自他 (2人以上) を必要とする概念です。

▶信は融合

歴史の教科書は、ウソ偽りのないことを約束して言葉を「発信」します。
生徒は、たとえそれが嘘偽りであったとしても、覚悟のうえでその言葉を「信」じます。

これが「信」であり「誠」です。いかなる「勉強」もこの範疇にあります。

「教科書を書いた人」と「生徒」、この2つが強く結びつき、融合しています。

融合、合成、同化です。

▶信=亻+言

信にも誠にも「言」という字がありますね。

信は「亻+言」です。「亻」は行為、「言」は言葉です。
誠は「言+成」です。「言葉」が嘘偽りなく「成就」する。

信の意味は「言」の意味から考える必要がありそうです。

▶言=辛+口

言は「辛+口」です。

▶辛は分断

「辛」とは剣のことです。刀剣の形をしているのが分かるでしょうか。

剣で切る。刃物で分断する。これが命を生みます。たとえば桃の実がなっている。それを刃物で切り落とす。すると桃の木は桃の木で生き、実は実で種から新たな命が生まれます。

分断することは命につながります。ダイコンを引き抜いて土と分断し、まな板で細かく分断し、口に入れて歯で細かく分断し、消化酵素でさらに細かい粒子に分断します。

細胞分裂も分断です。分娩も分断です。

分断、分解、異化です。

辛者、言萬物之新生。…辛、新也。《説文解字注》

【訳】辛は「万物の新生」をいう。辛は「新」である。

「信」は融合、「辛」は分断、陰陽であることが分かります。信のなかに辛がある。辛が信を生み出す。ここは深い部分です。

▶声 (口) を分断

言=「辛+口」は、口から出た声音を分断することです。

たとえばここに「声」があります。

動物も声 (なき声) は出せますが言葉にはなりません。

人間は「声」を分断します。たとえば声を「ア」と「イ」の2つに「分断」する。すると「ア・イ (愛) 」という言葉になります。声に命が宿るのです。

ただし分断は、殺傷とも紙一重です。「辛」の刀剣は、首を切り落とすという意味があります。

命を与え (陽) もするし、奪い (陰) もする。陰陽です。

それが「言」です。

日本では「言霊」といいます。新約聖書では「始めに言葉ありき」といいますね。

▶亻は行い

信の「亻」は、人間の行為や動作に関連します。つまり行動です。

たしかに、言葉だけでなく、行い (ふるまい) も「無言のメッセージ」ですね。

「動き」も「声」と同じです。動物は「動く物」です。しかし、人間はそれとはちがい、「行う者」です。ボールがコロコロと転がるのは「動き」で、連続的であり「考え」がありません。一つ一つ異なる「意味」を持つ動き、これが「行い」となり「考え」が表現されます。言葉と同じで、分断がありますね。

言葉と行動、2つ合わせて「言行」です。これが信です。

赤ちゃんは、母の「言行」をよく聞き、よく見ています。食物を食べて成長するかのように、言葉や行動を「吸収」して成長してゆくのですね。

▶信は伸

また、信は「伸」でもあります。

孟子曰。
今有无名之指屈而不,非疾痛害事也。
如有能之者,则不远秦楚之路,为指之不若人也。
指不若人,则知恶之。
心不若人,则不知恶,
此之谓不知类也。

《孟子・告子上》

【訳】
孟子曰く。
今、無名指 (薬指) が、曲がって伸びないとする。 痛くもないし (使わないので) 困るわけでもない。
もし、これを伸ばす事のできる医者があるとすれば、秦楚の道のりも遠しとせず治療に行くであろう。指が健常者のようではないことを気にするからである。
(目に見える) 指が、曲がって健常者のようでなければ、これを気にする。
(目に見えない) 心が、曲がって健常者のようでなければ、こっちは気にもしない。
これは、ものごとの理 (外見と内面で大切なのはどっちなのか) を知らぬのである。

「字形」は異なりますが、「語音」はどちらもshēnです。つまり語源は同じで、「伸びる」という意味で共通します。

伸とはスムーズさです。

言葉を素直に信じる。スムーズに受け入れる。
すると、知識が増える。理性が育つ。約束をまもる。誠意を貫く。信頼される。
すると、何事もスムーズに事が運ぶ。伸び伸びとスクスク育つ。

