主訴
48才。女性。
●3年前からめまい・動悸・ホットフラッシュ (カーッとくるのぼせ・顔のほてり) が続いている。年々強くなってきている。
※4日前に強度のめまい。グルングルン回る。初めて経験する激しさ。
●前額痛・背部痛 (第11胸骨周辺) で目が覚める。2~3年前から時々あったが、ここ2週間は毎晩続いている。
●項の凝り。30代からあるが、年々つらくなって、ここ3年ほどはとてもつらい。
既往歴
●物心ついたときから強度の乗り物酔い。修学旅行に行けないほど。≫そもそも、上に気が昇ると頭でっかちの建物のように左右に不安定になるが、乗り物に乗ると逆に、左右の不安定さによって気を上に昇らせてしまう。素体としてと下が弱く、その分、上が強くなっている。いわゆる気逆・陽亢が強い。下記の「病因病理の考察」を参照。
●7・8才のころ、中耳炎を頻発。≫素体として上に熱をもちやすい。
その他
●ストレスで過食になる傾向がある。特に甘いもの。≫甘いものは緊張を一瞬ゆるめる。
●ストレスで痰がからむ。≫陽亢が起こる際に体液を蒸乾かし、湿熱が起こる。
●口の中が乾燥する。粘る。≫湿熱。
望診
●鼻頭に湿熱がある。
●舌中~舌根部に黄膩苔。乾燥がきつい。≫湿熱によるもの。熱で乾燥している。
聞診
●安静にしていても呼吸音が鼻の奥で引っかかっている。≫痰湿がある。
触診・背候診
●左志室が虚。≫腎虚。陰虚。
●右肝兪が実。ただし沈んでいる。≫肝鬱気滞。ストレスによる緊張状態。
四肢要穴診
●両上巨虚が実 (左>右) 。≫湿熱がある。
●左豊隆が実。≫痰湿がある。豊隆は項に関係する。
●左厲兌が実で圧痛。≫夜の前額痛・項の凝りを示す。胃経の絡脈 (豊隆) が項に流注する。
●右至陰が虚で圧痛。≫項の凝りを示す。膀胱経は項に流注する。
腹診
●両章門の邪の絶対量が同等。≫左右の章門が揃うと治しにくい。治しにくいのは正邪が拮抗し陰陽が動きにくいから。正気・邪気は陰陽関係。この陰陽は、正気の優勢・邪気の劣勢という陰陽が本来の姿。もし、正気・邪気が拮抗すると、優・劣という陰陽がハッキリしない状態となる。この状態では正気を補うことも邪気を瀉すことも難しくなる。これは陰陽の境界がぼやけているから。境界をハッキリさせることが治療の主眼になる。
●両不容に湿熱。≫陰虚陽亢による熱と痰を示す。
●臍を中心とした空間診は右上。
脈診
●細弱。
●左右とも沈脈。≫陰分 (沈位) の不足により、陰分と陽分を分ける境界である中位の脈状が沈位にシフトしている。
●幅は中等度。純粋な実でもなく、純粋な虚でもない。≫いきなりの瀉法は不可だが、補って後の瀉法なら可。
その他所見
●頚に触れると丸太のように硬い。≫硬さを表現しているということは、逆に取りやすいともいえる。異常なまでの首の硬さが本症例の様々な症状のつらさを象徴している。これが緩むことが体調の回復には必須。ただし、首をもんだり刺したりして緩めてはならない。それをやってしまうと、体が休まるどころか、カラ元気が出てますます無理をしてしまい、またひどい症状がでてしまう。首に手を加えずに首を緩める事は、体全体の治癒力をUPできた証しである。こうすることで、疲れが取れることと症状がましになることの足並みがそろう。
選穴
●空間が右上なのでその方向にある穴処が候補。
●章門・不容がそろっているということは、左右の消長が機能していないということ。左右を支配する少陽胆経を動かす必要があるので、それと関係する穴処が候補。
●章門がそろっていて、沈脈であるときは陰経が有効と考えている。陰経の穴処が候補。
●痰湿を取ることのできる穴性をもつ穴処が候補。
●原気を補うことのできる穴処が候補。章門がそろうということは左右の陰陽が動かないということ。正邪という陰陽は、邪気の劣勢 (陰) と正気の優勢 (陽) が正常な状態。陰陽が動きにくいということは、正気と邪気が拮抗していると考えられ、原気を補いながら邪気を瀉すことが必要。
⇒これらの条件を満たす穴処として列缺が浮上する。列缺に触れてみると、右列缺に生きた反応。よって列缺に取穴する。
