瘀血と痛み… 越えられない壁はない

▶瘀血が残る

診察すると、三陰交に実の反応がある。生理が始まれば虚になるのが通常である。生理はダムの放流のようなもので、生理前は満タンになるが、生理が始まるとほぼ同時に空っぽになる。

「生理がうまく出せてないみたいですね。瘀血の反応があります。その反応を取っておきますね。」

治療は、百会に5番鍼で平補平瀉。

▶再び瘀血が残る

4日後来院。

「前回治療してもらったら、すぐに生理の量が多くなって、普通の量になりました。ありがとうございました。」
「うん、それはよかった。でもね。いま診たら、また残ってるんですよ。もう生理はおわった?」
「はい、多分…。もう終わりだと思います。」
「今回も瘀血を取っておきますね。生理が終わっていても取れるから大丈夫です。」
「はい、お願いします。」

前回同様、三陰交の実が出ているのだ。生理が終わってから2〜3日は、実の反応が出ないのが正常である。

▶背中の痛み

「で、調子は? 」
「あの、ここ数日、左の背中が痛いんです。」
「どんな痛み? 重い系? 鋭い系? 」
「重くはないです。するどいのかなあ。寝てても痛くて落ち着かなくて…。」

背中を診る。背候診である。反応が膈兪を中心に直径10センチほどの範囲で出ている。ここが痛みの幹部だ。手を触れてよく見ると邪熱の反応である。膈兪は “血会” とも呼ばれ、ここに実の反応が出ていれば、瘀血を疑ってよい。しかも反応は邪熱である。当該患者はもともと邪熱があり、それがたまたま生理の時に悪さをして瘀血が下ることを邪魔したと考えられる。三陰交の反応と合わせるとそう推察できる。

太渕と列缺を診る。実邪がある。

▶蓋 (ふた) は成長の証し

この両穴 (太渕と列缺) は肺経に属する。肺は気を主 (つかさど) る。よって、ここに邪があるということは気滞があることを示す。

諸氣者皆屬於肺.<素問・五藏生成論 10>

【訳】もろもろの気はみな肺に属す。

また、肺は一番高いところにあるので、そこが滞ると考えることもできる。つまり高いところに蓋 (ふた) があり、それ以上伸びることができなくなるのだ。

五藏之應天者肺.肺者五藏六府之蓋也.《霊枢・九鍼論78》

【訳】五臓の天に対応するものは肺である。肺は五臓六腑の蓋 (ふた) なのだ。

▶一つ一つ壁を乗り越える

たとえば、会議でプレゼンをする。学会で発表する。仕事もしないといけないし、資料も作らないといけない。忙しい。他にやりたいこともあるのにできない。ああいやだ。

ここに壁 (蓋) がある。

しかしその壁は、幼い頃には思いもよらない壁で、遠く手の届かないところに元々あったものだ。そしていま、それが邪魔になるほどの近さとなった。これはすごいことである。こんなに近くになるほど、上に上に成長したのだ。

いまは上から蓋をされたようで不快だけれど、それは乗り越えられる壁で、だからこそ目の前にあるのである。そしてそれを乗り越えれば、上に上に、さらなる成長が待っている。一気の飛躍である。

乗り越えられる。だからここに壁がある。

そういう意味を踏まえて、以下の《素問・痿論44》を読むと、意味深く響いてくるのである。優れた文章は幾通りもの解釈が可能になるものである。

肺者藏之長也.爲心之蓋也.《素問・痿論44》

【訳】肺 (の気滞) は五臓 (五神と五志) が延長した結果である。心神の蓋として立ちはだかる。

ここまで来るまでに、いくつの壁を乗り越えてきたことだろう。生まれたときから、幾層にもそして等間隔に、超えるべきハードルは用意されていたのである。それを一つ一つクリアするのである。一気に全部飛び越えようとするのはよくない。そんな飛び方をすれば転倒して怪我をする。全部やろうとせず、一つ一つだ。

もし、なんの壁にも突き当たったことがない、なんの苦労もなしに来たのならば、それは成長していない証拠である。邪魔な蓋があると感じるのは、成長した「結果」として起こる現象だったのだ!

ちなみに「結果」とは結実であり形体であり実体である。つまり金性である。

▶その調子だぜ!

当該患者は太渕にも列欠にも反応がなかった。つまり、そういう壁がない。蓋がない。

これはどういうことかというと、「その調子だぜ!」なのである。

上に上に成長する過程で、いずれ壁にぶち当たる。それまでは、この調子なのである。次のハードルが見えるまではスムーズに走り抜け! いらざる差し出口をして邪魔してはいけない。立ち止まらせてはならない。ただ伸ばせばいい。

以上の考察は、肺の「蓋」の一つの側面であると考える。

・乗り越えられる壁 (=蓋) の所まで来たのか。
・壁はまだずっと先で、今は「その調子だぜ!」 なのか。

この二者択一に注目している。

直感ではやらない。穴処の反応で決める。それが東洋医学である。

気滞とは何か。気逆とは何か。気閉とは何か。それを考え続けた結果、得られた気づきである。春という疏泄 (そせつ) の季節にこれを得たのは偶然ではないだろう。

春三月.此謂發陳.天地倶生.萬物以榮.夜臥早起.廣歩於庭.被髮緩形.以使志生.生而勿殺.予而勿奪.賞而勿罰.此春氣之應.養生之道也.
《素問・四氣調神大論02》

【訳】春の3ヶ月、これを発陳という。天地はともに生まれ、万物は一斉に栄える。夜に臥し早く起き、庭を広く散歩し、固く結った髪を緩め、そして志を生じさせる。生かして殺すなかれ。与えて奪うなかれ。賞めて罰するなかれ。これが春気に応じたやり方で、養生の道である。

▶言葉を与え、鍼を打つ

「背中の痛みは瘀血が原因です。取っておきましょう。僕の仕事です。〇〇さんはね、今やっていただいている努力ありますね。食べすぎない・夜ふかししない。これはね、この調子ですよ。この調子で行きましょう! 」

言葉をかけつつ望診する。気が下がった。気色が浮いた。

三陰交は? 反応が消えた。
うつ伏せで左膈兪を診る。反応が消えた。

「はい、あおむけになって。 今、やっぱり背中は痛いですよね? 」
「なんか… さっきまで痛かったんですけど… あれ? マシな気が…」
「うん、いま体を診てね、瘀血の反応が消えてたので、お伺いしたんです。マシになってても全然おかしくないですよ。」
「もう気にならないです。不思議ですね…」

痛みが取れてから鍼をすることになった ^^;
治療は関元。2番鍼で5分置鍼。抜鍼後10分休憩させる。今の落ち着いた状態を、より安定させる。

治療とは、簡単に効くやり方であればあるほど、より正しいやり方に近くなる。鍼をしなくても効くやり方があればそれに越したことはない。しかし僕の場合、それにたどり着くには鍼が必要なことだけは確かである。

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