ストレスと滑液包炎… たった1mmの成長こそが「健康」

60歳。女性。

2019年初診、右膝関節痛があったが、治療を始めてまもなく治癒し、以来、2週間に1度のペースでメンテナンス的に治療を行っている。

電話があり、右足関節痛を訴える。予約日を待たず急きょ来院してもらう。

診察

【主訴】右足関節痛。歩くと痛い。関節に水がたまっている。

「右足ですか」

「はい、クルブシなんですけどね。歩くと痛いんですよ。足を付く時に痛いんです。」

足関節 (外果部) の滑液包炎・滑液包水腫である。滑液包とは内部に水 (滑液) の入った水枕のようなもので、骨と腱が直接こすれ合わないようにするクッションの役割がある。通常はきれいな滑液が少量みたれているが、ここに炎症を起こすと、滑液の出入りが悪くなって滑液包に濁った滑液がたまり晴れて痛みを生じることがある。本症例では外果部皮下滑液包に炎症と水腫が起こっていた。

「いつからですか?」

「おとといからです。」

「思い当たるフシは?」

「いやー、特にないんですよ。」

ケガではなさそうだ。なんで起こったのかな。よく分からないときは背候診 (背中のツボの診察) である。督脈 (背骨) にそって手をかざし上下に動かす。すると、中枢 (十椎下) に実 (熱) の反応がある。

中枢の反応は、急性のストレス、しかも患者自身にもストレスがあると感じにくい「深いストレス」である。この反応があるときは、ここ数日の間で症状の出現や悪化が見られることが特徴である。蠡溝も同時に反応する。

中枢に手をかざしながら、

「この足の痛み、ストレスが原因です。でもたぶん、ストレスなんて感じてないと思うんです。」

「ええ、そうですね…。ストレスかあ、何やろ。」

「でも、それでも原因がストレスだって言われたら、何が思い浮かびますか? 最初に思い浮かぶものです。」

「娘のことですかね。就職して一人暮らししてた子がいるんですけど、辞めて家に帰ってきてるんです。で、地元で探してるんですけど、こないだ試験受けたんですけど落ちてしまって…。」

「それですね。今、その話を始めた途端にツボの悪い反応が取れました。ツボの悪い反応が取れたということは、体が良くなったんです。」

「へえ、そうですか。」

向き合えば自然に片付く

「なぜ体が良くなるんでしょうね? 娘さんの問題が解決したわけでもないのにね?」

「さあ、なんででしょう…。」

ストレスに向き合ったからである。たとえば隣の部屋が散らかっているとする。それに向き合うことがなければ、片付くことはありえない。扉を開けて中を覗いてみる。するとその瞬間、手前に転がっているゴミに目が行く。こんなのはもう捨ててもいいやつである。だから捨てる。

これで一歩前進したのである。100あるゴミがすべて片付かなくてもいい。100のうちの1つでも片付けば、それは前進である。「成長」したのである。

ストレスが全部なくなってしまわなくても、ストレスは解決するのである。

1mm成長すれば、それが健康

成長とは、苗を植えて次の日にそれが大木になることではない。そんな不自然なことはありえないし、あったとしてもそんな木で作った柱は、ネギのようにすぐに折れてしまうだろう。成長とは、毎日たった1mmでも伸びることである。これが自然な姿だ。

実は、この1mmが大きい。1mm伸びているからこそ、植物は生命力に満ちて輝き、生き生きしているのである。この1mmがなければどうなるか。枯れてしまう。成長をやめた植物は枯れるのである。人間も同じである。ほんの少しの成長があれば、ほんの少しの前進があれば、完璧に程遠くとも、その時点で生き生きとした健康が得られる。完璧でなければ健康にならないと考えるのは大きなまちがいである。

大きな杉の大木があるとする。
小さな杉の苗木があるとする。
大きくとも小さくとも、どちらも立派な杉である。
何メートルにならなければ杉ではない… などという理屈はない。
完璧な杉など、どこにも存在しないのだ。
ただし、一つだけ杉であるための条件がある。
1mmでも成長し続けることである。
屋久島の縄文杉であろうが、幼い杉の苗木であろうが、おなじ1mmの成長がある。
そして、それが生き生きとした姿である。自然な姿である。
縄文杉が「おれは完璧だから成長の必要はもうない」と考えたらどうなるか。
成長がなければ枯れ木となる。

砂漠に木の苗を植えたら、翌朝にはジャングルになっていた…なんてことはない。森は千年かけて育つのである。

少しの成長にこそ価値がある。これは大自然の法則である。

成長しつつある子どもの眼はキラキラしている。成長しつつある患者さんも、体が生き生きしてくる。成長しつつある植物が生き生きしているのと同じ現象が起こる。

健康とは、「自然」である。

成長の上に、健康は乗っかる。

「今の気持ちでいい。これでちょうどよく向き合えています。この気持を忘れないでください。」

「分かりました。」

大切なものが見つかる

散らかっていても、向き合ってさえいれば片付いてゆく。
要らないゴミ (自力でコントロールできないもの) は捨てる (天にまかせる) 。
要るもの (自力でコントロールできるもの) は棚に片付ける (最善の努力を払う) 。
ストレスはつらい。つらいのは、散らかった中に「大切なもの」が混じっているからである。

捨てられるものを少しずつ捨てていけば、きっと大切にしまうべきものが見つかる。

当該患者の場合、大切なものとはまがいもなく「娘さん」である。

娘さんを純粋に愛する気持ち、それに出会うことができる。そこにストレスなどない。

決断力… 胆 (きも) が必要

捨てるものと片付けるものを仕分けする。

仕分けには「決断」が必要である。それが「胆」である。

胆者.中正之官.決断出焉.《素問・靈蘭祕典論08》

中枢の反応は、胆がストレスの重みで身動きがとれなくなったことを意味する。ここが犯されると、ストレスがあるかないかの「判断」さえ鈍るのだろう。だから本人はストレスを明確に意識できない。

邪熱と水邪のコラボ

患者さんご自身か原因となる部分に目を向けた。これで胆をより強化することができる。少陽胆経は経筋が百会に流注する。百会で気滞をとりながら胆を強化する。気滞がうまく取れれば、水邪 (関節に溜まった水) も取れるだろう。

私見であるが、少陽は陰陽の境界であり、水穀の精もまた陰陽に分化する境界である。少陽が病むと水邪が生じやすいのだ。また少陽は相火であり、これが病むと邪熱が生じやすい。邪熱が主となるガンにおいて腹水が生じやすい理由のヒントになる。

足少陽胆経は百会に流注する

百会に5番鍼。5分置鍼して抜鍼し治療を終える。

その後の経過

3日後、診察。

足の痛みは翌朝から完全になくなった。関節に溜まっていた水もなくなっている。治療から24時間を待たずに滑液包炎と滑液包水腫がおさまったのである。

「あれから、娘と話をしたんです。また試験は受けるけど、次も落ちるって思っといてって言われました^^」

「うん、そうですか。それでいい。すごくいい会話ができましたね。」

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