正しいことは何なのか。言葉によって知識を与える、得る。この作業は、誠意がないと成り立ちません。

信とは…。

言葉によって成長すること。

▶融合と分断、そして成長

信 (誠) には、2つのものが1つに「融合」する意味がありました。
言 (辛) には、1つのものが2つに「分断」する意味がありました。

融合と分断は陰陽です。しかも太極と陰陽そのものです。

言葉も、「ア」と「イ」の2つに分断し、「アイ (愛)」と1つに融合して命 (意味) が生じます。

分断することによって命が生まれる。
融合することによって命が育まれる。

分断と融合を永遠に繰り返す。すると、
・人類は何十億もの数に分断し、それらがまた一つに融合する。
・母と胎児は2つに分断し、それらがまた一つのの家族として融合し、力を合わせる。
・受精卵から始まった細胞は分裂して、それらがまた一つの人体組織として融合する。
天人合一の視点から見ると、このようなことが言えます。

世界中の人類が一つになって力を合わせたならば、どれほどの威力を発揮するでしょう。

分断し融合することによって、この世界は、そしてこの体は、より巨大で高等なものに成長していく。我々はそのために生まれてきたのかもしれません。

言を生み、信で一つになり、 伸で成長する。

健康はその過程に付随するものに過ぎません。

▶信から愛へ

伸び伸びと正しく育つ。それには環境が大きく影響します。

野生児、いわゆる“狼に育てられた少女” でも言われるように、人間らしい教育を受けてないと、二足歩行もできず、しゃべることもできず、情緒にも乏しいと言われます。

感情すら、他人から学ぶこと (信) で得られる要素があるのでしょう。信がなければ愛 (普遍愛) を持つことすら叶わないのです。普遍愛とは “人間らしさ” です。自分の子供だけを愛するのは自己愛 (本能的母性) で、動物でもできることです。

信は、愛すら生むのですね。

赤を基調に描く画家は、何十種類もの赤の種類を表す言葉を持っています。言葉の数だけ思考が豊かで深いのです。「信」がある。だから人間は動物よりも賢い。

そしてえらい。徳がある。これは「愛」という思考があるからです。

▶母の影響力

▶初めての意志

人間が最初に出会う人は母親でしょう。

母は「マンマ (ママ) 」であり「ごはん」です。それを吸収して身につける。そして口をmogmogする動きから漏れ出る語音 (マンマ) を、言葉として吸収し身につける。マンマ (ママ) は世界共通語で、乳児が最初にしゃべる言葉であると言われます。

人間にとっての始めての自主性 (意志) とは、オッパイを吸うことです。それ以前に、受精卵が着床して初めて得るのは後天の元気 (脾気) ですね。

人間にとっての初めての社会組織が家族であるならば、人間にとっての初めての社会的行動とは、母 (および父) とともに囲む食事であり、ここから社会の一員としての立ち居ふるまいを学びます。母から教えられたことを身に着け、また自主性 (意志) をもって母に質問して新しい知識を身に着けようとします。

母から発せられた母乳を「食」し、消化吸収して体力を身につける。
母から発せられた言行を「信」じ、消化吸収して知識を身につける。

▶信は意志

東洋医学では、知識のことを「意」といいます。意は五神の一つで、脾の主管とされます。

幼少期はドンドン経験・情報を脾で摂取して知識・見識 (意) を増やします。
成熟すればそれが腎で堅められ信念 (志) が生じます。
こうして「知識」は、最終的には「信念」となります。知識も信念も「信」です。

2つ合わせて「意志」です。意志とは自主性です。やる気です。「信」 (=誠) はこういうものをも包括します。信念も誠実も「自主性」そのものですね。いかにこれを養うか…は子供にとっても大人にとっても大きな課題です。自主性の元は、脾であると言っても過言ではありません。

・未熟期の信…知識 (意)
・完成期の信…信念 (志)

よって初期の未熟な「信」は脾が主管すると言えます。いくつになっても新しい知識を吸収する必要がありますが、その原動力は脾です。素直に受け入れることがどれほど大切なことか。そのためにも脾という「受け皿」を大きくすることが大切です。

脾といえば食物の消化吸収をイメージしますが、情報の消化吸収も脾であると考えると分かりやすいと思います。消化吸収して、筋肉をつけるかのように知識をつけ、成長するのですね。

母の言葉に「信」 (誠) があれば、それを与えられた分だけ子供はスクスクと伸び、正しく成長することでしょう。脾は幼少期 (成長期) の「からだ」と「こころ」を成長させる原動力です。幼少期は、おもに脾によって生きているのです。

▶親との関係がよくない

▶アダルトチルドレン

ところが、です。

親と子の関係が良くないことがあります。

「親に気を使う」「一緒に住むのは考えられない」という人がいかに多いか…。

育つ環境に問題があると思います。個人的には「裏の畑」がなくなったことが大きいと考えています。自らの手で食物をつくらなくなったのは最近のことです。裏の畑はおもに母の仕事でした。

生きるということは、食材 (穀物と野菜) を育て、食し、消化吸収し、体をつくる細胞の一つ一つに栄養を送り届けて体を動かし、老廃物を排泄することです。そしてこれは、脾そのものです。「食材を育てる」という「脾の原動力」が、現代社会では失われています。土 (脾) は稼穡です。

