夏の養生… 蕃秀 (ばんしゅう) とは

夏は蕃秀 (ばんしゅう) 、これは《素問・四氣調神大論》の言葉です。蕃秀とはsparklingです。飛躍です。夏は飛躍の季節、この意味をよくつかみ、体現できるならば、養生の成果が大きく飛躍する。字源と臨床から古代中国人の発想を考えます。

▶蕃秀とは

夏は “蕃秀” の季節である。ここでいう夏つつとは、立夏 (5月5日ごろ) から立秋 (8月7日ごろ) 前日までをいう。

以下に、《素問・四氣調神大論02》に示された夏季の過ごし方を訳しながら、 “蕃秀” について考察してみよう。

夏三月.此謂蕃秀.天地氣交.萬物華實.

【訳】夏の3ヶ月間は、蕃秀という。冬は地 (根) に集まっていた気が天 (葉先) にまで達し、天地が大きく循環する。万物が華 (光輝・色彩・精華) に満ちている。

▶蕃の字源・字義

まず「蕃」の説明である。

「蕃」は「艹 + 番」である。
「番」とは「播 (ま) く」である。音読みでは、日本語で「ハ」、中国語で「bō」と発音する。ガンの腹膜播種 (ふくまくはしゅ:ガンが腹腔内に散らばる) が、よく聞く言葉だろうか。

手に握った種を、スナップを効かせて「バッ (bō) 」と播く様子、種が八方に広がる様子をイメージする。

ゴッホ;種まく人

・手を翻しスナップで「バッ」と
・勢いよく
・四方八方 (円形) に
・種 (生命力) が広がる

「円形が広がる」は「球形が大きくなる」に転義する。球形の風船が、一度にバッと膨らむイメージをすればよい。

このような変化 (番) が、植物 (艹) で起こる様子が「蕃」である。葉を落とし佇 (たたず) んでいた樹木が、一度に葉を茂らせ、生命力あふれる勢いで、モコモコでまんまるに「バッ」と大きくなる。

もこもこの木

画像は、丸くもこもこでバッと大きくなった樹木である。これが蕃のイメージである。下段の (資料) 番の字源・語源 も参考にしていただきたい。

▶秀の字源・字義

次は「秀」である。

「秀」は「禾+乃」である。
「禾」とは「稲」である。
「乃」は、「たわわ」である。丸く膨らんで、垂れ下がる姿である。

イネという植物から、穂が飛び出す。 “抜きん出る” “突出する” “飛び抜けている” というイメージから、 “他よりもすぐれる” という意味に変化する。

「乃」は「奶」であるという説もある。奶とは乳汁である。

抜け出した稲穂は、「乳汁に匹敵する滋養」を含みつつ、たたわにプックリと膨らんで垂れ下がる。

生命力が、あふれんばかりに飛び抜け、飛び出す!

それが「秀」である。

▶夏の生活

夜臥早起.無厭於日.

【訳】暗くなったら就寝し、明るくなったら起床する。照りつける太陽のもと、飽き足りることなく体を動かす。

▶早寝早起き

「夜」とは暗い時間帯のことである。

夏の夜は冬の夜に比べて2時間くらい早く訪れ、2時間くらい早く明ける。あわせて4時間くらい、冬よりも就寝が遅く起床が早くなる。これが自然だ。

“夜は遅く寝て、朝は早く起きる” という訳を見かけるが、これは「夜ふかしをしてよい」と誤解されやすい表現だ。臨床的には冬であっても夏であっても夜ふかしは良くない。ただし夏のほうが暗くなるのが遅い分、寝るのは自然と遅くなる。それだけの違いである。

陽を発散して、陽の守備範囲を大きくするのが、この時期の「飛躍」である。樹木の「もっこり」が一回り大きくなるのと同じだ。

そして、陽を大きくするにはそれに見合う陰がないといけない。だから暗くなったらできるだけ早めに床につくのである。

睡眠 (陰) の大切さである。

▶適度な運動と汗

夏の強い日差しを浴びることができるのは、この時期だけだ。古代中国は農耕社会なので、「無厭於日」は、農作業を強く意識していい。日差しのもとで飽 (あ) きたらず体を動かし、汗を発散させる

こうすることによって、前出の “天地氣交” ができる。

体を動かさないと「滞り」ができる。フィジカル (体調) のつらさはこれが原因である。滞りとは「片寄り」である。これがあると片寄ったメンタル (考え方) になってしまう。体を動かすと、グルグル循環する。たとえば味噌汁をつくる。お湯を沸かして、味噌の塊を入れる。しかしこのままでは美味しくない。お湯の部分は、味 (正気) が薄くておいしくない。味噌の部分は、味 (邪気) が濃すぎておいしくない。しかしグルグル混ぜれば、どこもかしこも美味しくなる。