治療
右列缺に0番鍼。まず鍼をかざし、邪を散らして補うスペースを作る。その後、刺鍼して穴処を補う。そのまま3分置鍼後、穴処を押えない瀉法の手技で抜鍼。
その後、右肝兪に5番鍼で瀉法。速刺速抜。列缺の鍼で肝兪は実が浮いた状態なので、太めの鍼を一定の深さまで入れると簡単に取れる。
右列缺は不容や鼻頭にあらわれた湿熱を取る目的。
右肝兪は気滞を取る目的。
効果
治療直後、「腕の鍼を刺してもらっているとき、口の乾きが取れてきました。」と話される。
頚に触れると、丸太のように固かったのが、一転して柔らかくなり、細くなった感じがある。「首はどうですか?」と聞くと、「なんか楽です。」とニコニコしながら話される。
治療した夜から前額痛・背部痛が消失しよく眠れるようになる。4日後来院時には、動悸はまだ少しあるものの、めまい・ホットフラッシュ・項の凝りは感じられない、とのこと。
6診目の後、車で片道2時間以上かかる距離を1日で往復したが、何も飲まなくても車酔いしなかったらしく、「鍼って車酔いにも効くんですか?」と驚いておられた。乗り物酔いを治そうとは、当方は全く意図していないが、東洋医学の治療ではこういうことはよくある。
病因病理の考察
幼少期から中耳炎を頻発、乗り物酔いも病的に過ぎる。これは生まれながらに下が弱いからだ。生命を2階建ての建物と考えると、1階 (胸) も2階 (下腹) も均等に人がいる状態がちょうどいい。しかし、下が弱いということは、1階はガラガラ、2階はギュウギュウの満員電車状態。こういう体質の人は結構多い。下の弱さによる上の緊張 (緊張=気滞) である。
気滞の強い体質が元々あると、ささいなストレスでも強度のストレスとして体が反応する。もともと2階がギュウギュウだからである。
そうした日常の中での強度のストレスを、食べることで緩めようとする。とくに甘いものを求める。これは人間特有のもので、動物には見られない現象であり、異常なまでに発達した脳の大きさに起因する。例えばライオンは体に必要な量を食べたら、たとえシマウマがそばを歩いていても見向きもしない。しかし、人間は次に空腹になったときの蓄えにする方法を考える。これは脳が発達しているからこそできる発想であり、ストレスのもととなる複雑な思考でもある。こういう思考は複雑なストレスを生み出す。甘いものや美味しいものでそれを一時的にごまかそうとするのは、非常によく見られる行動である。
食べることでストレスによる緊張は瞬間的に緩むのは緩むが、それは一時のことで根本的な解決にはならない。体が必要とする以上の栄養分を摂ることで、「余り」が体内に蓄積する。この余りを「痰湿」という。痰湿は体の流通を滞らせ、その結果、気滞を生じる。ストレスでも気滞を生じるが、食べることによってさらなる気滞が生じるのだ。気滞はストレスをさらに強くし、これを緩めるために、また食べる…。これは負の循環である。
この強い気滞は、もともとある下の弱りに負担をかけ、もっと下を弱くする。腎虚である。こうして進行していった水面下の腎虚による生命の求心力の衰えが、上に気が昇りやすくなる病態 (陽亢) を加速させる。これが更年期を迎えることで一気に表面化する。
本症例のめまい・ホットフラッシュ・項の凝りは、すべてこの陽亢が原因である。
前額痛・背部痛の原因は痰湿である。夜間に発症するのは、夜になると日中体の外に出ていた活動力 (陽気) が体の中に入る…活動力が中に入るということは眠るということである…そのとき、その陽気を体内の陰気が中和しプラマイゼロになるのであるが、腎虚があると陰気が足りなくなるので、陽気が中和されず熱を生じる。喘息・アトピーが夜中に悪化する原因のほとんどはこれである。こういう病理で体液が熱によって痰湿化し、もともとある痰湿とあわさって前額痛・背部痛を起こしている。
動悸は腎虚 (陰虚) による熱によるものである。
こうしてみると、諸症状の根源は上の緊張であることが分かる。上の気滞をいかに解くかが治療のポイントとなる。