母のつくる「良い食材」とは、「良い情報」に相当します。
良い情報とは、母の「良い言行」のこと、つまり「信」 (=誠) です。

これら「良い食材」「良い情報」が母から得られない家庭で育つ…。

アダルトチルドレンと総称していいと思いますが、皆のきなみ脾が非常に弱いですね。様々な情報を「泌別」して…つまり仕分けして、不必要な情報は排泄し、必要な情報は素直に吸収する (信じる) ことも苦手ですね。これは脾という「受け皿」が小さいからです。すぐに消化不良を起こしてしまう。

結果として、ストレスの処理が苦手です。

▶捨てること、力をつけること

追い詰められた局面は、どんな人でも経験があると思います。

それがどんな状況であるのか、環境は人それぞれなので、ぼくには分かりません。

しかし一つ言えることは、ストレスは「荷物」で、それを人が背負うという構図です。荷物の中身は「大切なもの」「栄養になるもの」ばかりです。

解決策は2つです。

① 荷物が重すぎるなら、減らすのは選択肢の一つです。船も釣った魚が多すぎると、魚の重みで沈んでしまいます。魚を捨てて命を拾うべき局面があります。しかし、魚を「おしい」と執着してしまうと、これができません。こだわりです。脾の「思」が太過になると執着になります。
これは「食べ過ぎなら食べる量を減らす」ことと同じです。食べることは「大切なもの」「栄養になるもの」ですが、食べ過ぎは脾を弱らせ、脾が弱ると肝が高ぶってストレスを感じやすくなります。よって、必要ならそうすべきです。しかし欲が邪魔してなかなかできませんね。

② また、背負う人が力持ちになる (脾を強くする) というのも解決方法の一つです。重荷が10kgだったら、赤ちゃんには重すぎる。でも相撲取りには屁でもありません。船を大きくすれば、魚を捨てなくても安全に航行する事ができます。そうなるには「信」を強くして「脾」を大きくすることです。
これは「食べる量を変えずに食べすぎを解決する」ことと同じです。体を動かしたり体を大きくしたりすれば、今まで食べすぎであった量がそうではなくなりますね。

脾を強くすることで、
①ストレス自体を軽くすること、
②ストレスを屁とも思わなくなること、
この両方が一度に調整できることが分かります。

また、
①食べる量を少し減らす。腹八分目で間食を減らす。
②適度に体を動かし、新陳代謝を促進する。
この両方で脾を強くすることができます。

▶今日から変われる

▶感情なんか相手にしない

しかし、こういうことがやりたくてもできない。

そういう要素をはらむ「アダルトチルドレン」の問題に、ぼくは10年以上に渡って真剣に取り組みました。患者さんが治癒しにくい場合、それに当てはまる事が少なくないからです。

アダルトチルドレン的な要素がどこまで影響しているかの分析は非常に大切です。その分析によって現症の重度がどの程度かの察しがつきます。ここにこの概念を勉強する価値があります。

ただし、「親」という原因を解決することは至難です。たとえ親であっても他人だからです。他人はコントロールができません。コントロール不可能な原因、そういうものは相手にしても仕方ありません。

愛も感情です。「魚 (執着) 」が捨てられないのも感情です。食物の量が減らせないのも感情です。こういうものが原因であったとしても、それは相手にしない。

▶信は上書きできる

感情は制御できませんが、知識なら今すぐにでも変えられます。

友達の山田さんが結婚して鈴木さんに変わった。ならば「鈴木さん」という情報を信じ、知識を上書きすればいい。でも最初は山田さんと思えてしまいますね。言い間違えることもあるでしょう。しかし合うたびに「鈴木さん」だと上書きしていれば、いずれ「鈴木さん」としか思えなくなります。

「上書き」は知識です。「思える」は感情です。

知識は感情すら変えるのです。悪い感情は放っておいても、知識がつくに従っていずれ良い感情に変わるのです。

知識は変えられます。これが信です。信はコントロールが可能です。

▶信が感情を変える

「魚 (執着) 」を捨てたほうが得であるという信、食物の量を減らしたほうが得だという信、こういう「信」を得るために、毎朝毎晩、ひまさえあれば知識を上書きする。パソコンの上書きなら一度やれば消えることはありませんが、知識の上書きはすぐに文字化けします。だから、つねに赤で、太字で、上書きし続けるのです。そうすれば「感情」は、それに沿ったものに変わってきます。