体を動かすと、全体が良くなるのだ。

体を動かし、 “天地氣交” つまり、正気が天 (皮膚) にまで達すると、その結果として、勢い余って汗 (正気) が出る。これは正気が皮膚に達した証しであり、その途中に居座っていた邪気を押し出した証しでもある。相撲取りが、相手を押し出すと、勢い余って自分も土俵外に出てしまうのと同じだ。

だから、単に汗を出せばいいというものではない。体を動かした結果としての汗が重要である。暑さで体を動かす元気 (正気) もないのに、無理に汗 (正気) を出すと気虚をおこして夏バテなどを起こすことがある。ここは注意点である。

▶厭の字源・字義

厭は「圧 (壓) 」の古字である。厭 (厌) と壓 (压) である。よって「厭」の本義は「圧迫」である。胃袋の中がいっぱいで圧迫する… とイメージすると分かりやすい。

そこから「満足」→「飽きる」→「いやになる」と意義展開する。

厭は「厂+猒」である。
「猒」は「口+肉+犬」である。肉をたらふく食べる様子を示すという説がある。
「厂」は「崖」のことで、崖がくずれて土が覆いかぶさり圧を加える…という意味がある。

▶外に向かって花開く

使志無怒.使華英成秀.使氣得泄.

【訳】志をして無怒ならしめ、華英 (彩りに輝く花) をして秀 (秀逸で抜きん出る様子) 成らしめ、気をして泄を得さしむ。

▶怒は出口がない

英とは「花」である。華 (いろどり) にかがやく英 (はなぶさ) を惜しむことなくさらけ出し、外に気を発散させる。

気とは志 (こころざし) のことである。夏季はそもそも志が外へと向かう。正しいルートで外に向かえば「華英」となるが、誤ったルートで外に向かえば「怒り」となる。

志を誤った方向 (怒) に行かせない。

「無怒」であれば、気はまっすぐに正しい方向に発散させることができる。すなわち正規のルートを通って正気の出口から「外泄する」 (外に出る) ことができるのである。「怒」があれば、気は外に出ようとはするが、それは間違った方向なので出口はなく、壁にぶつかって鬱してしまう。

肝火上炎で考えるといい。暑いと怒りっぽくなることがある。これは、暑さで熱をもちやすく、肝火を助長しやすいからだ。そのうえ志が誤った方向に行くと、その火に油を注ぐことになる。肝火は上に昇って外泄しようとするが、それはできない。

よって、些細なことに怒りが爆発し、体も人間関係も悪くしてしまう。いい結果にはならないのだ。

▶因果応報

しかし、腹を立てるなといっても、立つときは立つ。どうすればいいだろう。

そもそも「志」とは自主性のことである。

腹が立つこと (怒) が起こるのは、自分がしたことの結果である。すべて自分の播いた「種」であり、自分の刈り取る「結果」である。であるならば、我々は「良い種 (米や野菜の種) 」を播き、「悪い種 (雑草の種) 」を播くべきではない。

播いたときは何も起こらないが、しばらくすると芽が出て、数ヶ月もすれば大きくなる。そのとき、良い種ならば収穫 (うれしいこと) が得られるが、悪い種なら刈り取る手間 (つらいこと) が増えるだけである。

播いたのはかなり前なので、結果とつなげて考えにくいが、原因は忘れ去られた過去に作っている。そう考えれば何も腹が立たない。腹が立たないのは人のせいにしないからである。自主性があるからである。自主性が無いと人のせいにしてしまう。

人から頭を叩かれると腹が立つが、自分で叩くのはいっこうに腹が立たない。

くだらないことで腹を立てるのは、損なことだ。

こういう考え方を、知識として持つ。この知識を持っていると、得にはなっても損にはならない。だから信じて、知識として頭に上書きしてよい。文字化けする前に、何度も上書きしていると、知識はやがて確信 (志) として育つ。

そうありたいものである。

▶天地に楽しみを

若所愛在外.此夏氣之應.養長之道也.

【訳】このようにして、喜びの向かうところが外にあるごとくにする。これが夏の気に応じた心身のありようであり、生長収蔵の「長」を養う道である。

家の中に閉じこもっているのが好きだ、ではなく、外に楽しみがある…というのがこの時期の健全なメンタルである。

古代中国人にとっての「外」とは、現代文明の商業施設や観光施設ではないだろう。

大自然とともにある天の風光である。
喜々として従事する地の農耕である。

“愛するところ外にあるがごとく” とは、
自然に息づく山河草木、田園で育てる愛しい命
こういうものに誘 (いざな) われるように、家の外におもむくことである。

逆之則傷心.秋爲痎瘧.奉收者少.冬至重病.

