ガン患者の訃報…この二者択一に正解などない

45歳。女性。僕よりも10歳近く年下の患者さんである。
乳ガン。右乳房下部に4cmほどの硬い塊がある。
九州の患者さんである。
関西に特別な抗癌剤をする病院があるので、そのついでに当院を受診した。

ちなみに「ついで治療」では結局は効かない。治療というのは専念すべきものだからである。主一無適… 二兎を追うものは一兎をも得ず をご参考に。

2023年

初診、2023年2月28日。
2診目、同年3月9日。
3/22抗癌剤注射 (1回目) 。
3診目、同年3月23日。抗がん剤のついでに立ち寄る。
4/22抗癌剤 (2回目)、強めの抗癌剤のため10日間しんどかったが、ガンは小さくなる。
4診目、同年5月19日。抗がん剤のついでに立ち寄る。
5/21抗癌剤 (3回目)、ガンが小さくなる。
5診目、5月25日。ガンが19日よりも小さくなっていることが僕の触診でも明らか。気持ち悪さあり。
6診目、5月27日。

6月にも抗癌剤を打ったが耐性がついていて効かなかった。

11月〜放射線 (東京) 。

2024年

7診目、2024年3月4日。膝が季節に関係なく冷えて仕方なかったが、去年の6回の治療以降、温かくなった。この1月からまた冷えだしたので来院したと言うが、抗がん剤のついてであることは明らか。
3/6抗癌剤→副作用で立てないくらいしんどくなる。
8診目、同年3月14日。9診目、3月15日。膝の冷えまし。寒くなくなった。

10診目、同年5月6日。11診目、5月7日。食べると温まる。空腹でしんどい。仕事 (自営) 忙しい。畑もしている。 >> 仕事は仕方ないとして、畑はいまの生命力ではやめた方がいいが、その声は届かない。

11/9最後の放射線 (東京で1年前から) 。
12診目は、同年11月11日、東京の放射線のついでに立ち寄る。肺に転移した。前回の5月までは数センチのガンが一箇所だけだったのに、今は右乳房全体にゴツゴツした大小のガンが無数に点在し、乳房全体が固い。胸の真ん中には奉仕や線のヤケド痕もあって痛々しい。
13診目、14日。つづけて16日、18日も治療。
11/18 ガン専門病院で温熱療法。
16診目、19日。つづけて21日、25日、26日。28日も治療。
21診目、29日。抗癌剤にもう一度挑戦するか、しんどくなるので迷っている。

これで治療は途絶えた。

この年の11月は、連続で10回の治療に通ってきた。が、放射線と温熱療法の「ついで」であることも想像できる。ただしこの間、当院の治療を重ねるごとに明らかに乳房 (特に上部) は柔らかくなってきている。しかし乳房が痛くなってきた。なので本人は元気がない。
これは、正気がガンと戦い始めた (ガンに向き合い始めた) のである。痛みがなかったり無症状だったりするのは、正気がガン (邪気) に気づいていないか、もしくは手をこまねいて見ているだけの状態である。
さらにこうも言える。症状があった方が人間は活動的ではなくなる、つまり安静にできるのである。どんな病気でもそうだが、病気治しの最初は安静から始まる。カゼのような簡単な病気でもそうなのである。軽い症状ならばあった方が、無理しなくなるから良い。
このように説明したが、本人は浮かない顔であった。

末期ガン崩落…ガン中心部が消滅した症例の考察では、死期宣告を回避しつつガン縮小を見たが、本文を見ると分かるように、当院の治療の経過中に頻繁に頭痛やカゼ様の症状が出て、何度も仕事を休んでいる。休んだから改善したのである。つまり、その頭痛やカゼ症状は治療効果の1つだったと言える。このような極端な症例からは多くの学びが得られる。つまり、命にかかわらない症状が出ることが、命にかかわるガンの治り方であるということが言える。これは、悪化させれば治るという意味ではない。命の存亡を見抜く診断力は不可欠である。