寝ても覚めても、忘れないように意識しつづける。肝心なところに神経質であれば、どうでもいいことを忘れることができます。

そうです。たとえ親であっても「人を憎む」というのは誤っている。

憎むのは良くない。悪いことだ。損なことだ。それを上書きし続ける。「知識」として持っておく。理性で理解する。これは「信」です。そして、それで十分です。憎いという感情? そんなものは放っておけばいい。暴れさせておけばいい。感情はコントロールできないからです。

信が確かであれば、それが確信であるならば、いずれ荒ぶる感情は凪いでいきます。信は愛をも育てるからです。

感情 (肝) が穏やかになれば、脾は「豊かな土」としての姿を取り戻すでしょう。肝と脾の関係を参考にしてください。豊かな土は「大きな受け皿」です。あらゆるものを包容する。

▶「なるほど」と「やってみよう」

臨床でぼくは患者さんに「なぜこういう病気になったか」という説明をくわしまします。相手に伝わるように、ていねいに例えをまじえながら説明します。

その説明に「なるほど」と思った瞬間、じつは「信」が生まれているのです。つまり「意」が育った。これは脾が強く大きくなったということです。

さらに「よし、それなら自分のできる範囲でやってみよう」と患者さんが思った瞬間、「信」が完成します。すでに、今まではなかった感情が生まれています。つまり「志」が育った。これは腎が強く大きくなったということです。

意と志、あわせて「意思」です。自主性です。

良くならないわけがありませんね。それら症例の一部を挙げておきます。参考にしてください。

▶分厚い土、分厚い信

解決可能な原因を考える。

解決不可能な原因は相手にしない。

親から受けた心のダメージ…。

そのダメージ、つまりトゲトゲはそのままに、それを包み込む「からだ」を強く大きく、ふわふわのクッションのように分厚くする。「からだ」が薄っぺらいからトゲトゲが骨身にこたえる。たとえトゲトゲが消えなくても、「からだ」が分厚ければ、包み込んで目立たなくしてくれる。

これが最短最上の解決になるのではないか…と考えています。

「からだ」とは、糞尿ですら嫌がらず受け止めてそれを肥料に変えてしまいさえする「土」のことです。土とは脾のことです。受け皿のことです。分厚い土にするのです。薄っぺらい土…たとえば植木鉢の土では、糞尿を受け止める力がありません。

これは先程の「荷物」を受け止める力と同じものです。

脾を強くするには。
・腹八分目で間食をひかえ、適度な運動を心がける。
・知識を持つ。たとえば、他人を憎むのは「損なことだ」という知識。それを強い「信」 (確信) にまで高める。
このようにまとめます。

▶信を正す、愛を正す

信とは誠です。理性が強い、理知が高い。こういう人はだまさないし、だまされません。誠があれば欲とは無縁、欲がなければだまされません。

信は理知的、愛は感情的です。

ただ信じればいい、約束はただ守ればいい… というばかりではありません。時にはそれを履行しないことが真実になることもあります。信を補佐するのは「愛」です。たとえば軍兵が、独裁者の司令に忠誠 (信) を尽くさず、攻め込んだ敵国の苦しむ人を助ける。愛によって信が軌道修正されるのです。愛が理性を育てるのですね。

逆に、信によって「愛」が軌道修正されることもあります。愛を補佐するのは「信」です。誤った愛国的感情に操られてしまっている独裁者が、信 (誠実さ) を正しく取り戻し、自国愛ではなく、世界愛 (普遍愛) を目指す方向に変わる、などです。

「信」は誤った愛を正す。
「愛」は誤った信を正す。

親といえども人間です。誤った愛で育ててしまうこともある。人に過ちはつきものです。
子は大人になっても親に甘える気持ちがあります。恋しく愛しく思う。だからこそ憎い。

そのためにも「信」を養うことが大切です。

親は信を養う。
子は信を養う。

それぞれに。

「愛」を正しくするために。

「親」とは「他人」のことでもあります。人です。人に甘えるから憎しみが起こる。動物にケガさせられても憎しみは起こりません。

▶まとめ

信は「亻」と「言」 。にんべんは「行」でした。
「行」と「言」。

信は “ 訫 ” とも書きます。
「言」と「心」。

信は「誠」であり、「伸」に通じましたね。
「誠」と「伸」。

言。行。そして心。
口。 手足 (四肢) 。そして意。…すべて脾の主 (つかさど) るところ。

愛ある教えとウソ偽りのない学問を受け止め、それによって育った知性 (意) 、すなわち「心」。
その「心」からの「言葉」と「行動」、ウソ偽りがない。

それが「誠」であり、その誠をもってすれば、たとえ一時的に壁にぶつかろうとも、すくすくと「伸」びやかに成長する。それは自分自身の成長でもあり、我が子の成長でもあり、パートナーや両親や隣人の成長でもある。

漢字と、それに支えられた東洋医学。

その根底に脈打つ東洋思想は、このように教えてくれているのではないでしょうか。

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