【訳】これに逆らえば心を傷 (やぶ) り、秋に瘧 (おこり) に代表されるような「寒熱が調整できない状態」となる。生長収蔵のうち、秋は「収」の状態であるべきだが、夏に夏らしくできないと「収」を受け取ることが困難になる。冬になると重ねて重くなる。

以上、《素問・四氣調神大論02》より。

▶まとめ

・早寝早起き。日没後はできるだけ早く寝て、日の出とともに起きる。
・何事も自分がまいた種、ものは取りよう。
・太陽をいとわず外で「楽しく」体を動かす。「気持ちの良い」汗を流す。家庭菜園・ウォーキングなど、もっともよい。

一度に “バッ” と広がる若葉によって、冬の枯れ木は一度に大きくなる。これが蕃秀である。
人間も、一度に “バッ” と体が強くなる。勢いが盛んになる。健康になる。そういう可能性を秘めた季節である。

スナップがきく。一気に飛び散るかのように。

汗が飛び散る。

飛躍。

バン! …蕃!

シャンパン (sparkling wine) が飛び出す。
※sparkle… 火の粉、閃光、(宝石などの)きらめき、光沢、(才気などの)きらめき、光彩、活気、(ぶどう酒などの)泡立ち。 (Weblio英和辞書より)

sparkling! … これが蕃秀である。

ただし、冬・春と正しい養生ができていれば、それに次ぐ夏の養生ができれば、の話である。

無理は禁物、これは四季に関わらず「絶対法則」である。

▶ (資料) 番の字源・語源

「番」の字源は諸説あるが、《説文解字》では獣の足の裏の象形であるとしている。

《説文解字注》の方が分かりやすいので、そちらを引用する。

番。獸足謂之番。从釆、田象其掌。下象掌。上象指爪。是為象形。
《説文解字注》

【訳】番は獣の足のことである。「釆」からなる。「田」は掌に象る。「釆」は爪、「田」は足の裏の掌のことである。

また《説文解字注》では、番は播に通じることを説明している。

按播以番为声。此屈赋假番为播也。
《説文解字注》

【訳】按ずるに、播は番 (bō) をもって声となす。これ屈して仮借を番に賦与し、播 (bō) をなす。

動物の前足の足の裏から、人間の手のひらに転義があったと考える。

例えば獣が走る際、足 (特に前足) が、力強く地面を掻いてから翻る。地面を掻くときはパッと爪が出たり、蹄が効いたりする。

動物がパッと前足の掌を返す動作と、種を播くときの手の動作が似ている。手のひらに握った種を、パッと翻らせて、瞬間に指 (爪) を広げて播く。

これが番の字源である。

実際に、番はどういう使われ方をしているのか。以下に用例を見ていこう。

▶大きく広がる

  • 「種を播く」というイメージから、「番 (bō)」は円形に生命力 (種・国土) が広がる様子でもある。
    天道寿寿.番于下土.施于九州.《黃帝四経・十大経・三禁》
    【訳】天道 (日輪) は久遠で、大地に光輝を播き、九州 (国土全体のこと。円形であるとされる) をあまねく照らす。
  • 円形に広がる。そこから転じて、「番 (fán)」は、四方にめぐらせるフェンスである。国土が広がるイメージとも重なり、「藩」にその意味が反映される。
    抗折.其䫉(貌)以象槾茨番閼也.《荀子・礼論》
    【訳】抗折 (ひつぎ) の姿は、まるで茨でできた番閼 (垣根) のようで、棺のなかに土が入らないように強力にせき止めた。
  • 円形が球形に意義展開する。球形が大きくなる。そこから転じて、「番 (fán)」は、植物が繁茂することである。この意味で特化した文字が「蕃」である。もっこりもこもこに茂る。幹から枝葉が別れるように、子孫が反映するという意味にもなる。
    草木番茂.《無極山碑》
    【訳】草木が繁茂する。
    子子孫孫,永永番 (fán) 昌。《白石神君碑》
    【訳】子々孫々に至るまで、永遠に繁栄し昌 (さかん) である。
  • 球形のオーラが大きくなる。そこから転じて、「番 (bō)」は、意気盛んで武勇に満ちた様子である。
    申伯番番.既入于謝.《詩経・大雅 >> 崧高》
    【訳】申伯は勇ましく謝 (地名) に入った。
  • その他、「燔 (fán) 」 (焼く・あぶる) は火が盛んで、球形に大きくなる様子がイメージされる。「気営両燔」など中医学用語にも見られる。気血両燔とは、気分の火熱が営分にまで範囲を広げたものである。

▶ひるがえる

  • 「番 (fān) 」には「ひるがえる」という意味がある。「種を播く」「獣が走るときの足の動き」は、翻 (ひるがえ) すことである。
    翻訳。翻意。
  • ひるがえる。表になったり裏になったりする。そこから転じて、かわるがわる行う。「番 (fān) 」は、交代で仕事をすることである。順番・交番・当番・持ち番。
  • 「持ち番で仕事をする」意味に、「円形に範囲を広げる」意味を加え、監視の目を広げる。「番」は、見張りをすることである。番人・店番・留守番。
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