「軽く症状は出たほうがいいんですよ。」

この説明が届いた手応えはなかった。

▶抗癌剤はなぜ効くのか
もっとも治りやすい病気とはなんだろう。インフルエンザなどのカゼである。誰もがかかったことのあるこの病気、多くは4〜5日もあれば治ってしまう。その病気の特徴は? とにかくしんどい。いきなりしんどい。学校へも行けない。仕事だって休む。
その結果、安静にしている。じつはこの「安静」があるから、生命力は治癒力に変化することができる。あっちこっち用事があって動き回っていては、生命力は活動力に変化して使われてしまうではないか。活動力として生命力を使ってもなお、治癒力を生み出せるならば病気にはならない。多くの病気は生命力には限りがある。
ガンをカゼと比較してみよう。ガンはいきなりしんどいだろうか? いや、しんどさは全く感じない。だから検査をしないと見つけられないのだ。しんどくない、だから治りにくいのだ
そんな病気を治す薬がある。抗ガン剤である。この薬はしんどくする薬だ。多くの薬が楽にする薬であることとは対照的である。
楽にすればいくらでも動き回る。
しんどくなれば? ゆっくりする。安静にする。
カゼという病気が治りやすかったのはなぜか、もう一度思い出してみよう。つまり抗ガン剤が効くのは、しんどくなって結果として安静するからであるという考察ができる。
ただし、そのしんどさに生命力が負けてしまう場合がある。抗ガン剤は必ずしも効くとは限らず、場合によっては生命を弱らせてしまう場合もあるのは、抗ガン剤に対峙する生命力がそもそも足りているか足りていないか、つまり生命力が抗がん剤に打ち勝てるかどうかに関わる。生命力のレベルを測る診断ができるまでは、その患者にとって抗ガン剤が有効か有効でないかを判断するのは難しいだろう。

結局は亡くなった

翌年 (2025年) すなわち今年の5月頃だっただろうか、午前診も終わった12時過ぎ、当該患者から電話があった。
いま関西に来ているのだが、14時なら行けるのだが診てもらえないか、と。
さすがに14時は完全に時間外 (午後診は16時〜) なので断った。もう少しまとまった治療機会を作って、腰を据えて治療しましょう、そう答えた。

これが最後の会話となった。

10月、亡くなったからである。

フェイスブックで流れてきて、それで知った。過去の日付とともに本人の画像をたどった。
4月21日は「神シン」がある。しかし
7月26日には「神シン」は消えていた。
見た目は元気そうな画像であったが、もう命の手綱が手放されていたのである。

とめられなかったガン… 逆証 (死の証) 鑑別診断の実際
ガンが進行する人は休むのが苦手である。ぼくの父 (享年42歳) 、母 (享年69歳) もそうだった。彼らの死、そして当該患者の死を無駄にしないため、あらゆるガン患者を救い啓蒙するため、本ページをまとめる決意をした。

もう一度電話があったということは、無意識が僕に救いを求めたのであろうか。まさかあれが最期の会話になるとは。

賭けるしかない

当院では週に2〜3回の治療を推奨しているが、ガンで重いものは3回は治療したほうがいいかなという印象を持っている。再度触れるが、死期宣告を回避しつつガン縮小を見た症例 (末期ガン崩落…ガン中心部が消滅した症例の考察) は、本当に勉強になった。遠方からだったが、週に1回の来院で、その日に3回の治療を行った。たとえばこれが2回でも同じ結果になったかと言われると、無理だったような気がする。

気がする。そうである。実際に末期ガンの命を救うほどの診察力があっても、週に2回の治療でも行けたか行けないかはその程度の見識なのである。

なぜか。比較できないからである。週に3回治療したこの患者と、週に2回治療した全く同じ患者さんを比較できない。全く同じ人間など存在しないからである。人間というのはマウスとは違う。やることなすこと、考え方までが千差万別なのである。

当該患者も同じである。4月で神シンがあった。7月で神シンは消えていた。ではお電話をいただいた5月から週に3回、当院の治療のみに専念していたら? 10月に死ぬことはなかった。その自信がある。

だがそれは、誰からも喜ばれるものではない。なぜなら、たとえば10月に死ぬことはなくとも、12月に死ぬならば、鍼などやらずに西洋医学で見てもらっておけば良かった、そう後悔することになるからだ。

しかし、比較すれば12月まで元気でいられたのだから、そのほうが喜ぶべきことである。なのになぜ後悔することになるのか。それは西洋医学を信頼しているからである。鍼は、それに劣るものであるからである。そう思っているから、鍼なんかやらないほうがもっともっと、翌年まで生きれたのではないか、そう思うからである。もっと生きたとしても、来年、再来年、3年後まで生きても、結局死んでしまったら同じことである。もっと生きれた、そう思うのである。

どっちがいいか、どっちの治療がいいかなど、ここらあたりがオチである。同じ行動、同じ考えをするマウスなら比較検討ができる。しかし、1人として同じ行動、同じ考えをする者がない人間の場合はどうか。ガンのような不透明な病気であればなおさらである。考え方すらガンの行く末を決定することは、ガンと愚痴… 悪性リンパ腫が完全寛解を見た症例でハッキリと示した。

信じる醫者についていく。

それが最も納得ができる最善の治療である。極論すればそうなる。
鍼をするかしないか。手術をするかしないか。抗がん剤をするかしないか。
このたぐいの選択は一つのみ、両方一度にはできない。するか、しないかの二者択一。
「ついで治療」が効かないとするならば、なおさら。

そうだ、人生とはそういうものだ。賭けである。

信頼する道、その道に、賭ける。
その先生に賭ける。

正解などない。

当該患者は、寿命を全うしたのだ。

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